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私とジュリエッタ

「でも待って……そういえば、私って純真じゃないかもしれない」


 青くなって両手で頬を包み込む。


 前世の私は――当時は自分でそうとは気付かなかったが――オタクとか腐女子とか呼ばれるような人間だったのだ。

 友人と一緒にジュリマリのマンガにのめり込み、趣向を同じくする仲間達の販売会にも参加したことがある。


 濁るどころか、腐った心の持ち主だったり……?


「これはちょっとショックだわ」


 せっかくジュリマリの世界にいるのだ。

 ファンタジーらしい体験だって多少はしてみたい。

 精霊さまに会ってみたいと願っていたのに、根本からしてダメかもしれないとは思ってもなかった。


「どうしようかしら。本当にどう――…そうだわ」


 確か、ただのマンガ好き程度じゃ腐女子の資格はないなんて聞いたことがあるようなないような……。

 じゃあ、一体どういう人を腐女子と呼ぶのかしら?


 うーんと考えたが、わからないものはわからない。

 どうせなら希望を持っていようと、今は腐女子関連から目を背けることにした。


「さて、今日は目的があるのよ」

 

 呟いて図鑑を閉じる。

 大きな図鑑は重いけれど、頑張って胸に抱えて立ち上がった。

 

 図書室で読んだこの本に興味深い事が載っていたのだ。


「紫菫の木、うちの庭にもあるのかしら」


 前世では地面にひっそり咲いていた菫が、この世界では大樹に咲くらしい。

 色もとりどりで、紫やオレンジ、黄色やピンクなど大きな木に満開に咲くなど一度は見てみたいではないか。


 その中でも紫菫の木は神聖なもので、花の時期には精霊さまが宿るという。

 そうして咲き乱れる紫菫の中にひとつだけ存在する白い菫。

 自然落花したその白い菫を地面に落ちる前に受け止めることが出来れば願い事が叶うらしい。


 精霊さまの強い力が宿っているおかげで、白い菫は不治の病を治すための万能薬や叶わぬ恋を成就させる媚薬にも成り代わる。

 一昔前にはデジレ薬の代わりにもされたようだ。


「すごいわ。本当にファンタジーの世界よね」


 もっとも、紫菫が落ちた地面に白い菫が見つかったことは今までないらしい。

 白い菫自体がおとぎ話に近いのかもしれない。

 

 でも可能性はゼロじゃないわ!


 あわよくばデジレ薬の代わりになるという白い菫を見つけたい。

 けれど、それが見つけられなくても紫菫の木を一度見てみたかった。


 大事なのは紫菫の木が開花するときは精霊さまが宿っているということ。

 精霊さまに会えるかもしれないのだ。


 今はまだ花が咲く時期ではない。

 けれど、その時のために是非今のうちに紫菫の木を見つけておきたかった。


 花のお屋敷の庭は広い。

 足を踏み入れる度に新しい小道が見つかるこの庭なら紫菫の木もあるのではないかとわくわくしている。


「あれは春雷クロッカスじゃないかしら。春の雷が鳴らないと花が咲かないって本当かしら。そういえば、おとといの夜は春の嵐だったわね」


 図鑑にある草木を見つけるのも探索の楽しみだ。


 しゃがみ込んで図鑑の記述と花を睨めっこすることしばし。

 可愛いと呟き、クロッカスの花を揺らしたとき、小道の奥から人が現れた。

 

「トム爺! よかったわ。探していたの」 


 嬉しくて、パッと踊るように立ち上がって――はっと我に返る。

 


 前世の記憶が戻って、ひとつの体に二つの意識という一種の二重人格のような状態になっていた『私』と七歳のジュリエッタは、ここ二週間ほどでゆっくり融合してひとつになっていた。


 基本的には前世の私が思考の主導権を握ったけれど、ジュリエッタが消えたわけでは決してない。

 それどころかトータル的にはジュリエッタの色の方が強いかもしれない。

 貴族的なしゃべり方や立ち居ふるまいはほぼ七歳のジュリエッタそのままだし、ものの考え方や感情、好悪などもジュリエッタに強く影響を受けている。

 

 トータル的な精神年齢が下がったのもそう。

 七歳の子供のように感情の揺れ幅が大きくなった。

 泣き虫になったし、ちょっとしたことで楽しくなったり悲しくなったりと、情動がストレートに体を動かしてしまう。


 前世では大学生だったのに、今の私はあざといくらいに子供すぎる。

 別に頑張って子供を演じているわけじゃなくて、素で七歳の子供になれてしまうことが何だか後ろめたかった。


 今のだってまさに七歳のあどけなさだろう。

 意識してないのにそれがとても可愛らしいしぐさになるというのは、ヒロインたる由縁かもしれない。 


 七歳のジュリエッタと融合してから、意識せずに――幼い口調で幼いことを言ったあとで、いかにも子供の愛らしい動作をしたあとで、地面に蹲りたいような恥ずかしさに襲われていた。

 今も頬が熱くてたまらない。


 今の反応は私じゃないの。

 ジュリエッタなの!


 いつかこんなことも気にもかけない日がくることを祈りたい。


「おや、ジュリエッタお嬢さま。今日は何を見つけられましたかな」


 日焼けした肌に白いヒゲがよく似合う庭師のトム爺が、大きな帽子のつばを片手で上げて私を見た。

 しわしわの顔が優しげで、目を細めるともっと好々爺になる。


「あのね、トム爺はこの庭のことなら何でも知ってるでしょう? だから教えて欲しいの」


「はいはい、何でしょうかの」


「紫菫よ。紫菫の木を探しているの。この庭にあるかしら。花の咲く時期には精霊さまが宿るんでしょう? 紫の菫の中にひとつだけあるっていう白い菫を見てみたいの」


「あー、紫菫の木ですか」


 トム爺が額をパチンと手の平で叩く。


「残念ですが、この庭にはありませんね。紫菫の木は特別ですからね、神聖な場所にしか育たないんですよ」


「神聖な場所って?」


「そうですねえ。ほら、あの山の頂近くにある精霊廟、あそこには紫菫の木が生えています。あとは鎮守の森や人が立ち入らない山の奥とかにはあるそうですよ。精霊さまのお力か、紫菫の木はとても大きく育ちますからね。それに相応しい場所にしか存在しないんですよ」


 指で示されたのは春になってもまだ白い雪を被っている高い山だ。


 それを聞いてがっかりする。

 一応子爵家の領地ではあるが、山頂近くとなると足を踏み入れることすら困難な場所だった。

 

 何だ。

 紫菫の木自体がとても珍しい木だったんだ。


「まあまあ、そんなにがっかりしないでください。黄色菫の木でしたらうちにもありますから、見に行きますか? まだ花の時期ではないですがな」


「本当!? 行くわ」


 さっそくトム爺と並んで歩く。


 この屋敷の使用人はマリの味方ばかり。

 それでもトム爺のように味方とか敵とか気にしないで接してくれる使用人だっているのだ。

 それも嬉しくて足取りが弾む。


「トム爺、黄色菫の木の話を聞かせて。どのくらいの大きさなの? 花は可愛いのかしら」


「ははは、ジュリエッタお嬢さまは本当に植物のことがお好きですな。いいでしょう。黄色菫の木の花が咲くと、辺り一面がそれはそれはいい香りに包まれるんですよ――」


 植物のことに詳しいトム爺と話すのはいつもとても楽しい。



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