第31話 ロボは画面越しにかぎる
「こんなところにいたのか、ガルシ」
聞き慣れた声に呼ばれ、拙者は振り向いた。ここは魔界の中でも雷雲に近い、高く迫り出した危険な崖の端。まともな魔族であれば近寄らないデンジャーな場所であったが、やはり声の主は予想どおりの強者でござった。
「……メラゴ」
恐ろしげな紋が浮き出た赤い腕を組み、拙者を見下ろす魔鬼族の男。しかしその紅い瞳には、仕事完了の報告もせずひとりぼんやりとしていた若き四天王──拙者を咎めるような色は浮かんでいなかった。
「悩み事があるなら雷じゃなく、俺たちに話してくれてもいいんじゃないか?」
「いえ……くだらないこと、なので」
今日も魔王の気まぐれに従い、人間軍の一部を壊滅させに赴いていた。交戦を避けたかった拙者は魔界へ向けて進軍する彼らの前に姿を見せ、軽く荒野を裂いてみせた。手加減も注意もしていたのでござるが、哀れな荷馬が一頭裂け目に落ちてしまい凹んでいたのだった。
『これが……魔族の、力……』
彼らの恐怖に凍りついた顔を思い出すと、心に魔族らしからぬ痛みが走る。しかも武勲を立てる場を与えなかった魔族の部下たちからもぶつくさ言われ、さらに疲弊していた。ゆえに拙者は城に帰らず、お気に入りのこの崖の上で雷たちと戯れていたのでござった。
「決めつけるのはよくないぞ。魔王様がお前の帰還を待ちくたびれて城の壁を破壊するまで、まだ少し時間はあるだろう。話してみてくれ」
茶目っ気たっぷりにそう言い、我らが四天王の長は拙者のとなりに腰を下ろした。こうなればこちらが話さぬかぎり、この男は動かぬでござろう。拙者は地面にとぐろを巻いている長い金髪をいじりつつ、屈強な膝を抱えた。
「……想像していたんです。ここ以外で暮らすことになったら、どのような感じなのだろうと」
「人間界でってことか?」
「あ、いえ……。彼らの領域は、ずいぶん我々が壊してしまったので。その行為を一部引き受けた自分に、そこで暮らせる資格があるとは思いません。ただ」
ぱちぱちと踊る細い雷を指に絡ませ、拙者は思春期ボーイらしく純情な声で打ち明けた。
「まったく別の世界──魔族がいない、人間だけの平和な世界が……どこかにあったら」
「……!」
「そんなところに行けたら……いいなと」
そろそろいつもの豪快な調子で、笑い飛ばされるのではなかろうか。そんな思いでちらとリーダーを見るも、拙者の目に映ったのは兄貴分の優しい微笑でござった。どうしてか、少し寂しそうにも見える。
「メラゴ? 笑わないんですか」
「ああ、いや……。あながち、夢物語じゃないかもしれないぞ。俺も、他の世界の存在は信じているんだ」
どこか確信めいた顔でうなずくリーダー。まあ拙者の何倍も長生きしている魔族の彼でござるから、いろいろな情報源をお持ちなのかもしれぬ。
「それで? お前はその平和な世界に行ったら、何をしたいんだ」
「えっ……と。そうですね」
ぐるぐると上機嫌に立ち込める暗雲を見上げる。それらには少し申し訳なく思いつつも、拙者は人間界に広がる青い──時には赤い空を思い描いた。
「まず、戦いたくないです」
「そうだな」
「あ、もちろん自分だけでなく……あなたや、キティやアスにも」
「俺たちも連れて行ってくれるのか。ありがとう」
「それは絶対です! あとは──」
密かに観察したことのある、王都の賑やかな大通りの風景を思い浮かべる。いいや、所詮は若者の馬鹿げた夢──もっともっと、欲張りに想像してみてもいいではござらんか。拙者の金の瞳が輝いた。
「好きな場所に住んで、いつでも好きなものを食べる。料理も極めてみたいですし。あと仕事は、何か……人に怖がられない、誰かを楽しませるようなことがしたい」
「ああ。いいな」
「それから」
白い衣装をまとった男女を囲む、たくさんの人間たち。どうしてあの日彼らが集まり、嬉しそうに笑い合っていたのか。魔王城に帰ってその理由を知識豊富な兄貴分に尋ねた拙者は、驚き──そして、羨ましく思ったものでござる。その想いが自然と、若者の口からこぼれ落ちた。
「ただひとりの、『大切』な相手を……見つけてみたい」
紫の頬を染めてそんな夢を語る拙者──アーッ、ちょっとタイム、タイムでござる。これ以上は勘弁してくだされ。あ、あれはあまりに若すぎたというか、ですな──
あれ? そもそも拙者って、誰のことでござるか……?
*
「う……」
長らく頬をつけていたらしいコンクリートの冷たさにぶるりと震え、拙者は薄目を開けた。横向きになった景色は暗く、魔族の目にも闇がわだかまって見えるほど奥行きがある。天井も相当に高く、とにかく広大な空間であることがわかった。
「ここ、は……? 痛っ」
首筋がずきりとするどく傷む。拙者は呻きつつ、自分の身体の状態を確認した。シャワー上がりの部屋着から覗く肌は紫、人工の床に散らばるのは腰よりも長い金髪。やはり完全に魔族姿に戻されてしまっている。
(束縛の魔術……。しかも、拙者に解ける部類ではござらんな)
拙者は最大限に首を捻り、後ろ手に拘束された両腕を見る。腕に絡みつくのは茜色の蛇を思わせる、上位魔術の鎖でござった。ちなみに、すでにかなり肩が痛い。筋肉がある男にこの姿勢はキツいので、世の誘拐犯の皆様は覚えておいてほしいでござる。
足は拘束されていないので、拙者は腹筋──こちらもやけに痛い──を使ってゆっくりと身を起こした。自由にしておくということは、足掻こうとも捕らえる自信があるということ。拙者はひとまず逃走という選択肢を捨て、改めて建物の全容を観察した。同時に、意識を失う前に聞いた名称を思い出す。
「まさか、本当に……無明アリーナでござるか!?」
この巨大建造物は一度、ヲタ友と一緒にアニメフェスで訪れたことがある。次のイベント開催に向けての工事期間なのか床はコンクリートが剥き出しであったが、ほぼ間違いないでござろう。ところどころに、資材にもゴミ類のようにも見える物品が積み上がった山がある。
「なぜ、このような場所に……」
いくつかの照明が淡く点灯しているものの、人の気配は皆無。魔族姿を目撃される心配はない。しかしがらんとした広大な空間のど真ん中に放置されているのは、魔族でなくとも心細くなる状況というものでござった。
「落ち着くでござる。こういう時の敵は大体、こちらが目を覚ますのを律儀に待ち構えているもの。そのうちカッと照明が一斉に点灯して──」
カッ。
「やたら手間のかかった演出をしつつ──」
シュウウという音を上げ、謎のスモークが拙者の周りに漂いはじめる。ついでになにやら地響きが近づいてきた。色とりどりのビームライトが、観客のいない座席をなぞる。
「満を持して、高笑いと共に登場──」
「はーっはっは! やっと目が覚めたか、『地底筋肉』! 待ちくたびれたぞ」
「!」
ずしんずしんという重い足音とは正反対の、甲高い嘲笑。やけに高い位置から落ちてくるそれが『勇者』のものであることは、すぐにわかった。しかし拙者は床に尻をつけたまま、呆然と彼らの登場を迎えることになる。
「ろ、ロボ……じゃなくあれは、ゴーレム!?」
拙者の知るその魔術は、本来であれば巨大な土塊を複雑な術式で繋ぎ合わせ、命令通りに戦わせるというもの。しかし今、目の前に現れたそれは、かつての世界にいたゴーレムたちとはまったく違う風貌をしていた。
「なんというか、その……ずいぶんレトロ? ですな」
「遠慮するな、魔族。見てのとおり、このゴーレムの素材は『ゴミ』だ」
そう、端的に言うならばそれは、高さ四メートルに届こうかという巨大なゴミの塊でござった。今では骨董品に分類されるだろう箱型のテレビに、双子のように横につながった大きな洗濯機。一部がひしゃげた自転車やくたびれたスケートボード、おもちゃ類などなど。
「時代に置いていかれた、哀れな魂たち。彼らが貴様の処刑人だ」
「ユノ殿! 勝手にアリーナに侵入した上、このような大規模な魔術まで! 警察沙汰じゃ済みませぬぞ!?」
「ふん」
拙者の糾弾を一蹴した少女は、ゴーレムの肩にくっついている古びたソファに優雅に腰掛けていた。
「ヴィランのくせに、興醒めなことを言うな」
黒と赤を基調とした、アメコミヒーローのようなボディスーツ。メディアで何度も見たふわふわかわいいアイドル衣装ではないことに驚く拙者でござったが、スレンダーなお身体のユノ殿に抜群に似合っている。
「そのお衣装は、特注コスプレではなく……『幻妖甲冑』でござるな」
「ようやく頭を働かせたか。そう、お前の仲間の『幻妖族』が得意とする幻術のひとつだ。だが、性能は幻とは言えないぞ」
そんなことは見ればわかる。おそらく勇者が丁寧に練り上げてきた魔力を編み込んでいるそのスーツは、もはや鎧と言ったほうが正しいほど力に満ちている。絶対に殴られたくないでござる。
「ボクは準備運動がしたい。さあ、お前の仲間が来るまでに少し遊ぼうじゃないか」
「え」
高らかなその宣言と同時、ゴーレムがガラクタの両腕を持ち上げる。ぬいぐるみや壊れた貴金属類など小さな構成品が剥がれ落ちることなど気にもせず、粗大ゴミの結集体は拙者の真上に巨腕を振り下ろした。
「ちょ……おわぁっ!?」
痛む腹に力を集中させて跳ね起き、拙者はコンクリの床を蹴ってダイブした。すぐ背後で灰色の床が砕け、砂塵が吹き荒れる。部屋着に素足に加え、両手は背中で拘束状態。いくら運動神経を取り戻したマッチョボディとはいえ、ゴーレムとの鬼ごっこ相手としては雑魚すぎるでござる。
「っ、とと……」
しかも、まだ身体に魅了術の影響が残っている。イマイチふんばりが効かず、拙者は回避の勢いのままよろめいた。そこへ愉快そうな少女の声が降り注ぐ。
「鈍いな、地底筋肉! ほら、まずは挨拶代わりだ!」
「ッ!!」
横ざまに振り抜かれたゴーレムの拳が、拙者の左半身を直撃する。子供が放り投げた人形のように拙者は宙をふっとび、工事資材の山に激突した。がらんがらんと甲高い音を立て、金属のポールが崩れ落ちる。
「かは……っ!」
痛い。戦いの痛みなど慣れたものであったはずなのに、七年ぶりに全身を襲うそれらはかなり堪えた。口の中に鉄の味が広がり、切ったらしいこめかみから生温かい液体が流れ落ちるのを感じる。
「ぐっ、う……!」
噛み締めていた奥歯を緩め、息を吐く。とにかく、立ち上がらねば。立て、立つんだ、せっs──
「つーかまーえた!」
「! な」
楽しそうな声にハッと顔をあげると、目の前にガラクタの塊が迫っていた。がばと大きく左右に開いたゴーレムの手が、拙者の上半身を容赦なく挟み込む。浮遊感を伴い、ジャージの素足が床を離れた。キャッツーランドでも味わったことのないGと共に、アリーナの景色がぐんぐん上昇する。
拙者を鷲掴みにしたゴーレムの手は、勇者の正面で停止した。ボディ部分に比べると小ぶりなガラクタ類で構成された手の中は、もちろん居心地最高と言えるものではなく。おもちゃや古びたキッチン用品などが身体のあちこちにめり込み、拙者はうめき声を漏らした。
「う……!」
「無様だな、四天王。しかし面白みのないやつだ。どうせ平和な世界に慣れきって、怠惰な毎日を送っていたんだろう」
まったくもってその通りでござる。だからこんなガチ戦闘など止めませぬかと提案したかったが、勇者は身軽な動作でソファから腰を上げた。そしていつもの不敵な笑顔でニッと口を持ち上げ、拙者に告げる。
「お前に最後にして最高のチャンスをやろう。ボクの軍門に下れ──ガルシ」




