欲望のない女
「えっと、お茶とか」
「いいんだ。自分でやる」
拓海が会社の一風景になるまで、そんなに時間は要らなかった。
ありふれたスーツを身にまとい、定時の三十分前に来て定時からゼロから三十分の後に帰る。もちろん残業もするが、不満をこぼす事はない。
「大丈夫なの、同じアパートの人」
「そこは配慮してくれたみたいで、女の人しかいませんので」
康江が住んでいるマンションには男の住民もいたし、保美は実家暮らしだった。それぞれにはそれぞれの事情がある以上、各々の都合をほじくり返す物でもない。拓海は同僚たちの事情を探る事もなく、目の前の仕事をこなす。実に働き者のそれであり、見本のようなOLぶりだった。
「しかしなぜ、うちの会社は派遣社員を使わないんでしょうか」
「この仕事は見ての通りだからな、現場作業員はともかくこの場にいられる女性ってのは正直限られるかもしれないんだよ。うちと競合だった会社なんか費用を抑えるために派遣を使ってたけどその派遣を居つかせるために費用が掛かったらしくてさ、むしろ赤字になっちゃったとかって」
そして拓海も含め、この職場にいる四人の女子社員は全て正社員だった。建築会社の本社ならともかく前線とでも言うべきこんな事務所にわざわざ正社員を置くのは会社の方針であり、やや特殊な環境に巻き込まれても耐えられそうな職員を選抜するためであるとも所長は考えていた。その点において拓海は相当に適任であった事は言うまでもなく、もし彼女がいずれこの社を去って女性だけの町に戻ると言うつもりがなければもっと出世させる計画まである旨を所長は入社時は同期で幹部になっている仲間から聞いていた。
(正直コネ入社イコール悪ってのも短絡的なのかもな…まあ、ずっと居付いてくれればいいが、おそらくは無理だろうな…彼女は仕事を自分の糧にしようとしている感じだからな…)
女性だけの町から「追放」された存在は、重宝されるか忌避されるかのどちらかだった。JF党により大規模テロ事件こと第三次大戦の前に追放された存在は後者であったが、現状は前者が増えている。
彼女たちが追放される理由は、女性だけの町を退屈だと思うか、自分の能力を発揮できないと思うか、それとも本格的に外の世界を知るためか。
基本的にその三通りであった。
この内二番目は外の世界でのレベルの高さに打ちのめされ挫折して帰って行くか今さら帰って来れないとばかりに居付いてはみるが表舞台から下がるかとなりやすく、一番目はただの旅行と言う人間もいれば本当に勢いだけでやって来てそのまま定住してしまうなど平たく言えば軽い人間が多く、三番目はそれこそ野川拓海のような人間だった。
そしてこの中で戦力として重宝されるのは言うまでもなく三番目であるが、一・二番目でも案外役に立つと言うケースが多かった。
元より男性にスキを見せないと言うのが女性だけの町の基本方針である以上、教育方針もまたしかりである。そのため、三原則を守り小学生でも牢屋に入るような厳格とも言える教育が施され、子どもたちは良くも悪くも真面目に育って行く。もちろん中には本格的に道を踏み外してしまう存在もいたが、その存在は幸か不幸か第三次大戦で大幅に減少した。
—————女性だけの町出身の女性は、人間が出来ている。
あまりにも簡単な理由だが、テロ事件後はその印象がさらに強まり、外の世界の企業も個人も追放者を求めるようになった。
個人も、そう結婚相手として外の世界の男性が女性だけの町出身の女性を求めるようになり出したが、結婚相談所などには登録をしていないせいかそれこそ金の草鞋を履いて探すような存在であり、女性だけの町出身を騙って男から金をむしり取る「四文字詐欺」なるそれまで出る始末であった。ちなみに女性だけの町出身の女性を孕ませて男が生まれる事はきちんと確認されており、現状女性しかいなくなって人類滅亡とか言う事態にはならないと言われている。もっともあくまでも子世代までであり孫世代がどうなるかは未だに分からないらしいが、それでもそこまで悲観的な事態にはならないと言うのが世の見通しだった。
拓海のように女性だけの町自ら手を回すケースはまれだったが、いずれにしても会社としては離したくない。
だが、所詮は本人の意思ありき。
「何か分からない事があるんならば何でも聞いてくれないか」
男に出来るのは、彼女のご機嫌を取る事だけ。
少しでも良い印象を植え付け、女性だけの町と言う異世界に自分たちが善良であるかを見せ付ける事。
あまりにも姑息で情けないかもしれないが、それが精一杯でもある。所長を含む男たちも皆、彼女に優しくなり出していた。




