ヒロインは私
記憶が戻って、七歳のジュリエッタの意識とゆっくり融合した結果、前世の『私』とは変わってしまったところが多いけれど、性格もそのひとつだ。
特に、正義感と真っ直ぐさは前世の私が持ち得なかったものだった。
前世では困っている人を見つけるのは早かったのに、その人に声をかけたり手を差し伸べたりという一歩がどうしても踏み出せなかった。
理不尽な思いをしても、声を上げられない臆病で情けない性格だった。
けれど、今は黙っているのが我慢出来ない。
動かずにはいられない。
幼い心も影響してか、気持ちに真っ直ぐに行動したくなって、慌ててストップをかけるのも度々だ。
うん、沸点は確実に低くなった。
「マリの話は意地悪ばかり。人を貶してばかりで楽しくないわ」
言ったあとではっと我に返る。
あー……またやっちゃった。
マリには関わらないはずだったのに。
ただ――この突発的な言動のおかげで、前世の記憶が戻っていることは未だマリにばれていなかった。
気持ちに真っ直ぐなゆえに突っ走ったり、正義感から怒りを見せたりというのは、実にジュリエッタらしいのだから。
けれど顔色を変えたマリを見ると、奮い立った正義感も一瞬にして萎んでいく。
代わりに膨れ上がったのは、しばらく忘れていたマリへの恐怖だ。
膝が、背筋が、小さく震え出す。
「あー生意気。ほんっと生意気。このクソガキ、ボコボコにしてやりたい。何ヒロインキャラ出してんのよ。前みたいに怖がって震えて萎れてればいいのに」
「っひ」
片眉だけを歪めるように上げたチンピラみたいな形相で、マリが近付いてくる。
「ちょーっと時間を置くとすぐ忘れるなんて、あんたバカなの? あんたは私の下、双子でも姉でもない。ただの下僕なんだよ。なに私と同等みたいにしゃべってんの? 思い上がりすぎるんじゃない? ああぁっ?」
凄みのある顔でどんどん近付いてきて、私は迫力に押されて後ずさる。
背中が本棚に触れて後ろに下がれなくなっても、マリはまだ歩を進めてきた。
「あんたは私の言うことを黙って聞いてればいいんだよ。なに口答えしてんの。あんたは下僕で、私の引き立て役で、ただのクソガキのクズなんだから!」
「痛っ」
マリは細い腕を伸ばすと、私の髪をひと筋ぐいっと引っ張る。
「怯えた顔がカワイー、ほんっとヒロインだわ。このキラキラフワフワの髪もムカつく。このまま引っこ抜いてやりたいわー。刃向かった罰にここだけハゲにしてやろうか。ヒロインがハゲだよ、ウケるでしょ!」
手加減なしに髪をぐいぐい引っ張られて本当に引っこ抜けるかと恐怖した。
「いい? 覚えとけよ。この世界のヒロインは私。キール王子やルカーシュさまに愛されるのも、たくさんの男を侍らせるのも、皆にちやほやされるのも全部私なんだよ。あんたは私の下の下の下の下! ヒロインなんか絶対やらせるものか」
あまりの痛みに涙が滲む。マリの怖い顔に心が竦み上がった。脅しの言葉に体が震える。
「いや、いや――っ!」
恐怖に頭が真っ白になって、一刻も早く逃げたくなった。
パニックに陥って、思わずマリを突き飛ばしていた。
マリから離れたい一心だった。
「きゃあああっ」
気付いたときは、マリは本棚にぶつかって倒れていた。
そんなに強い力じゃなかったはずなのに、本が何冊も床に落ちている。
悲鳴が大きかったせいか、乳母やメイドが駆けつけてきた。
「マリエッタお嬢さまっ!!」
大きな乳母の声にさらに人が集まってくる。
「一体これはどういうことですかっ、ジュリエッタお嬢さま! あぁあぁ、マリエッタお嬢さまっ、大丈夫でいらっしゃいますか? 意識はございますね?」
恐怖に心が縛られて、パニック状態の頭で、私は何も言えなかった。
体がぶるぶるとおかしいくらいに震えていた。
涙がぼろぼろとこぼれ落ちるままに立ち尽くす。
「ニーナっ! ジュリ姉さまがっ、ジュリ姉さまが私を突き飛ばしたのっ。ジュリ姉さまが乱暴したのよ。私だけがお人形をもらったからって、気に入らないって、私を突き飛ばしたの! お姉さまは怖い人だわっ」
マリが大声で泣き出すと、皆がおろおろとマリの周りに集まった。
医者を呼べだの旦那さまに連絡をだのと皆が騒ぐその間、私がどんなにひどいことを言ったか、乱暴な行為をしたかマリは切々と訴えていく。
やがて従僕に抱き上げられたマリが連れられていった。
肩越しに目が合ったマリは私を見て楽しそうに唇を上げる。
それにびくりと体を震わせたとき、
「ジュリエッタお嬢さま! 今度という今度は許しませんよっ!」
乳母が腰に手を当てて怒鳴りつけてきた。
「なぜマリエッタお嬢さまに暴力をふるったんです! あのお人形はジュリエッタお嬢さまのものでもあると、マリエッタお嬢さまがおっしゃったじゃないですか。そんなお優しいお気持ちがなぜわからないんですか! どうしてこんな突き飛ばすような乱暴を働いたんですかっ!」
何でこうなっちゃうんだろう。
ようやくパニックは収まってきたけれど、恐怖は未だ心を縛りつけていて、体も震えたままだ。
あのままだったら本当に髪を引き抜かれていたかもしれない。
そのくらい強い力だったし、容赦がなかった。
だから逃げたかっただけなのに。
「何か言うことはないんですか!」
「……言っても信じてくれないくせに」
だけど突き飛ばしたことはほんちょっと悪いと思っている。
だから今回は強く言えない。
自分に何の非もなかったこの前みたいに主張が出来ない。
「マリに髪を引っ張られたって――痛いほど引っ張られて、引っこ抜いてハゲにしてやろうかと脅されたって、だから怖くてマリから逃げただけなんだって私が言っても、ニーナも母さまも父さまも信じてくれないじゃないっ」
言えるのは言い訳だけ。
ただ自己防衛が働いただけなのに。
マリがあんなことをしなければやらなかったのに――っ。
そんな必死な言い訳も口にしてたって信じてくれない。
心が縮こまるような恐怖も、こんなに苦しい気持ちも、乳母にも誰にも伝わらないのだ。
悔しさと悲しさに涙がこみ上げる。
ソファに捨て置かれたままの豪華な人形を見つめながら、何度もしゃくり上げた。
「マリの言うことは信じても、私が言うことは何ひとつ信じてくれない。だったら、私が何か言ってもむだじゃないっ。だから言わないっ」
もう何も言わないと決意するように唇をぐっと引き絞った。
そんな私に、乳母は言葉を失ったように口を開けたり閉じたりする。
けれどすぐに眉をつり上げて、怖い顔になった。
「何を訳のわからないことをおっしゃっているんですか。マリエッタお嬢さまがそんな恐ろしいことをするわけないでしょう! ジュリエッタお嬢さまは嘘までつくようになったんですか。なんて嘆かわしいっ」
前以上にかんかんになって怒り出す。
「いいですか、マリエッタお嬢さまに乱暴した罰として、散らばったこの本を棚に戻すこと。それから人形を持って、マリエッタお嬢さまに謝りに行くこと。この二つが出来なければ、ニーナはジュリエッタお嬢さまを決して許しませんからね!」
やっぱり信じてくれないじゃない……。
ふくよかな体を揺らして叱りつける乳母に、私は感情を押しつぶすように唇に歯を立てた。




