第32話 二次元とリアルは分ける派
「拙者に、ユノ殿の……勇者の、配下になれと?」
「そうだ」
ゴーレムに上半身を掴まれ身動きができない拙者を見下ろし、魔族の宿敵は妖しく笑む。誰が操っているのか、照明がドラマチックに彼女のボディスーツに集まった。瑞々しい果実のように、赤い光が煌めいている。
「どこかに潜んでいるルーワイの首を取れば、ボクはこの世界で最強の存在と証明される。そんな有能な者の下について働きたくはないか、ガルシ?」
「……。不思議に思っていたのでござるが、何ゆえ拙者に固執なさるのです」
ぴく、と勇者のストロベリーブロンドが揺れた気がした。ゴーレムの構成品であるガラクタ類が身体に食い込んで痛いが、なんとか拙者は冷静に考えを述べる。
「我々四天王を掌握するならリーダーであるメラゴ殿を懐柔するか、屈服させるのが一番の近道ではござらんか? 拙者を潰したとて、まだ四天王は十分な戦力を有しておりますぞ」
「はっ。お前はつくづく分かってないな。女心も、仲間の心も」
「ぶっちゃけ前者がめちゃめちゃ気になりまするが、ここは空気を読んで後者についてお尋ねしとうござる」
勇者はガラクタの上を器用に渡り、拙者のすぐ目の前に立つ。細い肘をゴーレムの指の端に優雅に置く姿は、まるでバーカウンターにつく客のようでござった。拙者は大きなその蒼い瞳を警戒し視線を外すも、すぐに彼女の手が伸びてきてぐいと顎を掴まれる。
「心配するな。これだけ警戒されていたら、魅了術にはもうかからない。それで、先ほどの問いへの答えだが──もちろん、お前を狙う意味はある」
抵抗しようにも、恐ろしく強いその腕力によってぐぐぐと拙者の顔が正面へと戻される。面白がるようにこちらを見下ろし、少女は呆れ顔で言った。
「言ったはずだ、お前は餌であると。なぜなら他の四天王たちは、若き魔族であるお前のことを一番大事に想っているのだから」
「!」
「自覚はあるだろう? たしかに『炎鬼』を先に処理しておくのは良策かもしれない。ルーワイ以外に敗北を喫したことのない、最強の存在のひとりだからな。そのあとで一人ずつ順に消して回るのが妥当だろう」
碧眼が爛々と輝く。それは妖しい魅了の光ではなく、魔界の谷の奥底でもお目にかかったことがないような、燃え盛る炎を思わせる闘志だった。あ、この人間違いなく戦闘狂でござる。
「だけどボクは、そんなやり方は望んでいないんだ。勇者として気高く、最高の条件で貴様ら魔族を滅したい。それでこそ歴史に名を刻めるというもの」
「な……」
「そう。お前を餌に奴らを挑発すれば、各々が最大の力を発揮してボクに向かってくるだろう。その瞬間を待ち望んでいるんだよ」
わざわざ相手を煽り、熱しておく。それこそが勇者の狙いだと気づき、拙者はぎりと歯を噛み締めた。しかもその思惑はおそらく、ほぼ成功するでござろう。今頃四天王の皆は、それなりに拙者の身を案じて気を揉んでいるはず……多分。荒ぶった気持ちのまま、その辺のビルを倒壊させてないか心配でござるが。
「とはいえ、正義を行うにも人手は必要だからな。少し方針を変えた」
「求人広告を打つ相手をお間違えではござらんか?」
「いいや。カノンちゃんとの関わりを見ていて、確信した。お前は魔族だが、忠義に厚い。事実、ボクが用意した極上のオファーに見向きもしなかった」
「あの編集チームへのお誘いは、嘘でござったか……」
「違うッ! ボクの部屋で暮らさないかって言ったろ!!」
「あ、そちらで」
あの部屋でのやりとりを思い出したのか、今まで上機嫌だった勇者の可憐な顔が曇る。ぐぐ、と彼女が拳を握ると、拙者を拘束しているゴーレムも連動して震えた。え、こわい。
「屈辱だったぞ。これまでの義理から編集仕事を断られる可能性は想定していたが、まさかボクと暮らせる夢のような権利まで蹴るとはな」
「い、意外と今のお姿、気に入ってらっしゃるのでござるな……?」
「こんな美少女はいまい!? 貴様、その長い前髪やPC仕事のせいで視力が低下してるんじゃないだろうな」
「視力は三〇・五でござる。魔王城健康診断では毎年、よく視えていますねと太鼓判をいただき申した。ストレス値はG判定でござったが」
拙者の回答を聞いた勇者は、ますます顔を赤くしてこちらに詰め寄る。
「なんだ、何が悪かった!? 初めて部屋に行った日のコーデは少しボーイッシュすぎたかと思って、今日は秘蔵の甘めミニスカコーデにしたんだぞ。なのにお前ときたら、まったくなびく気配がなかった!」
「落ち着くでござる。今日のユノ殿も、とても素敵でござったぞ」
「へっ?」
彼女がずるりと肘を滑らせると、ゴーレムの指から古びたミニカーがぽろりと剥がれた。目を丸くする彼女を見、拙者は失礼にならぬよう率直な意見を伝える。
「ユノ殿は常に、ご自分の魅力を引き出す格好というものを心得ていらっしゃる。ショートパンツもスカートも、男心を撃ち抜く黒タイツも完璧でござった」
「なっ、え……!」
「まるでカワイイが服を着て歩いているような奇跡にござる。なので拙者のような、ファッションセンスに理解がない者のいち反応で落ち込むことはないかと」
「や、やめろやめろ! 改めて全力で大絶賛するな!!」
彼女がぶんと頭を振ると、尻尾のような長い髪が拙者の横面をばしんと張った。その髪が振りまく香りはやはり甘い。勇者は転生後の身体をきちんと受け入れ、手入れを欠かしてはこなかったのでござろう。故郷である沖縄への愛を語るドキュメンタリー番組で見せた笑顔も、嘘とは思えないものだった。
腕組みしてこちらに背を向けた勇者は、まだ不満を残した声で言った。
「じ、じゃあ、なんで……ボクの誘いに乗らなかったんだよ」
「いきなり同棲めいたことを提案されてすぐに承諾するほど、拙者は常識のない魔族ではござらぬ。仕事だってすぐにすべての取引を放棄などできぬ上、生活における互いの好みなどもありましょうし」
「う……」
「現実はラブコメのようにはいかぬでござる。そういった大事な話は一般的に、徐々に段階を経てですな──」
「ま、魔族ごときが、人間の常識を語るなぁッ!!」
「ぐぇっ!?」
激情に任せて叫んだ彼女に呼応し、ゴーレムからの圧迫が強さを増す。いだだ、改造し尽くされたミニ四駆が腕に食い込んでるでござる!
「じゃあ提案の仕方が悪かっただけで、きちんと手順を踏めば……お前はボクの、パートナーになったんだな?」
「!」
ふっと、空気中の温度が下がった気がする。拙者は勇者の背中を見つめた。話術や交渉が巧みな兄貴分ならきっと、ここで上手く懐柔できたでござろう。しかし残念ながら拙者、そういったスキルは持ち合わせておりませぬ。
それに、何故か──この細い背に、嘘は言えぬと思ったのでござる。
「いいえ。大変申し訳ござらんが、やはりそのご希望には添えませぬ」
「……っ、だから、それは何故だと訊いてるんだ! 顔もスタイルも完璧で、歌も上手い! 収入は貴様の数百倍! ちょっと料理は下手だけどそんなところも十分かわいいボクの、何が花月カノンに劣ってるっていうんだ!?」
その名を耳にすると、魔界でさえ滅多に降らない特大の雷に打たれたような衝撃が走る。どくどくと心臓が吐き出す鼓動がうるさい。ゴーレムの金属を通して、術者に伝わってしまうのではと思うほどに。
「それは……」
掻き消そうと思えば思うほど、浮かんでくるその姿は鮮明になっていく。長い黒髪を揺らして、記憶の中の彼女が無邪気に笑う。
『ガルシさん、見てください! あれが進化途中のドグオくんです』
驚いた時には、アーモンド型の瞳を猫のように丸くし。
怒った時にはわかりやすく、色白の額の中で黒い眉を吊り上げる。
『牙琉くん、ペン持ってない!? 今浮かんだフレーズ、手の甲でもいいからメモしとかなきゃ』
『あっ今の人、空き缶ポイ捨て! もう……。ガルシさん、ちょっと待っててください。拾ってきます。ここ、朝は子供たちの通学路なんです』
そんなたくさんの表情を持つ彼女の顔を最後に彩ったのは、涙だった。
『私はもう、大丈夫だから……』
ごん、と鈍い音を立て、拙者はゴーレムの硬い指にみずからの額を打ちつけた。先ほど資材置き場に全身で突っ込んだ時よりも、ずっと痛い。その理由は明白でござった。
(もう離れると……忘れると、決めたというのに。拙者は、まだ……!)
今は全力で勇者に媚びを売らねば、命はないかもしれぬ。魔族らしく狡猾に敵を欺き、機を待って華麗に裏切ればいい。それこそヴィランというもののスタンダード。しかしそのような局面でも、拙者に己の心を偽ることは無理ゲーらしい。
ならば、いっそ──ヒーローとして散るという酔狂も、アリではござらんか。
「……何度問われようと、拙者の答えは変わりませぬ」
「これが本当に最後だ。ボクのものになれ。ガルシ」
ようやくこちらに向き直った勇者が、蒼い目を昏く光らせる。拙者はそれを真正面から見つめ返し、はっきりと申し上げた。
「お断りいたしまする。ここで身体を粉々にされようとも、拙者の心は永遠に、ただお一人の──これから世界中を驚かすことになる、美しきシンガーのものでござるよ」
しっかりとその返答は届いたはずであった。しばらく沈黙していた勇者だったが、その肩がふるふると振動をはじめる。そしていきなりブーツの踵でガンとゴーレムの指を蹴った。巨大な指がぎぎぎと動き、拙者の顔を挟み込む。え、まさかこのままプッチン魔族コースでござるか!?
「よーくわかった。なら仕方ない。こちらも強行手段に出るとしよう」
「な、何をっ……!」
「恐れることはない。ただのキスだ」
「は!?」
完全に動きを封じられた拙者の顔に、影が落ちる。目だけで見上げれば、こちらを見下ろす美少女の真っ赤になった顔が見えた。なにゆえ仕掛け人が照れてるでござる!?
「ど、どど、動じるな、情けない! ボクの魔力を直接流し込んで、配下にしてやろうっていうんだ! キス以外ないだろうが!? ラッキーだろうが!!」
「ま、待つでござる、ユノ殿! 拙者、そんな経験は」
「ぼ、ボクだってないっ! それに誰が男にしたいと思うんだ!! これは絶対やりたくなかったのに、お前が首を縦に振らないから──くそっ!」
ぷるぷると震える小さな手が、拙者の両頬に添えられる。小さな唇が近づく。白く甘い吐息がかかる。
「ユノ殿! や、やめ──、っ!」
「そこまでだ、この変態勇者」
「!?」
ずばん、と恐ろしくするどい音がして、拙者の胃が一瞬の浮遊感を覚える。ゴーレムの腕が本体からズれ、落下をはじめた──が、すぐに何か不思議な力に支えられて止まった。
拙者は顔を跳ね上げ、頭上に浮いている人物を呆然と見つめた。
「うちの弟分に、ずいぶん不埒な真似してんじゃねえか。覚悟はできてんだろうな」




