第28話 ありがと、さよなら、はじめまして
「か、カノン殿……今日はまた、急なお越し、ですなあ」
変にロボットじみた声になりつつ、拙者は精一杯の自然さでインターホンに応答した。ドアの向こうにいるシンガーが、美しい黒眉を下げて言う。
『直接口頭でお伝えしたい報告があって……。でもまずはこの前のこと、謝らせてください──急に出ていって、ごめん』
「!」
『そのあたりも含めて、お話できればうれしいなと……思っています。どうかな』
敬語が混じったその話し方は出会った頃のようで、拙者にとってはなんともいえず懐かしい。しかしドアを開けたらバッタリというパターンよりは、先に拙者から先客の存在を知らせておくべきでござろう。
「もちろん、お話はできまする。ですが、お伝えしておくことが──」
「ねえねえ牙琉ぴょん、誰か来たのぉ? そんなことより早く、続き、しようよぉ♡」
「!?」
背後から飛んできた甘い声に、拙者は石化した。壁掛けの液晶画面内にいる美女も、ぎょっとして目を見開いている。
「こんな状態で放っとくなんて、牙琉ぴょんの意地悪ぅ! ボク、もぉ……我慢できないよぉっ♡」
「ゆっ、ゆゆ、ユノ殿!? な、なん」
振り向いた拙者の目に、ベッドの上であぐらをかいている少女の姿が飛び込んでくる。一応言っておきまするが、彼女がきちんと身につけている服には拙者の手汗どころか、ほこりひとつついておりませぬ。
拙者と目が合った少女は、先ほどの艶めかしい声はどこへやら──べっと舌を出してみせる。な、なにやら怒っていらっしゃる!?
『──……ユノが、いるの?』
「そ、それは、ハイ、たしかにいらっしゃるでござる! ししかし、拙者がお招きしたわけでは……というか、先ほどの声は、ですな」
「えー、もしかしてカノンちゃん? もう放っとけばいーじゃん。牙琉ぴょん捨てて、ほかのPのとこ行っちゃったんでしょお?」
『!』
拙者が弁明を挟む前に、カノン殿が息を呑む音が聞こえる。しかし先客の煽りは止まらない。
「そんなコトいいからさ……もっと大事なコトの続き、しよっ? ずっとお預けくらっちゃってボク、すっごく溜まってるんだからねっ♡」
「ユノ殿! そのようなことは」
『牙琉くん。このままでいいから、聞いてくれる?』
電子変換されても美しいその声に、拙者はハッとして画面を見る。丸い世界の中には、つやつやとした彼女のつむじしか映っていない。
『あのね。私、フェスに出演してみないかっていうメールをもらって……お話、つけてきました』
「カノン殿」
『変なメールもたくさん送られてくるから、そういうのは一度相談するって決めてたのに……勝手に進めて、ごめんなさい。メラゴさんのお知り合いの方だったから、信頼できるって判断しました』
ぶる、と黒髪頭が少し震える。二月の玄関先に女性を立たせておくなど、失礼にもほどがあろう。心配になった拙者はちらと廊下へのドアを見たが、行動を決めかねているうちに声が続いた。
『それでね、プロの人もたくさん出る予定のフェスに出演……決まりました』
「お、おめでとうございまする! ようやく思いきり、人前で歌えるのですな」
『うん。すごく楽しみなんだ。これも全部、牙琉くんの──』
明るい調子だった声が突然途切れ、拙者は慌てて玄関の守護者である機械を見た。通話ボタンはちゃんと光っている。しばらくしてようやく、震えた声が機械から漏れ出した。
『も……ごめ……。お礼、言いたかった、のに』
「カノン殿?」
がざがざとくぐもった音が響く。カメラに近すぎて全貌はわからないが、コートの袖で目元をぬぐっているように見えた。
(な、何ゆえ泣くのでござる……?)
ユノ殿と一緒にいるのは、金髪マッチョの『ガルシ』ではない。どこから見てもアニヲタで、ぽよぽよ二段腹の『牙琉』──頼りない、拙者自身なのでござるぞ。
『私はもう、大丈夫だから……。牙琉くん、も……もっと、大きな仕事、していってください。もったいないよ』
「な、何をおっしゃるのでござる! 拙者は──」
『今まで、ありがとう。……それじゃ』
消え入りそうな声と共に、やっと持ち上がった顔。それを見た拙者の心は、切り裂かれたかのようにするどく痛んだ。正直者の彼女に似合わぬ、あまりにも下手くそな笑い方でござった。
いつぞやのライブハウスで、店員さんが言っていたことを思い出す。
『カノンさんは強いから、大丈夫』
インターホンの機械に添えていた指から、ミシと不穏な音が上がった。拙者は愚かな己に怒りを向ける。
(どこが……!)
強くなどない。アニメの中では負け知らずのクールな魔法少女に変身できても、拙者の目の前にいる女性は──花月カノン殿は、決して強い存在などではない。今まで拙者は彼女を、憧れや眩しさというフィルタ越しにしか見てはいなかったか。
悩み、歌い、また悩んで、歌う。
拙者の『推し』は、まごうことなく──ただの人間なのでござる。
「カノン殿、お待ちくだされ! 今開けまする、ちゃんと話を」
『……っ、ごめん。私、行くね』
「カノ──っぐ、!?」
世界がぐるりと回る。うしろから足を払われたらしいと気づくも、拙者は見事な大の字になってラグの上に倒れ込んだ。ローテーブルの角に頭をぶつけ、一瞬目の前に星が散る。
「つッ……! がは!」
痛みに耐えつつ身を起こそうとした拙者の胸に、次なる衝撃が襲いかかる。容赦なく胸を踏みつけてくるのは、赤いミニスカートから伸びたしなやかな黒タイツの脚でござった。
「ゆ、ユノ、殿っ……!?」
「動いたら足の下の骨、全部折るよ」
「!」
どすの利いた人気声優の声に、拙者は凍りつく。そして明らかに変化した部屋内の雰囲気に気づいた。全身を針で刺されているかのような、このピリついた空気。拙者にとっては懐かしいそれは、間違いなく殺気でござった。
(な、なんでござる、この力は……!?)
腕組みした美少女に踏みつけられているという、一見ご褒美のような構図。しかし拙者はマジに丸顔を青くし、細い脚の下でばたばたともがいていた。大きな杭を心臓に打ちこまれたドラキュラのように、身体に力が入らない。
「ふふっ、面白いなあ牙琉ぴょんは。前のは誰かに解かれちゃったみたいだけど、またかかってるもんね」
「……っ、み、『魅了』……!?」
「そ。ボクには逆らえないよ。もうバレちゃったからじきに解けるけど、今抑えておけるなら十分だ」
こちらを見下ろす小さな顔の中で、ドールのごとき青い瞳が妖しく光る。その輝きには見覚えがあった。途端、妙に思考がクリアになったような感覚を味わう。
「まさか、この前の……駅、でも……!?」
どうして今まで気づかなかったのでござろう。思えば拙者は彼女と駅で会ったことを、仲間たちにも話していない。
(いや──封じられていた?)
そもそも人間がこのように強力な魅了術を使いこなすことなど、できるのでござろうか。そう考えたところで、何か嫌な予感が──遅すぎる警鐘が頭の中で鳴り響いた。
「んふふ、こっそり見てたよ。カノンちゃんにキスしようとして、ギョクサイしてたよねえ。あーあ、かわいそ!」
けらけらと笑う少女を見上げ、目を見開いた。拙者はたしかに半ば自白した。しかしなぜ、会話がこんなにスムーズに成立しているのでござる。あの駅で魅了術にかけられたのは、彼女から見て『ガルシ』だったはず──。
「そんなにキョトンとしなくていいよ。『嘘つき』の牙琉ぴょん」
「!」
「あ、別に怒ってないよ。ボクも同じようなモンだからさ。でも一応、ここでハッキリさせとこうか」
「あっ……!?」
どすんと拙者の腹に馬乗りになったユノ殿は、拙者が部屋着にしているジャージの襟元をぐいと引っ張った。するりと差し入れてきたもう一方の手を左鎖骨の下部分に押し当て、目を細める。驚くほど冷たい手でござった。
『賛美せよ。汝が仕えし、偉大なる主の徴を』
焼きごてを押し当てられたかのような熱い感覚が胸に走り、拙者は呻いた。この嫌な熱を感じるのは七年ぶりのことでござる。
「ぐっ、ぅ……!!」
まずいと思っても、身体中を巡るその熱は止められない。首の後ろでまとめていた金髪がゴムを引きちぎって量を増し、ばらりと床に広がる。肌は明るい紫色へと変じ、虹のような流線をした魔力紋が浮かび上がった。長く伸びた黒い爪が、ガリリとベッドフレームを傷つける。
「な……!」
いつかの公園で見せた、ハッタリだけの虚像ではない。アスイール殿が施してくれた魔術がすべて強制的に解除され、魔族であるガルシの姿へと戻っていた。下敷きにしている男の姿がまるで別人のごとく変化したというのに、美少女の顔にはひとつの驚きも浮かんではいない。
やがて部屋着を透かして淡く輝きはじめた「それ」を見つめ、美少女はニィと八重歯を覗かせた。
「吠える獅子に、砕けた山の紋章。間違いない──魔王ルーワイが四天王に刻む、『魔王紋』だ」
「な、なぜ、それを……!」
代々の魔王が自身の忠臣に刻んできた永劫魔術、『魔王紋』。拙者たち魔族の身体には、魔力の性質を表す種族それぞれの『魔力紋』が浮き出ていることが多い。魔王紋はその流れを支配し、服従させることができるチートな秘術のひとつでござった。
拙者は胸、メラゴ殿は額、キティリア殿は首筋。アスイール殿は何度聞いても教えてくれぬのでござるが、とにかくそれは拙者たち四天王を縛る悪趣味な首輪のようなもの。この支配があったからこそ、拙者たちは悪辣上司から逃れられなかったという部分も大きい。
そしてユノ殿は、普段は消えている紋のわずかな魔力を察知した。
まるで──どこまでも執拗に追いかけてくる猟犬のように。
「そう、もうわかったよね。じゃあ改めて、この姿では初めましてだ。ルーワイ魔王軍四天王がひとり、『地底筋肉のガルシ』」
「……っ」
「続きをしようよって、さっき言ったけどさ。これはほんとだよ」
赤黒い輝きを掻き消すかのように、少女は──いや『勇者』は、拙者の胸の紋を踏みつけて嗤う。
「さあ、やろう。数百年と続く、人間と魔族──その戦いの続きを、さ」




