うちのお嬢は軍人になりたい
時は大戦の時代。中世イウロパを席巻した大戦争――第一次世界大戦。またの名を《人魔大戦》。
邪悪なる魔神によって生み出された魔王たちが人類圏を侵攻してくるという、何とも物騒な時代。
そんな時代においても、国の舵を取る貴族たちの育成はつつがなく行われる必要があった。
そうでなくては、人は国家という体制を維持できず、魔族に侵略されるよりも前に崩壊する可能性があったからだ。
というわけで、イウロパ地方の大国・神聖ロマウス帝国をはじめとした諸国は、危険な魔族との戦線がある自国から貴族の子供たちを遠ざけ、同時に貴族にふさわしい教育を子供たちに施す場所が必要であった。
その場所として選ばれたのが、イウロパ地方で深く信仰される宗教――イリス教の総本山、教皇領内にある《神聖都市》ロマウスであった。
イリス教の総本山である、サンクト・ピェテラ大聖堂があるこの都市は、常に《神の娘》イリスの加護による結界が張られており、魔王たちですら侵攻することができない神聖な都だった。
そんなわけで、この都に作られた、貴族や軍人を育成する、初・中・高一貫教育学校――サンクト・マルティラ学院には毎年ありとあらゆるイウロパの国から集った貴族たちが入学し、貴族とはなんであるか? 軍人とはなんであるか? を学びながら、卒業し、巣立っていく。
そんな学園の初等部は、学園の中でも特別な立ち位置をもっていた。
初等部からこの学園に所属する学生たちは、基本的に高等部卒業までこの学園に通うことになる。すなわち、初等部三年、中等部三年、高等部三年という九年間の間にかかる、莫大な学費を払うことができる、貴族の中でも大きな権力と金を持つ者達のみが入学を許される、特殊な学年なのだ。
当然のごとく、そういった貴族たちには、将来的には重要な役職が着くことが約束されており、いわば初等部に通う学生たちは将来のイウロパを背負って立つ、未来の覇者の卵たちなのだ。
…†…†…………†…†…
聖マルティラ学園初等部入学式。私――エトワール・フォン・リットリオは、その人の姿を見て思わず息をのんだ。
あふれるような黄金の髪に、深い湖のような青い瞳。
端正な顔立ちはまるでお人形さんのようで……でも、少しだけ吊り上った目じりが、確かな力強さを感じさせる。
人の上に立つ人っていうのはこういう人のことを指すんだと、私は心の底からそう思った。
「おい、あれが……」
「あぁ。噂のロレーヌ家令嬢か。聞いた通りとんでもない美少女だが……変人だって噂だろ?」
「関係ないよ。あの規模の貴族の婿養子になれるのなら、どんな変人だろうが引く手あまただろうさ。僕も立候補しようかな?」
「落とすなら、何もわかっていない今が好機だろうしな」
「っ!」
その時だった。後ろから不穏な言葉が聞こえてきたのは。
私が慌てて振り返ると、そこには初等部の入学式を見に来た、高等部の先輩たちの姿があった。
きっと今のうちに、将来有望な貴族に唾をつけとこうと、見学しに来たんだろう。つまり、
――あの中の誰かが、あの人を貶めようとしている!
それを悟った私は、慌ててその犯人を捜す。
私は一介の男爵家令嬢。この学校に初等部の頃から入れたのは奇跡と言っていい、ただの木端貴族だ。
でも、それでも!
「あんな綺麗な人が、悲しい思いをしていいわけがない!」
その一心で、私は壇上に立ったあの人そっちのけで、後の人たちをじっと見つめてしまっていた。
誰もが注目する新入生挨拶の中で、ひとり背後を向いていた私はさぞ目立ったことだろう。
だから、
「そこっ!」
「っ! は、はい!」
不思議と、私が呼ばれたことが分かった。声の方を向くと、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべたあの人が、
「退屈でしたか?」
「え? あ、あの……す、すいません」
あの人に怒られた! あの人に怒られた! あの人に怒られた!
ただそのことが恥ずかしくて、私は思わず俯く。そんな私に、
「あら、謝る必要はありませんわよ。退屈なのは私の落ち度ですし」
「え?」
あの人はニコニコ笑っていうと、
「所詮初等部の学生ですもの。多少マナーがなっていないことくらい、許容範囲でしてよ」
「……………………」
そのあまりに傲慢なセリフに、入学式会場を氷結させた。
…†…†…………†…†…
数日後。教室に向かって、入学式にてとんでもない壇上挨拶をした少女――ヴィクトリア・ウィ・フォンティーヌ・ロレーヌことお嬢が歩いていました。
「お嬢」
「……なに?」
「……いえ、なんでもありません」
その背後には同い年ほどの、褐色の肌をした執事――セヴァスティア・アトモスフィア――つまり私がいました。
私は足音を立てずに歩きながら、最近伸びてきた自前の白髪をいじります。
――そろそろ切り時ですかね?
そんな風に集中していない私の業務態度が気に入らなかったのか、お嬢は見事に巻かれた金の縦ロールを振り回すように振り返り、青い瞳にじっとりとした色を乗せ私を睨み付けてきました。
「言いたいことがあるなら何か言ったらどうなのですか、セヴァス?」
「いいえ。覚悟が決まっておられるようでしたから、私からは何も」
「ふん! 相変わらず口下手ですこと。主人が間違ったのなら、苦言を呈してでも止めるのが一流の執事ではなくって?」
「その言葉が聞けただけで、私の仕事はありません。お嬢様は自覚しておられるのですから」
「……まったく、減らず口を」
やや不満げに頬を膨らませるお嬢に、
――とはいえ、その反省が生かされるかどうかは別問題ですが。
と、いつもの不安を覚える。
ですが、そんな私の心配をしり目に、お嬢は力いっぱい正面へと向き直り、止めていた足を再び動かします。そして、到着した教室のドアを勢いよく開け、
「皆さま、ごきげんよう!」
令嬢然とした、にこやかな笑顔での挨拶をかましました。その堂々とした立ち振る舞いに、教室の空気が一瞬凍ったのが、私にはわかります。
ですが、そんな空気など関係ないと言いたげに、お嬢はゆっくりと自らの席へと歩いていき、あくまで令嬢らしい上品な仕草で、その椅子に座りました。
そして、教室正面で固まっていた先生が、
「あの……」
言います。
「ロレーヌさん。その、今来たってことは遅刻……」
「……ふふん」
その言葉に、お嬢は、妙に嬉しそうな顔をしながら縦ロールを触り、一言。
「よくってよ」
「あぁっ、はい! すいません! 木端教師風情がロレーヌ家令嬢に失礼なまねを」
「え? え?」
ち、ちが……。と何か言いたげなお嬢に対し、眼鏡をかけた気弱そうな女性教師は、何度も頭を下げ、先程の指摘がなかったかのような態度で黒板に戻りました。
まったくもってお労しい景色でございました。相手がこんなヤンキーお嬢でさえなければ、きちんと遅刻を注意する気高い先生だったでしょうに!
そんなよくある光景に、私――セヴァスティア・アトモスフィアは目元をハンカチでぬぐうふりをしながら、固まるお嬢に一言。
「よくねぇよ」
「うぅ……。説教くらいなら受けるって意味でしたのに」
「言葉が足らなかったですねお嬢。というか、遅刻した癖になんでそんなに態度でかいんですか?」
「し、仕方ないでしょう! 公爵家令嬢として、卑屈な態度はとれないんですから!」
皆さまお分かりいただけたでしょうか? 入学式の際、クラスメイトを恐怖のあまり号泣させた、お嬢ことヴィクトリアさまは現在、敬遠されるかのように――というか実際敬遠されクラスの皆様に避けられておりました。
関わるとめんどくさそうな、非常に気難しいご令嬢として。
そう、我が主ヴィクトリアさまは、めでたくこの学園でのボッチ生活を余儀なくされておられるのです!
仮にも公爵令嬢なのに! 公爵令嬢なのに!
…†…†…………†…†…
神聖ロマウス帝国。イウロパ地方の西半分を侵略平定した四大魔王と、唯一戦うことができている人類の超大国。
島国であり、侵攻自体が難しいブルティングを除けば、唯一魔族の侵攻を弾き返す力がある大国で、侵略されたイウロパ地方西部から逃れてきた貴族たちが、身を寄せている国でもあります。
イウロパ地方の今後の趨勢はすべてこの国に懸っており、この国が勝つか負けるかで、人類が魔族に対して勝てるかどうかが決まるとさえ言われております。
当然のごとく、その国の三大公爵家の一角であるロレーヌ家は、イウロパでは並ぶものがいないほどの大貴族であり、そこの令嬢ともなれば、蝶よ花よともてはやされ、バラ色の学園生活が約束されたようなもの……のはずだったのですが。
「どうしてこうなったのでしょうね?」
「……お嬢が自分の胸に手を当てて、よく考えられれば分かるかと?」
「自業自得と言いたいのかしら?」
「よく分かっておらるではありませんか」
お嬢――ヴィクトリア様はひとりさびしく、初等部中等部兼用校舎の中庭にて、昼食をとっておられました。
幸いなことにこの広大な中庭にはいくつもの美しい四阿があり、一人であるにもかかわらず昼食をとるお嬢の姿は、四阿効果で最低限貴族としての体裁を保てていると言えなくもありません。
いやどっちやねんとツッコミが入るかもしれませんが、本当に今のお嬢の貴族要素はそのくらいしかありませんので……。
「あの空気読んでいない高慢なセリフで、完全に気難しい令嬢ポジを確立させちゃいましたからね……。そのあと言った趣味の紹介も問題です」
「確かに悪かったと思いますわよ? フォローしようとして慌てて、『趣味はマジカルマーシャルアーツ。巨岩とか砕くのが趣味ですわ』と言ったのは」
「むしろなんで、新入生挨拶でそんな自己紹介しようと思ったんですか……」
お嬢はそう言いながら、私が食堂から持ってきたランチの皿を下げるように指示しつつ、ちょっとだけ頬を膨らませながら、座っていた椅子からたれる足を振り回す。どれだけ頭おかしくても……失敬。どれだけ大人びていても、体の成長は年相応なので、中等部の生徒用に作られた椅子では、どうやら足がつかないのでしょう。
そんなお嬢の年相応な不満の表し方に、そっとため息を漏らしながら、私は言います。
「普通の貴族令嬢は『グーパンで岩砕けます!』なんてのたまう相手と、仲良くしようとは思いませんよ?」
「親しみやすいキャラクターだと思っていただきたかったの! ほら、私将来的にえらいことになるでしょう! ですから今のうちに心から信頼できる味方をたくさん作っておこうとっ!」
「あぁ、入学前に騒いでいた前世の知識というやつですか?」
――俄かには信じがたい。いや、一応信じていますけども。
という内心を漏らさないよう必死に表情を取り繕いながら、私は入学式前日にお嬢に聞かされた、妄想としか思えない話の内容を整理してみました。
「たしか、《乙女げえむ》なるものがこの世界と似通っているということでしたね? お嬢が高等部に入ったころ、成りあがり辺境伯のご令嬢がやってきて、第三皇子を筆頭に、学園のイケメンたちと仲良くなっていくんでしたっけ? 最終的にお嬢は、その成り上がりお嬢様に嫉妬して、いろいろ嫌がらせをしたあげく、成りあがりお嬢様に惚れたイケメンたちにその証拠を押さえられ起訴。言い訳ができない状況に追い込まれ、公爵家ごと叩き潰されて路頭に迷うことになると」
「そうですわっ! あぁ、実に恐ろしき国家権力。帝王の血筋に睨まれては、流石のロレーヌ家も無事では済まないということよ、恐ろしい!」
「でもお嬢……。お嬢がそんなことするとは、私はとても思えないのですが」
肩を抱きブルブル震えるお嬢に、私は率直な意見を申し立てました。
いろいろ残念なうえに突拍子もない行動をとることが多いお嬢ではありますが、そういった嫉妬などというドス黒い感情とは無縁な人物であると、長い付き合いである私は知っております。
少なくとも、私が一緒にいた間に、お嬢が誰かに嫉妬し羨んだことなどありませんでした。
「お嬢は自分よりすごい技能を持っている人物がいれば、嫉妬するよりもまず無邪気な笑顔と共にその人物に近づき、言葉と金で籠絡。自身の習い事の教師として雇うということを繰り返してきました。そして、自分にその才能がないと分かれば、その人物を『一芸使用人』として雇い、厚遇してきたではありませんか」
「それではまるで、私が金と権力に物を言わせて、ヘッドハンティングしまくったみたいに感じられるのですが?」
「いえいえ、そんなまさか! お嬢は人の才能を認められる素晴らしい方だと言いたかっただけなのです!」
言い訳がましく聞こえたのだろうか? お嬢から送られてくる視線が妙にジットリしたもののように感じられますが……私は事実を申し上げただけなので、特に悪びれるつもりもありません。人材登用方法としてはこの上なく成功している事例ですしね。
事実、現在のロレーヌ家ではそう言った理由でお嬢が雇った人物が何人もいます。
そして彼らはロレーヌ家の領地経営や新しい技術の開発などで、確実に成果を出しているのですから、悪いことではないでしょう?
というわけで、有能な人材にはそれ相応の取り計らいができるお嬢。成り上がりとは言え、目が肥えた貴族の子息たちに認められるその令嬢を、むげに扱うとは思えません。
それどころか、その令嬢をうまく抱き込んで、裏からその子息たちを自在に操る未来さえ見えます。お嬢、恐ろしい子っ!
「甘いですわね、セヴァス! 前世では何気にこういった話はたくさんあったのです!」
「なんと、異世界ではお嬢みたいな珍妙不可思議な令嬢がたくさんいたのですか?」
「張り倒しますわよ! そんなわけないでしょう! ただの作り話です! ただ、その作り話が今の状況に非常に似ているの。そういった物語たちを思い出す限り、こういったゲームに似た世界というモノには、修正力というモノが働くのです!」
「修正力?」
聞き覚えのない言葉に首をかしげる私に、行儀悪く四阿にあった机に飛び乗ったお嬢は、得意げに右手の人差し指を立てながら、クルリと私へ振り返る。
――どうでもいいかもしれませんが本当に行儀が悪いですね。あとで注意しておかねば。
「そう! 物語を、あるべき姿に戻そうとする、神の力が如き……状況を整える力。それが修正力! それにかかってしまえば、私がやる気がなくても、取り巻きの女の子たちが暴走して、私にその罪が着せられるなんて事態になるに決まっていますわ!」
「お嬢、取り巻きの女の子なんて作れるんですか?」
「い、今はボッチだけど、そのうち友達の一人や二人できるもん!」
私の至極当然のツッコミに、半泣きになるお嬢。これはさすがに言い過ぎたと思い、私は「申し訳ありません」と言いながらハンカチを渡しつつ、宥めるために心にもない肯定をお嬢に告げておきます。
「まぁお嬢が言うからには、そうなる可能性も考慮して動いた方がいいとは思いますけど」
「そうでしょう!」
ひとまず同意を得られたのがよほど嬉しかったのでしょう。お嬢は泣きかけだった顔を笑みに戻し、机の上から飛び降りました。そして、
「では行きますわよ!」
「どこにです?」
「もちろん!」
笑顔のまま私の手を取り、お嬢は言ってのけました。
「没落の未来を回避するために、軍人学部に編入するのですわ!」
「まだ諦めてなかったんですかっ!」
ご両親と私が総出で止めた、ひそかな野望の実行を!