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三番目の子と、離宮の主

 思いがけなく出会った人の話に花が咲いて、随分マギーの手を止めてしまった。

 

 厳しそうな顔つきをしているのにトリスティアを見つめる目が優しい形をしていたこと。無事を確認する声に憫れみの色はなく、その低音に温かい心地がしたこと。しっかりと支えてくれた大きな手が頼もしくて、言葉が交わせたことがとても嬉しかったこと。


 話は尽きないけれど、そろそろ夕餉の支度にかからなければいけないとマギーは下がっていった。


 部屋には今、トリスティアがひとり。

 窓辺に寄せられた長椅子に腰掛け、梟を模した金の紀章を両掌で包むようにして、膝の上に乗せている。


 叡智の象徴である梟を模したこの金の紀章は、図書保管庫の司書たちが胸に掲げる特別なもの。

 通常、図書保管庫では司書以外の者が書庫へ立ち入ることを許していない。読みたい本がある場合は貸出申請書を提出し、その場で受け取るか届けてもらうかする。

 トリスティアはいつも、後日離宮に届けてもらえるよう読みたい本の貸出申請書を出すため、王宮からの帰り道に図書保管庫に立ち寄ることにしている。


 その度、貸出申請窓口から垣間見える書庫と、そこで働く司書たちを羨望の眼差しで見つめていた。


 あの数多の書物を自由に書架から選ぶことができたなら。自分で選ぶことは許されなくとも、あの書架が立ち並ぶ叡智の森の中を自由に行き来することができたなら、どんなに素敵だろうか。


 叶わぬ夢と知りながら、憧れは止むことがなかった。

 叶わぬ夢と知っているから、夢想は好きに広がって。

 叶わぬ夢だと思っていたけれど、この紀章があれば書庫への立ち入りが許される。


 こんなに幸せなことが起きてもいいのかな。


 夢が叶った幸せを感じるとともに、不憫な子なのに、という言い知れない思いが頭をもたげそうになって、慌てて窓の外に目を向ける。


 緑深い前庭のそこここに、離宮を根城にしている鳥たちの頭や尾が見える。いつもの、離宮(わがや)の景色。

 見慣れた景色がトリスティアの心を落ち着け、卑屈になりそうだった気持ちも次第に凪いでいく。

 浮き上がってきた心のままに、少し頭を反らせて空を見上げれば黒い影が目に映る。

 その影が大きな翼を広げてこちらに向かって来るのを認めたトリスティアは、急いで目の前の掃き出し窓を外に向かって大きく開いた。

 

「誕生日おめでとう、トリスティア」

 

 朗々たる声を響かせて、開いた窓から優雅に舞い降りた黒い影は、トリスティアの体半分ほどの身の丈の、大きな鴉。

 その大きな鴉に向かって、トリスティアは丁寧に最上級の礼を取る。


「ご機嫌麗しゅう、離宮の主様。言祝ぎ、誠にありがとうございます」


 トリスティアの挨拶を受けて、離宮の主様と呼ばれた大きな鴉は長椅子の肘掛けを止まり木のようにして落ち着き、トリスティアもその傍に座す。


「初めて会った父はいかがであったか?」

「優しい目の、大きな手をした温かい声の方でした」

「ほう」

「別れ際に、こちらを、今日の記念にと」


 トリスティアが再び長椅子に腰掛けたのを見計らって発せられた離宮の主の問いかけに、先程思いがけず出会った人物の曖昧だった像が確信に変わる。


 やっぱり彼の方は、お父様だった。


 世の理に通ずる離宮の主がそう言うのだから、間違いはない。きっとそうだと思ってはいたけれど、確信を得たことであの邂逅がより特別なものに思えた。

 解けた気持ちになったトリスティアは、父から初めて贈られた祝いの品を離宮の主に差し出し見せながら、言葉を続ける。


「主様、既にご存知のことかとは思いますが、私は姫ではなく王子でした」

「やっと、明かされたか」

「はい。それで、王子の身ではありますが、この離宮でお世話になっている限りは、姫のままでいようと思っております」


 きっとトリスティアが王子であることなど、離宮の主はとっくに知っていただろう。強いて告げなくとも、このまま姫で居続けることをこの離宮の主は許してくださるはずだ。

 それでも、王子であること知ってなお姫でいることを決めた自分の気持ちを、自分の人生初めての選択を、トリスティアは自分の言葉で伝えたいと思った。


「いずれこちらを離れるその日まで、このまま姫でいたいと思っております」

「まぁ、良いのではないのか?どのような形であろうとも、お前がトリスティアであることに変わりはあるまい。それでもし何か不都合あらば、そうだな、我が眷属の男の元にでも嫁げば良い」

「主様の、眷属様の元に嫁ぐ?私は王子ですよ?」

「ふむ。あやつはそのような些末なこと気にするような性分ではないと思うがの。トリスティアは気にするか」


 嘴が僅かに歪んだように見えるのは、離宮の主が笑っているからだろう。

 王子の自分を大事な眷属に嫁がせるなど、冗談にしても笑えないことだと思うのだが、トリスティアが王子であることを些末なことと言ってのけた離宮の主は、たいそう愉快そうにしている。


「私は王子なので、子を成すことができません。このような身でどなたかの元へ嫁ぐことなど、無理なのです」


 自分の性への理解に疎いトリスティアでも、流石にこれくらいのことは分かる。

 もしかしたら人ならざるものの眷属であるならば、人の理からは些か外れているのかもしれないけれど、それにしてもトリスティアは王子なのである。しかも、戒めの呪いつきの。


「あやつにはあやつの事情があるゆえ、その辺りのことはどうとでもなるだろうて。まぁ、トリスティアがどうしても嫌というのなら、無理強いはせぬがな」

 

 誰かの元へ嫁ぐことが嫌で無理だと言っているのではないのに、この話がまるでもう決定事項のように語る離宮の主に、トリスティアは困惑する。


「私は嫌ではありせんが、私を娶ることになる御方がお気の毒でなりません」


 トリスティアが困ったふうに告げれば、自分の眷属に嫁ぐことを嫌ではないと言質を得た離宮の主は、嘴を大きく開けて呵々と笑った。

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