冷えた棺桶で、調味料に抱かれて私は眠る
冷たいルビーに包丁を入れる。
「つべてぇ~まだ慣れないなぁこの冷たさは……」
指先で抑えながら切ってく俺に、「なあなあ、今日親方見た?」なんて先輩の島津さんは頭にタオルを結びながらやって来た。
「そういえばいないですね、大将なら知ってるかもしれませんよ?」
親方が居るのに何で大将が居るのだと、皆は思うだろうが、親方は、風貌が相撲部屋の親方に似ていたからそう呼ばれているだけで、実際は秀夫という名前だ。俺が入社した時から、親方と呼ばれていたからそれに馴染んで苗字は忘れてしまった。
大将はその名の通りお店の大将で、いわゆるボスだ。なんでも変わり者で――
「大将かぁ……肉を寝かしてる時の大将は見たくねえんだよな」
「分かります、あの独り言はキモイですよね」
島津さんは何度も頷く。
そう、うちは有名な唐揚げ屋なのだが、唐揚げ用の肉を漬ける時いつも「店の役に立てよな〜」「お前が休みたいって言ったんだから、ぐっすりと寝てくだちゃいねぇ」なんて言っているのだ。だが、俺たちがヤバイと言っているのはそこではない、肉をあたかも人の様にお肉さんと言っている所である。これは俺達の前でもそうで、この店のルールでもあった。
その馬鹿げたルールが張られた張り紙を横目で見る。
《肉の事はお肉さんと呼ぶこと!》
「でもあれだな、肉は寝れて俺達は寝れないなんて皮肉なもんだな」
「肉屋だけにっすか?」
「上手い事言うねぇ、って違うわ!よく考えてみろ、仕事が楽だからか休みないだろ?」
確かに。
「俺達も寝たいものだよな~」
「別の曜日に来てるハルさんに聞いたことがあるんですけど」
大げさに周囲に誰もいないか確認してから、顔をズイッと近づけて「80キロ以上じゃなきゃ休めないみたいです」そう小声で言うと、彼は「マジか、まあハルさんが言うなら本当なんだろうな」なんて渋い顔をしながらも、あっさりと信じたようだ。
ハルさんは、大将が店を始めてからの社員さんみたいで、彼女自身嘘をつけないし、つかない性格だから、ハルさんの言葉は神の言葉の様に皆直ぐ信じるのだった。
「そういや親方も90キロでしたっけ?」
「あ~そうか、なら今頃家で寝てるのかな?」
「良いなぁ〜羨ましいですね」
給料は凄く良い、しかも正社員なのに勤務時間も短い、実にホワイト企業と言っても過言ではないのだが、やはりこうも出勤が続くとキツイものもある。たまには合コンにも行きたいものだ。
「島津さんならガタイいいし背も高いから意外と80キロかるーく行けるんじゃないですか?」
「まああと少しだな!一緒に筋トレしようぜ?」
遠慮しときます……
向かい合って肉を切りながら、他愛ない話をしていると、大将が「皆おはよー!」と七福神のような満面な笑みで階段を下りてきた。
「おはようございます大将」
挨拶をすると「おう!おはようさん、そういえば今朝ニュース見た?」なんて俺の横にやってくる。
今朝のニュースを話題に出すのも無理はない、何故なら――
「バラバラ事件ですか?あれ親方の住んでるアパートですよね、確か」
「そーそー怖いよね~まさかタッパーに人肉が……ねえ、彼が無事なら良いんだけれど」
心配そうな声色の割りに、表情は満面な笑みだしお腹は鳴らすしで、本当に心配しているのかと言いたくなる。
大将はため息を一つし、ぼんやりと前に居る島津さんを眺めた。島津さんも彼の視線に気づき「どうしました?」と苦笑いを一つ。
「津島くん結構筋肉ついてきたね、ボディービルダーみたいだ、今体重何キロ?」
その問いに、休みたがっていた島津さんは「え?」なんて白々しく驚いたフリをしつつも、チャンスと言わんばかりにニヤリとし、「80っすよ」と嘘をついては「目指すは100キロっす!」なんて調子良く腕の力こぶを見せた。
「お~凄いねえ、そーかそーか80キロなのね」
そう視線を天井に泳がせてから再び向き合い「まぁなんだ、休みたかったらいつでも言ってね、ゆっくり寝たいでしょ」そう言って、俺には「君はまだまだだね〜」なんて鼻歌まじりに自分の持ち場に戻って行った。
《バラバラ事件の新たな情報が入りました》
キッチンに吊るされていたラジオから流れたその台詞に、今まで聞き流していたが、二人して目を合わせて意識を手元からラジオの方へやる。
《人肉はマヨネーズ•醤油・酒•生姜•にんにくで漬け込んであったそうです》
すると再び、のそのそと大将が戻って来るなり「俺の包丁しらない?お肉さん切るのにはあれが一番良いんだよなぁ」なんてやって来た。
島津さんは俺を見るが、肩をすくまたみせると「まあ知るわけないよな」なんてカラカラ笑った。
「でも珍しいですね、大将が包丁を無くすなんて」
「そうだよ〜料理人が包丁を無くすなんてシャレにならんのよ〜?」
ため息を残して、やる気が無くなったのかお店の外へ出ていってしまった。
「バラバラ事件現場にあったりしてな!」
「だとしたら笑えないっすよ〜」