無視できない声の数
「第二の女性だけの町」が作り始められたのは、第三次大戦の開戦した直後である。
ある意味何とも間の悪い時期ではあったが、それでも万一の場合があるしとそれほど悪くは取られなかった。結果的に第三次大戦は女性だけの町の勝利で終わった事から大事には至らなかったが、それでも女性たちの欲求は止まらなかった。
皆様のおかげで「女性だけの町」がベストセラーになったのはその大戦が終わった後であり自分なりに第三次大戦を総括したつもりだったが、今になって思うとその時あとがきで
「女性だけの町と言う存在をいざ作ったらどうなるかと言う実験を実際になしえた結果を、自分なりに第三者として記してみたつもりである。
そして実際に見た結果を端的に言えばその「女性だけの町」は「理想と現実の中間の落としどころ」でも、「「女性だけの町」を望んだ人間が望んだユートピア」でも、「「女性だけの町」を冷笑していた連中の考えた通りの末路」でもない。
ただ、「科学の精一杯」があっただけだった。
その「科学の精一杯」を見極めた上で、住民たちはまた精一杯に生きている。」
と書いた事については我ながら少し恥じている。
実際「精一杯」と言うのはあまりにも後ろ向きであり発展性がないとか言う批判を受けた事もあったし編集者さんからもやや強すぎると言われもしたが、その時は実際科学の粋を集めて作った最先端と言うか開拓地の中で暮らす住民に対して抱いた印象がそれだったのだ。
何事も始めるのは難しい。1を100にするのは簡単だがゼロを1にするのは困難とはよく言うが、女性だけの町はまさしく後者である。前者のように町を発展させる方法はそれこそ古今東西ありとあらゆる為政者がやってきたお仕事であり良くも悪くも模倣が効く。だが女性だけの町と言う唯一無二の存在など、始めるどころか保つだけでも相当な偉業であり苦労が絶えないのは自然な話だろう。そんな中でも現在まで女性だけの町を保っている住民たちは、我々よりも数段立派な人間であるのは間違いない。
よく女性だけの町の住人はストイックであると言われるが、実際そんな事はない。住人たちは実に良い意味で俗人であり、ゴミ処理や配管工事などの仕事を目指す人間も街の美化やインフラ整備とか言う崇高な目的ではなく金目当てだと言う住民はかなりいたし、普通に女同士結婚して婦婦を作り家庭を持ちたいとかひとケタ円の野菜の値段の差を追いかけているとか、立派な料理人になりたいとか言う目的もなくただただつまらないからとこの町を飛び出して行った住民もいる。あらゆる意味でその程度の町なのだ。
だがその程度の町を作るのがどれほど大変かと言う事は誰もが知っている。町の設計図を含めそれこそ一から女性だけの手で作られたその町が「その程度の町」になるまでに、企業誘致すら実質せず誠真治安管理社と言うそれの企業城下町として発展する事を決めてから大半の工事や開墾開港をやったと言う選択は大変正しい道筋だったしそこまでしなければいけなかったと言うのが私が著書に記した通りの意見である。その際には少しでも意見の対立があればオトコたちに付け込まれるとばかりに徹底した意思の統一を図り、犠牲を払ってでも町を完成させたのである。
相当な時間と手間をかけて。
「そんな暇はないし金もない」
だが、そんな風に先人が金と暇をかけて人生を注ぎ込んだほどの大事業をするような事が出来る訳がなくとも、欲しい人間は多数いた。元から、女性だけの町が欲しいと言う欲望が女性だけの町を作ったのだ。
そして第一号が成功した以上それを模倣し、より良いとまでは行かないにせよ同等のそれを作る事は出来るのではないかと考えるのは全く不自然ではない。
「第二の女性だけの町」プロジェクトは「第一の女性だけの町」成立当初から動き出し、あちこちの場所の選定が行われた。だがその評判は、正直芳しい物ではなかったと言う話は多い。
また「第一の女性だけの町」の創始者たちも、「第二の女性だけの町」を求めた存在を積極的に支援するつもりはなかった。
だがそこで、あまりにも折悪く「第三次大戦」が発生。第一の女性だけの町の首脳陣や住民たちはその対応に追われる事となってしまい、さらに町の再建に必要と言う事で「産婦人科」や電波塔などのシステムの代金を販売せざるを得なくなってしまった。
基本財政基盤が有志たちの寄付金その他を除くと規模の大きくない第一次産業の産物ぐらいしかない女性だけの町の弱点であり、現在では女性だけの町で育った職人を本人たちの了解を得て外部の企業に出向させる計画もあると言う。




