春の川原と出会いとワンコ
香月よう子様主催の「春にはじまる恋物語企画」、参加作品になります。
お時間のある時に読んで頂けると幸いです。
高校からのいつもの帰り道、河川敷に平行して真っ直ぐ続く堤防の道を自転車で走っていると、心地よい春の風が吹いてくるのを感じる。
この時期の風は川の方から吹くと少し冷たいけれど、自転車を漕いでいて火照った肌には丁度良くて気持ちいいし、春の匂いのする空気を運んできてくれるから好きだ。
特に今日は終業式が近いから午前中で学校が終わって、昼前で帰れるから特に気持ちのいい時間だし。
それから暫く道なりに進み、河川敷へと下りる道へと入ってスピードを落として駐輪スペースに入る。
自転車を降りて鍵を掛けてチェーンを掛けて、大きく伸びをしながら息を吸って、爽やかな春の空気を目いっぱい吸い込んで大きく吐き、川原へと向かっていく。
「んーっ!はぁっ、気持ちいいなぁ。やっぱり川の側って空気が気持ちいい。ちょっと歩きにくいのが玉に瑕だけど、自然そのままだから仕方ないか。護岸工事とかされちゃうと味気なくなるし、今のままの方がいいな」
川原には大小様々な石が敷き詰められるように転がっていて、平らな石もあるのでときどき子供達が川に石を投げて水切りをして遊んでる。僕も偶に投げるのに良さそうな石があるとついつい投げちゃうから、水切りというのは大人も子供も楽しめる遊びなんだろう。高校生なのに子供っぽいとか言ってはいけない。とは言え、僕も四月からは大学生。子供っぽいこともあんまり出来なくなるし、この町を離れてしまうことを考えると、高校生の内にこの川に来られるのもあと数回くらいだろう。
そんなことを考えながら平たい石はないかなと探していると、遠くから犬の鳴き声が聞こえてくる。
ここは犬の散歩をする人もたくさんいるから鳴き声がするのはおかしくないんだけど、だんだんとこっちに近づいて来てるし、なんだか女の人の声もするような?
「バウバウバウバウバウバウ!」
「ま、待ってぇ~!ジョージ!だめぇ、リード付けないと駄目なの~!」
声のする方を見て見ると、大きなゴールデンレトリバーがこっちに向かって走ってきていた。そしてその少し後ろを白いブラウスに青いスカートを履いて、大きな麦わら帽子を被ってる髪の長い女の人が犬を追いかけているのが分かった。
「あ、そこの男の子、ごめんなさーい!その子捕まえてー!リード付ける前に、飛び出しちゃって!」
「えっ?あ、はーいっ!」
嬉しそうに尻尾を振りながら、機嫌良さそうな笑顔でこちらへと走って来るジョージと呼ばれた犬。
物凄い勢いで突っ込んできてるから、受け止めたら倒れかねないけど踏ん張って受け止める準備をすると、ジョージはそのまま僕に体当たりをしてきた。
「バウバウバウバウバウバウ!」
「うわっ、ちょっ、やめ、やめて、止めろって!」
勢いよく飛びついてきたかと思うと、こちらを押し倒してべろんべろん顔を舐めてくる。どうにか顔を離そうとするけど、力が強いし大きいしで、なかなか引き剥がせない。顔が涎まみれに、ちょ、唇を舐めようとするのは本当に辞めて!犬だからノーカンだとは思うけど、ファーストキスが犬になるのは流石に嫌だ。
「ご、ごめんなさ……ごほっ、すぐ、リードつけるから……げほっ……」
やっと追いついてきた女の人は、一生懸命走りすぎたせいか咳込みながらリードを首輪に繋いで、引っ張って僕とジョージを引き離しにかかる。
僕の方からもジョージの体を押して、二人掛かりどうにかジョージを離すと女の人がポケットから水の入ったペットボトルを出して、蓋を開けて傾けてくれた。
「これ、けほっ、水道水を入れただけの綺麗な水だから、良かったら顔を洗うのに使って?ごめんね、うちのジョージが迷惑かけちゃって……」
「あっ、えっ?いや、別に大したことじゃないんで大丈夫です。あ、お水ありがとうございます」
思わずどもってしまったけれど、変に思われなかっただろうか。ペットボトルを差し出しているお姉さんは凄く可愛い感じの人だった。二重瞼でちょっと垂れ目、色白で美人と言うよりは可愛い系の童顔で小顔。こちらを見て申し訳なさそうに眉をハの字にしていてもその可愛さは十分に伝わってくるし、僕のことを見上げているせいで上目遣い気味になっているのが破壊力抜群。
両手を差し出すようにしてそこに水を注いで貰い、少し火照った顔にかけてジョージの涎を洗い流しながら熱を冷まそうとする。
「でも、ジョージがこんなに懐くなんてびっくりしちゃった。普段はこんなによその人にじゃれついたりしないから……ふふ、君、きっといい子なんだね」
ボンっと顔から火が噴き出るんじゃないかと思った。普段、人慣れしないらしいジョージが他人にじゃれついたのがそんなに嬉しかったのか、にっこりと満面の笑顔をお姉さんが浮かべていた。それを見た僕は顔が真っ赤になっていないか心配しながら、気が付けばペットボトルの水が無くなるまでごしごしと顔を洗ってしまっていた。
「本当に迷惑掛けてごめんね。ほら、ジョージもちゃんと謝って。あ、これ良かったら使って?」
「いえ、別にこれくらいなんともないですから、気にしないで下さい。それに僕もハンカチは持ってるから大丈夫です」
申し訳なさそうに頭を下げてジョージの頭も手で下げさせるお姉さん。深々と頭を下げてるせいか、白いうなじが見えてどきっとしてしまった。
それからハンカチを差し出してくるのを断って自分のハンカチを取り出そうとすると、お姉さんがハンカチをこちらの顔に当てて拭きだし始めたので慌てて顔を逸らしてしまう。
「あっ、遠慮しなくてもいいのに……って、顔が赤いけど大丈夫?熱中症にはまだ早いよね」
「いえっ、大丈夫ですので、お気遣いなくっ!」
うなじを見てしまって赤くなったと悟られないように視線を逸らし、手を振って大丈夫と言っていると、お姉さんが時計を見て、あっ!という顔をする。
あ、もしかして何か待ち合わせとかしてたのかな?そうだったら邪魔しちゃって申し訳ない気持ちになる。
「そう?それならいいんだけど……ごめんなさい、私、この後、人と約束してて……本当にジョージがごめんね?」
「本当にお気になさらずっ。あの、約束があるんだったら僕は大丈夫なのでどうぞ」
時計を見て慌てるお姉さんに大丈夫だからと、ポケットから自分のハンカチを出して顔を拭いていく。
そしてお姉さんは申し訳なさそうな顔で頭を下げて、こちらを振り返り振り返りしながら川原を駐車場の方に向かって歩いていった。
「可愛い人だったなぁ……って、何言ってるんだ、僕は。まったく」
姿が見えなくなるまで見送って、ふぅ、と溜息を零す。なんだか水切りをしようって気分でもないし、もう帰ろうかな。
駐輪場へと川原を歩いて戻り、鍵を外してチェーンを外し、堤防の道まで押して上がっていく。
川の方から吹く風は、火照った頬には丁度いい冷たさだった。
あのお姉さん、また会えるかな……そんなことをふと思ってしまった僕は、自転車を漕ぎ出して冷たい風を浴び、頭を冷やしながら家路へとついていった。
「ただいまー」
家に到着して、自転車を定位置に置いてから玄関を開けて中へ入り、置いてある消毒液で手の消毒をしながらまずは洗面所へと向かう。
消毒してすぐに手を洗うのって消毒するのが無駄って言うか消毒液が勿体ない気がするけど、ウィルスが付いた手でドアとか蛇口を触るからちゃんと消毒しなさいって母さんに言われてるからなぁ。
手を洗って荷物を部屋に置いてリビングに行くと、母さんが新品のテーブルクロスを敷いたテーブルの上にお菓子とティーカップを置いていた。
普段はお客さんが来てもそこまでしないのに珍しい。
「母さん、誰かお客さんが来るの?わざわざテーブルクロスまで敷いてさ」
「あら、お帰り。帰ってたのね。今日、陽一がこの春からお世話になる下宿先の管理人さんが来るのよ。言ってなかったかしら?」
「え?ちょ、ちょっと待って」
母さんの言葉に慌ててスマホを出してスケジュールを確認すると、確かに今日の日付に管理人さん来訪、午後13時からって書いてあった。
時計を見ると十二時、お昼をつまむことを考えると、ぎりぎりだけど間に合って良かった。
「その様子だと忘れてたんでしょ?学校から寄り道しなかったら十分に間に合うからわざわざ電話まではしなかったけど、お昼になっても帰って来なかったら電話してたわよ?取り合えず、お昼は軽いものを買っておいたから、着替えて台所のテーブルで食べちゃいなさい」
「はーい」
自分の部屋へと急いで向かい、制服を脱いで服を着替える。あ、お客さんが来るならあんまりラフな服装も良く無いか、外に家族で出かける用の服にしよう。
着替え終えてリビングを通って台所に向かう。途中、母さんがこちらをちらっと見てから頷いてたけど、普段着だったら着替えろって言われただろうな。
冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注いでテーブルの上に乗ってるコンビニのサンドイッチを食べて、ゴミをゴミ箱に捨ててコップを台所の流しに置いていく。
それから手を洗ってからリビングの方に向かって、準備を終えてソファに座っている母さんに気になっていたことを聞く。
「ねぇ、母さん。下宿先の管理人さんって、どんな人?親戚だって言うのは聞いたけど……」
「そうねぇ、私の従姉の娘さんで、今年大学を出たばっかりらしいわよ。まぁ、気立ての良いおっとりした娘さんって言ってたけど、こればっかりは会ってみないと何ともねぇ?就職先が見つからなくって、それなら管理人をしてみないかってことで、今年から管理人になったらしいわよ?」
それって大丈夫なのかな、新米管理人さんだとトラブルが起きた時の対処とか、慣れてなくて色々と問題がありそうな気がするんだけど。
母さんにそのことを言ったら少し考えて、大丈夫でしょと気軽に言われた。
「大学に通ってた頃からときどきそこでお手伝いしてたっていうからノウハウは分かってるでしょうし、それに大丈夫じゃなかったら任せたりしないでしょ。後はあんたが問題を起こさないようにすればいいだけよ」
「問題って、僕が何の問題を起こすっていうんだよ」
「若い男女が一つ屋根の下、何も起こらぬ筈もなし……的なこととか?まぁ、心強いボディーガードもいるから大丈夫だと思うけど。あ、そう言えば犬は平気だったわよね?」
なんてこと言うかな!?思わず真っ赤になってしまって言い返そうとしたら、犬は大丈夫かって突然聞かれて気勢を削がれてしまう。
犬はって聞いてくるってことは、その心強いボディーガードって犬のこと?
「……大丈夫だけど、何でそんなこと聞くのさ」
「そこの下宿、わんちゃんを飼ってるからよ。ちなみにそのわんちゃんに気に入って貰えないと下宿させて貰えないらしいからね。嫌われないようにするのよ?」
「ねぇ、それって大丈夫なの?犬の方が優先って。ていうか、それで下宿を断られたらどうするの?今からまた探すってことになっちゃわない?」
下宿人<犬、ってそれ大丈夫なんだろうか。犬を優先されてこちらをないがしろにするような下宿先はこっちから勘弁なんだけど。
犬って言えばさっき川原で会ったジョージ。あれくらい人懐っこいなら安心だけど、気難しい犬だったら嫌われるかも知れないし。
それにもし駄目になったら僕は春からどこに下宿すればいいんだろうか。
「ああ、それは大丈夫よ。もしわんちゃんに嫌われて下宿できなくなっても、別の下宿先を紹介してくれるってことだから。そっちはベテランのお爺ちゃんが管理人してるから、さっき陽一が言った不安はないでしょうし、断られた時の為に一室は確保してくれてるらしいわよ」
「その人も親戚なの?わざわざ部屋を空けて置いてくれるなんて」
「違うらしいわよ?ただ、昔お世話になったし、管理人のお嬢さんを孫みたいに思ってるから協力してるんですって。だから、不埒な真似をするとそのおじいさんに追い出されかねないから気を付けてね」
いや、だから不埒な真似ってなんだよ、母さん。いくら僕が若いからってそんなケダモノ扱いしないで欲しいんだけど。
それに、そもそもその管理人さんがタイプかどうかって問題もあるんだし……いや、タイプだったとしてもそんなことはしないけど。
「そろそろ来る頃かしらね、取り合えず第一印象は大切なんだから、きちんとするのよ?」
「そりゃ、初対面の人なんだからきちんとするけどさ、いちいち言わなくても分かってるよ」
そんな風に話していると、家の前の方で車の走って来る音と止まる音がして、少し間をおいてピンポーンと玄関のチャイムが鳴るのが聞こえた。
「あらあら、来たみたいね。それじゃあ、母さんが呼んでくるから、お行儀よく待ってるのよ?」
「お行儀良くって、それこそ犬じゃないんだからさ……言い方」
リビングを出て玄関に向かう母さんの一言にぼやきながら、ソファに座って待ってると玄関の方から声が聞こえてくる。
「あらあら、暫くみない内に美人さんになったわねぇ、元気だった?」
「そんな美人なんて、そんなことないですよ。あ、はい、元気でした。おばさんもお元気そうで……」
「うふふ、ありがとうね。さ、取り合えず上がって頂戴。うちの子も待ってるから」
「はい、それじゃあ、お邪魔しますね」
遠くから聞こえてくる声に、あれ?と首を傾げる。聞き覚えがあるような、無いような……?
そう思っていると、廊下を歩いてくる音が聞こえて、洗面所に向かってるのが分かる。
それから、足音がこっちに近づいてきたから、座って出迎えるのは駄目だろうとソファから立ち上がって来るのを待つことにする。
「それじゃあ、良子ちゃん。この子がこれからお世話になる予定の、うちの息子の陽一よ?悪い子じゃないから、ジョージちゃんも気に入ってくれると思うんだけど」
そんな声と共に、ガチャリ、とリビングのドアが開く。
ジョージ?なんだか聞き覚えのある名前なんだけど、もしかして、まさか?
ドキドキしながら待っている間に、母さんと白いブラウスに青いスカートを履いた、髪の長い女の人がリビングへと入って来る。
「あっ……」
「え……?あ、君は川原にいた……」
まさかの再会に驚いている二人の間を、窓から入り込んだ春の心地よい風が通り過ぎていく。
暖かくて優しい春の匂いに包まれながら、驚いたようにはにかんでいるお姉さんに、僕は自然と頬が熱くなるのを感じていた。
春は別れの季節でもあるけれど、新しい出会いの季節でもあって。
これは、暖かくて優しい春の匂いに包まれた日に出会った、お姉さんと僕との、恋の始まりの物語。