「……あーあ!」
「糸川久太郎って男が…ねえ……」
三月二十四日。
結局、野川拓海の家で過ごす事となった梶原保美は警察署から帰って来た拓海にコンビニで買って来たジュースを差し出す。
警察の取り調べで糸川久太郎「容疑者」が、野川拓海を襲おうとしていた事が発覚。
傷害未遂の容疑でとりあえず逮捕され、取り調べを受ける事になっている。
「何て言ってたの?」
「僕は利用されていただけなのかって、思っている女がいるのかって」
「思っている女……」
「よく言われるんです、女性だけの町で過ごしてると女性だけしか愛せなくなるのかって」
女性だけで過ごしているから第二次性徴が起きないとか言う話はなく、きちんと胸は膨らむし毛だって生える。よく大きな胸は性的だからうんぬんとか言う話もあるが、少なくともネイティブ世代の住民は気にしていない。むしろ移民たちがその事を気にしている節が強く、なればこそアングラ施設に存在する巨乳のキャラクターをぶん殴っているとも言う。もちろん巨乳だけでなく逆のキャラもいるが、それでも気に入らない存在をぶん殴るのは楽しい物だ。
閑話休題。
セックス的な女性だけであろうが男性だけであろうが勝手にジェンダー的な「男女」が生まれ結果的に恋愛には不自由せず女性だけでも恋愛が成り立ち、その結果恋愛に男性の介在する余地は無くなり、そのまま女性同士での恋愛が自然な関係になって行く—————。
そんな展開は女性だけの町を傍観する側も作る側も予想していたかもしれない。
そしてただでさえ女性だけでも繁殖できるシステムが存在する以上彼女たちが恋愛と言う概念からすら離れてしまっているのかもしれないと言う声もあった。あるいはそれこそが女性だけの町の究極の目標だろとか言う口さがない声もあるが、そこまでの考えは少なくとも今の女性だけの町にはない。
実際女性だけの町を出る女性の中には「男性との恋愛」を求める者も多く、ネイティブ世代のみならず移民者でもいると言う。
「とにかく、糸川って人は野川さんが女性だけの町に思う人がいるから自分をふったのではないかと思い込んでいるって事?」
「そうみたいです。何でもいくら僕が弱々しいとは言え女に負けるのは悔しかったとかって、お巡りさんにも聞かれましたけどそんな人はいないのに…」
「そう……って言うか許嫁なんて、私漫画でしか見た事ないんだけど」
「私もですよ」
それでも、野川拓海はそこまで浮世離れしている訳でもなかった。
許嫁のような話が持ち上がるのはそれこそ歴史と伝統と財産を持った存在だと相場が決まっているが、女性だけの町にはそのどれもない。
よく言えば若々しく、悪く言えば足元の定まらない新米国家。財産はとか言うかもしれないが町が出来上がった時にはほぼ横一線だった上に富裕層が長く前線で動くのが難しい第二次産業である以上、女性だけの町に財産を持った富豪は存在しない。ましてやその気になれば還暦からでも子どもが持てる以上、後継ぎをとか言う問題は起きにくい。
「知らない事は罪なのね……」
「しかし誰がそんな事を教えたんでしょうか、私にそんな存在がいただなんて」
「その事は今お巡りさんが調べてるみたいだけどね」
「全てがわかるまではおとなしく待ちます」
「ありがとう…」
いずれにしても、糸川久太郎と言う存在が女性だけの町を知らなかった故に起こしてしまった凶行は事実であり、一人の人間の人生を壊すには十分すぎる破壊力があった。
ただその事件の影響により、野川の土日の休みは何の非もない取り調べに費やされる事になってしまったのだが。それでも外の世界に警官や警察署を知る事が出来たと感心できる程度には野川には余裕があり、それ以上に自信もあった。
—————何とかして糸川のために、とか思わない訳でもない。間違いなくいろいろ教えてくれたのだから。何かのボタンの掛け違いでこんな事になってしまったが、許されるものならまた会いたい。言葉ぐらいは交わしたい。
「…実に惜しいですね」
そんな事を口にすると警官にそう言われた。
その意味を考えながら警察署を出てあと数日しかいない家に戻り、最後の休日を満喫もした。
そして、三月二十六日。
野川拓海の最後の出勤日であったその日。
一緒に出勤してくれた高田康江と共に荷物をまとめようとした拓海のデスクの電話が、オフィスのドアを開けると同時に鳴り響く。
「もしもし」
康江たちの言葉に甘え荷物をまとめる手を止めて受話器を手に取った拓海の耳に入る、警察からの声。
それは、真犯人を告げる悪魔の一本であった。
糸川久太郎を操り、傷害未遂から殺人未遂へと格上げしてしまった犯行を起こさせた人間。
その発信元が判明したと言うのだ。
「まさか……」
野川ではなく、梶原保美の声。
その発信元は、あまりにもあっけなく、そしてあまりにも残酷だった。
野川拓海の動向を簡単に知る事が出来る存在。
野川拓海の家や帰路を知っていても全く不思議のない存在。
そして、野川拓海と親しくなっても怪しまれない存在。
その全ての条件を兼ね備えていた存在がトイレから出て来ると同時に、事務所の中にいた全員がその存在を睨みつけた。
「……あーあ!」
反省でもなければ、恐怖でもない。
その下手人は、ただただ自分の失敗を確信しただけだった。
「和賀、さん……」




