三番目の子を、父王は愛でる。
可憐すぎやしないか。
いつも窓越しに、遠目から見ることしかできなかった我が子が腕の中にいる。
その感動よりも、間近で見るトリスティアが思った以上に見目麗しく華奢なことに心配の方が先に立つ。
頼りなげな我が子の姿に、クラウスは忸怩たる思いを抱いた。
プールミエンヌ王国現国王ソルス六世クラウスの三番目の子、トリスティア。戒めの呪いの不憫な子として生を受け、王子として生まれたにも関わらず姫として育てたのはその身を守るためだった。
最初の三番目の子と同じ色を持つ王子が呪いの手に絡め取られないようにするために、最善と思われる策を弄した。
だが、これで本当に良かったのかどうか、未だに答えの出ない問いにクラウスは頭を悩ませている。
スティーラはトリスティアが傾国の王子になってしまうことを恐れていたが、こうして見ると姫であってもその素質を充分に感じさせる。
十五の記念に贈った空色のドレスは、トリスティアの儚げな魅力を引き出して余りある。女官によって飾られた金の髪とドレスを彩る金の薔薇がまるでひと続きのようで、春の精もかくやという美しさだ。
隠されて育っていなければ、何人の愚かな騎士気取りの者たちを粛清しなければいけなかったことだろうか。
過保護な父親の気持ちを初めて味わったクラウスは、内心苦笑いする。
我が子トリスティアはいたって真面目に自分のことを不憫などではないと思っているようで、その出自に加えて人ならざるモノたちからの禍を受けているにも関わらず、そのことを嘆きもしない。
予定通りであれば、スティーラから自身の身の上を明かされているはずなのに、この腕に身を預けたトリスティアからはなんの憂いも感じない。
ほんの少しの戸惑いを匂わせるだけで、いっそ清々しいほどに、いつも通りだ。
それも不運な目に遭うことよりも憫れまれることを厭って人目を避けるトリスティアが、クラウスに助けられた今のこの現状に戸惑っているだけだろう。
体を起こそうと身じろぎしだしたトリスティアの背中を支えて、正面に立たせる。
「大事ないか」
我が子に初めてかける言葉にしては随分味気ない気もするが、目を見て言葉をかけることができたこの喜びを噛み締めたい。ようやく会えたのだ。
王宮に参上したついでに図書保管庫に立ち寄るトリスティアとの邂逅を期待して、偶然を装い呪いの目を掻い潜ろうとしては何度失敗を繰り返したろうか。
誕生日が巡ってくるたび、呪いが重ねてくる行事や祝いの席を抜け出し、なんとか祝ってやることはできないかと画策してきた。その度、誰かや何かに邪魔をされて顔を見ることすら出来なかったのだが、どうやら今年は上手くいったらしい。
視線の端に捉えた黒い大きな影に感謝の意を飛ばす。
「はい、大丈夫です。助けていただき、ありがとうございます」
目が合って、驚いたように瞬きを何度かしたトリスティアは、すぐさまよそゆきの顔で微笑んだ。
この年頃の姫にしては落ち着いた声なのは、畏っているせいか、それともやはり王子だからだろうか。
初めて直に聞く声と自分に向けられたトリスティアの微笑みに、クラウスも頬を緩ませる。
「本が好きなのか」
もう少し言葉を交わしたくて、不運に見舞われたことには触れず、答えの分かっている問いかけをする。
「はい。本はまだ見ぬ世界のことを私に教えてくれます。それはとても楽しく素晴らしいことで、私はこちらの御本のおかげで少し賢くなりました」
予想通り、いやそれ以上の答えが返ってくる。
淡く笑んだトリスティアは「少し賢くなった」と言ったが、それでは言葉が足りない。
歩くと同時に文字が読めるようになったトリスティアは、この図書保管庫の本で読んでもいい本はもうほとんど読んでしまっている。誰に教えを請うでもなく様々な知識を自力で会得し、他国の言葉で書かれた書物も読破した。
今では周辺国全ての言語を読み書きできる。
外交で活躍しそうな逸材なのに表に出せないことが、父としても王としても悔やまれる。
「十五歳になりましたので、読める御本が増えてとても嬉しいです」
「そうか、それは良かった。おめでとう」
聡い子だ。
お互い名乗りはしていないが、こちらの素性に気付いているのだろう。この邂逅の意味とこちらの意図を理解しているようだ。
トリスティアに促されたような形ではあるが祝いの言葉を贈れたことと、読める本が増えたと喜ぶ我が子のために至急図書保管庫の蔵書を増やす必要があることを心に刻む。
「では、これをその記念に。そろそろ家の者が心配していることだろう、行きなさい」
今日こそ渡せるかも知れないと忍ばせていたものをトリスティアの手に握らせて、そっと背中を押す。
視界の隅では、先程まで晴れ渡っていた空が俄かに曇り出している。何かを予感させるような、不吉な前兆。
もっと話していたいという名残惜しさはあるが、そろそろ潮時だろう。
突然の成り行きに小首を傾げたトリスティアは、掌に受け取ったものを見て目を輝かせた。
「ありがとうございます」
心からの喜びが溢れ出したような満面の笑顔で謝意を表したトリスティアは、促されるままに身を翻す。
空色のドレスをふわりふわりと躍らせて。
「陛下、光の聖堂が騒いでおります」
姿の見えぬ者の声に、振り返り改めて礼を取るトリスティアへと掲げていた手を握りしめる。
隠しておくのも、限界か。
まだあの華奢な後ろ姿を見送っていたい気持ちを抑えて、クラウスは光の聖堂へと足を向けた。
次のお話からはまた視点が戻ります。