昔の彼女は
六畳一間。風呂もトイレも共同。
職場から徒歩で行ける距離にある事だけが取り柄の、築何十年のアパートの二階。
それが、野川拓海の今の住まいだった。
当然家賃もまたしかりであり、そのためか拓海は給料の半分を貯金に回すつもりであったし、それが出来ていた。
(断られましたが、やはり仕送りもすべきでしょうか…しかしなぜ許してくれないのでしょうか、七年も出遅れてしまった、私の罪滅ぼしのはずなのに……)
その貯金も本当は、実家の両親に仕送りとして払っておきたかった。だが両親からは自分の生活のために使えと言われ、折衷案として通帳を作りそこに貯める事にしている。退職後解約するか女性だけの町の銀行に移すかし、そのまま貯め続けるか親に渡すかはその後考える事とした。
野川拓海が、エリートなのかどうか。
その質問の答えは、イエスでありノーでもある。
そして確実に、自分がそうであると言う意識はない。
女性だけの町におけるエリートは、おおむね「フィジカルエリート」の類義語である。もちろん実際に活動する際の技術も大事だが、それでも基礎体力のない人間が現場で活動するのは難しい。もちろんいじめ行為は徹底的に禁止されているから身体能力のない人間が差別を受ける事ないが、それでもどうしても生まれながらの「エリート」は存在してしまう。
実際彼女の母親はそういう意味での生粋のエリートであり、小・中学時代の拓海の同級生である女性もまたしかりだった。
彼女の母親は現役で三十年間建物作りに勤しみ、同級生で仲良しの少女は中卒後すぐに工務店に勤務してもう七年間現場で働いている。自分がびた一文金を得ていない中、彼女たちが既に給料を得ていた事がかなりのコンプレックスになっていた。
(外の世界では、仕方なく高校進学すると言う選択肢がないのには驚きました……)
と言うか中卒即勤務と言うルートをたどろうにも就職面接で落ち、仕方がなく高校に入ると言う選択肢を取る同級生までいた。また第二次産業を諦め第一次産業にただ人手として飛び込むような人間もいたが、その方向とて人手不足どころか人出過剰で結果的に低賃金な第三次産業方向に行くしかない中卒者も出始めている。もちろん彼女らのために町は高校無償化を進めてはいるしそうしてある程度の教育と資格を与えさせてはいるが、それらとて修了の結果がどうなるかと言うと大して変わらないのも事実だった。
身を粉にして働くと言うのは、ブルーカラーでもホワイトカラーでも変わらない。生身の人と人との触れ合いが重視されやすいブルーカラーと比べると専門的な知識を座学により頭に入れる事が重視されるホワイトカラーの習熟にはどうしても学校と言う場での学問及びその習慣を身に付ける事が必要になる。もちろんブルーカラーでも仕事のための座学は必要だが、就職してしまえば賃金の多寡はあるにせよお金をもらう事は出来る。
食事の量は、当然多くない。
コンビニで買ったおにぎりと、インスタントの味噌汁と、おかずとしてこんにゃくとごぼうの炊き合わせ。後は安売りの日に買った肉を適当に安かったもやしなどと炒め、冷凍庫に入れておいてレンジで再加熱した物。
夕飯と言うには寂しくもあるが、自分自身不満足な点はない。おいしいかおいしくないかで言えばおいしいし、バランスもそれほど悪くはない。
彼女自身、料理の腕にも優れていると言う自覚もない。
女性だけの町にも高級レストランは存在するが、もちろん大衆食堂だってある。
そこにいるのは言うまでもなく洒落た格好をした女ではなく、三角巾と割烹着が正装の「肝っ玉母さん」。たまに若いのがいても格好は変わらず、変わるのは腕前だけ。彼女らはおおむね、二つの意味で剛腕である。
大抵の場合、そういう店の上客と言うか常連客は第二次産業の従事者たちであり、仕事で得た空腹を満たすために栄養価の高いと言うかカロリーの高い食事を求める。そして大衆食堂を謳っているだけに値段もまたしかりであり、そんな所で女子好みのお上品なマナーなんか求めても野暮の二文字で終わる。
誠心治安管理社の本社と言うべき電波塔にはいかにもそこに勤める人間にふさわしいような社員食堂は存在するが、そうでない所では昼食はコンビニやファストフード店で買って来るか弁当を持ち込むかと言う実にありふれたそれでしかなく、女性だけの町らしい洒落たそれはなかなかない。そんな店は当然そういう価格になり、そんな金を持っている人間はそんなこじゃれた店に入らない。そのためそういう高級レストランの経営は苦しく、いつの間にか統廃合を繰り返し現在では中央区と南区にある二店舗だけになっていた。
平たく言えば、二極化だった。そして大きな力を持った人間が好んで利用する存在が力を持ち、そうでない存在は力を失う。全く自然な民主主義と資本主義の法則が、そこにあった。




