富裕層だったはずの女
「和賀係長、これでよろしいでしょうか」
「どれどれ」
出勤して一日で和賀正美に失望されているとは知らない野川拓海は、とりあえず出来上がったデータを見せる。
公平に見て完璧とまでは行かないにせよ初仕事としてはかなりの高得点を与えられるようなそれであり、実力を認めざるを得ないほどだった。
「確認の姿勢は大事よ。もう一度確認した上で見せて頂戴ね。いい事、しっかりとやらないと駄目よ」
「はいわかりました」
とは言え上司としては手放しで褒める事も出来ないので一応念を押して来るが、拓海の手に全く不満の色はない。
いくら男臭い騒音と土に塗れた職場の関係者とは言え、下がどんぶり勘定では不具合も生じる。それを何とかするのが自分たちの役目であると言う事を教えるのが自分の役目だとわかっている正美の物言いは拓海にとって入り込みやすいそれであり、拓海は笑顔を浮かべる。
「父親って、いないんでしょ」
「はい。私は母と母との間に生まれました。母は水道工事を行い、もう一人の母は誠心治安管理社と言う女性だけの町の企業務めでした。私が生まれてからは祖母たちに育てられ、母も数年ほど仕事を休んで子育てに勤めてくれ、私が小学生になると現場に復帰してお金をくれました。そのおかげで大学生になれ、卒業も出来たのです」
「共働きで、そして家族揃っての育児ね……」
家族総出での育児など、女性だけの町ではそれほど珍しくもない。母二人だけでなく祖母たち、場合によっては伯母叔母たちも加わる。文字通りの大家族での子育てが核家族のそれより優なのか劣なのかは永遠に答えの出ない問題だが、それが女性だけの町の実情だった。
そんな多人数に囲まれ、しかも姉妹も妹一人しかいなかった拓海は、平たく言えば富裕層だった。
その富裕層を富裕層たらしめているのは、水道工事を生業とする方の母である。誠心治安管理社と言う企業城下町を形成できる程度には大きな存在に勤めているにも関わらず収入はかなり差があり、熟練工の母親の年収は誠心治安管理社に勤める母の倍以上あった。女性だけの町の中の大学はそれほど大きくもなく入学金も安かったが、強いのは農漁業と工業だけで拓海が出た商学部ははっきり言ってかなり弱く外の世界で言う所の偏差値が工業・農漁業と商学部で10以上違っているとされていた。
その大学を出た所で就職先が良くて誠心治安管理社である以上、元々大学に入るような人間は少なかった。
さらに言えば、大学に通いながら金を稼ぐのは難しく、平たく言えばごくつぶしである。しかもその費用対効果を思えば、大学に入る選択肢はほとんどないと言うのが中流以下の家庭での一般的な教育方針であった。
「しかしお金を稼ぐのは簡単ではないんですね」
「そりゃそうですよ」
「こうして数字を見ていると現場の皆様の給料がずいぶんと、その…」
「女性だけの町ではそういう人が富裕層なのよね。でもここでは違う、どっちも同じなのよ、どっちも」
「素晴らしいですね。私の様な体力のない女性でもこうして稼げるなんて。私はこのままでは親たちに払ってもらったお金を返せないと思っていました」
野川拓海が女性だけの町を出た理由は、一番生臭い事を言えばお金だった。
表向きには誠心治安管理社の重職や政治家になるためと言う事になっているが、それらの仕事の給与は現場作業員と比べて高い訳でもない。しかし、大学まで出て薄給である仕事にしか道がない以上それまでの生活のための保証も女性だけの町だけではし切れない。
女性だけの町の事務員の所得は、この会社のそれの六割だった。
それこそ最低賃金とまでは行かないにせよそれに近く、言い方は悪いが底辺職である。
女性だけの町で「女性向き」とされた仕事は給与が低く、そのためいかにも女性が好みそうな代物を扱うアパレルショップなどの店員の給与は一時期最低賃金以下にまで落ち込んでいた。
後に過剰供給が一因と分かりそのため資本主義に従って統廃合が行われ現在ではほぼ誠心治安管理社の傘下のそれともう一社に落ち着き給料も上昇したが、それまではそれこそ過当競争により社会問題になっていた。それらの店員たちがJF党員になりテロ行為に加担したとも町を出たとも言うが詳しい事はわかっておらず、現状それほど改善される見込みもない。
ちなみに「ガールズ・マッチョシティ」と言うその件について描かれた漫画が存在するが、第二次産業従事者と言うか富裕層を悪く描いただけの大時代的なそれと揶揄されてしまいネット上で散々ネタにされてしまった。無論単行本になどなっておらず、最終回も何もないまま完結と言うより中断している。




