三番目の子と、馬車の旅
「ファンセ領は中央から遠く離れた地と聞いていたけれど、案外早く着いたね」
これよりファンセ領に入ります、という馭者の声かけに、初めて乗る馬車の閉じられた窓の隙間から飽くことなく外を眺めていたトリスティアは、向かいの席に座るマギーへと振り返った。
トリスティアとマギーが纏めた少ない荷物と二人を乗せても充分な広さのある黒塗りの馬車は、健脚な馬四頭に引かれて王宮から北へと直走り、日没を前にして早くもコルボー伯爵が治めるファンセ領の地を踏んでいた。
「そうですね。それもこれも陛下がいい馬車を用意してくださったおかげですね」
「そうなの?」
「ええ。こんなに長時間乗っていても、体が痛くならない馬車は初めてです」
「そうなんだ。じゃあ私も馬車は初めてだから、お揃いだね」
初めて同士だね、と嬉しそうに笑うトリスティアに、座席の柔らかさも相まって崩れそうになったマギーがなんとか姿勢を持ち直す。
トリスティアの輿入れのために父王が用意したのは、煌びやかな装飾を一切外して黒一色に塗りつぶされた、王家御用達の最高級馬車だった。
マギーが今まで乗ったことのある乗り合い馬車や荷馬車とは比べものにならないくらい乗り心地が良く、もちろん頑丈なのでちょっとやそっとのことでは車内を揺らすことはない。
「乗り心地がいいのもさすがは王家御用達といったところですが、いくらなんでも到着が早すぎる気がするのですが」
「やっぱりそう?」
乗り心地の良さに関しては納得できたようだが、到着の速さには疑問を感じたのかマギーも不思議そうにしている。
通常、王宮から国境に近いファンセ領へはどんなに急いでも丸三日はかかる。それも健脚な馬を何回も替えて夜通し走っての、三日。
それを、いくら王家御用達の最高級馬車といえど一度も馬を替えず、王宮を朝出発してその日のうちにファンセ領に着くことなどあり得ない。
トリスティアも本で得た知識として王宮とファンセ領の位置関係は把握しているし、馬車の速さや一日の移動距離に関しても知ってはいたのだが、実際に乗ってみたら流れていく景色は思った以上に速く、王宮はみるみるうちに小さくなっていった。
思ったより早くあちらに着くかもしれない。
なんの根拠もなかったけれど、トリスティアはすぐに見えなくなってしまった王宮の方を何度も振り返りながら、漠然とそう感じていた。
実際には、一刻も早く自分の加護地にトリスティアを招きたい離宮の主が、その大きな黒い翼で馬車を精なるものが通る道へと先導し、ファンセ領までの距離を縮めるという荒技に出ていたのだが、馬車の中の二人はもちろん馭者もそんなこととは露知らず。
「長時間乗っていても快適で、こんなに早く目的地に到着するなんて、お父様にさっそく御礼のお手紙を書かなくちゃね!」
最後に見たあの固い表情の父がどんな思いでこの馬車を用意してくれたのか、トリスティアには想像することしかできないけれど、父から子への確かな思いをここに感じることができる。
だから、心からの感謝を。
初めて書く父への手紙には、自分からの思いをいっぱい込めよう。
そして、心からの感謝を伝えたい人がもう一人。
「マギーもありがとうね。アニタと離れ離れになっちゃうのに私についてきてくれて。本当にありがとう」
「どういたしまして。私はトリスティア様の専属女官ですので、どこまでもお供するのは当然のことです」
トリスティアの感謝の言葉に胸に手を当てて恭しく礼を返したマギーが、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
「それにファンセ領は母の故郷ですので、離れ離れになるというよりも、寧ろ近づけるような気が致します」
「アニタの故郷というと、あの夜の精の眷属と王子様のお話が有名だという?」
「ええ。私もこの度初めてこの地を訪れることになりますので詳しいことは分かりませんが、母の生家へ行けば何か話を聞けるかもしれません」
「じゃあ、コルボー伯爵様のお許しが頂けたらアニタの生家へ案内してくれる?」
「喜んで」
ファンセ領での楽しみが増えたと喜ぶトリスティアに、マギーはそっと胸を撫で下ろした。
昨日の朝、離宮を発つ理由と支度が必要であることを告げられてからずっと、マギーはトリスティアの心模様を心配していた。平気そうに見せてはいても、落ち込んだり傷ついたりしていることのある主人が無理をしてはいないか注視していたけれど、今は純粋に喜びの色を見せている。
できることならば、トリスティア様の新天地での日々に幸多からんことを。
離宮の主が先導する馬車がファンセ領の領主館に到着するまで、あと数刻。




