三番目の子と、恋物語
十五歳の誕生日から数日後。
ドゥフィーネとの茶会の一件も大きく取り沙汰されることもなく、離宮は相変わらずの日常を取り戻し、読んでもいい本が増えたトリスティアは図書保管庫から届けられた本の中から市井で流行りの恋物語を選んで、さっそく読み始めていた。
十五歳になったら王子であることを明かすと決めていた父王クラウスは、トリスティアが男女の性差を知って自らの違和感に気づかないように、陰ながら読ませてもいい本の選定をしていた。
秘密を明かすまでは少しでも憂いなく過ごして欲しいという親心だったのだが、今はそれが完全に裏目に出てしまった。
体の違いに気づくような医学書に加えて、御伽話以外の物語も読ませないようにしていたため、トリスティアの中で男女に纏わるあれそれの知識が大幅に欠落することになってしまったのだ。
だから、自分が王子だと知ったトリスティアが「王子様」について知ろうと物語を手にしたのは当然のことなのだが、市井で流行りの恋物語から手をつけたのは間違いだったのかも知れない。
御伽話の王子様は、竜に攫われたお姫様を助けに行ったり、千年の眠りについたお姫様の呪いに打ち勝ったりと、それはそれで大変そうだけれど、颯爽とお姫様を助ける王子様はなんとも頼もしく素敵だ。
それに引き換え昨今の王子様ときたら。
婚約者を大事にしなかったり、虚言に惑わされて奇行に走ったり、魅了の魔法にかかってしまったり。
「どうして公爵家のお姫様をみんなの前で貶めるようなことを王子様がするのかしら」
たった今、読み終えた本の背表紙を撫でながらトリスティアはため息を吐いた。
王子様はお姫様を守る存在ではなかったのか。真実の愛と、声高に叫びながら誰かを傷つけるそのやり方に、トリスティアはひどく反発を覚えた。
「王子様」のことを知ろうとして本を読んだのに、余計に分からなくなってしまった。恋物語よりも王家の歴代王子の回顧録か何かを取り寄せた方が良かったかもしれない。
一番身近な王子様とお姫様を思い出しながら、誰か参考になる方がいらっしゃればいいなとトリスティアは思った。
一番目の子、アンドロス王太子殿下は生まれながらにして王者の風格を纏っているせいか「王子様」というよりは「王太子殿下」という肩書きそのままの印象で、王太子にはなり得ないトリスティアの参考にはあまりならなさそうに思える。
それに比べてお姫様代表の二番目の子、ドゥフィーネお姉様は市井で流行りの恋物語に登場するお姫様たちにそっくりだ。
王子様に蔑ろにされたり、貶められたりするお姫様たちにそっくりだなんて失礼な話だけれど、市井の者たちが想像するお姫様とはああいう感じなのだろうと理解する。
こちらもトリスティアにはとてもなれそうにないお姫様なので参考にはならないけれど、王子としてお相手することにはなるのかもしれないと、覚えておく。
トリスティアが今後どのような処遇を受けるのかは分からない。だから、物語のようにはいかないだろうとは思うけれど。
「真実の愛、ねぇ」
「夜の精の恋物語のことですか?」
つい漏れた呟きにお茶を用意してくれていたマギーが言葉を返した。
「夜の精様の、恋?」
「正しくは、夜の精の眷属と王子様の恋物語、なのですが、ご存知ないですか?」
トリスティアの問いに手を止めたマギーが逆に問われてしまう。
恋物語初心者のトリスティアはもちろんそのような話は聞いたことがないので、首を傾げてマギーに話を促す。
「幼馴染だった二人が恋をして将来を誓い合うようになるのですが、夜の精の眷属である娘は光に弱く昼間の活動ができないことから王子との仲を反対されてしまうのです。王子に懸想した光の精からの反発もあり二人の仲は引き裂かれそうになるのですが、王子が全てを捨てても娘と一緒になると誓って、二人で夜の精の加護地である辺境へと逃げて幸せになりました、というお話です」
周りの反対を押し切って辺境に逃げた二人の間に真実の愛があったかどうかは本人たちにしか分からないけれど、マギーの話を聞く限りでも、そこに愛があったことはトリスティアにも分かる。
王子様が全てを投げ打ってまで守りたかった愛ならば、きっとそこに真実があったに違いない。
「真実の愛といえば、母の故郷ではこの夜の精の恋物語だと教えられましたので、てっきりトリスティア様もご存知かと」
「恋物語は最近読めるようになったから何も知らなくて。どのお話を読んでも真実の愛を謳ってとんでもないことになっているから、もう何がなんだか分からなくなっていたの。素敵なお話を教えてくれてありがとう」
トリスティアが礼を言うとマギーはふわりと笑って下がっていく。トリスティアの目の前にはいつもの美味しいお茶と香ばしい焼菓子。
いつものこの何気ない風景にふと思う。
まだ自分がどんな「王子様」になれるか分からないけれど、夜の精の眷属を守った王子様のように、全てを投げ打ってでも何かを守れるような王子様になれたらと。
マギーの話を聞いたトリスティアの瞳にかすかに希望の光が見えた気がした。




