第26話 明るく楽しい職場です
「がっはっは! いよいよ初陣であるな! めでたきことぞ」
大空にとどろく、傲慢な笑い声。浮遊魔術のおかげで難なく空中にとどまっているのは、悪名高き魔族の王──魔王ルーワイ。長い白髪に囲まれた浅黒い顔は雄々しく美しかったものの、その金色の目は毒々しい歓喜に燃えていた。
「……はい」
その剛気な人物と見比べると、となりの若い魔族はずいぶんと弱々しい。いや肉体は魔王をも超えるほどに立派であったが、怯えた狐のように背を丸めているからかもしれなかった。紫色の肌に映える金色の目には生気がなく、どこか虚ろな昏い光だけを浮かべている。
「そう緊張するでない。魔王城の技術を結集して作らせた、その戦鎚の力は本物ぞ。お前次第では、あのメラゴの炎刀『灼光丸』すらも凌駕する力を出せるかもしれぬ。男として、これほど心が猛ることはあるまい?」
「……」
若き魔族が、手にしている巨大な戦鎚を見下ろす。彼の目には一瞬、ためらいのようなものが浮かんだ。壮麗な紋様が刻まれた戦鎚の柄から漏れ出す魔力の濃さに、恐れをなしたようにも見える。
「ふん、陰気な奴め。愚かな貴様の一族が身内の殺し合いによって根絶やしになる直前、その最後の生き残りを救ってやったのは誰だと思うておる?」
「魔王様です」
「正解だ。ではその図体ばかりデカい役立たずを、一端の戦士に鍛え上げてやったのは誰だ?」
「……魔王様、です」
「そうだ」
実は青年魔族の頭に浮かんだのは別の同胞たち──世話になった姉貴や、兄貴分たちのものだ──の顔だったが、彼は覇気のない声でそう答えた。望まぬ解を返せば、確実にこの魔王の機嫌を損ねてしまうだろう。そうなれば、眼下に広がる景色はすべて一変する。
(人間の世界は、美しいな)
遥か彼方まで続く山々に、その合間を蛇行していく長い川。それらが染み出したかのように空も青く、澄んでいる。魔界を覆い尽くす暗雲と雷は彼にとっては友のようなものだったが、故郷にはない輝きを放つその世界に若者は見惚れていた。
そんな若者に、残酷な命が下される。
「ではさっそく、あの山を消し飛ばしてみせよ」
「……はい」
魔王が指差す先にある、ひとつの山。ふっくらとした美しい稜線を見て青年魔族は心を痛めたが、その気持ちを呑み込んで武具の柄を握りしめた。だが、どうしても動かせない。まるで戦鎚自体が、宙に縫い留められているかのようだ。
「あ、あれ……!?」
「どうした、もっと気合を入れんか。鎚に覚悟を認められねば、振るえぬぞ。それが魔族の武具というものだ」
「く……!」
泣きそうな顔で、意固地な武具と格闘する。先ほど手渡されたばかりなのに、どう通じ合えというのだろう。途方に暮れた表情を浮かべた部下を見、魔王は冷酷な声で言った。
「意気地なしめが。貴様は、我が四天王のひとりとして立つため奮闘してきたのではなかったのか?」
「そう、です……っ!」
「このままではその役目、果たせるとは思えぬなあ。早急に、別の者を探して」
「いいえ、やります! 自分が、絶対に、四天王の一角に──なりますッ!!」
同じことを宣言した日は、姉貴分である美人魔族にひどく怒られた思い出がある。兄貴分である他の二人にも何度も説得されたが、青年が決意を曲げることはなかった。
(ここで恩を返さずしてどうする、ガルシ! たった山ひとつ吹き飛ばすだけだ。人間界の自然は、時間をかければ復活するというし)
長らく空席となっている四天王最後の椅子に自分が座れば、彼らの負担を軽くしてやることができる。自分を孤独から救ってくれた同胞たちの疲れ切った顔、それらを見なくて済むようになるかもしれない。その思いが、青年の手に魔力を集約させた。
晴れ渡っていた空に、いつの間にか雷雲が渦巻いていた。ぴりりと肌が張り詰める。自分の力の源である、雷の気配が近づいてくる。
「うああああーーーーッッ!!!!」
気合いとともに、一閃。空から落ちた雷光をまとった戦鎚を振り抜きつつ、青年魔族は吠えた。繰り出された巨大な波動が山を直撃し、文字どおりすべてを抉り取る。あまりにもあっさりと、ことは成せた。
すっかり変わってしまった山の形を眺め、魔王が高笑いする。
「がはは、見事であった! 薄汚い人間どもめ、奴ら襲撃に気付く暇もなかったであろうよ!」
「──え」
将の言葉に、青年魔族は宙で固まる。
「あ、あそこに……人間が?」
「うぬ? 言うておらなんだか。このあたりは山の高い位置に集落を作りたがる、物好きな人間どもが住む地でな。自分たちが最強の戦闘民族だと吐かす愚かな猿どもで、以前より目障りだと思うておったのだ」
「な……」
青年は慌てて魔族の目を細め、自らが破壊した山を見つめた。何も見えない。当然だった──何も残っていないのだから。
「お、お話が違います、魔王様! 四天王の使命とは、人間族の勢力拡大の防止。いたずらな蹂躙や虐殺などは行わないと──!」
「だから速やかに終焉を与えてやったのであろう?」
「!」
「隣の山の人間どもはお前の雷光に、さぞや震え上がったであろうな。お前の武勇は伝説となり、人間どもは慄き、魔族たちは昂る」
「自分は……そのような、こと……!」
「こういった派手なやり方も我は好きだがな。愚か者どもを目の前に並べ、ひとりずつ首を刎ねるのもまた違った味わいがあろうぞ。一度やってみるが良い」
上機嫌そうに笑む王。しかしその薄い笑顔の向こうには、これ以上の口ごたえは許さぬといったどす黒い圧力が潜んでいる。青年魔族の喉から、抗いの声が消え失せた。
「戦鎚が優れておるのは当然。しかしそやつを扱うには、魔族の中でもとくに強靭な肉体が求められる。さすがは『剛魔』、拾って正解であったな!」
「……」
「貴様には『地底筋肉のガルシ』の名を与え、これよりルーワイ魔王軍四天王を名乗ることを許す。これからも人間どもを恐慌させ、破壊を愉しむが良い」
魔王の嗤い声が、青年の頭の中に鳴り響く。手応えはなかった。悲鳴も聞こえなかった。だがたしかに、自分は──。
「あ……あぁっ……!」
精神の乱れにより浮遊魔術が途切れ、身体が落下しはじめる。目の前が暗くなる。このまま地面に衝突すれば、いくら丈夫な『剛魔』族とはいえ潰れてしまえるだろうか。
しかしその望みは一瞬で断たれる。力強い腕が、しっかりと青年を支えたからだった。赤い肌よりもさらに紅い見慣れた瞳が、自分を覗き込んでいる。
「ガルシッ! しっかりしろ」
「メラ、ゴ……? じ、自分は」
「ルーワイぃぃーーッッ!!」
女の怒号と燃えるようなピンク色の光が、一直線に上昇する。見覚えのあるその燐光に、青年魔族はがばっと身を起こした。その先で、魔王が気だるそうにこちらを振り向く。
「またお前か。何度殺されても飽き足らぬと見える」
「今日こそは絶対にあんたを殺す! よくも、よくもガルシに、こんなッ!!」
「やめてください、キティッ!」
「ああああッ!!」
得物がぶつかり合う音さえなかった。いつの間にかルーワイの手に握られていた漆黒の長剣が、一瞬にして女を細切りにしてしまったからだ。女は実体を失い、きらきらとしたピンク色の塵となって空に舞う。青年が絶叫した。
「キティリアッ!!」
「落ち着け、彼女の一族は不死だ。明日にでもなればまた、実体を形作れるだろう」
「でも、死ぬのは痛いんだって言ってました! 平気なはずが──」
自分を抱えたまま冷静に言う四天王の長を見上げ、青年魔族は噛み付くように言った。そしてハッとする。炎のごとく逆立った赤髪の下にある彼のこめかみには、はっきりと青筋が走っていた。
「アス。この子を魔界まで飛ばしてくれ。これから起こることを、見せたくない」
「言われなくてもな」
「!」
メラゴによって宙に投げられた青年の身体が、光り輝く膜に覆われる。薄れはじめた景色の中、黒いマントを翻して自分を見下ろす色男の姿が見えた。
「アスイールッ!? 何を」
「ウチに帰る時間だぜ、坊ちゃん。てめえがいくら怪力でも、その術は破れねえぞ。大人しくしてろ」
「出してください! あなたたちは、何をしようっていうんです!?」
水色の長い前髪の中、薄い唇の端が吊り上がる。しかしその青い目は笑っていなかった。彼もまた魔王に怒っているのだと知り、青年は絶句する。
「何、定期的な反逆行為だ。しばらく城にゃ帰れねえかもしれねえが、泣くんじゃねえぞ。寝る前に歯、磨けよ」
「アス! メラゴッ!!」
魔界でもっとも親しい者たち。彼らが魔力をたぎらせ無謀な「反逆」に出る姿を、青年魔族は泣き叫びながら見上げるしかなかった。
「がっはっは、無駄な足掻きよ! そやつはもう、殺戮者の一員だ! 人間どもの敵となったのだ!」
光の膜が眩く輝き、魔界への路を開く。
その裂け目に吸い込まれると、青年魔族──ガルシの意識は途切れた。
*
『──ほーほえみを、わすれなーいで。いくよ、ゆ・う・じょ・う・ぱーわー♫』
「……」
いつもは朝イチの元気をくれるはずのその歌も、さすがに今の拙者には効果がなかった。なんとか目を薄く開け、絡み合った前髪の隙間からスマホの画面を確認する。
「もう朝、でござるか……。う、いだだ」
ベッドの上で身を起こした拙者は、ズキズキと疼く頭を押さえる。さすがに飲み過ぎた──拙者は、魔族にしては酒に弱い──のか、昨夜の記憶が曖昧でござった。なんだか終盤は、ただの恋バナ暴露大会みたいになっていた気がし申すが。
おつまみや酒瓶がきれいに片付けられたテーブルの上に、書き置きが残されている。この几帳面な字は、アスイール殿でござるな。
『女が来るかもしれない部屋に置いておけないとうるさいから、オレは一旦メラゴのところに世話になることになった。頼むからたまに、飯を作りに来てくれ。あいつの飯は魔族にも毒だ』
げんなりした顔でこのメモを作成する仲間を思い浮かべ、拙者は苦笑した。そしてその下に小さく続きが書いてあることに気づいて目を落とす。
『連絡用のトイと、武器をいつも持っておくこと。十分に気をつけろ』
「……」
存在を主張するように、部屋着のポケットの中からカチャと音がする。このまま洗濯機に放り込んだら、壊れてしまうのでござろうか。そんな無駄なことを考えつつ、拙者は横になって天井を眺めた。
(何百年経てば……忘れることを許されるのでござろう)
苦々しい初陣の記憶。結局あの時、兄貴分たちの「反逆行為」は失敗に終わった。その咎により痛めつけられ、三人は鎖に繋がれることになる。そしてズタボロ姿の彼らが戻ったのは、およそひと月後のことでござった。拙者はそれ以来、魔王に歯向かうことを諦めたように思う。
『まぁーた我の命令を歪曲して捉え、人間どもを逃したな? ガルシよ、覚悟はできておるのだろうな』
それでも拙者もだんだんと「小慣れ感」を身につけ、他の四天王たちと同じように仕事を遂行するふりをしてサボり、破壊行動を最小限にとどめてきたのでござる。その代償は決して小さくはなかったが、拙者の強靭な身体はきっとこのために存在するのだろうと考えを割り切った。
『人間なぞ、矮小で卑しいアリどもよ! 強き者が世界を統べることこそ道理。そしてガルシ、貴様はこちら側──魔族なのだ』
身動きが取れぬ状態で何度も膝をつかされ、見上げた王の姿。血が流れ込む視界の中で、悪辣上司は拙者にいつも同じ言葉を刻み込んだ。
『奴らに優しくしたとて見返りも、好意を抱かれることもないぞ。ぬぁーっはっは!!』
「……」
もはや本来の皮膚のように馴染んだ、たくましい人間の手を見る。丸い耳を触る。牙のない口内を舌でなぞってみる。どこからどう見ても拙者は人間でござった。けれど本当の人間であれば、そんな確認はしないでござろう。
現に魔族の嗅覚が、部屋の隅に残った「彼女」の香りを捉える。傷ついた顔で部屋を出ていくシンガーの姿を思い返し、拙者は目を閉じた。
(そう。丁度、頃合いだったのでござる)
呪いにしろ勇者にしろ、少しずつ周囲がきな臭くなってきた。これも戦うために存在する四天王の──拙者の、運命とやらかもしれぬでござる。
人間は驚くほど脆い。抵抗なく消え失せた山の民たちを思い出し、拙者は身震いした。
(もう……関わらぬほうが、良いでしょうな)
幸い、最近では推しのシンガーの輝きに業界も気づきはじめた。これから先は拙者が手を引かずともきっと、歌の神様がもっと大きな舞台へとエスコートしてくださるはず。そんな魔族らしからぬ希望を抱き、拙者は呟いた。
「サインを頂いておけば、お宝になったかもしれませぬなあ……」
こうしてただのにわかプロデューサーの役目は、静かに幕を下ろしたのでござった。




