私とマリとドレス
マリの大声に、隣室にいたお母さまとソフィ伯母さまが飛んできた。
「お母さまっ! ポーラがっ、ポーラがジュリ姉さまのドレスにインクを落としたわ。ポーラのせいでジュリ姉さまのドレスが台無しになったのよっ!」
「まぁまぁっ、なんてこと! ポーラっ、あなたがよく粗相をするのは知っていたけれど、よりによってこんな日にこんなことをするなんてっ」
「ちっ、違います。私じゃありませんっ。マリエッタお嬢さまがっ」
「黙りなさいっ。自分のミスも謝れないメイドなど、メイドじゃありませんっ。なんてこと! これだから子爵家のメイドは質が低いのよっ」
「ポーラなんてメイド失格よ! ジュリ姉さまのドレスを汚してしまうなんて。ひどいわっ。ポーラのせいよ。ポーラが悪いんだわっ」
「お母さま、ソフィ伯母さま、待って。ポーラじゃないの。ポーラは悪くないわ」
部屋中が大騒ぎになり、ドレスを汚されたのも相まって頭がくらくらした。
「ジュリエッタお嬢さま、大丈夫ですか?」
ぐったり椅子に座り込んで動けなくなった私に、近付いてきたエリーナが濡れた手拭きで顎の辺りを拭いてくれる。
どうやらインクは顔にまで飛んでいたようだ。
「奥様、今はジュリエッタお嬢さまのドレスをどうするのか考えませんと。このドレスではとても王宮で行われるお茶会には出席出来ません」
エリーナの冷静な言葉に、お母さまとソフィ伯母さまが我に返る。
「そ、そうね。でも、王宮へ着ていけるドレスなんて他にはないわ。ああ、どうしましょう! エリーナ、今からインクの染みを抜くことはできるかしら?」
「ドレスの色が薄いので、難しいと思います。それに、下手に触ると逆に染みが広がってしまう恐れもありますので」
「なんてこと! ジュリ姉さまは王宮へは行けないんだわ。なんてお可哀想なお姉さまっ」
「マリエッタ……あなたも一緒に行けると楽しみしていたのにね」
「お母さま、本当に私ひとりでお茶会に行くの? ジュリ姉さまがお留守番なんて。私だけがお茶会に行くだなんて、そんなのひどいっ。わあああっ」
お母さまと一緒になって嘆くそぶりを見せるマリに強い憤りを覚えた。
せっかくミアンや工房の人達が作ってくれたドレスを、自分の方が目立ちたいからという身勝手な理由で台無しにするなんて。
自分の悪事をポーラに押しつけるなんて。
憤りのおかげで体に力が戻ってくる。周囲を見回す余裕も出てきた。
部屋の隅に、ポーラが真っ青な顔で立っているのを見つける。
よってたかって責められて今にも泣きそうな哀れな姿に、思わず席を立った。
小さく震えているポーラの両手をぎゅっと握りしめる。
「大丈夫。私がちゃんとお母さまに言うわ。私は知っているもの。ポーラは何もしていないって。だからそんな顔をしないで。しっかりして」
そんな力のない顔をしていたらマリにつけ込まれるかもしれない。
ポーラは、マリが私に意地悪しているのを知っている。
実際目の当たりにしたのはさっきが初めてだろう。
それでもマリの性格が見かけ通りでないのを知っているため、私の言葉に反応するのも早かった。
きゅっと唇を引き絞ると、私と目を合わせて頷く。
「ねえ、お母さま」
それに思いついたこともあった。
「お母さまのドレス工房だったらどうにかしてくれないかしら」
振り返って、お母さまに訴える。
「ミアンがいるところよ。お母さまのお知り合いの優しいマダムがいらっしゃるドレス工房だったらきれいにしてくれると思うの」
「まぁ! ジュリエッタ、いい考えよ。そうだわ。『ギザルテ』へ行ってみましょう。もしかしたらということもあるわ。工房のマダムに相談してみましょう!」
お母さまはすぐに乗ってくれた。
渋い顔を見せたのはマリだ。
けれど表だって何も言えないのか、こっそり私を睨みつけるばかり。
しかしここで思わぬ反対の意見を出したのはソフィ伯母さまだった。
「何を言っているの。『ギザルテ』なんて三流のドレス工房じゃありませんか。あんな店に任せたらさらにひどいことになるわ。いいでしょう、ここはジュリエッタのために私がひと肌脱ぎます。我が伯爵家御用達のドレス工房を紹介するわ。王都でも一番の『クラープル』は、王室の方々のドレスも扱っているすばらしい工房ですからね」
それに慌てたのは私だ。
『ギザルテ』に行くのはドレスの染みをどうにかしてもらうためだけじゃない。
ミアンに会うためでもあった。
同人誌通りに工房を辞めさせられる寸前ならば助けたい。
ポーラに頼もうと考えていたが、自分が行けるならそれにこしたことはない。
こんな絶好の機会を逃してはダメだ!
「ソフィ伯母さま、でも今日は『ギザルテ』へ行きたいの。このドレスを作ってくれたところよ。ドレスを作った工房だったら何か方法があるかもしれないもの」
「そうね。ソフィお義姉さま、せっかくおっしゃってくださったのですが、ジュリエッタの言う通り今回は『ギザルテ』を頼りたいと思いますわ」
あ、お母さまのちょっと怒った声。
仲良くしている工房を三流扱いされたんだから、気分も悪くなるわよね。
おかげで伯母さまに反抗して私の意見を通してくれそう。
「なっ、だったら勝手にしなさい! 二人ともなんて恩知らずでしょう! せっかく私が伯爵家の工房を紹介してやろうと思ったのに。もう知りませんっ」
すっかり機嫌を損ねたソフィ伯母さまはそのまま部屋を出ていく。
「さぁ、ジュリエッタ。すぐに出かけますからね。ポーラ……は今日は謹慎させます。エリーナ、ジュリエッタの支度を手伝ってあげてちょうだい。マリエッタはソフィお義姉さまにお願いするからアントンと一緒に王宮へ行くのよ」
「嫌よ嫌! お母さまと一緒に行くのは私よ。王宮へひとりで行くのは絶対嫌! ソフィ伯母さまは怒ってたわ。きっと馬車の中でひどく怒られるのよ。そんなの嫌! お母さまと一緒に王宮へ行くの。お母さまと一緒じゃなきゃ王宮なんて行きたくないっ」
お母さまの腕にしがみついて、マリエッタが行かせまいとわがままを言う。
子爵夫人であるお母さまが工房へ一緒に行くと、上手く行かないのも上手く行くかもしれない。
それを心配しているのだろう。
「お母さま、いいわ。私はエリーナと行く。その代わりポーラも一緒に行かせて。まだへアセットも途中だったの。もしドレスがきれいになったら、工房でヘアセットも一緒にしてもらわなきゃいけないわ。ポーラは私のメイドだもの。最後まで付き添ってもらいたい」
「奥様、ここは私にお任せください。ジュリエッタお嬢さまが王宮へ行けない場合、マリエッタお嬢さまが王宮でお一人になりますからそれも心配です」
エリーナも口添えしてくれて、お母さまはマリと王宮へ行くことになった。
私はエリーナと工房へ向かう馬車に乗り込む。ポーラも一緒だ。
馬車が走り出してすぐ、エリーナが口を開いた。
「ドレスを汚したのはマリエッタお嬢さまですね?」
確信する言葉に、私もポーラもびっくりしてぽかんとする。
私の方こそ、エリーナに訴えようと思っていたのだ。
ポーラのせいじゃない。
マリのせいだって。
「どうしてわかったの?」
「魔色ペンをあの部屋へ持っていったのは、マリエッタお嬢さまですから」
「エリーナは知っていたの?」
「私から隠すようにこっそり持ち込まれるのを見て不思議に思っていました。それに、幾らポーラがドジを踏みやすいとはいえ、あんな大それた失敗をする子じゃありません。ましてや、身支度に必要のない魔色ペンを手に取るはずがないのです。でしたら、魔色ペンを持ち込んだマリエッタお嬢さましかいません」
「すごいわ。エリーナは探偵さんみたい」
あ然とする私に、エリーナはさらに表情を引き締める。
「それに、最近のマリエッタお嬢さまは様子がおかしいですから。突然活発になられましたが、屋敷で騒ぎが起き出したのもちょうど同じ時期。それもすべてマリエッタお嬢さまの訴えによるものですからね。何かおかしいと思う者は屋敷にも多くおります。僭越ながら私も、ジュリエッタお嬢さまが屋敷で孤立するのを忍びなく思っていたのです」
優しく言われて目が熱くなった。
ポロリとこぼれた涙を、エリーナは取り出したハンカチで拭いてくれる。
「泣いてはいけませんよ。目が赤くなっては、せっかくのお嬢さまの可愛らしさが半減します。お嬢さまはこの後王宮へ行かれるのですから」
「行けないかもしれないわ。ううん、きっともうダメよ。こんなにひどい染みだもの。工房でもどうにもならないわ。せっかくのお茶会なのに。素敵なドレスだったのに」
久しぶりに触れた優しさや胸の中の憤りや悔しさに涙はますます止まらなくなってしまった。
自分が思っていた以上に今日のお茶会を楽しみにしていたことに気付く。
工房へ行ってもドレスがきれいになるとは本当は思っていなかった。
それくらいインクの染みがひどい。
私が工房へ行く目的はミアンのため――最初からそのつもりだった。
けれどお茶会へは行けないといざ口にしてみると、それがとても悔しくて悲しいことだと実感してしまい、熱い涙が溢れてきてしまったのだ。
マリのせいで私はお茶会へ行けない。
本当はとてもとても楽しみだったのに――――。




