うちのお嬢はぶっ飛ばしたい
そのころ、マルティラ学園軍学部では。
「サンクト・マルティラ学園には、二つの学部が存在する! 一つは貴族学部。文字通り将来貴族として君臨する人物たちを教育する学部で、経済・倫理・政治・軍略・帝王学などを教える学部だ」
体にぴっちり張り付く……いや、既存の服がぴっちり張り付いているように見えてしまうほどの筋肉を持った男性教諭が、大喝と聞き違わんばかりの大声で、自分の眼前にいる生徒たちに訓示を与えていた。
「さらに言うと、その名の通り貴族しか通うことが許されていない。唯一の例外は、主人の仕事を理解する必要がある執事などが、貴族の子息・令嬢につき従う形で入学することが許されているくらいだ! もう一つは我らが軍人学部。平民にも門戸開かれている学部で、平民が出世する方法の中で、最も手っ取り早く確実な手段として知られている」
次いで告げられた言葉に、背筋を正すのは、平民出身の生徒達か。貪欲に目を輝かせ、前にたたずむ貴族出身の生徒たちを威圧している。
「現在戦争状態である魔族との戦線に立つ将来の軍人を育てる学部で、各種戦闘術・軍略・戦略史・魔族学・攻性魔法など、戦闘に直接関係する専門技能を徹底的に叩き込まれるスパルタ学部だ。軍属系の貴族・騎士家系も通っており、ここを卒業できれば将来エリート軍人として重用されることが約束される! 逆に言えばここを卒業できない程度では、今の戦乱の時代における栄達はないと心得ろ!」
「「「「「イエッサァッ!」」」」」
一糸乱れぬ返答に、筋骨隆々とした教官は険しい顔つきのまま頷き、
「私の名前はロレンツ! 今日から貴様らを九年間、みっちり鍛え上げて立派な兵士にするのが私の役割だ! 私が及第を与えるまで、貴様らは人間扱いされないものと思え、蛆虫ども! 弱音や不満は一切受け付けん! 代わりに貴様らに、魔族をぶち殺す手段を叩き込んでやる!」
「「「「「サーっ! イエッサー!!」」」」」
今年の新入生たちへの訓示を締めくくった。
…†…†…………†…†…
そんな毎年の恒例行事の声を聴きながら、僕――中等部一年 シュー・フォリニア・ドルトニンは、背後に垣根があるベンチの上に座りため息をついていた。
「新入生は良いね。夢と希望があって」
「学年主席殿が何言ってんだよ?」
傍らに座る赤毛の学友――テスカ・ロットラインからは、呆れたような視線と同時に、
「こうして授業サボっても文句言われないくらい成績優秀なお前は、その夢と希望の体現者だろ?」
「僕が求めているものは、そういったものではないんだけどね……」
背中を叩く金のポニーテールを揺らし、僕は思わず漏れでた舌打ちを止めようとはしなかった。
学年主席。ブルティング軍元帥家の長男。称号だけなら輝かしい僕の肩書。何も望む必要がない栄達の約束された人生。
――だが、そんなことはこの学園に入る前から言われていた。こいつは神童だ。きっと歴史に名を残す天才将軍になると。だからこそ、
「僕は求めていたんだよ」
「なにを?」
「天才たる僕に比肩する、僕の好敵手たりえる才能をだ」
「うわ、贅沢な……」
――うるさいな。なんだ、その狂人を見るような目は?
失礼すぎる友人の視線をキッと睨み返したあと、僕はため息を漏らす。
――だが現実は違った。
「仕方ないだろう。あんな何しているかわからんような剣術相手じゃ、同級生達じゃ手に余るって。高等部くらいに上がれば、いい勝負になる人がいるんじゃないか?」
「いや。碌な相手はいなかったな」
「やったのかよ!」
「昨日授業をさぼっている間にこっそりね。高等部三年の学年主席に挑んだが、ほんの二、三合で剣を弾き飛ばしてしまって……」
――まさか「この学校には、もう僕に匹敵する実力者はいない」なんてことを、中等部の段階で悟ってしまうなんて。
正直言うと拍子抜け。そして同時に絶望を僕は味わっていた。
故郷においても、僕に比肩しうる才能を持つ者はいなかった。だからこそ、僕はこの学園にやってきたのだ。世界中から才能が集い競い合う、この学園に。
自らの才能にさらに磨きをかけるために!
だが、現実は非情だった。結局世界に飛び出したところで、僕に抗しうる存在などいない……それをこの学園が証明してしまったのだから。
「僕は退屈だよ。まだ年若いこの段階で、自分の才能がこの世のすべてを凌駕していると知ってしまったのだから」
「お前な……」
はたから見れば自画自賛のようにしか聞こえないだろう僕のつぶやき。実際テスカはそう受け取ったのか、何か言いたげな顔をしていた。
――でも、仕方ないじゃないか。実際僕とまともに打ち合える人など、この学園にはいないのだから!
そう言いかけた時だった。背後の垣根からズボッと、
「あ! 出ましたわよ、セヴァス! 軍人学部ですわ! さすがに授業サボってまで来たかいがありました。誰にも見つかりませんでしたわね!」
「ちょ! お嬢お願いだから静かに! というか、垣根の枝のあちこちに服とか髪の毛とか引っかかっちゃっていますから、動かないで!」
「え! 嘘っ! とってください! とってくださいまし!」
「とっています、とっていますからっ!」
けたたましい声を上げながら、フワフワした黄金の髪を縦にロールさせた美少女が、垣根の中から顔を出した。
すぐ隣で起こった異常事態に、僕とテスカが固まる中、何とか枝に引っかかった諸々を取り除くのに成功したのか、初等部の制服を着たその少女は、体中についた木ノ葉をパンパンと払い、
「ふっ! では行きますわよ、セヴァス。ここにいる有力者を何人か打破すれば、『素晴らしい才能だ! ぜひ我が軍学部に入学してくれっ!』と、学部長から言ってくるに決まっていますわ! そうして私は逃れるのです! 私が没落するルートが形成される、あの忌々しい貴族学部から!」
「言いすぎですよ、お嬢。それにお嬢の性格だったら、絶対お嬢の予知夢みたいになりませんって。というか、学部長はもう旦那さまからお嬢がおかしいことを聞かされて……」
「予知夢じゃなくて確定事項ですわ! むしろ予言に近くってよ!」
「はいはい……」
「やっぱり信じていませんわよね? 信じていませんわよねっ!」
同じように、少女が出てきたところから顔を出した従者らしき少年に噛みつく。
「なんだ、ありゃ?」
初等部の頃から合わせて四年間。この学園では体験したことがない異常事態に、テスカの氷結はまだ解けない。対する僕は、実家のブルティングには変人が多かったので、テスカよりかは早く氷結が解け、苦笑いと共に少女に話しかけることに成功した。
「御嬢さん」
「え?」
「話を聞かせてもらったよ。君、貴族なのに軍学部に入りたいの?」
「え? えぇ! もちろん」
「どうして?」
「どうしてって……。えっと」
僕の問いかけに少女は一瞬言いよどんだ。
そして、同時に後ろ手で従者に何かを渡すように指示。
それに嫌そうな顔をしながらも、従者は懐から一枚のメモ用紙を取出し、少女に渡した。
伊達に鍛えていない僕の動体視力は、そこに書かれている文字を見事に読み取る。
――カンニングペーパーだよね、それ?
「私が御学部に入学したいと思ったのは、御学部で将校教育を学び、魔族の脅威からイウロパを救いたいと思ったからです!
御学部を目指したきっかけは(中略)
我が校の軍学部は実践的な教育もさることながら、将校として活躍できるようにするスキル習得にも非常に力を(中略)
だから私は御学部に編入し、魔族と戦う将校としてのスキルを身に着けていきたいと思っています!」
「うん。入学願書に書く入学志望理由書かな?」
――まだ初等部なのになかなかしっかりした子だ。
と、手に隠したつもりであるメモ用紙をチラチラ見ながら、見事な演説をしてのけた少女に、僕はちょっとだけ驚いたあと、
「とはいえ、君が思っているほどこの学部は甘くない。特に女の子となればなおさらね。やめた方がいいと思うよ?」
にっこりと笑い、その少女のふわふわの金髪を笑顔で撫でた。
だが、意外なことに少女はその手を不満げに見つめた後、パシリとすげなく払いのける。
「覚悟の上ですわ! それに私、こう見えて結構鍛えていますのよ?」
――ありゃ? このくらいの歳の娘だったら、だいたいこれで落ちるんだけどな?
自慢じゃないが僕の顔立ちは整っている方だと言われており、そのおかげか年上年下にかかわらず女性をなだめるのは得意だったのだが……。
とはいえ、幾ら固い決意を秘めていようが僕が意見を翻す気はない。
一応体つきを見たところ、この少女はお世辞にも鍛えているとは思えない華奢な体つきをしており、軍人学部で耐えていけるようには見えなかったからだ。
――こんな子が来たところで、きっと長続きしないだろう。でも、この調子じゃ諦めそうにないし……だったら。
「いいだろう」
「え?」
「ならお嬢ちゃんの実力、僕が確かめてあげるよ」
「本当ですのっ!」
「えええええええええええ――っ!」
少女は期待を寄せるように目を輝かせ、従者の少年は内心の心配がにじみ出た声を上げる。
だが、相手は女の子だ。手加減して傷が残らない程度に遊んであげるだけ。従者の少年が心配そうな顔をする必要はない。
それをこっそり告げるために、僕は人差し指を立て、口パクで従者の少年に告げた。
『安心してくれ。あとに残る傷はつけないようにするから』
『いやいやいやいや! 違う! 心配なのはあなたの方ですっ! 御願いですから発言の撤回を!』
「?」
――何言っているんだ、この子?
同じく従者の少年から返された口パクに、僕が首をかしげる中、目を輝かせた少女は早速僕の手を引き、
「では、決闘ができるところに参りましょう! わたくしの名前は、ヴィクトリア……ただのヴィクトリアですわ!」
「え? お嬢、家名」
「言ったら受けてくれなくなるかもしれないでしょう! 既成事実ができるまで黙ってなさい!」
「流石です、お嬢! 姑息さにかけちゃ右に出る者はいませんね!」
「貴方にはあとでお話がありますからね、セヴァス?」
仲がよさそうに話す年少二人に笑みを浮かべながら、内心僕は苦いものを感じていた。
自分がこれから行うのは、方向性は違うが、自分の感じているものと同じものを少女たちに与えるのだから。
すなわち、理想に届かぬ絶望というモノを……。