凶行
「なぜなんでしょう……」
野川は、少しばかり淋しかった。
なぜあそこまで和賀が梶原と高田が自分の家に来るのを拒否したのだろうか。
そう言えば自分がこれまで管理人以外他人を招いた事もなかったなとか思い返し、その上でその事についてさほど悔いていない自分にも気付いた。
「尊敬する上司及び先輩」なら女性だけの町にもいたし、そういう存在を自分の家に上げた事もない。逆に上がった事もない。あくまでも「ある程度長じてから」と言う枕詞が付くが、彼女が上がり込んだ家の中で一番他人と言えるのは一人の母の姉の相手の実家であり、外の世界で言えば伯母の嫁ぎ先の実家である。遠縁ではあるが他人とも言えない関係であり、本当の本当に他人を入れた事はなかったし入り込んだ事もなかった。
これについては第二次大戦の最中にレイプ事件が頻発した事による自然則であるとされているが、それが善悪二元論で当てはめられるそれでない事は厳然たる事実である。
「まあ、和賀さんも高田さんも梶原さんも私の故郷に興味があるみたいですし、いずれは会う事が出来るでしょう。その際にはこっちの皆さんが好みそうな豪華な眺望のあるレストランで一緒に食事でも取りましょう」
女性だけの町が確かに外の世界に比べて退屈なのは野川も認めていた。だがその上で外の世界ほどではないが女性が好むようなスポットはあるし、過当競争とでも言うべき状態ゆえに却って質は高いのではないかと言う期待もある。
実際バーやケーキ屋など外の世界における女性好みの店にも入った事があるがその上で野川は自分の町の方が上だと断言していた。
それらを食べれば気に入ってくれるはず。
同じ町の住民になれるかどうかはわからないが少なくとももう少しは好きになってくれるのではないか。
そんな期待を抱きながら、二十分の道を歩く。
ある意味通い慣れたこの道を行くのもあと何回か。
そんな夜九時とは思わせないほどに明るい道を歩いていた野川だったが、いきなり視界が灰色になる。
「誰です!」
そう叫びながらアラームを鳴らす手付きは実に手慣れており、事前講習がいかに丁寧に行われ、かつ野川が優等生であり、特別視されていたかよくわかるそれだった。
実際カバンからアラームを取り出して鳴らす訓練など普通に「追放」されるだけの人間がやる事ではなく、そういう事を受けなかった彼女らがいかに軽く扱われているとか批判する人間もいるが、個人的には自立を旨としている女性だけの町である以上自分の身は自分で守れと言う事らしい。
とにかくその大声と100デシベルはありそうなアラームにより、秋の真逆の季節の日が力を取り戻すとまでは行かないにせよ、野川の視界を灰色に染めた存在をひるませる事は出来るはずだった。
だが、その理屈だけで物事が通るほど世の中は簡単でもない。
灰色の存在は逃げるどころかどんどんと近づき、野川の全てを飲み込もうとする。
しまったと見た野川は素早く踵を返し走り出す。この判断の速さもまた野川拓海の才能であり、彼女が嘱望される理由であった。
そんな名伯楽に見初められた万里を走る馬は誰彼構わず叫ぶ事をせず、送別会の舞台となった居酒屋へと走る。閉店時間が二十三時である以上まだ人がいるはずだし、何より明るい。
その人の目と明るさに救いを求める野川の正しさを、しかし受け止められるほど灰色の存在は甘くない。
「待てーっ!」
絶対に言う事を聞かせる事の出来ないセリフランキング一位に入る言葉を叫びながら追う存在、いや男。
耳慣れてしまったはずのその声を顧みる事なく走る野川を前に、声の主はなかなか追いつけない。
それでも野川が酒のせいもあってスローダウンすると共に差は詰まったが、20メートルが17メートルになっただけでしかない。
「待てーっ」と言うセリフと相まって不審者と言うにはあまりにも情けない存在であり、もし不審者でなければ野川が大恥を搔くかもしれない。と言うかもし間抜けなセリフがなくて今が真昼間でマラソン大会の最中だったら後続のランナーが前のランナーを追い抜こうと躍起になっているようにしか見えなかったはずだ。
「あっ…」
だがその後先を考えない暴走ランナーが出した声と共に聞こえた音が、これがマラソンでも何でもないことを示した。
金属音。
硬貨を落としたとか言うには甲高いその音は、その金属音の発生源が何であるかを証明するにはあまりに雄弁過ぎた。




