間話 その頃、兄貴分たちは
「はあああ……おいっしいいい!! さっすが人気俳優、いい酒揃えてるわあ」
派手な色の爪が並んだ指が、高い天井に向けてグラスを掲げる。琥珀色の液体をうっとりとした目で見つめているのは、ピンク髪の美女であった。すでに彼女の前のテーブルには、たくさんの空瓶が転がっている。
「そんなに美味いのか、キティ?」
「あったりまえじゃない。これ、どれもオークションですごい値段ついてる銘柄よ。ほんとに全部開けちゃっていいの?」
「はは、良いぞ。俺は酒は好きだが、あまり違いはわからないからな」
目を輝かせる美女を満足そうに眺めているのは、艶のある本革のソファに腰掛けた偉丈夫だった。魔族の名残である複雑な紋が浮き出した手でグラスを傾ける男は、この広いマンションの一室の主である。
「全部飲んでいけよ、キティ。もう戸棚からあふれるくらいあるからな」
「それは大変ね、奥さん。もちろん手伝うわよ♡」
「誰が奥さんだコラ」
大きなガラス張りの一角から遥か下のネオンを見下ろしていた男が、美女の言葉にゆらりと振り向く。髪の大部分が水色に染まった色男だが、その額には真っ白なガーゼが貼られていた。
「前に来た時は仕事関係の差し入れ品だとか、ファンからのプレゼントであふれかえってたのに、すっかり断捨離されてる。アンタがやってあげてんでしょ」
「一週間も世話になっておいて、ただ寝てるだけってわけにはいかねえだろ」
「いや療養のために来てんでしょうが。せっかくなんだからゆっくりさせてもらいなさいよ、アス」
するどく指摘され、怪我人である美男はラフなシャツの肩をすくめた。
「どうにも落ち着かねェんだよ」
「キティの言うとおりだぞ、アスイール。ここはフォースターズが買い上げてるマンションだし、入居者も芸能関係者ばかりだ。加えて俺も結界を敷いてるから、『勇者』が堂々と乗り込んでくるとは思えない。寛いでくれ」
「てめえが毎夜違う女を連れてくることが落ち着かねえって言ってんだ!!」
おつまみのよく裂けるチーズスティックを左右に引き裂きつつ、臨時の同居人が叫ぶ。けらけらと笑い出した女の横で、糾弾を受けた男は短い黒髪を掻いて言った。
「それはすまん、起こしてしまっていたか。じゃあ、もう少し離れた部屋で」
「言わせねえぞ、この万年レーティング野郎。せめてオレの存在は隠せ。今度勝手に部屋に女が入ってきたら、術で吹っ飛ばしちまうかもしれねえぞ」
そう言い切ったあと美男は疲れたのか、どすんとソファの端に腰を下ろした。軽蔑するように広く空けられた空間を見つつ、アクション俳優は苦笑する。次の酒瓶を吟味しながら、美女が助け舟を出した。
「ま、しょうがないわよ。『魔鬼族』は他人との肌の触れ合いから、多くの魔力を補う。この世界の人間なんてほとんど魔力もってないんだから、数が必要ってわけ。そんなに言うならアンタが分けてあげたら、大魔術師さん?」
「絶対イヤだ」
「俺も遠慮しよう」
しかし長年の付き合いから生じる軽快なやりとりは、そこで一斉に途切れた。三人の美男美女──もとい三人の魔族たちは、それぞれのグラスを見つめたり、さらにチーズを八つ裂きにするなどして思考に沈む。
「戦い、か……。まさかこんな平和な世界に来てまで、魔力を使うほどの戦いに巻き込まれるとはな。因果ってやつか」
「しかも勇者が狙っているのは魔王ではなく、俺たちなんだろう?」
「そうみたいね。でもあたしたちはいまだに『四天王』の名前で集まったりするけどさ、実際もう魔王もいないわけでしょ。放っておいてほしいわよね」
「──本当にそう思うか?」
「え?」
長い指を突き合わせ、青髪の男がぼそりと言う。
「お前らの身体にもまだあるだろ、『魔王紋』。ソイツの意味を考えたことはねえか?」
この言葉に、残された男女はハッとした顔になる。黒髪の男は額を、女は首筋に手を遣り、暗い表情をした。
「や、やぁね、アス……。だって紋は単に、消えない魔術なんでしょ」
「そうだぞ。魔王が俺たちと同じようにこちらの世界に来たのならあの日、俺の『広域魔力探知』に引っかかったはずだ。お前なんてさらに広い範囲で、何度もやってくれている。それに──」
額に添えた手の影の中、リーダーである男の目が黒のコンタクトを透かして紅く光る。長年の苦悩を思わせる、血のような昏い光だ。
「あの男が来ているのなら、俺たちを野放しにしておくわけがない。力ずくでも必ず召集して平伏させ、ふたたび自分の軍勢を作りあげようとするはずだ」
「……ああ、まあな。誰よりも魔王軍に長くいるお前の言だ、それはそうだろう」
「じゃあなぜ浮かない顔をしているんだ? ああ、やっぱり見えないとしても、『紋』があんなところに刻まれていることをまだ気にして──」
その瞬間、同居人は怪我を忘れたかのようなスピードで発言主に襲いかかった。部屋着の胸ぐらを掴み、髪と同じくらい青い顔をして叫ぶ。
「てめえ、やっぱりこそっと調べやがったな!? だから風呂の介助なんていらねえって言ったんだ!!」
「えーっ、見たのメラゴ!? どこ、どこだった!? 四天王七不思議のひとつじゃない、それ!」
「はは、恥ずかしがるようなことじゃないだろう? きっともう、浮き出ることもないモノだし」
「……」
呑気な笑い声を上げる俳優の襟元を離しても、四天王の頭脳を司る男はやはり難しい顔をしている。それを見たリーダーは、たくましい手をぽんと青頭に置いた。彼がどの仲間にも行う、『心配するな』のサインだ。
「アス。憂いが晴れないならやはり、今は全員で固まっておくか? キティの家族やガルシたちも、ここに呼べばいい。そうすれば、俺がまとめて守ってやれる」
「ちっ……また非現実な提案しやがって。この脳筋が」
頭上の手をぱしんと払い退け、色男は乱れた髪を直しながら続ける。
「芸能人がウヨウヨ出入りする高級タワマンに、一般人をそんなに連れ込めるかよ。オレみたいに、直接外から運び込むってわけにゃいかねえんだぞ」
「あら、あたしより綺麗な顔の女がいないなら別にいいわよ? ま、そんなこと有り得ないでしょうけど」
ピンク髪をサラァッと払った美女の発言に、怪我人はハァとお馴染みのため息を落とした。青い瞳を高い天井へ向け、絶望を滲ませた声で答える。
「いや、だめだキティ。この魔窟の空気は、生まれたての赤ん坊には毒にしかならねえ……」
「アンタこの一週間、ほんとに何があったのよ」
「聞くな。それに純情な弟分にだって、見せるべき世界じゃない」
「確認するが、それはこの部屋の話なんだよな?」
きょとんとしている部屋主を無言で睨むサラリーマン。新たな酒瓶の栓を開けつつ、女が次の話題を提供した。
「そう、ガルシといえば! あの子、カノンちゃんとうまくいってるのかしら」
「どうだかな。人間の『ガルシ』のほうは、ちとトラブルがあったままだろ」
「俺の知り合いの音楽プロデューサーが、花月君をフェスに呼ぶと言っていたぞ」
「「え!?」」
ぎょっとした同胞たちに向け、リーダーの男がスマホの画面を提示する。
「ほら。ついさっき、彼女のブログにも情報がアップされた」
「きゃーっほんとだ、すごいじゃない! おめでとうってコメント送らなきゃ」
「おい待て。このぎこちない文章……ガルが書いたんじゃねえな」
スマホを奪い取り、女と共に情報を確認する。たしかにめでたい報せなのだが、色男はガーゼを貼った顔を曇らせた。
「たしかこのブログは、ネット操作が壊滅的な花月に代わってあいつが書いていたはずだろ。やたら完璧な絵文字使いで」
「そうね。でも記念の記事だし、自分で書いてみたかったんじゃない?」
「その可能性もあるが……ん? なんかこの記事、やけに余りが──」
すす、と長い指で画面をスクロールさせる。青とピンクの頭が、揃って石になった。
「どうした、二人とも? 俺もまだ最後まで見てないんだ」
「いや、これは……お前は見なくていいヤツだ」
「そうね。これ、アイツ知ってんのかしら?」
「どうだかな」
首を傾げるリーダーを置いて、残りの四天王たちは同時に吹き出した。
「あははっ、はーっ、もう! ほんとにあたしたち、つくづくあの子に甘いわね」
「同感だ。まあそりゃ仕方ねえだろ」
四天王のメンバーでありながら唯一この場にいない、若き魔族。その顔を思い出し、彼よりもずっと長い時を生きてきた魔族たちは互いに微笑んだ。
「ルーワイに拾われたガルシをオレたちが引き取って、もう二百年以上経つが……まだ心配事が尽きねえよ。ガキじゃねえとは分かってるんだが」
「わかるわ。あの子、あんなに身体はゴツいくせに、心はどんな魔族より優しいんだもの」
我が子に向ける眼差しとは別の愛情が籠った瞳を細め、美女が続ける。
「『前任者』があんなことになってから、あたしたちはこの先──四天王最後の椅子は、永遠に空けておくと誓った」
静かなその声に、男たちも無言の同意を寄越す。言葉を引き取ったのはリーダーだ。
「ルーワイの手引きもあったが、ガルシがその椅子に座ることになった時は驚いたな。それに……ひどく悔いた」
「ええ。できれば止めたかったわ」
「結局あの仕事はあいつにも合わなかったしな。いや誰がやっても最悪だろうが──それでも、オレたちほど割り切れちゃいなかったはずだ」
これまでの苦労に乾杯するようにグラスを掲げた女が、長いまつ毛をたたえた目を柔らかく細める。
「だからこの世界では、あの子が『最善』だと思ってやったことが実を結んでほしいのよ。今の時点でも色々と嘘を重ねて、こんがらがってるみたいだけど……まだまだ、これからってもんだわ」
「そうだな。俺たちはガルシの選択を信じて、支えてやろう。あいつはもう大人だ。俺たちが手を引かなくても、やっていける」
「もお……そういうの言わないで。なんだか最近、涙腺がゆるくて」
スンと鼻をすすった女のピンク頭に、リーダーが手を伸ばそうとする。その瞬間、彼の部屋着のポケットから何かが転げ落ちた。床でカシャッと音を立てて着地した物体──カプセルトイの赤猫は、黄色い目で持ち主を見上げている。
「へえ、こいつ動くのか。知らなかったよ」
「えっそうなの? きゃーっかわいい、なんかあたしのも動いてるわ」
女がバッグから取り出した色違いのトイも、短い前足をぱたぱたさせて動いている。ソファの背に深く沈んでいた細身の男が、がばっと身を起こした。
「全員、トイを机の上に乗せろ」
やけに真剣な声で指示を出しつつ、彼もポケットから同じ物体を取り出した。他の二体よりはどこか落ち着いているものの、青い猫の平面的な目からは切迫感が伝わってくる。
ガラステーブルの上に並んだトイたちは、身振り手振りで何事かを伝えようとしていた。
「なるほど、彼らも一杯やりたいんだな。グラスはたんとあるぞ」
「ウルトラ解釈してんじゃねえよ。ちょっと待ってろ、確認する」
首を傾げているリーダーの横で、トイたちの創造主である魔術師が手を差し出した。テーブルを蹴ってぴょんとその手に飛び乗ったトイを軽く握り、集中するように目を閉じる。
「! こりゃ……」
「どうしたのよ、アス。──まさか!」
「キティ、任せよう」
「だって! この場にないトイって……」
顔を青くして身を乗り出した女の背を支えつつ、リーダーが魔術師に視線を送る。彼はうなずき、手の中のトイに話しかけた。
「おい、ガルシ?」
猫の目がぼんやりと光っている。男はもう一度声を送った。
「なんかあったのか、ガルシ? お前から魔力の放出があったみてえだが」
やはりという顔で固まる女を横目で見つつ、魔術師は冷静な声で仲間を呼んだ。トイに通信機能が搭載されていることを初めて知った仲間たちだったが、それよりもここにいない弟分の安否が気にかかる。
『あ、アス殿! 出てはなら──むぐっ』
『ああ、なるほど。これだな、貴様らの『絆』は。汚い魔術の匂いがする』
「!」
魔術師のトイが滑らかに発した声を聞き、三人が揃って目を丸くした。届いたのは明らかに敵意と嘲笑がこもった知らない女の声と、苦しそうにくぐもった自分たちの弟分の呻き声。顔を見合わせた瞬間、冷淡な女の声が告げる。
『「無敵氷結のアスイール」だな。聞け──お前の仲間は預かった』
<間話 その頃、兄貴分たちは ―完―>




