スマホ中毒
「そうか…俺の稼ぎが少なくてすまんな」
「いや、いいの。私はあそこが合わなくて…やっぱりその」
「これ以上言うな。それで次の場所は」
「一応探してるけどね、有力そうなとこは」
「わかった、今は少し休め。ああ電灯は俺が換えといてやるから」
スマホを夫に見せる彼女は、実につらそうな顔をしていた。
料理を作ったり掃除をしたり洗濯をしたり、主婦らしい事は出来るがそれ以上の事は出来ず、最近は洗剤を入れずに洗濯機のスイッチを押したり小さじ一杯と間違えて大さじ一杯砂糖を入れてしまったりとそれすらも怪しくなっている。専業主婦となった事もあり集中しなければならないと思ってはいるが、どうもどこかにボロが出る。
「でもさ、息子は大丈夫か。最近クラス内で孤立してるとかって」
「最近は大丈夫よ。って言うかやっぱり必要なの、買ってあげるべきなの」
「何をだよ」
「今一時の喜びより、長く先を見据えたそれの方が」
「老少不定って言葉知ってるか。実は一か月前に取引先の上司の息子が病気で死んじゃってさ、まだ二十三歳なのに……」
「そう…」
老少不定。誰が先に死ぬかわからないと言う事。だがその言葉の意味を知ってなお、彼女の顔はちっとも明るくならない。
いくら必死に勉強させて将来を考えた所で、明日死なないとは限らない。そうなれば人生が苦しいだけで終わってしまうと言う事になりかねないと言うのだ。
「でもね、私は……」
「近所の奥さんにも言われたんだろ、ちょっと威張りくさってるとかって」
「うん…………あー…………」
「でもさ、最近ずいぶん痩せたって言うかやつれた様に思えるけど、ちゃんと食べた方がいいぞ。今度お前の好きな中華焼きそばでも俺が作ろうか」
「自分でやりますから…」
少しばかり気が楽になっていたはずだった彼女だったが、それでも心底から笑う事が出来る気分にはなれなかった。
どうしても、理解できない。
なぜ皆、平気なのか。
なぜ皆、自分を哀れむのか。
そりゃやりたくなくともやらなければいけないのが大人ではあるが、キャラクター商品とやらにつられて物を買い与えて甘やかして子どもをダメにしても一向に平気だと言うのか。それもあんな、低俗な代物に釣られて。
単純に悔しいとかではなく、あくまでも心配なだけ。そのはずなのに息子はいじめられっ子になってしまい、肝心要の勉強さえもうまくできなくなっていった。子どもたちに「ビクビクおばさん」とか言うずいぶんなあだ名を付けられている事を知ってからは内心憤ると共に情けなくなり、それ以上に胃が痛くなった。
必死に逃げるように仕事に専念しても、目に否応なく入って来る。少しでも与えるともっともっととなりそうで怖くなり、つい口うるさく言ってしまう。
その結果自分なりに抑制できて来たつもりだったが、その流れで行こうとしたあの「スマイルレディー」なるそれが空前絶後級の駄作扱いだったのは誤算だった。子どものためにそんな存在を与えねばならないのかと思うと、正直胃が痛くなって来る。
そんな彼女の心を癒せるのは、スマートフォンだけだった。
求人サイトを閉じた彼女は必死に自分が悩んでいる存在の名前を入力し、その上で追加ワードとして「嫌い」とか「下品」とか打ち込む。
どうにかして必死に、自分の仲間を探し求める。家事もそこそこに夫子どもが寝静まっている中、音を消し小さな照明の中で必死に打つ。
「でも嫌いじゃないわ」
「下品とか言うけどそんなのオリジナルだし」
「下品とか言うのって元からそんなもんだって知らねえんだろうな」
「それがウケてたってわかんねえ奴嫌いだよ」
……こんなのばかりだった。まるで自分がひとりぼっちであると言わんばかりの文字列が並び、ただひたすら暗くなる。
「テレビが息を吹き返したのってさ、結局そういう奴らがいなくなったからじゃね?少しでもなんかあると下品とか言い出して口を塞ごうとする連中がいなくなってさ。まあそれでも言い出す奴はいるんだよ、ああ面倒くせ」
挙句の果てにはこうである。まるで自分たち、いや自分たちと同じ考えを持った人間のせいでここにいる多くの連中にとって不満足な結果が到来し、ようやくあるべき姿が戻ったと言わんばかりの言い草の連発。
どいつもこいつもバカばかり、思いたくないがそんな言葉ばかりが浮かぶ。
飲み込もうにも飲み込めない現実を前に、必死に言葉を入れる。
「悪い」・「バカ」・「おかしい」・「ダメ」……罵倒の言葉を探すその姿は、夫と息子だけではなく誰にも見られたくない姿だった。
「スタートダッシュが悪い。うまくいけばもうちょい率上がったのに」
「相変わらずバカ、いい意味で」
「今日もおかしいのなんのwwwwww」
「ダメーーーーって言ってるあの顔に爆笑しましたwww」
そして、また弾かれる。
これが、彼女のナイトルーティンだった。




