猫屋敷と忍び寄る影。
12月5日の朝からアトウッド家での楽しい時を過ごしていたキトだったが、深夜にソフィの部屋に突如現れた妖しい黒マント男のせいで台無しにされた。
男はキトの右手の指を絡めるように握り、もがいても嚙みついても離してくれない。
ガーネットの魔法で少しうろたえた男だったが、それでもキトから離れようとはしなかった。
キトは自分の無力さを感じ、唇を噛み締めて左手を握り込み、答えを求めてレオを思い浮かべた。
「お姉さんなかなかやるね?でも…無駄な抵抗はやめたほうがいいよ」
そう言うと、男の周りに黒い煙が現れ、ガーネットの魔法を弾き返した。
跳ね返ってきた自分の魔力に攻撃されてしまうガーネット。
魔法の技術を身に着けていても、今までそれで誰かと戦ったことはなかったガーネット。
自分以上の魔力で打ち返されることに悔しさを感じる。
「助けを求めても無駄だよ?今起きていることはこの家に住む家族たちは知らない。大人しく寝てもらっているからね…誰も気づくことなんてないんだよ」
そう言って、男はキトを見つめる。
キトの中に自分がこの男についていってしまえば、これ以上の被害を避けることができるのではないか…という考えが溢れる。
キトは静かに目を閉じ、抵抗する力を弱めた。
―キトさん、諦めたらダメだよ。
“え…”
自分の頭の中に流れるように心が落ち着く優しい声が聞こえ、キトは目を開く。
キトは驚き、目を丸くする。
目の前にいるはずの男が、頭に思い浮かべていた人物に変わっていたのだ。
「レオ…さん」
男の姿が消え、レオが目の前にいた。
しかも、包み込むように彼女の手を取っていた。
嫌な感じのする男の手ではなく、優しい手で安心する。
キトは手を取っている事実に気づいて、頬を染めた。
「この人がレオさん…」
ソフィは初めて見る人間姿のレオのことをぼんやりと見つめて呟いた。
ガーネットも突然現れた彼を見て、驚いて目を大きくしていた。
「てめぇ…誰だよ。オレを追い出すとは…ムカつくことしてくれるね…」
さっきの男が窓枠のところにまた姿を現した。
窓側にいたソフィは、壁側にいるガーネットの傍に急いで駆け寄った。
ガーネットは黙って、傍に来たソフィの肩に手を回して、守るように傍に引き寄せた。
男は、突然現れたレオを睨みつけていた。
「キトさん、2人の傍に…」
睨みつけてくる男を無視し、レオはキトに声をかけた。
レオがそっと手を離すので、キトは言われ通りガーネットとソフィの傍に駆け寄った。
ガーネットはキトも守るように自分の傍に引き寄せた。
ふと、レオと目が合ったガーネットは、“任せた”というように一度頷く。
レオは彼女に微笑みかけ、男の方に視線を変える。
「てめぇ…無視しやがって。何なんだよ、お前は」
「俺は、キトさんのパートナーだよ」
「パートナー?…んだよ、それ」
「彼女と俺は…夫婦ってこと」
怒りをメラメラと燃やす男に対し、冷静に言葉を返すレオ。
ソフィはレオの言葉を聞いて、言葉にならない叫びが溢れ、頬を染める。
そのソフィを見て、キトも釣られて頬を染めた。
ガーネットは2人に対し、「こんな状況で何照れてんの…」と呆れるように呟いた。
「ふーん…それで愛する妻を助けに来ました!ってわけ?…ま、いいや。とにかくすごくムカついたから、オレの邪魔したこと後悔させてやるよ。…ここにいるのはオレだけだと思った?」
男はまた妖しい笑みを浮かべた。
「きゃはは、私もいるのよ~♩」
と女の声が聞こえたと思うと、壁側にいた3人の横に姿を現した。
女も男と同じようなタトゥーが首元にあり、服装も揃えているのか半分の仮面に黒マント姿だ。
男と容姿が似ているようだが、兄妹だろうか。
キトたちは慌てるが、レオは女を見たまま、焦っている様子はなかった。
「お前の相手はオレだよ、よそ見すんな」
男は上手にいると思い、笑みが抑えられない様子だ。
その間、女はニヤつきながら3人を縛るためのロープを振り回す。
女はソフィの腕を掴み、「まずはあんたから縛ったげる♩」とニヤリと笑った。
「嫌…!」と抵抗するソフィ。
その様子を見ているが、レオはそれを止めようとする様子はなかった。
「おやおや、自分の妻じゃないから止めないのかい?お兄さん?」
と女が言い、レオは黙ったまま、女に微笑みかける。
「は…?」
一瞬その微笑みに戸惑い、動きを止めた瞬間、女はうろたえ、ソフィから手を離した。
女の手元をみると、朝見かけた檸檬色の瞳をしたフクロウが手に噛みついていた。
「な、なんだよ。こいつ!いつの間に?!」
女は手を振り回して追い払おうとするが、フクロウは翼を広げてバランスを取り、離れなかった。
女が慌てふためく中、それに気を取られて窓枠にいた男は完全にレオから視線を逸らしていた。
「あれ……」
男は重みを感じ、自分の身体をみる。
身体全体が鎖でぐるぐる巻きになっており、身動きが取れなくなっていた。
油断している間にレオが魔法で巻き付けていたのだ。
「いつの間に……」
男は気づかぬうちの出来事に驚きを隠せなかった。
苦笑いを浮かべながらレオのことを見ると、彼は男に対し微笑みを返す。
その微笑みに…男に嫌な予感が走る。
レオの周りを緑色の靄が包み、彼が左手を前に出した瞬間、突風が男を襲う。
「嘘だろ……うおわあああっ!」
男は縛られたまま、突風に押し出され、窓から落ちていった。
「な!噓でしょ?!も、もう私1人にしないでよ!あーもう、邪魔!離れなさいよ!」
女はひたすらに慌てふためく。
フクロウは噛みつくのをやめ、今度は女が持っているロープを足で持ち、飛びながら引っ張る。
「今度は何なのよー!」
女が冷静さを失っている間に、フクロウは静かに円を描きながら飛び、ロープを女の身体に巻き付けていく。
それに気づいた女は「う、嘘!ここで捕まるのはマズいっ!こ、今回は見逃したげる!また出直すんだから!」と言って、ロープごと姿を消した。
フクロウは、静かに床に降り、翼を閉じた。
黒マントの男と女が消えて急に部屋が静かになり、3人は突然の出来事に頭の整理がつかず、しばらく黙っていた。
ハッとしてソフィは急いで窓を閉めに行き、鍵をかけた。
そのまま床に座り込み、壁に背中を預けた。
そして、一言「恐かった…」と呟く。
「今のふざけた奴、何者なんだよ。いきなりキトのこと攫おうとして」
ガーネットは真っ先に怒りが込み上げてきた。
「ガーネットさん、ソフィさん…巻き込んでごめんなさい…」
キトは申し訳なさそうに、頭を下げながら謝る。
「いや、別にキトに怒ってんじゃなくて、私はさっきの奴らに怒ってんの」
「きっと人攫いですよ…昼間に言ってたもの。失踪者が出てるって……酷いわ、キトさんを狙うなんて……」
とソフィは身を縮めて、俯き膝の上に額を乗せながら呟く。
ソフィの様子を見て、ガーネットは声をかけようとするが、良い言葉が見当たらず、唇を噛み締める。
キトがソフィに声をかけに行こうと一歩を踏み出した時、大人しくしていたフクロウがとてとてとソフィの方へ歩き出した。
ガーネットとキトは、何をするのかとその様子を黙って見守った。
膝を抱えるソフィの手に、ぽふっと自分の額をくっつけるフクロウ。
ふわりとした柔らかい感触に気づいたソフィは少し顔を上げた。
顔を上げると綺麗な檸檬色の瞳が目に入り、驚いて黙ったままフクロウを見つめてしまう。
フクロウも黙ったまま見つめる。
その瞳を見ていると、何となく『もう大丈夫』と言ってくれているような気がした。
“このフクロウ…初めて見た…うちに住んでいるフクロウさんじゃないわ…”
「…もしかして、私のことを慰めてくれたの?」
とフクロウに尋ねるソフィ。
フクロウは何も答えなかった。
顔を上げ、窓の方に視線を向けた。
「あ…ごめんなさい、閉じ込めちゃってた。今開けますね」
ソフィは立ち上がり、もう一度窓を開けた。
フクロウはふわっと飛び上がり、窓枠に乗ってもう一度ソフィの方を見る。
「そういえば…フクロウさんにお礼をしてなかったわ。初めましてですよね?どこから来たのか…お名前も分からないんだけれど、助けてくれてありがとうございます!フクロウさん」
とフクロウに微笑みかけ、頭を下げるソフィ。
キトとガーネットも慌てて窓の側に駆け寄り、頭を下げた。
目を閉じ、頭を下げ返すフクロウ。
もう一度目を開けた後、そのまま窓の外へ落ちていった。
「あ…まだお名前を…!」
急いで窓から顔を出して下を見ると、静かに飛び去っていく姿が見えた。
ソフィはしばらくその飛ぶ姿から目が離せず、姿が見えなくなるまで見守った。
ガーネットも彼女と一緒に飛んでいくフクロウの様子を見ていた。
その間、キトはレオの傍に行き、「レオさん、ありがとうございました…!」と頭を下げた。
「ううん、礼はいいよ。…無事でよかった」
と安心したように優しく微笑むレオ。
たった一日離れて過ごしただけだが、その微笑みに懐かしさを覚える。
ホッとした気持ちになり、自然とキトも笑顔になる。
「俺も帰るね?」
「え…もう帰るんですか?」
「うん、せっかくの3人の時間を邪魔したくないからね」
「そうですか…」
「大丈夫…もう今日は安全だよ。それに…また何かあったら駆けつけるから」
レオは、不安そうな表情を浮かべるキトの右肩に右手をぽんっと乗せ、彼女の耳元に顔を近づけ…囁くように言う。
耳元で囁かれ、レオの優しい声が頭に響く。
キトの心臓は一気に跳ね上がり、顔が熱くなる。
レオは小さく微笑むと、一瞬で姿を消してしまった。
肩や耳に彼の余韻が残り、キトはしばらく固まって動くことができなかった。
フクロウの姿が見えなくなり、ソフィは窓を閉める。
振り返るとレオの姿はなく、立ち尽くしているキトの後ろ姿だけだった。
「あれ、レオさんは?」
「…帰りました」
「え?!…残念。お礼もしていないし、もう少し話してみたかったんだけどな…。ん?」
全然こっちを見ようとしないキトが気になり、顔を覗き込むソフィ。
ガーネットも後に続いた。
「…キト。顔真っ赤じゃん。どしたの」
とガーネットが言う。
「な…何でもないです」
俯きながら、小さな声で返すキト。
「まさか……帰り際にキスでもされたの?!」
ソフィはなんだか嬉しそうに尋ねる。
「え!…そんなことあり得ないです!…ただレオさんの声にドキドキしてしまっただけで…」
火照った頬が落ち着かせることができず、さらに赤みが増す。
「キトさん…可愛い!」
キュンとしてしまったソフィは、キトに抱き着く。
ガーネットは2人の様子を見て、あははと笑う。
「ねぇキトさん…。私…猫に恋したキトさんの気持ち、少し分かったかも…」
と抱き着いたまま、呟くソフィ。
「え…」
突然の予想外の一言にキトとガーネットは声を揃える。
「だって…今まで見たフクロウの中で一番素敵なフクロウさんだったんだもの。瞳がとても綺麗だったし、カッコよかったわ」
と2人を見て、にこっと微笑む。
「さっきまですごく恐かった。でも、フクロウさんのおかげで恐かった気持ちとか消えちゃった…!お名前なんて言うのかな…あのフクロウさん。いつもうちの近くにいないフクロウさんだった。あ!もちろん、恐くなくなったのはレオさんのおかげでもあるわ!」
「あのフクロウ、朝ここに来た時に見かけたんだ。最近引っ越してきたのかな?」
とガーネットが首を傾げる。
「朝からいたのね、夕飯の時には見かけなかった…。そうだといいな。お名前があるなら、教えてもらいたいもの」
ソフィはキトから離れ、もう一度窓の方を見て、微笑んだ。
「ソフィさん…せっかくの時間だったのに私のせいで恐い思いをさせてしまって…ごめんなさい」
キトは改めて頭を下げて謝る。
「キトさんは悪くないわ!謝らないで?ガーネットさんの言う通り、あの変態男たちが悪いの!」
ムッと眉間に皺を寄せて怒るソフィ。
「確かに恐かったけれど。不思議で素敵なフクロウさんに会えたし、レオさんの人間姿を初めて見られたし、私は嬉しかった♩」
と安心させるようにキトの両手を包み込むソフィ。
その言葉にキトは救われる気持ちになった。
“素敵な人とお友だちになれて幸せ者だな、この人を大切にしなくちゃ!”と素直に思い、微笑み返した。
すぐに眠れはしないだろうが、もう休もうと3人は布団に入った。
ソフィが「何か2人のお話を聞かせて」と言い、それに対しガーネットが「とっておきの話をしてやる」とお見合いで会った変わった真面目な男性たちの話をした。
ソフィとキトは、面白おかしく話してくれるその話を聞いて、自然と笑顔になった。
話をしていると心が落ち着いていき、気づいたら3人とも眠りについていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一方、アトウッド家近くの木の上には、まだレオと先ほどのフクロウが残っていた。
太い枝に乗り、幹に背中を預けるように腰かけるレオ。
フクロウは、レオの座る枝の上にあるもう少し細い枝の方に乗っかっていた。
上にいるフクロウの方に視線を向け、「キース、助かったよ。ありがとう」と言うレオ。
「これくらい大したことないよ。それより…帰らないの?」
ソフィに話しかけられても何も話さなかったフクロウだが、レオの言葉に答える。
フクロウの名は、〔キース〕と言うらしい。
彼もどことなくレオと雰囲気が似た優しい声をしている。
「もう大丈夫だと思うけど、念のためね。…帰ってほしい?」
レオは真っ直ぐ見た先にあるアトウッド家を見ながら、尋ねる。
「そういうわけじゃないけど。あのさ…レオ、ちゃんと寝てる?」
フクロウもアトウッド家の方を見ながら、尋ねる。
「はは。何だよ、突然。そんなに疲れてそうに見える?」
また目線を上に向け、フクロウのことを見ながら笑うレオ。
「見えないよ。けど、レオのことだから寝てないんだろうなって思っただけ」
「心配してくれてありがと。でも、大丈夫」
「そう言うと思った」
フクロウはレオの方は向かずに、目を閉じる。
「そういえば、何も言わずに立ち去ってよかったの?彼女、名前知りたがってたよ?」
もう一度、アトウッド家の方に視線を戻すレオ。
「え…そうだったの?んー…もしまた会うことがあったらその時でいいよ。今から戻って、『名前言い忘れてたから戻ってきたよ!俺はキース、よろしく!』っていうのも変だし」
フクロウはパッと目を開いた後、少し細める。
「あはは、それもそうだね」
「それよりさ。レオってああいう子がタイプだったんだね」
「ん?」
「ほら、キトさんだよ。結婚したって聞いた時は驚いた。あのレオが?!って」
細めていた目をまん丸にして驚いたような表情をするフクロウ。
「そんなに意外だった?」
「意外だよ。女性との関わりがなかったわけじゃないけど、全くそういう気配なかったでしょ?」
「確かにそうだね。でも、キトさんはタイプだからとかそういうのではないよ、ルナの最後の望みだったから。夫婦ではあるけど、アトウッド家のヒューゴさんとローレンさんとは違う。守るべき大切な人には変わりないけど、俺たちの関係に男女の情はない」
レオはアトウッド家の屋敷を見つめたまま、はっきりと言い切った。
「何だ…それじゃロマンスの欠片もないね」
フクロウは少し不貞腐れるように言う。
「はは、ロマンスを期待してたの?」
レオは笑いながら、問いかける。
「んー…俺が期待してたのは…。いつも余裕たっぷりなレオが余裕なくしてあたふたしてる姿かな。誰か1人を本気で愛した時って、今までと違ってあたふたしてしまうもんだからさ。今のところあたふたする様子なく、余裕たっぷりだからつまんない」
また目を細めて、機嫌悪そうな表情のフクロウ。
「あはは、そこを期待してたんだ。残念だけど、それは見れないかもね」
「分かんないよ?今はルナの曾孫、守るべき家族くらいにしか思っていないかもしれないけど…急に彼女のことを1人の女性として意識する日が来るかもしれないでしょ?ほら、女性って恋すると綺麗になるって言うし…『あれ?キトさんってこんな綺麗だったけ…』みたいな」
フクロウは笑いながら、レオをからかうように話し続ける。
「…いつかキトさんが誰かに恋した時ってこと?その時は、応援するつもりだけど…?」
レオはフクロウの方を見て、きょとんとしている。
「はぁ…レオは何でもできるけど、女心とか恋とか…ほんと専門外だよな。なーんも分かってない」
フクロウは呆れて目を瞑る。
「…どういうこと?」
レオは彼の言っている意味が全く理解できていない様子で、顔をしかめている。
「そうだなー…彼女のことをよくよく見ていたらいつか分かるかもね?」
「…彼女のことを?」
「あはは、今、面白い顔してるよ。思っていたのとは違うけど、困っている顔が見れてよかったよ。じゃ、そろそろ帰るかな。必要な時、また呼んで?」
「あ…うん。ありがとう」
〔キース〕と呼ばれたフクロウは、木から離れ、静かに飛んで行った。
レオはアトウッド家の屋敷をぼーっと眺めながら、キースに言われたことを考えた。
結局、彼の言っていたことを理解するのは難しく、猫の姿に戻る前に猫屋敷に帰るのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
キトたち3人は夜更かしをしたせいか、悪い奴らの襲撃で疲れたのか、朝ご飯を作り終えたママが起こしに来るまで、眠っていた。
家族たちは、昨日の夜中に起きた出来事については全く気付いている様子はなかった。
変に心配をかけたくないと思い、3人は黙っていることにした。
朝ご飯を広間で食べた後、アトウッド家のみんなにお礼をし、ガーネットに送ってもらって御屋敷へと帰る。
シュエットはもちろんだが、ソフィも「今度は私が猫屋敷に遊びに行く!」と言ってくれた。
猫屋敷の玄関前でガーネットと別れ、屋敷の中に入ると猫たちが駆け寄ってきて「おかえり!」と出迎えてくれた。
猫姿のレオも遅れてやってきて、「おはよう、キトさん。アトウッド家は楽しめたかな?」と声をかけてくれる。
「はい!楽しかったです!」
そう明るく言い、レオの瞳を見つめると…昨日のソフィたちの会話や夜中の出来事を思い出し、急に恥ずかしくなってしまうキト。
「キト様?顔が赤くなってますが、大丈夫ですか?もしかして…熱でも?!」
とバニラが心配そうにキトの顔色を窺う。
「え…あ、だ、大丈夫ですよ!お部屋に荷物置いてきますね!」
キトはタタタと小走りで螺旋階段の方へ向かった。
彼女の後ろ姿を眺めながら、レオも含め、猫たちは頭に?(ハテナ)を浮かべた。
―――――
部屋に戻り、キトは「ふぅ…」とため息をつく。
床に荷物を置き、ぽふっとベッドに腰かける。
“レオさんの瞳を見たらドキドキして言葉が出なくなっちゃった…。はぁ…自分の気持ちに気づいたのはいいけど……それはそれで困るな…。どう接したらいいか分からなくなっちゃう……”
そのまま後ろに倒れ込み、ぽーっと天井を眺める。
そうしていると、コンコン…と扉を叩く音が聞こえ、誰だろうと思いながら扉を開けにいく。
開けると、ひょこっと灰色猫のクラウドが顔を覗かせた。
「入っても…いいですか?」
と不安そうな声で言うクラウド。
「もちろん、どうぞ♩」
部屋へ招き入れ、隣同士にベッドに座り込む。
「どうしたんですか?クラウドさんがこの部屋に1人で来たの、初めてですよね?」
「あの…あのね。…僕は気持ちわかるよ」
と真っ直ぐキトの瞳を見つめてくるクラウド。
何のことか分からず、キトは戸惑う。
「僕ね。バニラのことが好きだから…キトさんの気持ちわかるよ」
今度は照れるように俯いて呟く。
「え…?!」
キトは予想外の言葉に驚き、ぽかんとする。
「さっき、レオのこと見て顔真っ赤にしてたから…てっきり恋してるんだと思ったんだけど……違った?」
また不安そうにキトの表情を窺うクラウド。
「バレちゃってた…」
熱くなった顔を隠すように両手で覆うキト。
「僕以外は気づいてないと思うよ。みんな首傾げてたから」
「本当?」
両手を顔から離して、クラウドの方をちらっと見る。
「うん、ボスは何でも知ってる人だけど、こういうことには疎そうだし」
「そうなんですね…。クラウドさん、バニラさんのこと好きだったんですね」
キトは何となく嬉しそうにクラウドに微笑みかけながら言う。
「あ…うん…」
そっと視線を逸らすクラウド。
「バニラさん可愛いですもんね。私もオス猫さんだったら好きになってるかもしれません」
視線を自分の足元に変え、ニコニコしながら言うキト。
「キトさんも…?」
「はい♩ バニラさんは可愛いだけじゃなくて、優しくて頑張り屋さんで素敵な猫さんですから」
「うん…僕もそこが素敵だと思う」
視線を合わせないまま、小さな声で呟くクラウド。
「はぁ…どうしましょう。自分の気持ちに気づいた途端、急に恥ずかしくなってしまって…。どんな顔していればいいのか分からなくなってしまってるんです…。クラウドさんは普段どうしてるんですか?バニラさんと普通に接しているように見えますけど…」
「どんな顔しててもキトさんはキトさんだよ。僕は元々オドオドしてるところがあるから…何かあったら僕がいつでも相談に乗りますよ?…たまに…僕の相談にも乗ってくれると…嬉しいな」
「ありがとう、クラウドさん!もちろん、私でよければ相談に乗りますよ…!」
「本当?ありがとう、キトさん!」
クラウドはしっぽをぴんと上にあげ、嬉しそうな声を出す。
そのあと、少しの間、2人でそれぞれの想う相手について語り合った。
意外なところで、恋の相談相手ができたようだ。
―――――
クラウドが立ち去った後、キトは部屋にこもって勉強に専念し、気持ちを落ち着かせることにした。
昼食は食べる気になれず、そのまま部屋にいたうえ、夕食もなかなか喉が通らなかった。
レオとは何も話さずに一日を終えようとしていた。
0時を過ぎ、いつもなら魔法を教えてもらう時間だが…今日はどうしたものか、と悩む。
しかし、もしかしたら待ってくれているかもしれない…顔だけでも出した方が賢明だろうかと考え、緊張しながら地下室へと向かった。
ドアの隙間から地下室を覗き込み、「失礼します…」と声をかける。
「あれ…キトさん…。今日は来ないと思っていたんだけど」
少し驚いた顔をして、キトの方に視線を向けた。
キトは「あ…すみません。ご迷惑でしたか…?」と申し訳なさそうに肩をすぼめる。
「ううん、迷惑ではないよ。今日は帰ってきた時も少し様子が変だったし、一日ほとんど部屋にこもっていたから…夜中のこともあるし、体調悪いのかな?と思っていたんだ」
彼女が座るための椅子を準備しながら答える。
「あ…いえ!そういうわけではないんです。こもっていたのはお勉強していたからで…」
「そっか、体調を崩していないならよかった。キトさんは本当に勉強熱心だね。どうぞ、ここ座って?ちょっと部屋が散らかってて、ごめんね?」
多くの本が机やベッドの上に散らばっており、魔法薬を作る道具や見たことのない道具までもあちらこちらに出しっぱなしになっていた。
「昨日キトさんがアトウッド家に行っている間、調べものしたり、色々やっていたらこんなになっちゃって。だから、今片づけようとしてたんだ」
「そうだったんですね。お手伝いしますか…?」
「じゃあ…練習がてらお願いしようかな」
「はい!いつもしてもらっているばかりなので、お手伝いできるなら嬉しいです」
キトは嬉しそうに笑い、彼女に対しレオも笑顔を返す。
「まず…床やベッドに散らばってる書類を元に戻してもらおうかな」
「あの…元々どこにあったか分からないのですが…どこに戻したらいいですか?」
「移動魔法を使う時に、元の場所に戻るように念じれば戻るよ」
「そうなんですね。分かりました、やってみます!」
キトは言われた通り、“元の場所に戻って”と念じながら、手先に魔力を集中させる。
彼女の手の周りに水玉のような水色の光がふわふわと浮かび始める。
だいぶ魔法を使うことに慣れてきていたキトは、簡単に書類を浮かせることができた。
浮いた書類たちは勝手に元あった場所に戻り出した。
キトは本当に元の場所に戻るんだと驚きつつ、魔法が上手くできたことへの喜びで溢れた。
書類たちが戻っていく様子を嬉しそうに眺める。
レオはその様子を見ながら、感心するように微笑む。
彼女の魔法が上手くいっていることを確認した後、レオの周りを緑色の靄が包み、軽々と重たい本や道具たちを元の場所へと戻していく。
キトは軽やかに魔法を使いこなすその姿に見惚れた。
彼の整った横顔を見つめながら、“やっぱり綺麗な顔だな……。髪はさらさらしてるし…お肌もすべすべしてそう……。一応夫婦ってことになってるけど……今は私の片想いなんだよね…。レオさんは私のことどんな風に見ているのかな……”と色々考える。
レオは、キトに見つめられていることに気づき、「ん?」と微笑みながら首を傾げて見つめ返した。
見つめられて、ハッと我に返ったキトは慌てる。
「すごい綺麗になりましたね!」
と言葉を返し、何とか誤魔化そうとする。
「そうだね。手伝ってくれてありがとう」
「いえ…お手伝いならいつでも喜んで…」
キトは少し頬を染めながら、レオに微笑みかける。
「軽いものなら簡単に移動できるようになったね?」
「でも…本を移動させるのはまだまだなんです。浮かせることはできるんですが、移動するとグラついてしまって」
「そっか。一度見せてもらってもいいかな?俺の手元に移動させてみて?」
レオに手渡された一冊の本をテーブルに置き、浮かせてみる。
ふわっと浮かび上がり、ゆっくりとレオの方に本を移動させてみる。
安定感がなく、落ちてしまいそうにグラついている。
しかし、なんとかレオの近くまで運べ、手に取ってくれた。
「できたね」
「落ちそうでしたし、レオさんの手元には持っていけなかったですが…なんとか近くまでは」
「今日はこの練習を続けてみようか?」
「はい!」
数時間、休み休み同じ練習を繰り返す。
朝方近くになる頃、だいぶすーっと水平に移動させ、レオの手元に運べるようになっていた。
「やっぱりキトさんは飲み込みが早いね。数時間練習しただけで、安定してできるようになるまで成長したから」
レオは受け取った本を元の場所に戻しながら言う。
「それはレオさんが教えるの上手だからで…!あ…でも、そう言っていただけると嬉しいです」
嬉しそうに笑っているキトを見て、レオは優しく微笑む。
「そういえば…私からお願いしたことなんですけど…どうして魔法を教えること引き受けてくださったんですか?」
レオのことを見据えて、真剣な表情で尋ねるキト。
「そうだな…。キトさんが自分の身を守れたり…できることが増えたらいいと思ったからかな。急にどうしたの?」
彼女の見据える視線に向き合い、レオも真っ直ぐと見つめながら言う。
「少し気になっただけです…」
真っ直ぐな彼の瞳にやられ、視線を逸らす。
「俺が子どもの時、自分の身を守れるように魔法を教えてくれた人がいたんだ。俺もキトさんと同じで孤児だったから。…何となく重なって」
そう言いながら、レオは椅子に腰かける。
「え…レオさんもご両親がいらっしゃらなかったんですか?」
実は彼が自分と同じ境遇であることにキトは驚いた。
椅子に座り、「うん、そう…」と呟き、遠くをぼんやりと見つめるレオの横顔は愁いを帯びていた。
「レオさんが私に教えてくださっているみたいに魔法を教えてくださった方がいたんですね…?」
何となくこれ以上は触れてはいけない気がして、キトはさりげなく話題を変える。
「そうだね。その人は厳しかったよ」
「厳しかったんですか?」
「うん、例えば…箒で飛べるようにするために崖から突き落としたりとか」
「え?!」
「はは、キトさんにはそんなことしないよ?」
レオの表情は笑顔に変わり、愁いを帯びた横顔はいつの間にか消えていた。
それ以上の詳しい話はしなかったけれど…懐かしそうに少しだけ過去の話をしてくれたことがキトは嬉しかった。
同時に自分と同じく孤児だったという事実に興味が沸いた。
いつかどんな人生を歩んできたのか、聞くことができる日がきたら良いなと思うのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
12月3日アトウッド家を訪問し、12月4日夜中に初めて人間の敵が現れた。
それから3週間ほどは敵が襲ってくることなく、穏やかな日々が続いていた。
あの時は、やはり猫屋敷を離れたがために隙をつかれたのだろうか。
キトは外出せず、ずっと猫屋敷で過ごしていた。
―
レオとの関係は良好だったが、彼女の恋心は一方通行であることには変わりなかった。
ただキトがドキドキしたり、慌てたり、そういう機会が増えただけだ。
もちろんキトもレオがその気がないことには気づいていたが、自分の気持ちを変えることは難しい。
片想いであると割り切りつつ、心の底ではいつかは心も繋がれたらと願うのだった。
クラウドという恋の相談が相手ができたことは、彼女にとってはとてもよかった。
レオへの素直な想いを屋敷内で彼にだけは打ち明けることができたからだ。
クラウドもバニラへの想いをキトにだけ話すことができたので、最上階のキトの部屋でたまにお互いの話をする仲になった。
―
ガーネットは、あの事件以来、週に1-2回ほど顔を出すようになった。
移動魔法を教えてくれたり、ライオンのケイくんの身だしなみを整える手伝いをさせてくれたり、ただ話をしたり…すっかり仲良しの曾孫同士になっていた。
移動魔法が大得意なガーネットの指導もあり、本の移動は余裕を持ってできるようになっていた。
そのおかげで、移動魔法の練習は次のステップに進み、家に住んでいるシュムシュムやミニペンギン、猫たちを移動させる練習を始めた。
レオ曰く、意思を持って動かない物に比べ、意思のある動物や人間を動かすことの方が難しいらしい。
自分自身が移動できるようになる前に、まずは身の軽い動物たちで練習をするということだ。
シュムシュムたちは協力的で、むしろ浮かび上がるのが楽しいらしく、次はいつやるの?と部屋に遊びに来ることが増えた。
ミニペンギンたちも交代交代で練習に付き合ってくれた。
猫たちで練習を積極的に手伝ってくれるのは、やはりアーモンドとチェス、バニラの3匹だった。
―
12月9日から12月13日までの間は、またシュエットが家出してきて猫屋敷で過ごした。
今度の家出理由は、魔法薬を作っている時に盛大に鍋を爆発させ、またパパの雷が落ちたからだそうだ。
それもあり、夜中のレオとの魔法学習に気まぐれにシュエットも参加した。
シュエットはやはり勉強に集中するのは苦手なようで、気づいたら寝てることが多かった。
その5日間の間に、キトは解毒薬と鎮痛薬、忘却薬を本を見ながら作れるようになった。
シュエットは何度も何度も失敗をし、地下室が大惨事になりかけた。
しかし、冷静なレオが傍にいるため、さらりと防いでくれ、何とか鎮痛薬だけは成功させられた。
1つでも成功したことが相当嬉しかったようで、シュエットは改めてレオを師匠と崇めた。
12月13日、シュエットを迎えに来ることを口実にソフィが初めてキトのいる猫屋敷に遊びに来た。
キトの部屋で話をしたり、ひいおばあさまの洋服部屋で服を合わせてみたり、夕方には執事のナイトともに料理の手伝いをするなど、楽しい時を過ごした。
ソフィは冷蔵室ペンギンを初めて見て、「かわいい!家にもいたらいいのに」と大喜びしていた。
夕ご飯を食べた後、ソフィとシュエットは家へ帰っていった。
―
12月20日、一族訪問以来初めて、叔母のレイラと息子たちがキトの様子を見に夕ご飯時にやってきた。
そのまま一家は御屋敷に泊まることになり、キトはシュエットが片想い中の従姉妹アリシアとゆっくり話す機会を作ることができた。
一族が訪問した時には、1人1人とゆっくり話す時間はなかったため、アリシアともあまり話せていなかった。
アリシアは可愛らしくて話しやすい子で、彼女と仲良くなるのに時間はいらなかった。
このように…まったく敵の影なく、楽しいひと時が続いていた。
―――――
12月後半になり、猫屋敷の周りは完全に根雪となっており、雪も降り続いていた。
猫たちは雪が積もってからは、家に籠ってそれぞれ温もりのある場所を探すのが日課だ。
寒いからとタイガーとウォールナットは暖炉の前の陣取り争いを日々繰り返した。
「ここは俺の場所だ」とどの季節も暖炉の側がお気に入りのタイガーは移動しようとせず、ウォールナットが「誰の場所とかないでしょ!みんなのお家なの!」と移動させようとするといった感じだ。
一緒にいるスペースはあるのだけれど、お互いに譲れないこだわりがあるようだ。
仲の良いアーモンドとチェスは一緒にくっついて温かい地下室で寝ることが増えた。
夕方以降、ほんのりと温かい地下室のランプモンスターが傍にきて彼らに寄り添い、温めてあげている様子も時々見かける。
魔法の練習をしながら眺めていると…どの姿もとても愛らしく癒される。
おばあちゃん猫のコットは変わらず暖炉のある部屋のお気に入りのソファにいる。
温かい季節と違うのは、もふもふの紫色のブランケットを手放さないことだ。
バニラとクラウドはいつもの寝床に温かいブランケットをそれぞれ持っていき、くるまりながら寝ていることが多い。
冷蔵室のミニペンギンたちや角砂糖おばけのシュムシュムたちは雪が好きなようで、よく庭で遊んでいる。
キトも彼らに混ざって一緒に遊んだ。
温かい場所が好きな猫たちだが、遊び好きのアーモンドやチェスなどは、たまに外に出てきて一緒に遊んだりすることもある。
孤児院ではじっくりと雪遊びを楽しむ時間はなかったので、キトは楽しかった。
しかし、そんな中…着々と敵の影は忍び寄ってきていたのだ。
―――――
12月24日も庭でミニペンギンやシュムシュムたちと遊んでいた。
キトはシュムシュムたちが入るための小さなかまくらを作っていた。
シュムシュムたちはできたかまくらの中に入り、とても楽しそうに飛び跳ねたり、ゴロゴロと横になってみたり、中にはかまくらを食べちゃう子もいた。
ペンギンたちはソリで遊んだり、雪合戦をしたり、かまくら作りを手伝ってくれていた。
日が傾いてきて、空の色が変わり始めた頃…彼女たちのことを気にして、御屋敷の中にいたナイトとレオが様子を見に窓を開けてテラスまで出てきた。
それに気づいたキトは2人に微笑みかけ、手を振った。
「キトさん、みんな楽しそうだね」
とレオが声をかける。
「はい♩ シュムちゃんたち、かまくらを喜んでくれているんです!私も楽しいです♩」
彼女は満面の笑顔で答える。
「そう、よかった」
レオの声も嬉しそうだ。
「…もう暗くなっちゃいますよね。今、戻ります!」
キトは遊んでいるみんなにそろそろ戻ろうか、と伝えた。
すっかりみんなキトに懐いていたため、言うことを聞いてソリを持ってペンギンたちは冷蔵室へと帰っていき、シュムシュムたちも御屋敷の中へ戻っていった。
みんなが戻ったことを確認して、キトも御屋敷の中へ戻ろうとすると…
シャリン…
と鈴の音が聞こえた気がした。
音の聞こえた方に視線を向けると、森しかなく…“気のせいかな?”と首を傾げる。
「今、鈴の音が聞こえたよな…」
とレオがナイトに言う。
「はい…聞こえました」
「代わりに様子見てきてくれる?」
「分かりました…」
ナイトは冬靴を履き、森の方を見ているキトの傍に歩いてきた。
彼女に「…様子を見てきます」と声をかける。
キトはそのままそこに立ち、ナイトの背中を心配そうに見送る。
ナイトは森の中に入っていき、音の正体を確かめに行った。
また、小さくシャン…と音がし、その音の方へ歩いていく。
するとある生きものが目に入り、彼は驚いて目を丸くした。
その生きものは小さな生きもので、小人のようだ。
よく見ると、怪我をしていて雪が血で染まってしまっていた。
シャリンという音はその生きものが被っている帽子についている鈴の音だったようだ。
彼はその小さな生きものを両手で掬うように持って抱える。
息が弱弱しくなっていて、苦しそうだった。
そっと小さな生きものを運びながら、キトが待つ方へ戻る。
ナイトの姿が見えたキトは、「どうでしたか?」と声をかける
「正体は小人でした…怪我を」と言いながらキトの傍に来るナイト。
怪我した小人の姿をみて、キトは驚き、胸を痛めた。
「大変…助けてあげないと…!」
「とりあえず、地下室へ運びましょう…」
「そうですね…!」
ナイトとキトは、ゆっくりと歩いて小さな生きものに負担がかからないようにして、レオが待つテラスへと向かう。
「レオさん、大変なんです…小人さんが怪我をして…!」
と心配そうな顔をしてレオに駆け寄る。
「小人…?」
ナイトも追いつき、「とりあえず、地下室に運んでよろしいですか?」とレオに尋ねる。
「うん、お願い」
ナイトは冬靴を器用に脱ぎ捨て、そのまま地下室へと向かった。
レオは、森の方を見つめ…警戒している様子を見せた。
キトは、そんな彼を気にかけて見つめる。
様子を見ていると、急にレオの瞳の色が曇り、目を大きく見開いて驚いているようだった。
彼が見つめる先に視線を向けると、真っ白な雪の上に、怪我をしていた小人の血がポタポタと落ちていた。
その光景を見て…キトは前に見た夢を思い出す。
“…もしかして…レオさんはあの夢の光景を……?”ともう一度レオの方を見る。
完全に動きが止まり、瞳が揺らぎ、動揺しているように見える。
この時…レオの頭の中では、ある人の声が鳴り響いていた。
―…離れたとしても私は貴方のことを…
―…殺されたりしないで…
―…願いはそれだけ……
―…今は約束してくれるだけで十分よ
―…ずっと…愛してる……ずっと…ずっと……
走馬灯のように彼の脳内を記憶が駆け巡る。
―…レオさん……?……レオさん…?
ある人とは違う声が聞こえ、ハッと現実世界に戻ってくるレオ。
「…キトさん。…ごめん。行かないと…助けないとだね」
明らかに彼は動揺しており、いつもの余裕さが失われていた。
「…レオさん…大丈夫ですか…?」
キトは、このまま消えていってしまいそうな彼の雰囲気がとても心配だった。
「…大丈夫。雪を見て…少し苦い思い出をね…」
レオはそのままキトの顔を見ず…中へ戻っていった。
声が弱弱しくなっていて、とても大丈夫には見えなかった。
キトは急いで冬靴を脱ぎ、後を追っかけた。
慌しくしている3人が気になり、バニラとクラウドが居間から顔を出して様子を見ていた。
地下室に戻ると、テーブルにクッションを置き、小人を寝かせて傷の様子を見ているナイトの姿があった。
レオも椅子に上がり、様子を見る。
「…今治療すれば助かると思います」
「そうか、よかった…その棚に作り置きしている治療薬があるから頼んでいいかな?」
「…はい」
レオの指示で、ナイトは小人の手当をする。
キトはすぐ傍でその様子を黙って見守った。
手当が終わり、ホッと一息つく。
小人はそのままぐっすり眠っており、なんとか無事だったようだ。
「…なぜスヌクルが。この辺には住んでいない生きものですよね」
とナイトが呟く。
「小人さんはスヌクル…と言うんですか?」
「うん…。スヌクルは、ここよりももっと北の地に住んでいる。別名は、雪の子」
キトの質問に、眠っているスヌクルを見つめながら答えるレオ。
「雪の子…」
「とりあえず…どうしてこうなったかはこの子が元気になったら教えてもらおうか。今はそっとしておいてあげよう」
と言うレオの声は、いつもの優しい声で、さっきの弱弱しさは消えていた。
「はい…」
「ナイト、キトさんを連れて先に夕飯を食べてて。俺は…もう少しここにいるよ」
「…分かりました」
レオを地下室へ残し、キトとナイトは居間へと向かった。
キトは、レオのことが心配で食事が進まなかった。
「…キト様…大丈夫ですか?どこか具合でも…?」と心配するバニラ。
「え…だ、大丈夫ですよ!私は」
そう言いながらも、手が動かないキト。
そんな彼女に対し、「…レオなら大丈夫」とナイトが声をかけた。
「……ナイトさん?」
「…貴女が食べていないと知ったら、その方が大変ですよ。何もなかったように食べてください」
いつものように素っ気なく言うナイト。
「…はい」
「ナイトは言い方きついなぁ~もっと優しく言えばいいのに~」
とアーモンドが言う。
「仕方ないわ、ナイトだもの。いつもそうじゃない。彼なりに心配してるのよ」
とウォールナットがフォローする。
「さっき慌しくしていましたけど、何かあったんですか?」
バニラが首を傾げて、キトとナイトを見て尋ねる。
「森で怪我をしているスヌクルさんを見つけたの。それで手当するために急いでたから」
バニラを見ながら、キトが答える。
「スヌクルさん…?」
初めて聞く名にバニラはさらに首を傾げた。
「スヌクルって名前の小人さんなの。普段は北の方に住んでいるみたいで」
「そうなんですか…!」
「スヌクルのことは気にしなくていい。すぐに良くなるだろうから…」
とナイトが話を終わらせるように言い、スヌクルの話題はそこで終わった。
夕ご飯の間もその後も、結局レオは地下室から出てくる様子はなく…キトの心配は膨らむばかりだった。
かといって何もすることができず、庭のテラスに繋がる窓の前に立ち、降る雪をぼーっと眺めていた。
気配を感じ、横を見るとナイトが立っていた。
驚いて彼の横顔を黙って見つめていると…彼はこちらを見ずに黙って雪を眺めていた。
何と声をかけていいか分からず、とりあえず視線を前に戻した。
しばらくそのままの時間が続き、“何しに来たんだろう”と不思議に思いながらも聞けずにいた。
すると…「俺がここに来たのも…この季節だった」とナイトは外を眺めたまま、そう呟いた。
突然ナイトが話し出したことが意外なもので、キトは驚いてもう一度彼の横顔に視線を向けた。
「…執事として雇われたんですか…?」
このまま何も答えなければ話が終わってしまいそうで、キトは勇気を出して尋ねてみることにした。
「…子供の時にこの屋敷に来た。執事になるためではなくて…レオが拾ってくれた。気づいたら執事と呼ばれるようになってただけ…」
彼はキトを見ることなく、外を眺めたまま言葉を返した。
「そうだったんですか…」
さらに掘り下げる言葉が見当たらず、また沈黙になってしまう。
「…レオのことは心配するだけこっちが疲れるだけですよ。…彼が背負っているモノは俺たちには理解ができるものじゃない。…俺も何があったかは知らないけど、きっとね。……貴女より長くいる俺でも…さらに長く一緒にいたルナでも…彼の心の奥には触れられなかったから。…まぁ…ルナは俺よりは触れていたかもしれないけど」
ナイトは遠くを見ながら、静かに言った。
いつものように素っ気なく淡々と話す彼だが、心配しているキトを気にかけ声をかけてくれたようだ。
「…貴女が彼を気にかけていることには気づいている。…それに…来た頃と彼への想いが変わっていることにも。……レオを見る瞳や反応が変わったから」
「え……」
「誰かを好きになるのは自然なことだから、別にいいと思いますよ。それに…義務とはいえ、夫婦になったわけだし……。好意を抱いても別に変じゃないというか……」
ナイトは適切な言葉を探すように、ゆっくり話す。
「気づいてらっしゃったんですか…?!」
自分の恋心がバレていたことに驚き、キトの頬が赤に染まる。
「…逆にバレてないと思ってたんですか。見てれば分かりますけど」
真顔のまま、チラッと彼女を見て、淡々と続けるナイト。
「…お恥ずかしい」
頬を染めたまま、目を閉じて俯くキト。
「……レオから影を感じる。寂しさや哀しさのようなものを。だから余計に彼を気にかけてる」
「…ナイトさんも感じるんですか?」
顔を上げてもう一度彼の方を見る。
「感じるよ。でも、レオはそれを出さないようにしている。だから…それには触れないようにしてる。……彼のことを想うなら、いつも通り過ごした方がいいと思う。…もう分かってるでしょう?レオが簡単に胸の内を明かしてくれる人じゃないってことくらい」
ポーカーフェイスを崩すことはないけれど、キトは何となくナイトから寂しさのようなものを感じた。
もしかしたら…自分と同じく彼のことを何とかしてあげたいと思いながら、何もできないことを悔やんでいるのではないか…そうキトは思った。
「…確かにそういう人ではないですね」
キトは眉を下げ、落ち込んでいるような表情になる。
ナイトは、またチラッと彼女を見て、小さな溜め息をつく。
「…レオは貴女のこと、結構気に入ってると思うよ。…なんとなく楽しそうだし」
「え…」
「…ルナはいつも笑顔で屋敷を明るくする人だった。むしろ騒がしくてうるさいくらい。貴女もそうなればいい。そしたら…少しはレオの役に立つんじゃない?」
顔をキトの方に向け、真っ直ぐと見つめてくるナイト。
「…笑顔…。そうですね!確かに私がいくら心配してもできることはほとんどないし……笑顔で明るい御屋敷にする…とても素敵なアイディアですね!…ナイトさん、ありがとうございます!…ナイトさんって優しい人ですよね?…話し方は素っ気ないけれど」
ナイトに対し笑顔を送り、それに対し彼はきょとんとして少し驚いているように見える。
「…別に優しくはないよ」
と言い、彼は庭の方に視線を逸らす。
「…ナイトさんはレオさんのこと大好きですよね?いつも誰よりも気にかけているような気がします」
キトも彼と同じ方向に視線を向け、話しを続ける。
「そんなこと…俺はただ…あの人は恩人だから…」
「…恩人?」
「……心のなかった俺に…心をくれた人だから。それと…居場所も」
「…心をくれた人…」
「…俺の話はもういい。さっきより表情が明るくなったみたいだから、もう行きます」
ナイトはバサッと話を切り、キトに目を合わせることなく、キッチンの方へ歩いて行ってしまった。
初めて少し…彼の本音に触れることができた気がした。
彼がレオをとても大切に思っていることが伝わってきた。
それに暗くなっている自分を元気づけに来てくれたことが嬉しかった。
そして…仮面もつけているし、いつも何を考えているのか分からない彼だけれど、少しだけナイトという人物を知れたようで…それもまた嬉しかった。
キトはナイトの後ろ姿を見ながら、微笑むのだった。
―――――
スヌクルが目を覚ましたのは、夜中のことだった。
スヌクルのために地下室にはレオだけが残り、魔法の練習はせずにキトは部屋で眠っていた。
「キトさん…」
身体を揺すられ、名前を呼ばれた気がして重たい瞼をゆっくり開ける。
すると…目の前にレオの姿があった。
「起こしてごめんね?スヌクルが目を覚ましたんだ。ナイトからキトさんがスヌクルのこと心配してて、目を覚ましたら呼んでほしいって言ってたと聞いたから。一応声をかけた方がいいかと思って…このまま寝ててもいいし…どうしたい?」
静かな声で、彼女に尋ねるレオ。
“…確かに心配してたけど…ナイトさんにそんなお願いしたんだっけ……?…もしかして、ナイトさんが気を利かせてくれたのかな…?”
寝起きでぼーっとする頭を一生懸命回転させて考え、「様子見に行きたいです…!」と答える。
「分かった、地下室にいるからゆっくりおいで?」
「はい…ありがとうございます、レオさん」
ゆっくり身体を起こし、先に戻ったレオの後を追う。
地下室に入ると、シャンシャンとスヌクルがかぶる帽子の鈴の音が聞こえた。
「キトさん、こっちへおいで」とレオに呼ばれ、傍に行く。
クッションの上にちょこんと座り、元気そうなスヌクルの姿があった。
小さな身体に大きな円い瞳、暖かくて柔らかそうな帽子。
動くたびにシャンと小さな鈴の音が鳴るのが可愛らしい。
怪我の治療のために服は変えてあげていたが、帽子がないと落ち着かないらしく、起きてすぐに帽子はどこか尋ねてきたそうだ。
「思ったより元気そうですね!安心しました」
「うん、薬の効果もあって結構回復したみたい」
「初めまして、キトと言います。スヌクル…さん?」
椅子に腰かけ、スヌクルと目線を合わせて挨拶する。
「はじめまして!トゥトゥです!」
スヌクルは元気よく返事をした。
「トゥトゥさん♩ かわいいお名前ですね」
「ありがとう!キトゥさん!」
少し名前の呼び方が独特なのが可愛らしくて、キトはつい笑ってしまいそうになる。
声に出して笑うことはなく、トゥトゥに微笑みかけた。
「トゥトゥ。キトさんも来たし、そろそろどうして怪我をしていたのか、話してもらってもいいかな?」
レオの質問を聞いて、トゥトゥは急に泣き出しそうな表情に変わる。
「…もしかして、ヘレナたちに何かあったの?」
「…フィンレーさま…うぅ」
ついに、トゥトゥは泣き出してしまった。
レオのことをフィンレーと呼ぶトゥトゥ。
初めて聞く名にキトは困惑した。
「あ…あのレオさん?トゥトゥとお知り合いなんですか…?」
「ううん、彼とは初めて会ったよ。けど、彼の故郷には行ったことがあってね。その時には〔フィンレー〕という名前で呼ばれてたんだ。驚かせちゃったね?」
泣き出してしまったトゥトゥを優しく撫でながら、キトに声をかけるレオ。
「あ…いえ!そうだったんですね」
「…ヘレナさまが…みんなが…うぐっ……」
言葉が詰まってしまい、上手く話せないトゥトゥ。
「ゆっくりでいいよ…」
「……カルロ…名乗る男が現れて…シュネルカを乗っ取ったんです……ヘレナさまは檻に……トゥトゥは…ヘレナさまに頼まれて…ここまで。でも……その途中で追ってきた人に攻撃されて…」
トゥトゥの話を聞いて、レオは驚いた表情を浮かべる。
「…シュネルカ…?」
キトは初めて聞く名前に思わず、疑問の気持ちが言葉に出てしまった。
「シュネルカは、北にある小さな国だ。その国を治めているのがヘレナ。シュネルカには、スヌクルみたいに北の地にしか生息していないとされている多くの生きものたちが住んでいるんだ。家にいるミニペンギンたちもシュネルカから来たんだよ?」
「ペンギンさんたちも?!」
「うん。彼らはヘレナが友好の証として、預けてくれたんだ」
「そうだったんですか……その国が乗っ取られてしまって…女王さまのヘレナさんが捕まってしまった…それでトゥトゥさんはレオさんに知らせにきた…。大変だわ…」
小さく鈴を鳴らして涙を流すトゥトゥを見ながら、眉を下げ、心配の表情になるキト。
「……ゲームが始まる…。ついに始まってしまったというわけか」
と呟くレオに対し、キトは首を傾げた。
「キトさん…この前のこともあるし、さらに警戒しないといけない。俺たちの仇が本格的に動き出したんだ。シュネルカを落としたのは、それを知らせる合図だと思う」
いつにも増して真剣な表情で、彼女を見据えるレオ。
「私たちの敵…?この前、アトウッド家に現れた人たちですか?」
「彼らもそうだね。カルロという男がどんな男なのかは分からないけど、おそらく彼らの仲間だ。トゥトゥ…カルロは黒マントに黒い仮面姿だったか?」
頷くトゥトゥにレオは続けて「身体のどこかにタトゥーがあったか?」と尋ねる。
「ありました…腕に」
涙を流したまま、答えるトゥトゥ。
「…間違いないみたいだね」
「レオさん…いったい…」
「キトさんのことを狙っている人たちには共通がある。黒仮面・黒マント・同じタトゥー…ある人への忠誠心をそれで示している」
「ある人…?」
「カーモス…それがある人の名。そいつがキトさん、君の命を狙っている主犯だよ」
と話すレオの真剣な表情と低くなった声のトーンから、怒りの感情が混ざっているように感じた。
「どうして…その人が…」
「それは分からない。けれど…少なくとも誰が狙っているかは分かったね?」
レオは安心させるようにまた微笑む。
「フィンレーさま…トゥトゥたちを助けてくださいっ…!」
止まらない大粒の涙を抑えようと必死に手で拭いながら、真剣にレオを見るトゥトゥ。
申し訳なさそうにトゥトゥを見ながら、「……ごめん、それはできない」と返すレオ。
「そんな……」
トゥトゥは拒否されたことに絶望の表情を浮かべる。
必死に拭おうとしていた涙がまた溢れてしまった。
「少なくとも今すぐはね…今行けば相手の思う壺なんだ。シュネルカは元に戻らないまま、キトさんが危険にさらされる」
「…うぅ……」
俯いて身を縮めて、身体を震わせながら泣くトゥトゥ。
「トゥトゥ…今すぐは難しいけれど、必ず策は考えるよ。だから…泣かないで顔をあげて?」
レオは落ち着かせるように静かに、トゥトゥに声をかける。
「あい……」
やはりトゥトゥの涙は止まらず、しばらく泣き続けた。
泣き続けるトゥトゥを撫でるレオの手は優しく、しばらくしてその手に安心したトゥトゥは泣き疲れたのもあり、気づいたらレオの手を枕にして眠っていた。
トゥトゥのかぶる帽子をとり、彼の傍に置く。
そして、静かにクッションに寝かせ、小さなケットをかけてあげる。
「レオさんは私がいるから、シュネルカを助けに行けないのですか?」
泣き崩れているトゥトゥに対し、心苦しくてたまらないキトはそう尋ねた。
「キトさんがいるからだけではないよ。…前準備もなしに突っ込んでも被害が拡大することが目に見えているから。感情論で解決する問題ではないんだ」
感情で動かされているキトに対し、レオは冷静に答える。
「そうですか……」
「それにヘレナは、国を乗っ取られたとしても折れる人じゃないよ。それにあの国に住んでいる生きものたちも強い子たちが多いから。多分俺に知らせるようにトゥトゥに伝えたのも助けてくれということではなく、今後に備えろってことだと思う。あの人は俺に頼るようなことはしない人だから」
そう話すレオの表情は柔らかくて、〔ヘレナ〕という女性を信頼していることがよく伝わってきた。
「ヘレナさんのことをよくご存知なんですね…シュネルカにレオさんも住んでいらっしゃったんですか?」
「うん。猫になるようになってからルナに出会うまでの間、しばらくシュネルカに住んでた。レオという名はルナが付けたもので、シュネルカにいた頃は〔フィンレー〕という名だった。ヘレナもそう呼んでる」
「フィンレーというお名前も素敵ですね。…それがレオさんの本当の名前なんですか?」
レオの横顔を期待の眼差しで見つめるキト。
彼女はレオのことを知りたいと思っているのだから当然だろう。
「…ううん、違うよ。本当の名は…過去に置いてきたから」
静かに呟くように言う彼に、掘り下げて聞く勇気はなかった。
ガチャッと地下室の扉が開く音がして視線を向けると、入ってきたのはナイトだった。
「レオ…すぐに来てください」
「どうしたの、ナイト」
「またかぼちゃが…」
「…分かった」とレオは立ち上がって地下室の扉の方へ歩いていくが、一度振り返り「キトさん、今日は地下室で眠っていいから。トゥトゥの傍にいてあげてほしいんだ…お願いできるかな?」と声をかけた。
「…はい!それはもちろん…!」
「ありがとう…行こう、ナイト」
「はい…」
地下室を出て行く2人。
魔除けのかぼちゃに何があったのだろう…と不安が襲うキト。
少しレオのことを知れたが、さらに謎が深まってしまった。
過去に置いてきたという彼の本当の名は…
ひいおばあさまのルナに出会う前の彼は何をしていてどんな人だったのか…
信頼し合っているように思えるヘレナという女性とはいったいどんな関係なのか…
そして…何故自分は命を狙われ、シュネルカは敵に乗っ取られなければならなかったか……
知りたいことが溢れ、頭がパンクしてしまいそうだった。
目の周りを赤く腫らして静かに眠っているトゥトゥを見ると、すぐにでも助けに行ってあげたいと思うが、確かに感情ではどうにもならなくキトでは明らかに力不足だ。
その事実を嚙み締め、小さなトゥトゥに胸を痛めるのだった。
―――――
「また壊されているのか?」
「はい…頻度が増えています。何度置き直してもすぐ壊される…」
「魔除けとしての役割は果たしてくれているけれど…相手の力が増せばかぼちゃだけでは持たないからね。トゥトゥに話を聞いてわかったんだけど、やっぱり本格的に動き出したようだよ。あ…トゥトゥは今家にいるスヌクルの名前ね?」
そう話しながら、レオは壊された魔除けかぼちゃたちを魔法で元に戻す。
魔除けかぼちゃは、怪しい奴らが現れた時に驚かしたり、噛みついたりして追い払ってくれる役割がある。
色々な表情や大きさをしたかぼちゃがいるが、共通点は悪戯好きなことだ。
敵じゃないと分かっていても悪戯をしてしまう性分で、キトが初めて御屋敷を訪れた時にウインクしてきたのもそのためだ。
森の入り口まで送り、遺言書を手渡して去っていったあの日の中年男性も、このかぼちゃに脅えていたために御屋敷についていきたくなかったのだ。
遺言書を取りに行った日、かぼちゃたちに盛大に驚かされてしまったそうだ。
「……スヌクルと何か関係が?」
戻っていくかぼちゃたちを眺めながら、レオに尋ねるナイト。
「うん…彼の故郷はシュネルカという国なんだけど。ルナに出会う前に一時的に住んでいたところなんだ。そこが仇の手に落ちたと教えてくれた」
「そうですか…きっと貴方をこの屋敷から遠ざけないのでしょう」
「そうかもね…恩のあるシュネルカを落とせば、俺が動くと」
次々とかぼちゃたちが元の形に戻り、笑うかぼちゃや話し出すかぼちゃが現れ、賑やかになっていく。
「シュネルカへ行かれますか…?」
「今は行かないよ。恩があるとはいえ…危険すぎる」
「賢明ですね…」
「最近は失踪事件も多発しているし…歴史が繰り返そうとしている。…ナイト、悪いんだけど…」
レオは申し訳なさそうな表情をしながら、ナイトの瞳を見据える。
「遣いですね」
何も言わずともレオの想いを察し、頷くナイト。
「うん…いつもありがとう」
微笑むレオの瞳は、ナイトへの感謝で溢れていた。
「いえ…今動けるのは俺だけでしょうから」
一度屋敷に戻り、荷物を持ってすぐに出てきたナイトは、レオに会釈してから姿を消した。
残ったレオはナイトが姿を消した場所を、何か考えているような様子で見つめていた。
元に戻った魔除けかぼちゃたちの気味の悪い笑い声が雪降る夜に響く…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
12月25日…夜中に魔除けかぼちゃが壊された日。
夕方、キトが広間で揺れ椅子に座り、おばあちゃん猫のコットを膝にのせて撫でてあげていると…コンコンと窓を叩く音が聞こえた。
「ん?なんじゃ…?」
コットが耳を動かしながら、顔をあげる。
「何か叩く音が……」
一度コットに降りてもらい、急いで窓のカーテンを開けに行く。
「ティポさん…ティポさんだわ!」
窓の外にシュエットの相棒フクロウであるティポがいて、必死に窓を叩いていた。
「ティポさん、どうしたんですか?シュエットさんも一緒ですか?…寒いでしょうから、まず入ってください…」
彼を中に入れてあげて、窓を閉める。
「シュエットとソフィは無事です…が。他のご家族の皆さんが消えてしまいました…」
「…何ですって…消えたってどういうことですか?」
彼の羽には雪がいっぱいついていて、キトは身体のその雪をほろってあげる。
気になったコットも傍に寄ってきた。
「シュエットとソフィはまだ家にいます…急いで誰かに知らせなくてはと……」
「キト、レオに知らせるんじゃ」
コットは見上げて、キトを見つめた。
「コットさん…そうですね。伝えてくださってありがとう、ティポさん。疲れたでしょう?地下室に行きますから、腕に乗ってください」
ティポを腕に乗せ、慌てて地下室へと向かい、レオにティポから聞いたことを伝える。
「もしかしたら、一連の失踪事件に巻き込まれたのかもしれない。今すぐ2人を迎えに行かないと彼らも危ないかも…」
とレオが冷静に分析する。
「大変…」
レオは急いでキッチンにいるナイトに声をかけ、2人を迎えに行くように伝えた。
ナイトは瞬間移動で姿を消し、アトウッド家に向かった。
数十分待っていると、ナイトは2人を連れて猫屋敷へ戻ってきた。
「シュエットさん、ソフィさん…無事でよかった…!何があったんですか…!」
広間に入ってきた2人にキトは駆け寄って声をかける。
「キトさん…家族がみんないなくなっていたの…。私たちいつもみたいにフクロウたちにご飯をあげていたの。それで…部屋の中に戻った時には誰もいなくなっていたの。ほんの10分くらいの間なのに…元々誰もいなかったみたいにシーンとしていて…。部屋の中に残っていたフクロウたちに聞いたら、黒い影が現れたかと思ったら一瞬で姿を消したと言うの……。あまりに一瞬のことで何もできなかったって……。何がどうなっているのか…新聞に書いてた失踪事件に巻き込まれちゃったのかな……。私たちどうしたら……」
ソフィは混乱状態で、身体を震わせ、ギュッと手を握り込んでスカートを掴んでいた。
キトは彼女を落ち着かせるようにそっと抱き締める。
「キトさん……」
キトの肩に額を乗せ、涙を流し出すソフィ。
まさかアトウッド家にまで被害が出てしまうなんて…とキトは驚きを隠せなかった。
「シュエット…」
レオは呆然として黙り込んでいる彼の傍に行き、見上げて声をかける。
「師匠……」
いつもお喋りなシュエットだが、彼も混乱状態で言葉が出てこない様子だった。
「…シュエット、ここ座って?」
言われた通り、指し示された椅子に座るシュエット。
「驚いたよね…?」
いつもの優しい声で、ゆっくりと語りかけるレオ。
「はい……まさかいなくなるなんて……」
膝の上で拳をつくり、緊張して身体を固くしているシュエット。
「今すぐにできることはないけど…事件について調べるよ。それに…君たちには手出しはさせないよ…。すぐに気持ちは落ち着かないと思うけど…しばらくこの屋敷でゆっくり過ごすといいよ…」
もふもふの小さな手をシュエットの拳の上に乗せ、安心させようとするレオ。
「師匠…ありがとう」
シュエットの目に涙が溢れ出し、一筋頬に流れ落ちた。
猫姿のレオを抱き上げ、思いっきり抱き締めるシュエット。
レオは少し驚いたが、これで彼の気持ちが落ち着くならと黙って抱き締めさせてあげた。
「猫ちゃんタイムの師匠…あったかい……」
そう呟きながら、肩を震わせ、シュエットは泣き続けた。
そんな中、徐々に屋敷の周りにフクロウが増えて行った。
アトウッド家の傍に住んでいる彼らにも猫屋敷へと逃げてくるように伝えたためだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
シュエットとソフィが猫屋敷で過ごし始め…少しずつ気持ちが落ち着いていった。
結局家族は行方不明のまま…5日が経とうとしていた。
12月30日…親交のあるガーネットと、シュエットと仲の良いアルヴィンと双子のアリシアが2人の様子を見にやって来た。
2人を慰めるためにもアルヴィンとアリシアは泊っていくと言って、屋敷に残ってくれた。
あれからソフィはキトの部屋で一緒に寝ていた。
この日、アリシアもキトの部屋で寝ることにした。
0時すぎ…物音に気づき、キトは目を覚ました。
何か指示をしているような声が聞こえた。
音に気づいたのは、キトだけではなく、アリシアもソフィも目を覚ましていた。
3人は顔を見合わせ、もしかしたら人攫いではないかという不安に駆られる。
すると、ものすごい勢いで階段をあがってくる音が聞こえ…すぐに対抗できるように3人は部屋にある武器になりそうな椅子や本などを手に取って構えた。
勢いよく部屋に入ってきたのは、地下室で寝ているはずのシュエットとアルヴィンだった。
「シュエットくん、アルヴィンも…どうしたの?」
とアリシアが尋ねる。
「大変だ…大変だよ…!師匠が……!」
息を切らしながら必死に伝えようとするシュエット。
「レオさんに何かあったんですか…?!」
キトは手に持った椅子を置きながら、尋ねる。
「師匠を逮捕するって…!」
「逮捕?!」
声が揃って驚くキトたち3人。
何があったのか確かめなくてはと、5人は慌てて玄関まで階段を駆け下りた。
すると、手枷をつけられ、床に座らされているレオの姿があった。
その周りには、ローブを着て胸にバッジをつけた者たちが立っていた。
「これはどういうことなんですか?」
と勇気を出して尋ねるソフィ。
キト以外は、みんな胸のバッジをみて、立っている者たちが魔法使いを取り締まる警察であることに気づいていた。
「こいつは連続失踪事件の犯人であると通報が入った。だから、連行するんだ」
威圧するように言う警察の男。
「そんな…!おかしいです。アトウッド家のみなさんがいなくなってしまった時、レオさんはずっと屋敷にいたのに…!犯人なわけないですよ…!」
レオが連れていかれてしまうと知り、取り乱すキト。
「キトさん、落ち着いて。この人たちは警察なのよ」
キトをなだめようと声をかけるソフィ。
「でも…」
キトの動揺に反応するように、御屋敷内のランプモンスターたちが混乱し身体の色を変えていた。
「ほら、行くぞ。立て、抵抗するなよ。ま、どうせ手枷をしているから魔法は使えないだろうが」
と無理やりレオを立たせ、歩かせようとする警察の男。
レオは抵抗する様子なく、従っていた。
「待って…!証拠はあるんですか?!レオさん…!一緒にいたと言ってください!あの日…朝から広間でみんなと一緒だったでしょう?確かにぴったりずっと一緒ではなかったけど…でも!」
キトは焦って必死にレオに呼び掛けた。
「お前、私たちがすることにこれ以上口出しをするようなら、共犯としてお前も連行するぞ!」
とキトを脅迫する警察。
「キトさんは共犯じゃないです…!ただ、家族が犯人だと聞いて動揺しているだけなんです…!」
慌ててキトを庇うソフィ。
「私はただ…本当のことを…!」
キトは、脅しに屈せずに真実を伝えようとした。
警察の男は、逆らってくるキトに腹を立てているようで、レオの傍を離れてキトにも手錠をかけようと歩き出した。
そんな中、今まで俯いてたレオが顔を上げ、キトと目を合わせる。
「レオさん…!」と声をかけようとすると、急に心臓が押しつぶされるようにドクンと鳴り、頭がクラクラし…身体が石のように固まってしまう感覚が押し寄せた。
そして…声も出せなくなった。
“これは何…急に身体が動かせない……それにレオさんの瞳から目を逸らせない……”
レオの瞳はいつもの美しい緑ではなく、鬼火のような揺らめく青の瞳に変わっていた。
“レオさん…これはいったい…”
そう思った矢先…勝手にキトの口が動いた。
「すみませんでした…驚いて少し取り乱してしまっただけで…」と言葉を発していた。
心にもない言葉が勝手に出てきた。
そして…足も勝手に動き、下がってソフィの後ろへ行くと足が止まった。
「隊長。一緒に住んでいる者が急に逮捕され驚いただけでしょう。さっさと連れていきましょう」
と部下のような警察の1人が声をあげる。
「そうだな、行くぞ」
隊長と呼ばれた男は、手に出した手錠をしまい、レオを歩かせ連れて行った。
その際…一瞬キトの方を見たレオの瞳は、いつもの緑に戻っていた。
第6章:猫屋敷と忍び寄る影。を読んでいただき、ありがとうございます。
次回、レオがいなくなった猫屋敷、みんなの雰囲気は暗くなり…寂しい御屋敷になっていた。
そこへ久しぶりに猫の訪問者が来るが…その猫たちはやりたい放題に大暴れ…?
第7章:レオのいない猫屋敷。(仮名)をお楽しみに!ぜひ読んでいただけると嬉しいです!
★前書きの表紙についての解説
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最後、キトを見据えたレオの瞳。
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★登場キャラクターイメージ
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黒マント男:ジェモ
黒マント女:ジェミ
キースと呼ばれるフクロウ
スヌクルのトゥトゥ
魔除けかぼちゃたち