三番目の子の、新たな生活
「こうせいさい?」
程よく汗をかいた鍛錬の合間の休憩時間。
よく冷えた爽やかな香りのお茶をこくこくと飲み終えたトリスティアは聞き慣れない言葉を耳にして、つい子供のような口調で疑問がそのまま口から溢れてしまう。
一緒に休憩していたコルボー伯家が誇る騎士団の面々が、口々に休みの予定を語っているのが耳に入り、気になってしまったのだ。
皆一様に家族や恋人や友人との予定を楽しそうに話していて、まだ彼らと知り合って間のないトリスティアにも楽しそう雰囲気が伝わってくる。
先程までの鬼気迫る勢いが、まるで嘘のよう。
あまりの落差に自然と頬が緩むのを抑えつつ、トリスティアは自分もいつかあちら側に混じることができるように、この後の鍛錬も頑張ろうと拳を握る。
毎日基礎体力を付けるための初歩的な鍛錬に勤しんでいるトリスティアにとって、それはまだまだ先の話だろうが、やる気は十分だ。
もう二度と、ナタン様やマギーに心配はかけない。
熱に浮かされた視界で捉えた、代わる代わるトリスティアの様子を窺う二人の顔を思い出して、目覚めた時の申し訳なさと情けない気持ちが蘇る。
コルボー伯爵邸で夜の精デルニエールとの再会を果たしあと、邸内をマギーと共に案内されたトリスティアは翌日、高熱のため伏せってしまった。
夜の精の加護地でも呪いの影響を受けるのかと慌てたマギーと、情報を一気に与えすぎて知恵熱を出したのではないかと心配したナサニエルに、トリスティアを診察した医師は筋肉痛による発熱であると告げた。
普段体を使わない方が急に運動などなさると酷い時はこうなりますという医師の言葉に、マギーはわけ知り顔で深く頷き苦笑したが、ナサニエルは邸内を歩いただけでそんなことが、と首を傾げた。
ナサニエルが首を傾げるのも無理はない。
積極的に体を動かすことのない世の姫君たちと同じようにトリスティアがずっと姫として生きてきたからと言って、普通であればこんなことにはならない。
呪いのせいで夜の精に加護された離宮から出ることを極端に制限されていたトリスティアは、無類の読書好きということもあり、隠遁生活に甘んじて体を動かすことなど今までほとんどなかった。
外出するのは、月に一度の王宮詣くらいなもので、それ以外の日は私室に籠り、図書保管庫から取り寄せた書物を読み耽る毎日。公の場に出ることもないのでダンスを習う必要もない。
幼少期に食べ物による不運が続いたせいか食が細く、同年代の子らに比べて華奢なことに加えて、運動不足がたたって筋肉や骨は発育不全と言っていいほどだ。
そこへきて、コルボー伯爵邸は侵入してきた敵に進路を惑わせるため階段を多用した勾配の激しい造りとなっており、階段を上り下りすることなどほぼ初めてだったトリスティアの足腰はその負荷に耐えきれず、炎症を起こしたのだった。
医師の話を聞いたマギーとナサニエルは、当地のことを知りたいというトリスティアの希望を尊重しつつも、まずはこの地で暮らしていけるだけの体力作りが先決であるということで、意見が一致した。
そういうわけで、熱が下がり体調が万全となったトリスティアはナサニエルの采配により、朝から昼食まではコルボー家やファンセ領のことをヘリオスから学び、昼からは騎士団の鍛錬に混じって基礎体力作りをすることになった。
騎士団の鍛錬に混じって、と言っても邸内を移動するだけで倒れてしまうトリスティアが彼らと同じことができるわけもないので、ナサニエルがつけてくれた護衛騎士と共に騎士団の演習場の片隅を間借りして、四肢の柔軟性と筋力を上げる為の鍛錬を行なっている。
目の前で繰り広げられる騎士たちの激しい打ち合いに比べれば、鍛錬と呼ぶのが憚られるほどの基礎中の基礎的な運動ではあるが、自分の体のことなど今まで考えたこともなかったトリスティアにとっては何もかもが目新しく刺激的で、ちょっとした動きにも翌日痛む筋肉痛ですら、なんだか面白くて楽しい。
自分ばかり楽しい思いをして、本来ならば騎士団の演習に参加しているであろう護衛騎士に申し訳なくは思うのだが。
ふと気になって、トリスティアが側に控える人影を見ると、焦茶色の鋭い目と目が合う。
「降星祭が、どうかしましたか?」
目が合ったことで、トリスティアがつい先程溢した言葉が自分に向けられたものだと思ったのか、護衛騎士リアムの低い声に問われる。
このトリスティアの護衛騎士であるリアムは、精鋭揃いの騎士団において特に身体能力が優れ、武器を使わない闘いにおいては騎士団長に勝るとも劣らないという。
強面で短く刈った焦茶色の髪と体格の良さから常に威圧感を放っているように見えるが、トリスティアに向ける切れ長の目は鋭くも、いつもとても穏やかな色をしている。
人見知りなトリスティアではあるが、人は見かけに寄らないということを誰よりも知っているので、リアムが護衛に就いてくれて幾日も経たないが、その風貌を怖いと思ったことはない。
今も、目を向けてすぐ目が合ったことから、トリスティアが疲れを見せていないか窺っていたのだろう。
その気遣いを有り難く思いながら、トリスティアはリアムの方に体を向けて口を開く。
「初めて聞く言葉だったので、気になって」
「ああそうですね。王都の方々には馴染みがないかもしれませんが、夜の精の加護地であるこの辺りは宵闇が深く、星が綺麗に見えましてね。年に何度か訪れる星降る夜には降星祭という祭りを催しております。今年はちょうどそれが三日後にありまして、皆あのように盛り上がっておるのです」
「星降る夜に、お祭りが?」
リアムの説明にトリスティアは大きく目を開く。
降星祭という祭りのことは初耳だが、星降る夜のことはトリスティアもよく知っている。
真夜中過ぎに、まるで雨のように星が降る夜のことを、星降る夜と言う。ファンセ領一帯は、他の地域に比べてて夜の闇が一層深いので星降る夜の名所であると、トリスティアは天文学の本で読み知っていた。
王都は光の精の加護が強いせいか夜の闇が淡く、星の輝きが地上まで届きにくい。離宮周辺には夜の精の加護が効いているとはいえ、夜空まではその限りではない。
離宮の私室から見上げた薄闇に点々と瞬く小さな光が、トリスティアにとっての星の全てだったけれど、この地に来てから見上げた夜天の煌めきこそが本来の星の姿であると知った。
本で知った憧れの光景が目の前に広がって、もしかしたら星降る夜をこの目で見られるかもしれないと淡い期待を寄せていたトリスティアは、リアムから齎された降星祭の情報に心を躍らせる。
三日後、星降る夜と、お祭りがある。
鍛錬が終わったら、星降る夜に夜更かしをしてもいいか、ナタン様に聞いてみよう。
逸る気持ちのままに、トリスティアが寛げていた体に力を込めて立ち上がると、突然の動きにも関わらずリアムもそれにすかさず続く。
「そろそろ続きを始めますか?トリスティア様」
「はい!」
紫紺の瞳をいきいきと輝かせたトリスティアの元気な声があたりに響き、同僚であるリアムとトリスティアが上手くやれているのか気になって仕方なかった騎士団の面々から、安堵の笑みが漏れた。




