三番目の子は、着せ替える
寝惚け眼のまま、自室の衣装部屋で選んだワンピースをいつもように頭から被ったところで、トリスティアははたと動きを止めた。
何か見慣れないものを目にした気がして、急いで頭と腕を通して衣装部屋の様子を確認する。
マギーによって整えられたトリスティアの衣装たちがずらりと並ぶ様子は、一見いつも通りのようだけれど。
トリスティアが一人でも着られる簡単な作りのワンピースが数着と、ドゥフィーネから下げられたドレスに、十五歳の誕生日に着たあの空色のドレス。
それと、飾り気の少ない中着と、男物の上着。
男物の、上着?
自分の衣装部屋にあるはずのない物を見てトリスティアは一瞬首を傾げたけれど、すぐさまここが離宮の私室ではないことを思い出した。
ここは、新しいお家の、私の部屋だ。
昨日、嫁いできたはずが養子として迎え入れられて。
驚きと期待と喜びで胸がいっぱいになったトリスティアは、荷解きを終えたマギーが応接室まで迎えに来てくれた時も夢見心地だった。
マギーが興奮気味に何かを伝えてくれたような気がするけれど、いろいろなことがあり過ぎて疲れてしまったのか、部屋に案内されるなり食事も摂らずに寝てしまったトリスティアに、部屋の様子を確認する余裕などなかった。
今朝、離宮を出たことを忘れるほどの深い眠りから覚めたトリスティアは、なんの疑いもなく寝台から降りていつものように体を清めて衣装部屋までやってきた。
それは、たとえ目が覚め切っていなくとも体が覚えている一連の動作だけれど。
もうここは、覚えのある離宮の私室ではない。
いつものようにしたところで、いつも通りの朝の支度が出来るはずがないのに。
いつも通り朝の支度を整えられた自分を不思議に思いながら、衣装部屋から首だけを出したトリスティアは、目にした光景に驚く。
離宮の、私の部屋だ。
部屋の造り、置かれた家具やその配置が、昨日の朝までいた離宮と全く同じに見える。
壁紙の柄や色、敷物の質感までもが、離宮の私室をそのまま移してきたかのようにそっくりだ。
もちろん、ドゥフィーネが描いたあの猫の絵も、寝台の傍に飾られている。
これは、急にここへ来ることになったトリスティアへの気遣いなのだろうか。
もしそうなのだとしたら、それはとても有難いことだけれど、でも、とトリスティアは思う。
自分の家はもう王宮の外れにある離宮ではなく、ファンセ領の領主館になった。
この身も王家の三番目の子ではなくなり、コルボー伯爵の義息子になったのだ。
昨日別れ際に、コルボーの子になったからといって今すぐ何もかも変える必要はないと、ナタン様は仰ってくれたけれど。
自室として用意されたこの部屋の様子を見るにつけ、トリスティアの中に、コルボーの子にふさわしい装いをしたいという思いが湧き上がった。
息子に、後継者に、と言われたことを気負ってのことではないと言えば、嘘になるけれど。
嘘でもなんでも、自分が王子だと明かされた時には湧かなかった変化を望む気持ちが、この胸に生まれたことをトリスティアは嬉しく思った。
だから、初めて変化を望んだ今日という日を記念する一着を選ぶために、トリスティアは衣装部屋の中に目を戻す。
男物の衣装の良し悪しは分からないけれど、分からないなりに目を引いた襟のない真っ白な中着と、華麗な金糸の刺繍で縁取られた漆黒の上着を手に取る。
よく見ると上着には下履きが付いており、ひとまずこれで一揃いになるらしい。
あとは、とトリスティアは最近読んだ衣装に関する本の頁を頭の中で捲っていく。
市井の書店から取り寄せた、王家御用達の服飾店が発行した衣装見本は、古今の貴族から庶民の衣装を図説付きで纏めた素晴らしい本だった。
その本の中で見た貴族子息の装いを思い出しながら小物や装飾品を集めて、衣装部屋の中の姿見の前に並べてみる。
どれも自分一人で着ることができそうだと見て取ったトリスティアは、着ていたワンピースを脱いで、ひとつひとつ身につけていく。
襟のない中着は首の上の方まで詰まっていて、小さな釦もたくさん付いているから着るのに手間取るけれど、さらさらとした生地が体の線に沿って着心地がいい。
七分丈の漆黒の下履きは裾広がりで足捌きの邪魔にならず、ドレスより随分動きやすい。
しっかりとした生地の上着は少し窮屈だけれど、ドレスに比べればなんということはない。
小物遣いはこれであっているのか、トリスティアにはよく分からないけれど、首に付けた黒い襞飾りに緑碧玉の首飾りがよく映えていると思う。
「トリスティア様、ここにいらしたのですね」
右に左に回ってみて、姿見に映る自分の着付けの仕上がり具合を確認していたトリスティアは、衣装部屋の入り口の方からマギーの声が聞こえて振り向く。
「あ、マギー、おはよう。ごめんね、服を着替えるのに手間取ってしまったの」
自分の装いを見せてトリスティアが謝ると、マギーはその深緑の瞳をカッと見開き、鬼気迫る勢いで近付いてくる。
どこか変だった?それとも着付け方を間違えた?
「おはようございます、トリスティア様。少々お直しさせて頂きますね」
トリスティアがあたふたしている間に、すぐ側までやってきたマギーがトリスティアの首元に手を伸ばして襞飾りの位置整えてくれる。
次いで、首飾りの長さを、上着の袖から見える中着の袖の微調整を、と迷いなく動くマギーの手つきに感嘆の息を吐きながら、トリスティアは口を開く。
「ナタン様がね、素敵なお洋服をご用意下さっていたから、着てみたの」
荷解きをしてくれたマギーならここに男物の衣装が収められていたことに気づいていただろう。
今日トリスティアがどの衣装を選ぶのかは彼女にも分からなかったはずだけれど、特に驚いた様子も見せず、トリスティアの着付けの細かいところを直してくれる。
「よくお似合いですよ、トリスティア様。御髪は、そうですね、下ろしたままというのも良いですが、軽く編んで後ろで結いましょうか?」
主人の装いに関しては決して妥協を許さないマギーからの褒め言葉が何より嬉しくて、トリスティアはマギーの問いかけに満面の笑顔を頷いた。




