猫屋敷のはじまり。
最上階のキトの部屋で、幽霊であるひいおばあさまルナと新しい相棒猫のレネと3人でベッドに座りながら、ルナとレオの出会いの話を聞いたキト。
自分のことをあまり教えてくれないレオのことを少しでも知ることができてキトは嬉しかった。
そのうえ、自分や猫屋敷のルーツを知ることができるならさらに嬉しい。
ルナは今度は猫屋敷のはじまりの物語と、自分とひいおじいさまの出会いを話してくれると言う。
キトは興味津々で耳を傾けた。
赤毛の猫レネは、半分つまらなさそうに、半分興味がありそうに…目を瞑りながらまったりと2人の会話を聞いていた。
「レオと一緒に旅をすることになったのは、私が16歳になった後よ…」
ルナは機嫌よく、続きを話し始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ルナが5歳の頃に出会い、8歳の頃から一緒に住み始めたレオ。
ルナにとって彼は、相棒猫であり、兄であり、魔法の先生であり…いずれにしても特別な存在だった。
最初は上手くいっていなかったレオと彼女の両親との関係も長い月日を得て良好なものになった。
長い長い時を共に過ごし、レオは両親とメイドのミモザとともにルナの成長を傍で見守った。
そして…初めて出会った時から約11年が経った2月22日、ルナは16歳の誕生日を迎えた。
メイドとして働いていたミモザはお見合いをし、4年前にその相手と結婚して家族ができていた。
しかし、毎年ルナの誕生日には必ず来るなど、家族同然の付き合いは続けていた。
16歳の誕生日も盛大に、両親とミモザとその家族たちと猫たちと…そして、レオとお祝いをした。
16歳になったルナは…誕生日にお祝いで盛り上がる空気を一変してしまうようなお願いごとを言い出したのだった。
「家を離れ、旅をしたい」というのだ。
もちろん父親は大反対し何日も喧嘩が続いたが、何を言っても折れないルナに父親も諦めるしかなく、春になったらレオが傍について旅に出るということでまとまった。
雪が解け、春の花が咲き始めた頃…家族たちとミモザと猫たちに見守られ、ルナとレオは旅に出た。
今まで森の中にある家の側以外に外出したことのないルナはワクワクしていた。
「私もついに旅ができる!色んな世界を見て回るの!こんなに幸せな日がある?!」
最後にレオと出会った木の下に立ち、遠くを眺めながらルナは胸を張って言った。
「あはは、今日の夜泣くのに賭けるよ」
レオは彼女の横に立ち、一緒に遠くを眺めながら笑う。
「何よそれ!泣かないもん!」
ルナはムッとし、見下ろす。
「どうかなー。家を出てきたのはいいけど、行く宛は決めてるの?」
レオは彼女のほうは向かず、そのまま話し続ける。
「決めてないよ、あてのない旅!素敵じゃない?♩」
レオに向かって満面の笑みを送るルナ。
彼女の笑顔は期待に溢れていた。
「そっか…素敵だね」
レオもルナのほうに顔を向け、静かに優しい声で返した。
ルナは大きなリュックを背負い、箒を片手に持ち、ひたすらに森を下っていった。
箒で飛ぶ技術も身に着けてはいたが、自然を感じ旅気分に浸りながら歩きたかった。
…ひたすらにひたすらに歩き続けるが、中々街に出ない。
「…ねぇ…まだ先なの…?」
ぐったりとしながらルナが呟く。
大股で勢いよく歩く彼女に合わせて猫になった小さな足で必死に速足で歩みを合わせていたレオ。
しかし、ぐったりし始めて歩みの速度が極端に落ち、ぽとぽとと歩き始めた彼女の速度には余裕でついていけた。
むしろ、遅いくらいだ。
「あの家は山頂の近くにあるからね」
レオは淡々と答える。
「えー…何でこんなところに住んでたのかしら…。あーもういい!空飛ぶ!」
ルナは箒にまたがり、リュックを落とさないように箒に通す。
そして、レオを無理やりに持ち上げて自分の前に乗せる。
「レオ落ちないでよ!」
そう言うと、ニヤリと笑い、地面を蹴って飛び上がった。
木々たちの間をくぐり、上へと浮かんでいく…。
ルナは少しずつ近づいていく空を見上げながら嬉しそうに笑う一方、レオは冷静に辺りを見渡して障害物にぶつからないかどうかと見守っていた。
木の上まで上ったルナは、広がる景色に感動して、思わず「わぁ」と声が溢れ出る。
「よしこのまま街へ一直線よ!」
そう言ってルナは一気にスピードを上げる。
レオは振り落とされないようにじっとしていた。
勢いよく山の下にある街をめがけて飛ぶルナ。
しばらく飛び続け、小さな街が見えてきた。
ルナは、初めて見る街並みに感動する。
その感動が勢いを加速させ、昼間でにぎわう商店街の中心に向かって飛び続ける。
「目立たない場所に降りた方がいい」と言うレオの助言を無視して、人々がにぎわうところにルナは降り立った。
箒から降りて「こんにちは!」と頭を下げて挨拶をするルナ。
そんな彼女のことを周りの人々は驚いた顔をして見る。
ルナがその反応に戸惑っていると、彼女の傍に立っていた女性が悲鳴をあげた。
「え…何…どうしたの」
ルナは突然悲鳴をあげた女性に驚き、さらに戸惑った。
そんな彼女に「ルナ、今すぐこの場から離れて」とレオは言った。
「え…ど、どういうこと?」
「いいから、早く!」
「…う…うん。なんかよく分かんないけど、分かった!」
ルナはレオに言われた通り、リュックをきちんと背負い、全速力で走った。
周りの人々がざわついている声が聞こえてきて、人々は口口に「魔女だ」「魔女がなぜここにいる」「俺たちを呪いにきたのか」「ここから追い出せ!」「いや捕まえてやっちまったほうがいい!」「汚らわしい生き物だ…」と魔女であるルナを恐れ非難する声が聞こえてくる。
“どうして…挨拶しただけなのに”
その聞こえてくる言葉にルナは驚き、楽しいはずの旅の始まりが崩れてしまったことに泣き出したい気持ちになる。
涙は堪え…レオに言われた通り、走り続ける。
一部の人々に追いかけられ、なんとか建物の陰に隠れてそこでやり過ごそうとした。
「やはりね。ここは…魔女嫌いの人々が住む土地か…。すぐに出た方がいい」
そうレオが静かに呟いた。
「魔女嫌いの…?」
「ルナ…もっと身を隠して…」
ざわつく人々の声が大きくなってきたため、レオはそうルナに声をかけた。
じっと息をのんで建物の陰に隠れ、ルナを探す人々の声が鳴りやまずに抜け出すタイミングを待っていた。
―おい、こっちだ。
そこへ追いかける者のうち数人が身を隠す場所に近づいて来ようとしていた。
“どうしよう、捕まっちゃう…”
恐れて目を閉じ、少しでも見えないようにと身を縮めるルナ。
そこへ「魔女さんこっち!」と小さく呼び止める声が聞こえ、声の方に視線を向ける。
視線の先には少女がいて、裏口の扉を開けて手を振っていた。
大勢の恐い人たちに捕まるよりはと、一か八か手を振る少女の方へルナたちは走っていった。
少女はルナたちの身を隠し、扉を閉める。
―おい、ここに魔女と猫が逃げてこなかったか。
追いかける人々は扉の前に立つ少女に声をかける。
「ううん、わたしは見てない」
―そうか。おい、お前ら。こっちじゃない!あっちを探せ!
その場から人々が去っていき、少女は扉を開けて中へ入ってきた。
「助けてくれてありがとう…」
少女にルナはお礼をする。
少女は何も言わず微笑んで、家に招待してくれた。
裏口から入って中へ行くと、かわいらしい小さな家だった。
「今、おかあさんは出かけていていないの。わたしだけだから安心してね、魔女さん」
「そう…」
「魔女さんのおなまえは?わたしはクレオメ」
少女は薄桃色のふわりとしたショートヘアで、ほんのり染まった頬が可愛らしい子だ。
年齢は7、8歳くらいだろうか。
「…私はルナ」
「ルナ!素敵なおなまえね!魔女さんは本当にわたしたちを呪いにきたの?」
可愛い笑顔を見せながら、首を傾げてルナの顔を覗き込むクレオメ。
「ち…違うわ!そもそも、私にはそんなことできないわよ!」
胸の前で一生懸命に手を振り、潔白を証明しようとするルナ。
「えへへ、やっぱり。悪い魔女さんじゃないとおもったの」
「…それで助けてくれたの?」
「そうよ!」
「本当に助かったわ…ありがとう」
クレオメと名乗る少女は、ルナに微笑みかけた後、レオに視線を向ける。
少女と目が合ったレオは、少女から何かを感じ、心臓が高鳴った。
“この子……普通の人間の子…なのか?”
「あ、この猫はレオって言うの」
「レオさん…。よろしくね」
少女に微笑みかけられるが、何かを感じていたレオは戸惑い言葉が出てこなかった。
「レオ、じーっとクレオメのこと見てどしたの?」
ルナは彼の戸惑う瞳を覗き込む。
「…あ…ううん何でも」
レオはクレオメから目を逸らした。
「ルナさんは猫さんとお話ができるの?」
「そうよ!あ…気味悪いかな…?」
「ううん!カッコいい!」
「そう、よかった…ここの人たちには挨拶した瞬間に命を狙われて焦っちゃった…。クレオメは私が怖くないの?」
「怖くないよ、ルナさん可愛いもん」
クレオメはルナのことを恐れる様子もなく、可愛らしい笑顔を浮かべたままだった。
ルナは少女のふわりとした雰囲気のおかげで、少し心に落ち着きを取り戻すことができた。
殺気立った人々の声が落ち着くまでしばらくクレオメの家で過ごすことにした。
人々の声は夜になるまで落ち着かなかった。
匿っている者がいないか家を回ってきたりもしたが、屋根裏に身を潜めて何とかやり過ごした。
レオの予想通り、ルナは屋根裏部屋で涙を流した。
「こんなに魔女が嫌われているなんて…ひどいよ…。せっかくの楽しい旅が台無しになっちゃった…!」と大泣きしていた。
「…予想的中しちゃったね」
と呟き、レオは彼女の傍に身を寄せた。
ルナはレオを持ち上げて、思いっきり抱き締め、抱き枕のようにして横になった。
そのまま泣き続け、しばらく経つと泣き疲れて寝てしまった。
レオは彼を強く抱きしめる彼女の腕の中から抜け出せずに困っていた。
0時になれば身体が大きくなってしまい、彼女を起こしてしまう。
抜け出す時の動きで起きてしまうかもしれない。
布団をかけないで寝てしまったことも心配だが、どうしたものか。
加えて、猫の姿になっても魔法を使うことができるが、もしクレオメに見られたらどうしようという思いもあった。
しかし、人間の姿になったところを見られる方がもっとマズいことか…と悩んでいた。
考えを巡らせているところ、屋根裏部屋の扉が開く音がし、耳をぴくつかせるレオ。
入ってきたのは、クレオメだった。
クレオメはルナたちの傍に立って、黙って見下ろしていた。
すると、急に桃色の花びらがルナたちを包み込み、レオはすーっとルナの腕の中から抜け出た。
彼はクレオメの胸の中に運ばれて、抱き抱えられた。
そして、ルナには毛布がかけられた。
クレオメが魔法を使ったことに驚いて、見上げて彼女を見る。
「猫さん、ついてきて」
そう言うとクレオメは、レオを抱き抱えたまま、一階まで運んだ。
ソファの上に降ろされ、とりあえずレオはそこに座った。
クレオメは立ったまま、じーっと真っ直ぐに見つめてきた。
そして…「…あなた。猫さんじゃないでしょう?」と静かに言った。
思ってもいない少女の発言に心臓の鼓動が早くなる。
0時になれば元の姿に戻る。
このままここにいれば戻る瞬間を見られてしまう。
この少女はいったい何者なのか…、さらに心臓の鼓動が高まる。
「ふふ、いきなりこんなこと言われたら恐いかな。じゃあ…お相子ならいいでしょう?」
そう言って少女の周りに今度は淡青色の花びらが包み込み、姿を変えた。
彼女は大人の女性の姿になり、澄んだ青の瞳、長い光り輝く淡い金髪、透き通った白い肌…人間離れした妖艶さがある美しい女性が目の前に現れた。
「…あなたは…」
見覚えのあるその姿にレオは驚き、目を真ん丸にする。
驚いていると0時を指す針がカチッと動き、レオの身体を緑色の靄が包み、人間の姿になってしまった。
「やっぱり…狼の子。アレクシスの息子…」
そう言って微笑む少女クレオメから姿を変えた美しい女性。
「あなたは……もしかして」
「あなたが小さな頃に一度お会いしました。覚えてくれているの?」
「覚えています…。確か…クララさん…」
「わーっ嬉しい!覚えていてくれるなんて!それに…まさか会えるなんて!」
美しい女性は、レオの手をとり、嬉しそうに彼の手を握ったまま上下に振った。
「ヘレナから聞いていたの。あなたが不死の道を選び、生き永らえていると。ずっと心配していた…一度しか会ったことはないけれど…とても記憶に残っているもの」
クララは目を閉じて、思い出に浸るように微笑んだ。
「…ヘレナのことを知っているんですか?」
「もちろんよ!彼女とは私が小さな頃からの付き合いだもの」
「そうでしたか…それにしてもエルフであるあなたがなぜここに…あそこまで魔女を嫌う国民が住んでいる。危険なのでは…?」
明るく話すクララとは反対にとても心配そうな表情で話すレオ。
「ふふ、そうね。でも、それが私には好都合なの。ここなら魔法使いは寄り付かないから。ここでは
クレオメという少女に姿を変えて暮らしていたの」
「…そうですか」
「大丈夫よ。私は決して彼の手には落ちないわ。聞いているのでしょう?そんな哀しそうな表情をするんだもの」
「はい…ずっと狙われているということは…」
哀しそうな表情を浮かべているレオを黙って見つめ、クララは優しく微笑んだ。
「逃げ続ける日々も悪くないわ、色々な世界を見れるから。ただ時々寂しくなる。だから、今日は久々に自分の本当の姿でお話ができて嬉しいわ」
そう言って、レオの握り込んだ拳に手を重ねる。
「私だけじゃなくて、あなたも一緒でしょう?ずっと逃げ続けている。でも…よかった。素敵な出会いをしていて安心した。ルナさん…とても可愛らしい人だわ。今日のことで世界を嫌いにならなきゃいいけれど…」
重ねられた手を少し黙って見つめた後、レオは顔をあげてクララに微笑みかける。
「彼女は大丈夫ですよ。強い人だから。今日は泣いても明日には笑う人です」
それを聞いたクララは安心したように笑う。
「ところで…どうして、俺が猫じゃないと分かったんですか?」
「分かるわ…魔力を感じたし…それにその瞳…あの頃から変わらないもの。ヘレナから猫に化けるって聞いていたのもあるけれど」
「さすがですね…魔力を抑えているのにバレてしまうとは」
「ふふ、大丈夫よ。普通の魔法使いなら気づかないわ。私は感じる力が強いだけよ。それに…どうやらあなたも私に何かを感じていたみたいだけど?」
「…ま、まぁ少し」
「さすがね。初めて会った時もあなたの魔力はすごく強くて、群を抜いてた。私たちエルフとほとんど変わらないんだもの。そんな人は今まで見たことなかったから驚いたのを覚えてる」
昔のことを思い出したのか、レオは急に黙ってしまった。
その様子を見て、クララはもう片方の手も重ねて、彼の顔を覗き込んだ。
「ねぇ…レオさん。もしよければ別の街に行くまでの間、一緒に行ってもいいかしら?」
そう言って大きな青の瞳を輝かせて、上目遣いで見つめた。
「え…っと。俺はかまいませんが…?それにレオさんなんて呼ばないでください…レオでいいです」
そんな彼女に少し戸惑うレオだった。
「ありがとう、レオ。そろそろこの街も出て行こうと思っていたところなの。もう少しあなたともルナさんともお話したいわ」
クララは彼の手に両手を重ねたまま、大層嬉しそうに微笑んだ。
次の日の朝方に起こされたルナは、目の前に美しい女性がいて驚いた。
クレオメのお母さんだと思い、少女の姿を探すが、実はその少女だと聞かされてさらに驚くのだった。
ほとんどの人々がまだ寝ている時間帯に家を出ようということで、ルナを起こした。
ルナは命を助けてくれたクララから共に旅をしたいと言われた瞬間に許可し、荷物をまとめて裏口から家を出た。
―――――
数日間、次の街を目指して旅をしている間にクララとルナはすっかり仲良しになっていた。
クララは普通の人間ではなく、エルフという生きものだった。
ほとんど人間と見た目は変わらないが、透き通った透明感があり、髪は輝きを帯びていて、耳がとがっていて少し長い。
エルフたちはあらゆる生きものや植物たちと心や言葉を通わせることができる能力があるそうだ。
特に彼女はその能力が優れていた。
彼女はやわらかな雰囲気だが、少しいたずら好きなところがあるお茶目な可愛らしい女性だった。
ほんわかしたまるでおとぎの国のお姫様のようなクララがルナは大好きになった。
クララは移動する間、少女クレオメに姿を変えて一緒に歩いた。
ルナも魔女であることはなるべく出さない方が良いということを学び、人気がない時だけ箒で空を飛ぶようにし、お気に入りの魔法帽はかぶらないようにするなど魔女らしいことは控えた。
しかし、時々人気のないところでクララと共に空を飛んで遊ぶこともあった。
クララは箒がなくても風の力を借りて空を飛べるのだ。
魔法の技術が優れているだけでなく、自然の力も借りることができるクララの能力にルナはすっかり惚れ込んでいた。
3人で旅を始めてから25日目の深夜…ルナがテントの中で寝ている間、クララとレオは焚き火の前に座ってゆっくりしていた。
「本当にルナちゃんって可愛い子。私、だーいすき♩」
クララはとても嬉しそうに笑い、手作りの温かいミルベリージュースを飲みながら呟く。
そんな彼女に対し、レオは黙って微笑みかける。
「レオくん…本当に穏やかになったわね。ルナちゃんのおかげかしら…。私が会った時はもっとこう……」
「ルナだけでなく…多くの人に救われたからです。今、落ち着いていられるのは確かにルナのおかげでしょうけど」
「そっか…よかった。ねぇどういう経緯でルナちゃんと会ったの?あなたから一緒にいるようになるとは思えないから…きっとルナちゃんがレオくんを掴んで離さなかったのでは?」
「あはは、それは半分当たっていますね」
2人は温かいミルベリージュースが入ったカップを持ちながら、涼しくて少し肌寒い夜の風を感じながら会話した。
「俺は木の下に住んでいたんですが…そこにまだ5歳の少女が現れて。おうさま猫さんってあだ名をつけて毎日会いに来ました」
「おうさま猫さん…?」
「近所のボス猫に勝ったからだそうです」
「ふふ、子どもらしくて可愛い♩」
クララは楽しそうに彼とルナとの思い出話に耳を傾けた。
「そうですね、確かに可愛らしいです。ですが…当時、俺は避けようとしたんです。けれどなかなか諦めなくて…」
「強引なところルナちゃんらしいわ…どうして避けようとしたの?」
「今までのこともありますから。まだ小さな彼女と関わりたくなかったんです…でも、本当に彼女はしつこくて…俺の方が折れざるを得ませんでした」
懐かしそうに話すレオの表情は、ルナへの愛で溢れているような感じがした。
それを見たクララは、彼にとってルナがとても大切な存在であることを改めて実感する。
「そうなのね…。でも…どうしてあの辺にいたの?ヘレナのところにいたんでしょう?」
「ヘレナが木の下に縛り付けたんですよ」
「え?!」
「あなたを運命へと導く存在に出会うまでここから移動してはいけないと言って、魔法で縛り付けました。だから、木の下の付近から離れられなかったので、とりあえずそこにいました」
「ヘレナも強引ね……」
クララは驚いた表情をした後、そっとカップに口をつけ、すすっとミルベリージュースを飲んだ。
「半信半疑でしたが、ルナの家まで歩いていけた時に気づきました。そうか…この子かって。その前はルナの家のほうまでは歩いていけなかったので。そこからはヘレナの言う運命の導きというものを信じてみることにしました。だから…両親に二度と会うなと言われたこともありますが、ずっと傍にいました」
「運命へ導く存在か…ヘレナが言うなら真実味がある」
「はい…彼女じゃなかったら信じていないかもしれません。何が待っているのか分かりませんが、不死になってしまったので、気長に流れに乗ってみようと思っています。ルナと過ごす穏やかな時間も嫌いではないので…」
「素敵♩…そうね。穏やかな時間を過ごすのもいいかも。いつか逃げ続けなくても良い日が来るまでは心落ち着けないこともあると思うけれど…たまには忘れなくちゃ」
クララは上を向き、星空をぼんやりと眺めながら、小さく微笑む。
「そうですね…」
寂し気なクララの横顔を眺めながら…レオも同じく寂し気に微笑んだ。
その日の星の輝きは、いつもより明るく感じた。
まるで星たちが彼らに何かを語りかけているようだった…。
―――――
次の街までという話だったが、クララはルナたちと離れがたかったのか、別れを先延ばしにした。
結局、別れたのは半年ほど一緒に旅をした後だった。
数々の国や町…小さな村や美しい場所を共に訪れた。
一緒に美味しいものを食べ、綺麗な星空を眺め、魔法で遊び…楽しい楽しい半年間の旅だった。
そんな中、クララは落ち着けそうな次の住処を見つけた。
そこは自然に囲まれた小さな町で、町外れに小さな空き家があり、可愛らしい見た目のその家を気に入ったのだった。
ルナはクララと離れたくないとごねたが、クララの決意は固かった。
クララはクレオメという名を捨て、新たにクレマティスと名を変えた。
薄桃色のふわりとしたショートヘアが可愛らしかった少女の姿から薄紫色のロングヘアが美しい大人の女性へと姿を変えた。
ルナたちとの楽しい半年の旅の終わりと共にクレオメともお別れしたのだった。
クララとの別れの時、ルナは大泣きした。
ルナと別れる時は笑顔だったクララも、彼女たちがいなくなった後は涙した。
それからはルナとレオ、2人の旅だった。
クララのことを忘れることはなかったが、前向きなルナは気持ちを切り替え、楽しく旅をした。
悲しいことや腹の立つことがなかったわけではないが、総じて本当に楽しい旅だった。
―――――
そして、旅を始めてから2年が経ち、ルナは18歳になった。
彼女にはもう一つの夢があった。
それは、自分だけの家を建てることだった。
大好きな猫たちが集まる大きな御屋敷をだ。
色々な地を巡り、キトが育った孤児院のある町へとたどり着いた。
そこは白を基調とした美しい建物が建ち並んでいた。
「レオ見て!建物が白くて綺麗な町ね…海も近くにあるみたいだし…それにほら!大きな山もある!自然がいっぱいだわ」
楽しそうに見てまわるルナ。
今度は山の上から町並みを見渡してみようと、山を登ることにした。
山の中間地点くらいだろうか…木々に包まれ、射し込む陽の光が美しい空間を発見した。
そこから町を見下ろすことはできなかったが、木の上まで上って見てみた。
上から見る町はさらに美しかった。
海の青と自然の緑と色とりどりの花々と…白い町並み。
ルナはこの山から見る景色が大層気に入った。
そして、決意したのだ…“絶対にここに家を建てる!”と。
一度町に戻り、山に家を建ててもいいか、人々に尋ねて回った。
聞いた人々全員がやめといたほうがいいと言った。
諦めたくないルナは、有力な情報を得られるまで聞き続けた。
人々が恐れていたのは、その山を所有している町一番の金持ちでいじわるな老人のことだった。
勝手に山に登ってしまったルナだったが、何でも彼に許可を得ないと本来は山に行くことも許されていないのだと言う。
山に登ったと聞いた住民たちがみんな驚いた顔をしていたのはそういうことだったのか、とルナは納得した。
しかし、どうしても家を建てたいルナはその老人に会いに行ってみることにした。
教えてもらった家まで向かうと非常に広い敷地に大きな御屋敷だった。
大きな門の外から呼びかけてみると、すぐ使用人に止められて、追い出されてしまった。
「ひどいわ!話を聞いてもくれなかった…」
ルナは頬を膨らませて怒る。
「これからどうするの…?」
怒りながら大きな門を見つめるルナのことを見上げながら尋ねるレオ。
「そりゃあ…ね?」
怒り混じりのにんまり笑顔をレオに向ける。
「はは…聞くまでもないか…」
全てを悟ったレオは、笑いながらもひとつため息をついた。
ルナは持ち前の頑固さで、大金持ちのいじわるじいさんの元を尋ね続けた。
案の定、使用人たちに門の前で止められる日々が続いた。
彼女たちは街外れにテントを張り、そこから通い続けた。
町の人々の間では変わった娘がいると、あっという間に話題になった。
追い出されても追い出されても「おじいちゃんと話をさせて!」と言い続け…それを1か月近くも繰り返していた。
あまりにもしつこい娘に使用人たちは手を焼いていた。
もちろん、その騒ぎはいじわるじいさんの耳にも入っていた。
気まぐれなのか、あまりのしつこさに折れたのか、ついにいじわるじいさんが家の中へ招き入れてくれる日がきた。
“ついにこの時がきた!”とルナは胸をいっぱいにして喜んだ。
御屋敷の中に入ると薄暗くて、気味の悪い銅像が立ち並んでいた。
玄関の近くに立ち、キョロキョロと中を見渡すルナ。
すると、大きな階段から杖をついて降りてくるおじいさんの姿が見えた。
「お前か…しつこく会わせろと言っている小娘は」
そう言いながらもの鋭い目つきで睨みつけてくるおじいさん。
いじわるじいさんは、背中が丸くなった背の小さなおじいさんだった。
彼のきつい目つきにルナは怖気づくことなく、見つめ返した。
「何の用だ…」
しーんとした広い玄関におじいさんの低いしゃがれ声だけが広がって聞こえた。
「あの山にお家を建てたいの!その許可をもらいたくてきたの!おじいちゃん、お願いします!お家建てさせてください!!」
背負うリュックを床に置き、深々と頭を下げるルナ。
「そうか…山をな。そんなことか…。よかろう」
「え?!いいの?!」
ルナは喜びで胸が高鳴り、顔を上げる。
しかし、おじいさんは意地悪な笑みを浮かべ、鼻で笑った。
「ふっ…許可をするわけがないだろ。お前のようなどこの馬の骨とも分からない小娘に」
“なによ!期待させといて!…ううん、バカなのは私ね。有名ないじわるじいさんなのに簡単に信じちゃってもう!”
ルナは恥ずかしさもあり、自分を叩いてやりたくなった。
そう簡単に許可をもらえないのは当然だろう。
町一番の有名ないじわるじいさんなのだから。
「断られるのは覚悟のうえです!追い出されても追い出されても諦めませんよ!」
胸を張りながら、ムッとした表情のままで言うルナ。
おじいさんは呆れて、ため息をつく。
「なら…勝負するか?」
「勝負?」
「そうだ…どっちが折れるか勝負だ。私はお前を死ぬほどこき使ってやる…すぐに出て行きたくなるさ、ただの小娘なのだから」
おじいさんは鼻で笑いながら、ルナを小馬鹿にした。
「わかった!」
ルナはおじいさんと山に家を建てることを賭けて勝負することになってしまった。
おじいさんはまずルナを物置部屋に住まわせた。
寝るベッドもなく、物だらけで自分のいるスペースがほとんどない居心地が悪い場所だ。
けれど、ルナは“絶対に負けてたまるか”と覚悟を決めていた。
いじわるじいさんとはこの人のためにあるのかと思ってしまうほど、いじのわるい人だった。
朝から晩までルナに仕事を命じ、休む暇を与えずにただで働かせた。
しかも、使用人たちも嫌がるような仕事ばかりをだ。
杖を使ってわざと彼女を転ばせることもあったし、通りかかるたびに嫌味を言ってくるしで、本当にいじのわるい人だった。
傷だらけになりながらも“負けてたまるか”という気持ちが彼女を突き動かした。
彼女の負けず嫌いは相当なものなのだ。
レオは物置部屋からは出させてもらえず、心配しながらも諦めない彼女をただ見守った。
一度決めたら諦めない頑固者のルナに何を言っても通じないのだ。
しかし、さすがのルナも初めての働きづめの日々にへとへとだった。
なんとかできないかとレオは考えを巡らせた。
まずはおじいさんのことを調べるべきだと考え、ルナが眠りに戻るまでの間…物置部屋から姿を消して町へ出た。
野良猫たちや伝手を利用してこっそりとおじいさんのことを調べた。
おかげで、次々とおじいさんのことが分かってきた。
夜中に疲れ果てて寝てしまっているルナの寝顔を少し見つめた後、レオは物置部屋を出た。
そして、おじいさんの寝室へと向かった。
警備をしている使用人たちはレオに気づいて止めようとしたが、あっという間にレオに眠らされてしまった。
おじいさんの部屋をコンコンと二度鳴らすが、寝ているようで反応がなかった。
部屋のドアノブを回すと鍵がかかっていて扉は開かなかった。
レオはすんなりと魔法で鍵を開け、静かにドアを開けて中に入った。
「キャメロン・キャンベルさん…ですね」
そのレオの呼びかけに目を覚ましたおじいさんは、目の前に立っているレオの姿をみて、驚愕した。
―――――
次の日の朝、ルナがへとへとに疲れた重たい身体を起こすと、物置部屋にレオの姿がなかった。
おじいさんの今日の命令を聞くために居間へと向かうと、その光景に驚いた。
なんといじわるじいさんが笑顔で猫姿のレオと談話していたのだ。
「おお起きてきたか。娘さん、今日から仕事はせんでいい。山にも好きなだけ家を建てなさい、あはは」
いじわるという言葉が消えてしまったかのようなおじいさん。
ルナは夢でも見ているのかと頬をつねった。
“痛い…夢じゃない?”
何度つねっても思いきり力を強めてみても頬は痛む…どうやら現実のようだ。
「私の使用人たちに家を建てる手伝いをさせよう。資材などもこちらで準備をしよう」
別人のように親切になったおじいさんにルナは戸惑った。
念願が叶いそうな状況にもかかわらず、言葉が出てこなかった。
「…こき使ってすまなかったな、娘さん。まさか私の恩人の大切な人だったとは知らなかったもんでな…」
なんとおじいさんが頭を下げるではないか!、ルナはさらに驚愕で目が大きくなる。
「あ…いや、そんな!しつこくしたのはこちらで……って…恩人?」
驚きつつ、慌てて言葉を返すルナ。
「そうだ、ここにいる彼は私の恩人なんだ。すっかり昔の話に花が咲いてしまっていた。そうだろ?フィンレーさん」
「そうですね、キャンベルさん」
なんとも和やかな雰囲気にルナはますます戸惑った。
これもまたあの頑固親父である自分の父親と仲良くなったレオの為せる業なのだろうか。
2人の顔を交互に見回し、どんどん眉にしわが寄っていくルナ。
「ルナ、行こうか」
そうレオに言われ、何が何だか分からないまま、おじいさんに頭を下げてレオが歩いていく方向についていった。
おじいさんの計らいで家ができるまでの間は、貸家を提供してくれるそうだ。
レオはどれほどの恩人なのだろうか、性格が一変してしまうほどの恩があるとは驚きだ。
レオに連れられ、貸家の部屋に入る。
すると、今まで喉まで出かかっていたルナの疑問が一気に溢れ出た。
「レオ!いったい何したの?!あんなにいじわるな人だったのに!!全くの別人じゃない!!!しかもフィンレーって何?!レオ、名前ないって言ったじゃん!!」
興奮してつい大きな声が出てしまう。
「驚かせてごめんね…?フィンレーも本当の名ではなくて名づけられた名前。ルナに会うまではその名前で呼ばれていたんだ。キャンベルさんもその時に出会った人」
落ち着いた声で申し訳なさそうに話すレオ。
「そう…なんだ。それであのおじいさんに何したの?」
「昔話をしただけだよ」
「そうじゃなくって!恩人だって言ってたけど、何をしたの?!」
黙ってルナの顔を見つめたまま、レオは何も言わず…窓枠に座って外を眺め始めた。
「あー!無視したー?!」
「昔のことはどうでもいいじゃない。それより夢が叶いそうなんだから、それを喜ぼうよ」
話を逸らし、明るくルナに向かってそう言うレオ。
秘密主義のレオに聞く方が無駄かとルナも思い、喜びの時間に切り替えるのだった。
レオの過去の何らかの功績のおかげで、ルナは夢を叶えることができるのだ。
結局自分やレオの魔法の力を活用しつつ、自分たちで家を建てることにしたため、使用人たちの力を借りることはなかった。
しかし、おじいさんのおかげで必要な資材や道具が揃い、大いに助かった。
おじいさんはいじわるな性分は変わらないようだったが、恩人であるレオとその大切な人であるルナには親切にしてくれた。
時折、嫌味を言ってくることがあったが、そういう性格だから仕方ないと笑って聞き流した。
家が建つまでも建った後も、なんだかんだそのおじいさんとの付き合いは続いたのだった。
1か月ほどで大きな御屋敷が完成し、住み始めた。
おじいさんのおかげで家具なども揃えることができ、生活に不足はなかった。
御屋敷は最初に山に登った時に見つけた陽の光が射し込む美しい空間に建てた。
少しずつ町に住む野良猫たちが家に集まるようになり、今は住人となっているシュムシュムやランプモンスターたちも住み始め、1年経たないうちにすっかり御屋敷は賑やかになっていた。
―――――
あれから時が経ち、ルナは20歳の誕生日を迎えた。
…ついにルナが運命の相手に出会う日が近づいていた。
ルナは山の上にある御屋敷で魔女であることを隠して暮らしていた。
定期的に町に降りてきて、必要な物資をそろえに出た。
彼女は明るい人柄で町の人々にも好感を持たれており、笑顔で挨拶をする仲になっていた。
「いじわるじいさんを折れさせた伝説のお嬢さん」、「山の上に住んでいる猫好きの明るいお嬢さん」、「金色の猫といつも一緒のお嬢さん」などなど町の中では有名人だった。
今まで山に登ることができなかった住民たちも、ルナが住み始めたことで登ることができるようになった。
この頃は、御屋敷に町の人々を招いて、庭で小さなパーティーを開くこともあった。
猫みたいな建物があり、野良猫たちが集まる御屋敷を招かれた町の人々が見て、「猫屋敷のルナ」という呼び名が町で浸透していったのだった。
住処も落ち着き、町の人たちとも上手くいっており…ルナは満足していた。
「猫屋敷のルナ」という呼び名も気に入っていた。
穏やかにこの町の暮らしを楽しむ中、徐々に成長した彼女の興味は、異性に向き始めていた。
今まで深く関わったことのある男性と言えば、レオと父親とミモザの旦那さんといじわるじいさんくらいだ。
旅の途中で出会いがなかったわけではなかったが、ルナは異性に興味はなく、一時的に関わる程度だった。
しかし、彼女は恋愛に興味を持ち始めたのだ。
町の人に紹介された男性と話してみたり、自然と異性との関わりが増えていた。
春になり、20歳になった記念に、ルナはレオを大きなリュックに詰め入れ、自分の住む町よりも大きく、多くの人が住んでいる隣街まで小さな旅に出た。
そして、その街にある飲み屋に入り、初めてのお酒を注文した。
カウンター席に1人座り、店を見回す。
すっかり大人気分のルナは、カッコイイ大人の女性になりきって座っていた。
しかし、若い大人の男性がたくさんいて、ルナはついにんまりとしてしまった。
誰に声をかけようか、そう考えながらお酒を口にした。
初めてのアルコールの味に一瞬顔を歪めたが、“これはこれで美味しいかも”と思い始め、少しずつ飲み続けた。
女性たちに声をかけられている店内一カッコイイと言えるほどの男性がいて、ルナも目が留まった。
その男性を見ていると、リュックの中に無理やりルナに押し込まれて連れてこられたレオがひょっこりと少し顔を出し、その男性を一緒に見た。
「あの人はやめといたほうがいいと思うよ…」
と小声でルナに言った。
「…そう?」
レオの方に顔を近づけ、ルナも小声で答える。
「うん…直感だけど」
「そっか…じゃあレオなら誰に声かける?」
ニコニコしながらレオに尋ねるルナ。
レオは店内を見回して、たくさんいる男性たちを見る。
ルナは期待いっぱいにレオの言葉を待っていた。
「俺なら…あの端に座っている人かな…」
そういって指し示すレオ。
「端の人……あぁ、あの赤毛の人?」
「うん…」
「なるほど…レオの直感がそう言うなら…声かけてみようかな。見た目も…うん、悪くない♩」
ルナはリュックを背負い直し、お酒を片手に端の席に座る赤毛の青年をめがけて歩いた。
レオは気を遣ってまたリュックの中に隠れた。
「あの…!」
ルナは持ち前の笑顔で声をかける。
赤毛の青年は顔をあげて、ルナを見る。
声をかけられて戸惑っているようだ。
「よかったら一緒に飲みませんか?」
ニコニコと笑いながら、期待の眼差しを送るルナ。
男性は戸惑いながらも了承してくれた。
「えっと…どうして僕を?他にもたくさん人がいるのに…」
普段声をかけられることがないのか、赤毛の青年は驚いているようだ。
「直感です♩」
「そう…ですか」
ボリュームの小さな声で答える青年は、人見知りなのだろうか。
音楽も鳴って騒がしい店内に声がかき消されてしまい、聞き逃さないようにルナは集中して耳を傾けた。
「私はルナ。あなたの名前は?」
「エドワード…です」
「エドワード…いい名前♩」
「ありがとうございます…」
ニコニコと笑うルナに対し、エドワードは照れているのか俯き加減だ。
「年齢は?私は2月で20歳になったんです!」
「…僕は、21です」
「年近いね!この街に住んでいるの?」
「うん…ここから2軒隣にあるレストランで働いてる」
「じゃあ、あなたは料理人なの?!」
「ま…まぁ一応」
「わぁ食べてみたい…!」
エドワードはあまり女性と話すことに慣れていないようで、ずっと照れるように時々俯きながら質問に答えていた。
反対にルナはいつもの調子で積極的に話をし続けた。
その後、少しずつエドワードも顔を上げて話をするようになり、すっかり2人の世界で盛り上がっていた。
レオはリュックの中で会話に耳を傾けながら、静かにしていた。
話が盛り上がっていたが、0時になってしまうこと気づいたルナは、慌てて席から立ち上がった。
「もう行かなくちゃ!あの…明日レストランにいる?」
「うん…いるよ?」
突然立ち上がったルナに少し驚きつつ、質問に答えるエドワード。
「じゃあ明日行く!今日は楽しかった。ありがとう!エドワード♩」
そう彼に笑いかけて、急いで店内を出て行った。
突然現れ、突然去っていく彼女の後姿をエドワードは不思議そうに眺めた。
ルナたちは店内を出た後、物陰で箒に乗り、急いで御屋敷へと飛んで帰った。
「ふふ。エドワード…なかなか素敵な人だった♩照れ屋さんなところも可愛かったし!」
ルナは家に戻るなり、にんまりしながら素敵な楽しかった夜を思い浮かべていた。
人間姿に変わったレオは微笑むだけで、彼女の気分を邪魔しないように声をかけなかった。
「でも…今考えたら問題なのは…私が魔女ってことよね~……」
舞い上がってしまっていたルナは急に我に返り、重大な問題点に突き当たる。
魔法が使える者と使えない者の結婚は聞いたことがない。
もし彼を好きになってしまっても…魔女というだけで遠ざけられてしまうかもしれない。
ルナはうっとりモードから悩みモードに変わった。
けれど、結局“なるようになるよね!”と忘れて寝ることにした。
―――――
次の日、ルナはエドワードが働くというレストランに向かった。
もちろんレオをリュックに詰め込んで…。
エドワードが働いているレストランは小さくて可愛らしかった。
オシャレで洗練された街並みの中、温かみのある木の看板がついたレストランだ。
看板には「POMLU」と大きく彫られている。
オシャレだけど冷たい感じのする建物が並ぶ中、このレストランは少し浮いている。
店内に入ってみると、シンプルだけど温かみのある感じで、木の温もりを感じるような店だった。
エドワードはいないようで、渋い雰囲気の眼鏡をかけた白髪のおじいさんだけがいた。
朝食には遅く、昼食には早い中途半端な時間に来たからか、店内にお客はいなかった。
「いらっしゃいませ…お好きな席に」
とおじいさんが声をかけてくれる。
「あ…はい!」
とりあえず店内の奥に座る。
キョロキョロと店内を見ながら待っていると、目の前にメニューが置かれた。
「ありがと……あ!」
置かれたメニューを一度見た後、顔をあげるとエドワードが立っていた。
「こんにちは…ルナ」
ルナに微笑みかけるエドワード。
「エドワード!こんにちは!約束通りきちゃった♩」
ルナも嬉しそうに微笑み返す。
「来てくれてありがとう。何か食べますか?」
エドワードも嬉しそうに微笑み返した。
「うん!お腹空かせてきたの…えっと…どうしようかな」
「決まったら呼んで。小さなお店だからすぐ来るよ」
「ありがとう…!」
ルナはエドワードがカーテンの奥に消えていったのを確認してから、もう一度辺りを見渡した。
そして、「レオ…大丈夫?お腹空いていない?」とリュックの中を覗き込みながら小声で尋ねる。
「俺のことは気にしないで楽しみなよ」
「でも…私が勝手に連れてきたのに…ずっとリュックに入れとくのは……」
申し訳なさそうな顔をして、レオを見つめるルナ。
「昨日もずっとリュックの中にいたよ」
そんな彼女に対し、少々呆れ気味に返すレオ。
「あ……そっか。へへ、度々ごめんね?レオがいてくれた方が安心するんだもん」
「ほら…メニュー選ばないと。俺と話してたら猫を連れ込んだことバレちゃうよ?」
「そ…そだね」
レオに言われ、慌ててリュックに蓋をする。
そこへ「どうしてリュックと会話しているの?」と声が聞こえ、急いで顔をあげるとエドワードが立っていた。
「ま、まだ呼んでないよ!」
つい気が焦って、大きな声で言ってしまうルナ。
「ごめん、片づけをしてたんだ」
少し驚いた表情をしながら、エドワードが小さく頭を下げる。
「あー…なるほど……えっとこれは…その」
ルナは申し訳なさそうにしながら、リュックの中からレオを出してあげる。
「猫…」
「うん…連れ込んでごめんなさい…」
じーっとレオのことを見つめるエドワード。
レオはバレちゃったか…と思いながら、ルナのことを気にかけて彼女を見た。
「すごく綺麗な毛並みの猫だね…!触ってもいい…?」
エドワードは怒る様子はなく、むしろ頬をほんのりと染めながら、瞳を輝かせていた。
「え…いい…けど?」
ルナは不思議そうな顔をしつつ、レオを膝の上に乗せた。
エドワードはしゃがんでレオの頭を撫でる。
猫を撫でることができて嬉しいのか、どんどん頬が緩んでいった。
元々人間の男性であるレオは、猫でいることに慣れてはいるものの、撫でられる瞬間はいつまで経っても慣れない。
なんだか照れくさいのだ。
レオは目を瞑ってやり過ごした。
そんな可愛らしい光景を見て、ルナの頬も緩む。
「猫…好きなの?」
興味深そうにエドワードの顔を覗き込みながら尋ねるルナ。
「えっと……うん。動物が好きで…」
また俯き加減で照れるように言うエドワード。
「わぁ!ますますエドワードのこと好きになっちゃった!」
猫が大好きなルナは、気になっている彼も同じだと知り、喜びから思わず“彼が好き”だという気持ちを言葉にしてしまった。
「え…」
エドワードの頬が林檎のように染まり、撫でる手が止まってしまった。
そのエドワードの顔を見て、ルナも恥ずかしくなり、同じく林檎ほっぺになる。
「あ……これは人として!そう!そういう意味よ!」
恥ずかしさを隠すために、慌てて先ほどの言葉をカバーした。
「そ、そっか…ありがとう…」
そう言われたものの、やはり照れてしまったのは収まらず、2人は俯いて黙ってしまった。
レオは撫でる手が離れていくことに気づいて、目を開ける。
すると、照れて黙り込んでいる2人が目に入り、交互に見回す。
レオは気を利かせて、テーブルの上に乗り、トントントンと机を前足で叩いた。
その音に気づいた2人は顔をあげる。
メニューを指差して、じーっと2人を見つめるレオ。
「あ…そ、そうよね。まだ注文してなかったわ」
ルナはメニューを手に持ち、パラパラとめくった。
「ごめん、邪魔しちゃったね。そこらで片づけしているから決まったら言って。それと…うちは動物大丈夫だよ…リュックの中だと苦しいと思うから出してあげて。彼にはミルクでも出すよ」
エドワードはその場に立ち上がり、ソワソワしながらそう言った。
「ほんと?!ありがとう!」
ルナはレオのことを認めてくれたことが嬉しくて、満面の笑みで礼を言った。
それからルナはオススメのランチセットを注文した。
レオには猫でも食べれるように問題のない材料だけで作ったシンプルな鶏肉料理をエドワードが特別に作り、温かいミルクと一緒にテーブルに並べた。
お客は誰もいないので、彼女たちが食事をしている間、エドワードは傍にいて一緒に話をした。
話しているうちにさらに彼のことを知ることができた。
お店に入ってきた時にいたおじいさんは、エドワードの祖父で長年料理人として生きてきた人らしく、数年ごとに色々な街を転々としてレストランを開いているそうだ。
エドワードも料理を作るのが好きで、料理を学ぶために15歳の時に親元を離れ、祖父とともにレストランを手伝っているのだ。
エドワードとルナが共通していることはもう一つあった。
それは彼の両親も仕事で忙しくて、あまり家にいなかったことだ。
人見知りなこともあり、友だちがいなくて動物と触れ合うのが好きだったそうだ。
同じような境遇で育った優しくて穏やかな彼に、ますますルナは心惹かれた。
それはエドワードも同じで、明るくてよく笑うルナに心惹かれていた。
その日からルナはほとんど毎日初めて訪れた時と同じ時間帯にエドワードのいるレストランに通った。
すっかりエドワードとルナは仲が良くなり、彼の祖父ともルナは仲良くなった。
共に過ごしているうちに、2人の間には【愛】が芽生えていた。
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「御屋敷を建てることができたのもひいおじいさまと話すきっかけを作ったのもレオさんなんですね」
一通りルナから話を聞いたキトは、そう呟いた。
「そうよ!ほんとレオには感謝してもしきれないわ!」
とルナは幸せそうに笑う。
次は、エドワードとの馴れ初めの続きと、猫屋敷で行われた盛大な結婚式の話をすると言い、ルナはまた思い出話を語り始めた。
キトは飽きることなく、ワクワクした様子で話を聞くのだった。
第9章:猫屋敷のはじまり。を読んでいただき、ありがとうございます!
次回は、猫屋敷での盛大な結婚式な話…何やらルナの知らない裏があったようだ。
第10章:猫屋敷と不思議な森の結婚式。(仮名)をお楽しみに!
ぜひ読んでいただけると嬉しいです!
★前書きの表紙についての解説
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ルナ16歳、旅に出発して初めて箒に乗って登っていく様子。
期待に溢れ、晴れた空を見上げて嬉しそうに笑っている。
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★登場キャラクターイメージ
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クレオメ
クララ
クレマティス
キャンベルじいさん
エドワード