第一の女性だけの町のマニュアル
「結局、この町は誰の手によりできたのか。その事を決して忘れてはならぬ。
それは我々女性、それも実際に手を痛め体を動かし配線や配管を行った一人一人の作業員である。彼女たちの犠牲なくしてこの町の存在はなく、女性たちの安息もない。
いや、これからこの町を守る事すらできない。
よって誰よりも重宝されるべきは彼女たちであり、彼女たちの職務を受け継ぎし存在である。世のオトコたちはその仕事を女性には出来ないから女性だけの町は存在しえないとのたまっていた。その偏見を打ち破ってこその女性だけの町であり、真の意味での男女平等である。」
民権党とか女性党とか関係のない、第一の女性だけの町の「党利党則」だった。
第一の女性だけの町における最大の行事は、彼女たちの慰霊祭だった。
第二次大戦にてこの世を去った殉職者たちと、その時の負傷が原因で亡くなった存在の霊を慰めるべく、住民たちがこの町で最大の寺社に向かって歩く。この前の時は上は七十三歳から下は九歳まで、ネイティブ世代から移住ひと月の住人まで、ありとあらゆる世代の女性たちが慰霊碑に向けて深く頭を下げる。尼僧により念仏が唱えられ、殉職者たちの名前が述べられる。その後も名前が追加されるかはわからないが、いずれにしても神聖なる時間であり住民たちにとって最大のイベントだった。
JF党はそれを廃止しようとしていたとか言うのは調べた結果ガセネタだと今ではわかっているが、それでもJF党の内部にはその行事を快く思っていなかった人間がいたと言うのは真実である。
幾度も述べているが、第一の女性だけの町における第二次産業は富裕層のそれである。そしてその給料を決めているのは、九割が町議会であった。第二次産業の賃金の半分は税金だとか言う悪口を言う人間もいたが、実際半分までは大げさとしてもかなり優遇されているのは間違いない。怪我やその他で現場で動けなくなるのでその分の保証もされたし、誠心治安管理社傘下の保険会社もかなり発展した。外部から保険会社がやって来て根を下ろそうとした事もあったが大きすぎた規模が仇となり根付かず、移民として来た存在が継続しているだけに過ぎないと言うのが現実だった。
そして、彼女たちはある意味で「お国の平和を守るために戦う軍人さん」だった。
警察官でもないのに殉職とか言う言葉が使われるように彼女たちは「オトコの偏見」から町を守るために戦って来た存在であり、住民たちにとってその屍の上に自分たちの存在が成り立っていると言う事を自覚すべき存在だった。
そんなのは第一次産業従事者だって第三次産業従事者だって同じじゃないかとか言うのはたやすいが、それがこの町のルールだから仕方がない。いかにも辺境の地らしい独特のルールだとか笑う人間もいたが、実際この慰霊祭は町の完成した日と並んで町中が盛り上がる日であり外の世界から見に来るお客様もいるほどだった。別に特別な何かがある訳でもないただ普通の慰霊祭ではあるが、それでも一部では土木工事業者の縁起物扱いされたり男女差別を打ち破った存在として崇められたりしており観光客も増えているとも言われている。
もっとも第一の女性だけの町にしてみれば迷惑とまでは行かないが困惑しているのも確からしく、その手の需要を全く当て込んでいない良くも悪くも自閉的な町には大勢のツアー客を迎えるような土壌も観光資源もないのはわかっていたしその手の取り組みも誠心治安管理社を含めそれほど積極的に行われていないと言う。
「もし女性に取って第三次産業が難しい職業ならば、第三次産業の給料を高めるだけです」
当時の町長の言葉だが、実に分かりやすい。
第二次産業に従事すると言う事は、女性に取って苦手な分野を補うと言う事だ。それこそ特別な人間しかなれないそれであり、当然ながら職務の難易度は高くなる。まったく当たり前の話だ。また汚い思いをする仕事をしたくないと言う願望も強くそのためにゴミ処理のような仕事も高給取りであり、ついでに言えば休みも多く取れると言う。それこそ女性たちをその職務に引き込むための政策であり、支持率90%オーバーのそれだった。JF党がいた時でさえも60%代前半を切った事はないのがほぼ全てだと言えた。
—————逆に言えば、その政策に反対する女性たちに取って女性だけの町は住み良い町ではなかった。
追川恵美もまたその類の人物だった。
だからこそ、わざわざ外の世界の建築業者を募ってインフラ整備を含む町の建築とさせた。単に十年かかっていたのを三年で済ませたかったと言うのもあるが、その結果として第二の女性だけの町の住民はこの時既に十五万を超えていたとも言うからやはりその成果はあったのだろう。
そしてもう一つ、最大級の差別化要素が第二の女性だけの町には存在した。
「公務員」の存在である———————。




