キャラの存在の意義
「彼女たち」がバッシングしまくって来たキャラクターたちは、なぜ攻撃を受けたのか。
その理由を端的に言えば、「私の視界に入って来るな」である。
自分たちと遠い世界にいたはずの存在がいつの間にか近づき、勝手に生活圏へと侵入して来た。
その事が何とも不快であり、得体の知れない侵入者を産み出した存在に対し恐怖心を覚えた。だからこそ必死になって追い払おうとしたが、その努力も虚しく敵はどんどんと侵入して来る。やがて自分の何より大事な存在まで侵食せんとし、と言うか侵食されないとその自分の何より大事な存在さえも守れなくなる。
背に腹は代えられぬとか言うが、自分の何より大事な存在を傷つけながら自分自身をも犯す存在との付き合いを余儀なくされるのはそれが大人であり親だとしてもなかなかに厄介な戦いである。私などはいい年してその戦いをまだ経験していないが、それでも同年代の女性がその戦いに明け暮れる話は山と聞いている。
トムトムさんもまだその戦いは経験していないが、それでも旦那さんはいる。
「私が好きだったキャラはね、正直あんまり人気なかったんですよ。いや瞬間的には結構人気だったと思いますけど、あまり長持ちしなかったって言うか。もし長持ちしてたら私なんかその他大勢だったでしょうけどね」
キャラクターの寿命が尽きるのは、誰からも忘れ去られた時であろう。誰からも忘れ去られれば企業と言う名の資金源は動かなくなり、やがて消えて行く。トムトムさんが今もオリキャラと一緒に創作をやっているそのキャラが活躍したアニメは四半世紀以上前のそれであり、今やそのジャンルでやっているのは彼女を含めてわずか二名であるらしい。そういう事で行けば彼女はそのキャラの寿命をかろうじてつないでいるとも言える。
だが市場規模はそれこそ四半世紀前から比べればまったく縮小しており、もしトムトムさんともう一人とその読者で支えているとすればそれこそ全盛期の一万分どころか十万分の一かもしれず、下手すればプレミアが付いている過去のグッズ一個の値段よりも小さいかもしれない。
そう、魅力がある事自体が、キャラの存在の意義なのだ。
「そこは自分の席だったのに、って思いをした事はありますか?」
「何度もあります」
「私だって何度か、運命がとち狂っていれば今頃超人気キャラデザイナーとして一世風靡出来ていたのになとか言う事を考えもしましたよ、まあごく最近の話ですけど」
三文ライターと言うにふさわしい生活を送って相当な年月を過ごして来たが、その間に出世して行く同僚たちを見ながら歯噛みしていた経験は幾度もある。そのためと言う訳でもないが「女性だけの町」については必死になって取材を行い自分なりに心血を注いで一撃を叩きつけたつもりだったが、その結果今度は自分が負われる側になってしまった事を自覚させられている。
それはお金でも、名声でもない。
批判だ。
さっき述べたような具体的な意見だけでなく「つまらん」「金の無駄」とか言う不満と言うかただの悪口だったり「あくまでも女性だけの視点で結局一方的」とか言うごもっともなお話もあったりする。
それでもこれまで何度も何度も駄文を書いてみた身からしてみれば随分と上達したつもりであり、駄文と呼ぶならこれまで幾度も産み落としたような在庫の山にすらならない絶版本たちを責めてもらいたいと言うのは贅沢だろう。
だが今でもネットショッピングには残っているその本の情報に対するレビューはゼロであり、マイナス評価さえもない。いくら「女性だけの町」が当たったとしても、過去作にまで目を付けられるほどの存在ではないと言う証明でもある。
「これからは「女性だけの町」じゃなくて谷川さんって名前で動く人も出ますよ」
と言われた時にはお世辞かと思ったが、今になって思うと正直その通りだ。次回作はと言う声が日増しに高まり、しばらく女性だけの町から離れたいと言って別テーマに取り組んで来た。
だが何を書いても「大ベストセラー「女性だけの町」の作者」と言う肩書がくっついて離れない。新刊の帯だけならともかく小さな記事でさえも「「女性だけの町」の著者:谷川ネネ」とか言う肩書を勝手にくっつけられる事もあった。
「谷川ネネ」ではなく、「女性だけの町の作者」としての目で見られると言うのは正直あまり思わしくない。だが夏目漱石を「坊っちゃんの作者」として見てしまう自分がいる以上、お互い様としか言えないだろう。




