うちのお嬢は令嬢でありたい
――きいてねぇ、聞いてねぇ、聞いてねぇ、聞いてねぇ!
その光景を見て、レッドオーガ達を召喚した召喚士の男――俺は顔をひきつらせていた。
「こんなデタラメな相手だなんて、聞いてねぇぞ旦那!」
その言葉をぶつけたかった相手はもういない。令嬢が立ち止った瞬間に嫌な予感を覚えたのか、傍らにいた男はさっさと姿を消してしまっていた。
だから俺は踵を返す。
こんな化物たちと戦うなんて御免だと。なぜならあの令嬢は、
「ただの拳で鎧ごとオーガの体をぶち抜くなんて……どんな鍛え方しているんだよ!」
コロッセオでデミドラゴンを逃がした際は、信じがたい光景に、魔法を使ったんだと思った。
だってそうだろう? 素手でデミドラゴンの頭を押しつぶしたなんてこと、普通は考えられるはずがない。何らかの衝撃系魔法を使って、デミドラゴンの頭を粉砕したのだと考えていた。
そして、それゆえに今回は軍勢系の召喚を行い、数で相手を圧倒しようと考えたのだ。
魔法というのは連射がきかない。詠唱や魔法陣構築など、手順が必要だからだ。だから、どれだけ早く詠唱をしたところで、百に到達しかけているレッドオークたちの高速奇襲には対応しきれないと考えていた。
だが、あの令嬢は違う。魔法なんて使っていない! 連射できない? 冗談じゃない!
あの令嬢がやっていることは魔法なんて高等な物じゃない。もっとシンプルで凶悪なもの。
あの令嬢は、鍛えていない俺の動体視力では見ることの叶わぬ速度で、身構え拳を放ち元に戻る。それを繰り返しているだけだった!
その結果が、
「セヴァス。どの程度倒しました?」
「お嬢と違いどこを狙っても殺せるわけではありませんから……。せいぜい三十が関の山ですよ」
「あら、少ないわね。私もう四十はいきましたわよ?」
森林の清澄な空気を切り裂きながら飛来する、不可視の拳打!
その一撃一撃によって、オーガ達の体を、鎧をぶち抜いたうえで粉砕し、その命を刈り取っていく。おまけにその令嬢の両手には返り血一つ付いていない。血が噴き出すよりも前に、素早く拳を引いて元の姿勢に戻っている証明だ。
次々と積み上がり、体のどこかに大穴を開けて絶命していくレッドオーガ達。
その背後では、同じように見えない飛礫によって、眼球や膝をうがたれ、苦悶の声を上げて倒れ伏すレッドオーガ達が詰みあがる。
――主人も主人なら執事も執事だ! あの二人は頭がおかしい!
「たかが初等部一年でこれなんて、いったいどれだけの研鑽を重ねて……いや、そんなことはどうでもいい!」
とにかく逃げねば。なまっチョロイ貴族のバカガキ一人攫う程度だと思っていた仕事だが、あんな化物が相手では割に合わない!
そう思い、俺は一心不乱に森の中を逃げだし、そして、
「おやおや、逃げられるとお思いで?」
「え?」
自分の足元の影から飛び出した黒装束の誰かが、俺の体に飛びつき首を締め上げた。
「ぐ、がぁ! な、なん」
「まったく……妙な足止めをくらい参戦が遅れましたが、やっと追いつきましたよ! 私はニンジャ――ロレーヌ家の影と言えばお分かりかね? お嬢を襲撃した理由。きちんと聞かせていただきますよ?」
――あぁ、しまった。ドジっちまった。
もし生きて帰れるなら、今度から仕事はきちんと選ぼう……。そんなことを考えながら、俺の意識はそこで途絶えた。
…†…†…………†…†…
朝日が昇る。地獄の夜営が終わりを告げた。
そして、目の前で作り上げられたその光景を、私――リンネルは呆然と口を開きながら見つめる。
「まぁ、ざっとこんなもんですわね」
「お嬢が本気出せばもっと早くに終わったものを」
「仕方がないでしょう。所詮どれだけランクが高くてもBをいかない魔獣でしたのよ? 軍人学部の皆様の、良い経験値になると思ったんです。まぁ、思ったより口ほどにもなかったので、経験云々などという話ではありませんでしたが」
「それは、オーガがですか? それとも……」
「それは言わぬが花というモノではなくって?」
昨日と変わらない声音で、まるで世間話でもするかのような軽い雰囲気を醸し出すヴィクトリアとセヴァス。だが、その前に積み上げられたのは、無数の紅いオーガの巨体。
緑深い森の中には不釣り合いな、一夜にして出来上がった赤い山。それを作った二人を見て、私は思わず聞いてしまった。
「あ、あんた達……いったい何者?」
「聞いて驚いてくださいリンネル嬢。お嬢は世にも珍しい脳筋令嬢で、三度の飯より打撃訓練の方が楽しいという、あぶなっ!」
「くだらない冗談言っているんじゃありませんの! まったく、失礼な男ですわね! どこからどう見ても、私はか弱い令嬢以外の何者でもなくってよ!」
――いや、それはない。
と、D班全員の心情が一致した瞬間、私は思わず、
「ははっ……そう。おかしい令嬢だと思っていたけど。本当におかしかったのね」
口から笑いが漏れ出るのが止められなかった。
――なるほど、こんなに強いんじゃ、私の醜態に一言物申したくなる気持ちもわかる。
「やっぱり?」
「やっぱりってなんですの、セヴァス!」
「むしろお嬢、おかしくないところを見つけるのが難しいじゃないですか?」
「筋肉はついてないでしょう! ほらみなさい、このホッソリとした四肢を! 打撃に必要な筋力は魔力循環による瞬間強化によって補っているので、そんじょそこらの女戦士とは比べ物にならない柔らかさを体現してますのよっ!」
「あ、あのヴィクトリア。それ比較対象が」
「要するにほかの令嬢とは比べるべくもないってことですね」
「うわぁあああん! このドS執事! 主人虐めて何がそんなに楽しいんですのよぉ!」
そう言って一人森の中を駆けていくヴィクトリアをもう誰も止めようとはしなかった。ただ、
「ねぇ、あなた。セヴァスティアとか言ったっけ?」
「はい?」
「私があいつを見返せるまでに、どれだけ時間がかると思う?」
「……お嬢は百年に一人の天才です。お嬢のお師匠様曰く、『自分がお嬢クラスになるには十年の歳月を要した』と言っておられました」
「そう」
「でも逆に言えば、追いつけない年数でもないということです。お嬢はあくまで令嬢ですので、あれ以上鍛えるつもりは毛頭ないみたいですしね」
「……そう」
それは果たして希望と言えたのか? それともただの気休めか。だが、目標ができたこともまた確かだった。
――私は強くなりたい。届かないとしても……いいえ。
「必ず追いついて見せる。あいつにまいったと言わせて見せる」
貴族とか、金持ちとか、公爵家だとか……そんな枝葉はもうどうでもよかった。
ただ私は……あの子の背中に憧れたんだ。
身分も立場も全部無視して、好きなように、奔放に、令嬢らしからぬ強さを持ったあの子の背中に。
「す、すごかったね、ヴィクトリアさん。流石はロレーヌ家」
「いや、あれはロレーヌ家関係あるのか?」
だから私は立ち上がり、オーガ達の死体の山を前に顔を引きつらせる、スキッピオとリットに話し掛け、
「二人とも」
「え?」
「ん? なんだ! 偉大なるウィザードよ!」
「私強くなりたい。誰にも負けないくらい強く! だからその……」
頭を下げるのだった。
「今まで私が聞き逃していた授業の写し、できれば分けてください!」