一緒に抜け出す?
「でも、アントンも諦めがよすぎるわ。お父さまの仕事を継ぐのは大切かもしれないけど、趣味くらい持っててもいいじゃない。法曹のお勉強をして、空いた時間に蝶の本を読んだり外に出て観察したりするのはいい息抜きになると思うの」
照れを誤魔化すように、ずっと考えていたことを口にした。
「大人になってもきっとそうよ。王宮でお仕事をしたあと、家に帰ってきて何もすることがなくなったら退屈すると思う。そんな時、蝶の本を読むのは楽しいんじゃないかしら」
「ジュリエッタ……」
「蝶の研究家になれなかったら、愛好家になればいいと思うの。愛好家に資格は必要ないわ。ただ蝶が好きってだけで愛好家にはなれるのよ。それに、蝶はとてもきれいだもの。蝶の愛好家はきっとこの国にもたくさんいるわ。そんな仲間とおしゃべりしたり研究を話し合ったりするのは楽しいんじゃないかしら。新しい発見もあるかもしれないわ」
前世でジュリマリのマンガにはまったあと、全然知らない人ともジュリマリが好きというだけで友達になれた。
初対面なのに話が盛り上がりすぎて、この子は心の友なんじゃないかと思ったことも何度かある。
前世で大人しかった私でさえそんな奇跡のような瞬間があったのだ。
アントンも今諦めるのは絶対もったいない。
「あ、でも今はこっそり、ね?」
七歳の小さなアントンが表立ってそれを主張しても、ソフィ伯母さまが許すわけはないだろう。
法曹の仕事をするために、それ以外は全部捨てなさいなんて極端な思考を押しつける伯母さまだ。
言葉にした瞬間につぶされるのがオチだ。
けれどいつか――力を蓄えた将来は堂々と言える日がくるんじゃないだろうか。
その時のために今は苦しいけど我慢だ。
思いは熱く心に秘したまま、こっそりひっそり楽しんで欲しい。
そうつけ加えると、アントンは顔を真っ赤にしていた。
目をキラキラさせて、先ほどまでのしゅんとした表情を一変させていた。
「ジュリエッタはすごい……」
ため息交じりに呟かれる。
「そうか。諦めなくてもいいんだ。蝶の愛好家なんて考えたこともなかった。そうだよな。ぼくみたいな人間はきっといる。だって蝶の図鑑はたくさんあるんだから、読んでいる人はもっといっぱいいるはずなんだ。そんな人達と愛好家仲間になればいいんだ」
興奮してしゃべるアントンを見て、もう大丈夫だとホッとした。
横暴な伯母さまと一人戦って苦しんでいたアントンの姿はどこにもなかった。
少しでも彼の気持ちを軽くすることが出来たらしい。
「ジュリエッタ! ありがとう。君はすごいな。新しい世界を教えてもらってびっくりだ。そうだよな、熱い趣味くらい持っててもいいよな!」
ぷくぷくとしたアントンの両手で手を握られてぶんぶんと振られた。
全力をこめているのか、メガネがちょっとずれてしまっている。
嬉しさを隠せないその子供っぽいしぐさに胸がじんとした。
あー……でもこれでアントンもオタクの仲間入りってこと?
新しい世界、だし。
でも、蝶の愛好家なんて健全だからいいわよね。
前世の私にみたいに腐ってないから……自分で言ってちょっと落ち込む。
「ねえ、デジレ蝶のことをもっと教えて。デジレ蝶を育てる古い精霊さまってどんな方なのかしら。私ね、精霊さまに会いたいの。アントンは精霊さまを見たことある?」
「ないよ、精霊さまなんて特別な人間しか見ることが出来ないんだから。でも、ジュリエッタは精霊さまが好きなのか? だったら、あさってのお茶会のとき、一緒に抜け出すか? デジレ蝶の近くには精霊さまがいらっしゃるはずだ。ジュリエッタがどうしてもって言うんなら、連れてってやるよ」
ツンデレか。
「お、おほほ。そうね、見てみたいけれど私はお茶会を楽しむことにするわ」
「……ジュリエッタは王子に興味があるのか? きっ、妃になりたいって考えてる? だからお茶会を楽しみたいのか?」
あさってのお茶会ではマリが動く。
抜け出すアントンをマリが追いかけるだろうから、一緒には行けないのだ。
それにキース王子やルカーシュさまに繋がるものには慎重になったほうがいい。
以前キース王子たちに愛されるのは自分だってマリは公言した。
そんな二人に近付こうものなら、マリがどんな暴挙に出るのか恐ろしい。
そんな思いからいい子ぶった返事をしたのだけれど、アントンは疑惑の目を向けてくる。
こっそり隠しているミーハー心を見透かすみたいに。
「妃なんて考えてないわ。でも、ちょっと興味はある。一度くらい王子さまを見てみたいって思わない? 今の王族には王子さまが二人しかいらっしゃらないけど、もし王女さまがいらっしゃったらアントンだって見てみたいって思うでしょ?」
「思わない。絶対思わない!」
「えー、そうかな。思わないかなあ」
「思わないよ! そんなことより、蝶のことをもっと教えてあげる。図鑑にはデジレ蝶のことだってたくさん書いてあるんだから。ほら、ここ座って」
急に貴族の令息らしくアントンがエスコートしてくれる。
座る場所は芝生なんだけど。
二人の前に図鑑を広げて、アントンが絵を指差しながら説明してくれる。
蝶のことは本当に詳しくて話もとても面白かった。
アントンも誰かとこうして蝶のことをおしゃべり出来たのは楽しかったらしい。
「あーあ、もっと早くジュリエッタと仲良くなってればよかった。奥様と関係のある人達とはしゃべりたくないって思ってたけど、もしかして嫌いだったマリエッタとも、ちゃんと話をしたら楽しいかもしれないのかな」
「それは……どうかなあ。マリは虫が嫌いなの。お庭にはほとんど出てこないし、土いじりなんて絶対しない。アントンは、マリが嫌いなの?」
「嫌いだ。マリエッタだってぼくのことが嫌いだよ。顔では笑ってるくせに、いつも変な目でぼくを見るんだ。それに平気で嘘をつくし意地悪をする」
マリの双子の姉である私に申し訳ないように視線を逸らすアントン。
マリの猫かぶりにも気付いているみたいだ。
「あのね、蝶が好きだっていうアントンの秘密、マリには絶対教えちゃダメ。マリが知ったらきっとまた変な意地悪をしてくる。今アントンが言ったことは、多分全部当たってるから。最近のマリはね、ちょっと変なの」
告げ口みたいで嫌だけれど、マリの手下に堕ちないために言っておきたかった。
弱みを知られたら、マリにいいように使われてしまう。
「……あいつが昨日、ジュリエッタがリボンを全部奪っていくって言ってたのも嘘だったのか」
マリは伯爵家でもそんなことを言いふらしてたのか。
だから昨夜は、ソフィ伯母さまが私をずっと冷たい目で見ていたんだ。
今朝、マリエッタのリボンをたくさん買いましょうって私の前で伯母さまが言ったのはそういうわけだったのか。
よそでも平気で嘘をついて自分の利を得ようとするマリに恥ずかしくなる。
居たたまれなくて頬が熱くなった。
「ぼくがマリエッタに言うよ。変な嘘をつくなって。ジュリエッタをいじめるなって」
「ダメダメ。そんなことをしたらアントンが敵認定されるわ。アントンがいじめられるもの。最近のマリはね、えっと……そう! ソフィ伯母さまみたいな人になったの」
「あー、なるほど。似てるかも」
アントンがいやーな顔をする。
「だからね、関わらないのが一番なの。マリエッタにはなるべく近寄らないようにして。悔しくても腹が立っても、何を言われても文句を言うより離れた方がいいの。私のことで何か言われても全部嘘だと思っていいから」
「わかった」
強く頷かれて安心したけれど、身内のことだからちょっと情けない。
けれど、アントンが悪者になる可能性が少しは減ったかもしれないと、やっぱり話をしてよかったと思った。




