汝、蛮勇であれ
「勇気と無謀を履き違えるな!」
そう怒鳴られた兄はその時の傷が元で一年後に死んだ。
僕ら一家は山裾の小さな、貧しい村で暮らしていた。父は傭兵崩れのなんでも屋。自分の畑は持っていないが、村の農作業や力仕事を手伝って日々を暮らしていた。若い者はすぐに街のほうへ行ってしまうものだから有難がられていた。
僕には四つ上の兄がいた。物怖じしない性格で、運動ができて手先も器用で、そして口は悪いが優しくて、僕の憧れだった。
ある日、僕ら山へ山菜を採りに行った。……そこでアレに出会ってしまった。
――魔獣。
この世の理から外れた獣たち。大抵は野生の獣が变化してしまったものだという。形は元の動物に近いが、決して同じものだと思うな。――小さい頃からそう教えられてきた。
見つけたのは鹿の魔獣だった。不可解な形に伸びた角に太い脚、何よりその体の全体から放つ瘴気という、紫の湯気のようなもの。間違いなく鹿の魔獣だった。しかし、大きさは普通の鹿と変わらない。むしろ小ぶりだ。
「俺が仕留める。お前は隠れて俺がいいって言うまで絶対に出てくるな」
そう言って兄は弓を手に取る。腰には獣の肉を革ごとだって割く長いナイフもある。
「大丈夫、心配するな。俺の狩りの腕は知っているだろう?」
兄がここで魔獣に拘るのには理由があった。
今年、村は不作だった。しかも、色々と入用があったために村全体に金がない。魔獣は死ぬとあっという間に肉体が蒸発する。腐るわけでもなく、腐るように見えてまるで水のようにじゅわじゅわとあっという間に蒸発して、消え去ってしまう。――だが、その屍体のすべてがそうなるわけでもない。厚い革や骨、角などの一部が少しばかり蒸発せずに遺されるのが大抵だった。どの部位が残るかは決まっておらず、実際にそうなるまでは分からない。だが、残された部位は確実に高価な素材として取引される。建築物、武器、道具の素材から薬の調合までその用途は多岐に渡るという。
村にはもうすぐ徴税官がやってくる。秋の徴税は厳しい。年貢として夏から秋の始めに収穫した作物の一部をそのまま持っていかれる。今年は不作だ。年貢を差し出せば手元にはもうほとんど作物は残らないだろう。
しかし、近年は作物の代わりにすべて金でも年貢として支払うことができるようにもなった。――つまり、魔獣を狩って素材を手に入れて売れば、秋の徴税を乗り越えられるし、冬越しの支度だってできるかもしれない。
だから兄さんは魔獣に挑んだ。決してただの好奇心でも、名誉を得たかったわけでも、ましてや自分の懐のためでも自己満足のためでもなく、すべては村の為に。
――結果として兄は片腕を失った。魔獣のほうもナイフで目を刺されたことで逃亡。一応は痛み分けという形にはなったわけだが、自分が生まれてから今まで見たこともないほどの形相で兄は父に怒鳴られ、その後抱きしめられた。父は涙を流していた。
「――勇気あることと無謀であることは違う」
父は僕にそう話した。隣の部屋では片腕を失った兄が苦悶の表情を浮かべたまま寝入っていた。
「勇気というのはまずは恐怖を持つことだ。自らが対峙すべき相手と自身の力量の差を計り、そして自身の不利を自覚し、恐怖する。――勇気というのはまずはその恐怖を自覚し、乗り越えて前に進むことに始まる。――お前の兄はまずは力量の差を見誤った。だからこそ無謀に走ってしまった」
遠い目をして父は語る。
「だが、それだけでも足りない。ただ恐怖を踏み越えただけではまだ足りない。『絶対に勝てない』――そう思う敵に何の策もなく臨むことも、結局は無謀にすぎない。恐怖を乗り越え、ただ無謀を為す。――人、それを蛮勇という。
たとえほんの僅かであれど、乗り越えられるという可能性を見出す。恐怖を踏み越えた上で自分の見出した可能性を信じて、前に進む。そこで初めて勇気は奮われるものだ」
兄の寝かされている部屋の扉を見つめ、、悲しそうな顔をして父はそう語った。
ちなみに不作を鑑みて、その年の年貢は寛大な処置とやらで軽くして貰えた。結果的に、兄が命を賭ける必要なんてなかったのだ。つまり兄は意味もなくその片腕を失った。
そして一年も足掻いた末、全快することなく兄はあの傷が元で、結局何も成せないまま死んだ。――さらに数年後、父も死んだ。熊の魔獣と戦ったのだ。山に迷い込んだ幼い兄妹を守って死んだ。辛うじて魔獣を追い払い、兄妹を村まで送り届けてそのまま絶命した。
村人は悲しみ、そして讃え、感謝した。彼こそは勇敢なる、まさに村の勇者だったと。
……だが、僕は思った。熊の魔獣に挑むなんて、どう考えても「無謀」だったと。熊の魔獣は鹿とは比べものにならないほどに強いという。父は傭兵崩れだがずっと昔に腕の腱を痛めていた。傭兵を辞めてこの村に落ち着いたのもそれが要因の一つだ。農作業などはなんとか上手くやっていたが、魔獣と戦うともなればそうはいかない。
そもそも父は傭兵としては並程度で、実際に働いていた年数もそこまで長くなかったという。対して熊の魔獣は本来、歴戦の傭兵三人がかりでもなんとか相手にできるかどうかという程らしい。そんなのを相手にたった一人で勝てるわけがない。それが分からない父ではないはずだ。
だが、村人は讃えた。村中から讃えられ、悲しみと共に賛美され、葬り送り出された。――でも、残された僕と母と、母の腹の子はどうなる? 父さんは僕ら家族よりあの兄妹を取ったの?
それとも……本当に勝てるかもしれないと思ったの? 僅かでも可能性を見出だせたの? あの兄妹を助けられれば自分が死んでも「勝ち」だったとでも言うの? 僕ら家族を残して? ―ーそれこそ「蛮勇」だ。
葬り見送られても村人は父を讃えた。彼は村の勇者だったと。そして僕は気づいた。「勇気ある者」の本当の意味を。
半分は父の言った通り。敵と己を知り、恐怖を知ってそれ踏み越え、その上で僅かでも見出した勝利の可能性を信じて進むこと。――そしてもう一つは結果を残すこと。
兄のとき、村人にどれだけ言われたか。「馬鹿なことをしたね」「無謀なことをする」等など。結果を残せなかったからだ。もし兄が魔獣を仕留めていれば、無謀だ馬鹿だとなんだかんだ言いつつも皆大喜びして兄に感謝しただろう。
僕の父がいなくなったことで、父に助けられていた家の多くはその穴埋めに困っただろう。それでも皆、父を讃える。
だから本物の勇気というのは、恐怖を越えて自分の可能性を信じる勇気で半分、――そして結果が残せたかが半分。少なくとも「勇気ある者」と人々の目に映るにはその二つが必要なのだ。父の場合は幼い子供二人の命が助かったのだから、尚わかりやすい。結局は結果を残せなければ足りないのだ。――まだまだ子供だった僕はそう、条理を理解した。
「――其は灯りなり。煌々と照らす光なり」
黒い革手袋の上に乗せた、ただの石ころは光りだす。それを見た子供たちからわーっと声援があがる。
「おじさんほんとに魔術師なんだ!」
「お・に・い・さ・ん、で頼めないかなぁ……」
そんなに老け顔だろうかと少しばかり落ち込む。まだ二十代も前半なのに。
「はい、どうぞ」
青年は一人の男の子の手のひらの上に光る石を乗せる。
「すげー」
「ずるいぞ、ちょっとこっちにも貸せよー」
ちょうど建物の影になっている場所だったので、昼間だというのにその石っころは綺麗によく光る。
「あ、消え……、消えちゃった……」
光は弱まったかと思えばあっという間に消えてただの石ころへと戻った。子供たちは露骨に落胆する。
「おじさんまたやってー」「おにいさん今度は僕にもっとすごいの!」
無邪気に強請る子供たちは愛くるしい。しかし、こちらとてまずは日々の糧を稼がねばならない。
「はいはい、皆ちょっと聞いてねー。お兄さんは強くないけどこんな風にいろんな魔術が使えるんだ。そうやって旅をしているんだけど、あいにく先立つものがもう無くてね。つまりは宿にも泊まれないほど貧乏さんなのさ。だから皆の親御さんに聞いてみてくれないかな? 何かちょっとした仕事がないかな? って。小さな火を起こすことも、水を凍らせることも、風を吹かせたり大きな重いものを動かしたり。ちょっとしたことばかりだけど色々なことができるんだよ。だから誰かお仕事探してきてくれないかなー? そうしたら明日はまたもっと面白いものを見せてあげるからさ」
たまたま流れの魔術師に見初められて魔術を覚えて、その後一人旅を始めてからはずっとこんななんでも屋みたいなことをして日銭を得ている。結局お師匠様曰く、私の才はどの魔術を極めるのにも向いていないそうだ。しかし、使える魔術の系統の種類だけはやたら多くて幅だけは広いから、器用貧乏でやっていけと言われた。……その結果がこのなんでも屋である。
最初は普通に大人相手に一人ずつ聞いて回っていたが、流れの旅人はすぐに警戒されてしまう。そこで子供たちに手品じみたものをみせて喜ばせると話が一気に広まって、最初はやはり訝しんでくるが実際に便利なことを見せるとあれやこれやと次々に仕事が舞い込む。
その日は最後に火起こしをした家に泊めてもらえることとなった。
「いやー、温かい湯を浴びることができるなんていつ以来かねぇ」
特に奥さんには大層感謝され、夕食も田舎料理ながら絶品と言わざるを得なかった。最近ろくなものを食べていなかったせいもあるが、今私が絶品だと思えば絶品なのである。
旦那さんとも話が弾み、兄妹たちとも仲良くなれた。
この村は見た目よりも裕福らしく、今のうちとばかりに次々と仕事が舞い込む。普段もっと小さな仕事ばかりで結局旅の路銀で精一杯の生活をしていた身としては、願ってもいなかった。本当はもっとまとまった稼ぎ口を探さねばならないのだが、どうせすぐには碌な仕事がみつかるまい。しばらくはこの村に滞在して稼がせてもらうのもいいだろう。寝床も相変わらずあの家族を頼っていた。本当に、とても親切で、何より温かい家庭だった。
「てーへんだ! 賊が明日までに金出せって!!」
ある日、村に大声が響いた。最近ここからもう少し離れた辺りで治安が悪くなっていると聞いてはいたが……ここまで来てしまったのか。
「どんな奴が、なんて言ってきたんだ!?」
「村の入口近くの柵の確認してたら急にいかにもって図体の男に声かけられて……明日二十人以上、ひょっとしたら三十ぐらいでやってくるって。それまでにこの村の金と他にも金銀宝石とか金目になる物があったら全部集めとけって! お前ら見た目より裕福なのばれてんだぞって!!」
そういう村男は顔面蒼白で今にも泣き出しそうだった。この村は金銀宝石はさておき、ちょっと通りすがって見た程度より裕福なのは確かだ。
「むう……最近まではちょっと腕が立つ者がおったから油断しておった……」
「だからどっかから傭兵雇おうぜ! って言ってたんじゃないか!」
「どこにするかもうちょっと考えようって言ったのはお前じゃないか!!」
喧々諤々とはこのことか。話はまとまることなく陽は沈む。
「――其は灯り。夜闇を照らす眩なり」
藁を丸めて作った球を道のど真ん中で始まった喚く寄り合いの真上に放り投げ、詩を令した。寄り合いの中心に誰かが置いた大きなランタンの灯りも霞むほどの光が頭上を照らし、全員の動きが止まり言葉が詰まる。
「皆さん、一旦落ち着きを。一応私は便利屋のほうが本業となりつつありますが、傭兵の真似事もしております」
全員の視線が集まる。しかし、その視線を向ける眼のほとんどは不安の色に淀む。
「っていってもさ、あんたさんの魔術ってどれも弱いものばかりじゃないのか? あれこれ助けられてはいるが……全部生活が便利になる程度で……」
「嘘じゃないよ、兄ちゃんこう見えて結構身体すごいんだぞ! 力こぶとか腹筋とかすごいんだぞ!!」
そう言ったのはお世話になっているご家族の長男坊。おっと、君は何故こんなところに?
「こら! お前なんでこんなとこに!」
「だって気になるんだもん! こんな夜中にとーちゃんもにーちゃんもいないし!!」
愛らしい少年の目は本気だ。遊び感覚の好奇心ではなく、今何が起きているか本当に知りたいという関心だ。
「ありがとうね。でも本当に今はお家に戻りなさい。ね? 私は今からすることがあるから。とっても大事なことだから。いい子にできるね?」
「……うん、分かった」
良い子だ。今から本当に忙しくなる。――この子の為にも乗り切らなければ。
「さて、と。まぁ、そういうわけでそれなりに剣とかは扱えるのですが……と、言ってもやはり真似事程度。私一人としてはちょっと器用貧乏に魔術が使えて、ちょっと剣が扱える程度です。――が、一応は傭兵稼業をしている身としてコネはあります」
注目の視線の瞳の色が疎らに移ろう。そう、本当に伝がある。しかもそう遠くない街に。――ここで稼いだ金は全部吹っ飛びそうだが。
「馬を駆れる人はいますか?」
「わ、私なら……」
そう、一人の男が手を挙げる。
「私はよくこの村には立ち寄りますが、住人じゃありません。馬車を使うまでもない荷物や文などを馬で運んでいます」
「なら、ちょうどいい。今から私が文を認めます。明日、夜明けと共に南の街に発ってください。彼処の傭兵ギルドのこの宛名の男に渡してくれれば大丈夫です。今なら確実に居るはずです」
「は、はい、わかりました」
早朝に発てば、昼には着くだろう。アイツが手抜きをしなければ、早ければ明日の夜には先遣隊ぐらいは着いてくれるはずだ。問題は明日、それまでどうするか。
「これで明日の夜、遅くとも明後日朝早くには信頼の置ける傭兵団がこちらに来てくれます。問題はそれまで……明日ですね。どう頑張っても昼前には援軍はこない。
選択肢は二つ。一つは本当に有り金すべてを差し出す。もう一つは誤魔化して一部を差し出す。……ただ、誤魔化しが通じるかは分かりません。もし奴らが暴れだしたら一溜りもないでしょう。私一人で対処できるのはせいぜい二、三人程度でしょうし」
少し盛った。たぶん二人で精一杯。手練であれば歯が立たない可能性すらある。
「しかも一度金を取れると踏んだ野盗はまた取りに来る。そうなると結局傭兵を雇う必要があるが、金を毟り取られたあとにまだどれだけ雇えるか。尚且、野盗は次にいつ来るかが分からない。自分たちから打って出てくれる傭兵団もいますが、相手の規模がそこそこなのでどうなるか……」
私の呼ぶ彼らなら、積極的にアジトまで探しだして潰してくれるだろう。だが、たかが農村が雇える程度の傭兵団にそんな骨のある奴らは少ない。普段のアイツらなら金さえ出せればやってはくれるだろうが、たぶん今は長期の仕事を受ける時間がない。アイツが確実に街にいるのも大きな仕事を控えて待機しているからだ。数日ならともかく、アジト探しからとなると日数を食う。
「そこで……三つ目の選択肢。……明日、奴らを自力で追い払う」
「無茶だ!」
悲観して怒鳴るわ叫ぶわと何人もがわあわあと喚く。まぁ、それはそうだろう、そう思うだろう。――だが。
「退治するのは不可能でしょう。ただ、一日やり過ごすだけなら……できると断言します」
ペテンな手品師ではない、私の本気の言葉。
「私を信じるか、奴らに金品を根こそぎ差し出すか……選んでください」
この村は地形やら造りやらいろいろと守るのに向いていた。野生動物の狩りも盛んで、罠もたくさんあったのであちこちに仕掛けさせた。落とし穴も掘りたかったがさすがに時間が……と思えば村男は強かった。
未だ夜闇は深いはずの深夜。各々の家のランタンなど持ち運べる灯り持ちだしてもらい、足りない分は魔術で作ったまた光る石ころ――子供たちに見せたのよりよっぽど強力なものを渡して、指示を出して回った。
各種罠、そして射手の配置。当てられなくてもいいからと、弓を引ける者を総動員してあちこちに計算して配置した。そしてお得意の魔術の仕込み。この器用貧乏の技を駆使して、本当はもっとやばい魔術師がいるのではないかと思わせる。
「ああん? なんだお前は」
昼前になってようやく村の入口に現れたのは十人程度のごろつきたちだった。三十人はどうした?
「あぁ、私は旅人。ちょっとこの村にはお世話になっていてね」
そう言う私は農村には不釣り合いな小綺麗な衣装になぜかシルクハットを被っている。昔街に住んでいたという翁が持っていたものを拝借した。その翁も別に金持ちだったわけではなく、たまたま知り合いから譲り受けた物だという。
「だから君たちには早々にお引取り願いたいのだがね。――其は突風、両の足を掬いて宙へ放つものなり」
唐突に吹いた突風で見事に先頭の男は足を掬われ宙に浮き、背中から地に叩きつけられた。
「ぐあ……」
「な、てめぇ魔術師か!」
「如何にも」
何の必要もないステッキを意味ありげにくるくる回す。すべてが演出だ。私は本来、あの巨漢をあの高さに浮かせるほどの魔術は使えない。
――詩令魔術。それが私の使っている、いや、この地域、この国で使われている魔術だ。他にも魔術の形式はあるらしいが私は知らない。
使い方はこうだ。まず魔術を発動させる対象を指先や視線と、そして言葉で示す。一般的なのが「其は――」のくだりだ。そこに光らせたり火をつけたり凍らせたりとする為の言葉を与える。与える言葉次第で効果が変わるわけだが、そこは魔術師のセンスが試される。魔術師本人の魔力、発生させたい現象、それを示す適切な言葉選び。それらを揃えて紡いで、初めて魔術は発動する。
――さて、ここで問題なのはこの詩令魔術は「生き物には使えない」ということだ。正確には知性のあるもの――人間と知性の差が小さいものには使えない。小さな虫程度には大体使えるが、犬猫鼠なんて程度には効かない。当然人間にも、だ。石に火をつけることができても人に火をつけることはできない。――つまり石を風で飛ばせても、人を直接風で飛ばしたりはできない。
だから罠を仕掛けた。予め変則的な詩を封じた石を陣を描くように配置して、その真中に敵が立ち入ったところで出鱈目な詩を令して場を乱し仕込んだ石の力を暴発させ、直接突風を起こしたように見せかけた。
「私が君たちすべてを追い払ってもいいのだが……しかし、私は所詮流れ人。この村を守るのはこの村の者で然るべきであろう」
そう言い残して忽然と姿を消してみせた。――無論、最初から仕掛けを用意していたペテンのような手法である。
ザッ
あちこちの窓や物陰から弓を構える村人が現れた。
「今すぐ出ていくならよし、さもなくば私たちは容赦はしない!!」
村で一番迫力のある演技ができそうだという理由で選んだ若者が、ごろつきどもに言い放つ。だが、ごろつきもそのままおいそれと負けてはいられない。
「舐めやがって……おい、お前ら全員出てこい!」
近くの茂みから続々と新たなごろつきどもが出てくる。……くそ、本当に二十人近くいるじゃないか。いや、まだなんとかなるはず。
「おらぁ! 男は殺せ女は好きにしろ、いくぞお前ら!!」
「や、やったぞおおおおおお!!」
野盗は撤退し、村には祝いの歓喜が響いた。ほとんどが弓の威嚇と罠で怯み、さらに矢も思いの外的中した。さすが狩人。そこにさらに魔術での見掛け倒しの罠が恐怖心を煽り、そう時を経ずにごろつきどもは捨て台詞を残して撤退した。両者死人なし、村人には軽症者数名のみ。一方野盗のほうは主に罠と矢傷でボロボロだった。大勝利だ。そして夕刻にはお早いことに、頼みの傭兵団も到着した。
「あいっかわらずお前詐欺師の方が向いてんじゃねーのか?」
見知りの団長はそう言ってガハハと笑う。
「せめて頭が柔軟とでも言ってくれよ……」
村人たちはもう宴だった。とはいえ酒は少しに控えさせ、傭兵たちは一口も飲まなかった。さすがの信用できるプロだ。明日になって準備を整えた野盗が総戦力で再来する可能性は高い。昼間の奴らは明らかに舐めて掛かってきていた。
「で、だ。まだちょっと遠いはずだが、北東のほうでたちの悪い野盗が活発化しているそうだ。国のほうは魔獣騒ぎのほうでまったく手が回ってねぇ。お前も気をつけたほうがいいぞ」
「あぁ、噂は本当だったか」
「俺たちもここの仕事が片付いたら北へ向かう。どうせお前もこの後北いくんだろ? しばらくうちと同行したらどうだ」
あぁ、例の大口の仕事か……。うーん、と少し悩んでから答える。
「……そうだな。一人旅のほうが性に合ってはいるんだが……しばらく邪魔させてもらうか。何より今回お前らに払う金で文無しだ」
再び団長はガハハと笑う。
「おう、うちにいたら仕事次第でむしろがっつり儲かるんだから安心しろ。それにうちの飯は誰が作ってもまじーんだよ……」
「……お前、まさか私を雑用係として雇う気じゃないだろうな?」
そんな和やかな談笑をしていたというのに。
――翌朝、村は燃えた。
大きな家から狙い撃ちにされて、見せしめのように燃やされていった。どこから火の手が上がったのかもわからない。ただ、村向こうの丘の上に見えたのは四十を越える数のごろつきどもと……装備を纏った明らかな兵士崩れたちだった。兵士崩れのほうも十人以上はいる。
「……いけるか?」
「舐めんな、伊達にギルドでトップランクの傭兵団をやってねぇ」
そう答えた団長をコケにするかのように次々と団員は討ち取られていく。傭兵は生きてこその物種。団長は団を率いる責務として撤退も考えたが、先に馬を仕留められていたことで、敵が殲滅を目的としていることを理解した。
トップランカーの傭兵たちだけあって、ごろつき程度は幾人も仕留めはしているが、数が足りない。ごろつきどもだけならともかく兵士崩れもいる上、どこからか魔術が飛んでくる。――強力な魔術師がいる。
村人は阿鼻叫喚でもう震える身体で隠れるか逃げ惑うしかできず、一方的に嬲るように殺されていった。女も子供も殺された。綺麗どころの女は一箇所に物のように扱われて連れて行かれ集められたが、ちょっとでも気に食わないことをすると遠慮なく、惨たらしく殺された。
――私のせいなのか? この惨状は私のせいなのか? 私が抵抗しようなんて言い出したせいなのか?
中途半端な剣術、中途半端な魔術。――あぁ、私はなんて無力なのか。ともかく、せめて魔術師を見つけ出す……!
「よう、まだ生きてたか……」
「お前、その傷……!」
物陰に隠れていた団長は明らかに重症だった。
「……あれは貴族だ」
「はぁ!?」
「そういえば最近ちろっと聞いた。腕のある貴族が何したか分からんが家ごと潰されたとかな。領地関係でごたごたがあったとかいう話の関係でそういう噂を聞いた。とにかく……逃げろ。お前が相手にできる奴じゃない」
貴族は魔術を使える者が多い。特に戦場に自ら出るタイプはたちが悪い。奴らは生活の知恵ではなく、人を殺す為に魔術を極めんとする。
「うわあああああああ」
声がした。もうすっかり覚えてしまった男の子の声。――考えるまでもなく飛び出した。団長はその背をみて、軽い溜め息を吐きながらも口角を少しだけ上げ、力なく瞼を閉じた。
あちらもこちらも燃えている。女と金目の物を漁られた家から用済みとばかりに燃やされている。
「ふむ、なかなか綺麗どころでしたが勿体ない……まぁ別にいいでしょう。女なんていくらでも手に入る」
「よ、よくもかーちゃんを……!」
「威勢が良いのはいいのですが……生憎私は子供が嫌いでね」
――其は弾丸。風より疾し弩弓の撃なり。
男が振り下ろそうとした杖先を一粒の石くれが弾いた。
「ん?」
「にーちゃん!!」
間に合った……!!
妹を庇う兄の前方にその男はいた。昨日借りた衣装なんかよりよっぽど身綺麗な装束を纏い、そして魔杖を持った男がいた。――魔杖。昨日はったりで振り回していたステッキなんて玩具と違い、本当に魔術を強化する杖。しかも見たところ貴族が使うような一級品で、強度が高い上に片刃が仕込まれていて、剣と打ち合えるという戦の為の代物。
「なるほど、貴様が件の魔術師か。しかし、どうやら期待はずれの様子ですね。あんな石くれを飛ばす程度とは……はぁ……」
男は大きく溜め息をつく。舐めた態度を取っているが、こいつの実力はきっと本物だ。この惨劇を象徴する炎のほとんどはきっとこいつが点けたものだ。あの瞬く前に燃え上がる業火。あんなもの、私の力では足元にも及ばない。くそ、どうする、昨夜頭が柔軟とか自分で言っていたばかりではないかこのペテン師!!
「まぁ、そろそろ飽きてきたところです。ちょっと趣向を変えてみましょうか。――汝、疾き剣であれ」
擬令魔術……!?
次の瞬間、魔杖を剣で受け止めていた。
「ほう、意外にもいい反応ですね。一応剣を持っているだけある」
「――其は烈火、主の首灼く戒めなり」
「……今何か言いましたか?」
剣を交えていたはずの奴は気づけばとても自分の魔術の届かない距離にいた。
「私の装飾品を狙ったようですが……残念ながら、私の身につけているものにそんな稚拙な詩なんて届きやしません。そんな様子では私には傷一つ付けることも敵わなさそうですね……フフフ」
「――お前、貴族か」
男は大きくアハハと笑う。
「正確には元貴族ですがねぇ。いやぁ、色々と好き放題やり過ぎたようでしてね。まったく、力あるものが好き放題して何が悪いのやら」
――其は穿つもの、いかな貴人をもつらぬ
ガシン
再び一瞬で現れた奴の魔杖をすんでのところで剣で受け止める。
「何が起きているか分からないといったところですか?」
気づいたときにはまた違う場所に奴はいた。
「……擬令魔術の力か」
「おやおや、はぐれにしてはなかなか勉強されているようで」
詩令魔術はある程度以上の知性のある生物には作用しない。しかし、例外がある。――自分自身だ。どういうわけかは解っていないが、自分自身を俯瞰で見てもうひとりの自分のように捉え、令することで自分自身の身体に魔術をかけることができる。主に「汝――」「――であれ」といった形式で使われる。多くは身体能力の強化などに使われる、高等魔術である。
「――汝は鷹、疾く剣であれ」
――そして私が最も得意とする魔術でもある。
カキン、カキン
常人ならざる速さで剣と杖が打ち合う。
「ほう、擬令魔術で二節ですか、面白い。――面白いだけのようですが」
バリン
音を立てて剣身の半分が砕けるように折れた。元々限界が近かったのかもしれないが、高速で動いて制御が追いつかず、剣撃の一撃一撃が非常に雑になっていたのもあるだろう。――私の擬令魔術は自分の使える魔術の中で最も得意というわけであって、魔術師全体の基準でみれば決して強いとは言えない。そんな力があれば村をもっと守れている。さらに速さを追求して欲張った二節は制御も難しく、既に身体が軋んでいる。
「にいちゃん!」
少年が必死の力を込めて投げた得物は足元まで届かず落ちた。もう姿の見えない彼の父の使っていた木こりの斧だった。
「はははは、まったく、健気な少年ですねぇ」
少年は涙目だが決して泣いてはいない。強い子だ。
「ありがとう。だけど君は逃げなさい。その子を守れるのはもう君しかいないんだから。お兄ちゃんならわかるね?」
間を置いてから悲しい顔で少年はふるふると横に首を振ってから足元に視線を下ろした。……少年は足に酷い怪我をしていた。どこかで崩れた瓦礫にでも挟まれたのか。幼い妹のほうはもう恐怖で震えとてもじゃないが動けそうではない。
「アッハッハッハ……これは傑作。さて、貴様はどうする? その斧で私をどうにかしてみますか?」
「――汝、剛力であれ」
「汝、剛柔であれ」
まだ先程掛けた詩令の速さが残った身体を使って、さらに攻撃力を強化した斧の一撃を振り下ろしたというのに、魔杖に容易く受け流され、そして背中を刃のない峰で打たれた。
「くはっ……」
「力任せとは芸がない……それより貴様、重ねがけしていますね?」
そう、普通擬令魔術は新しい令を与えると詩が書き換わるが、私は違う。先天的特性らしいが、そのまま効果が重なる。先に掛けたほうの詩の力は弱まっていくが、実質二節詩令に近く、さらに三節も四節も重ねられる。ただし身体への負担が半端ではない。
――まるで敵う気がしない。
「参考までに聞かせてもらってもよろしいですか、元貴族様。それ程の力を持つ元貴族様がなぜ野盗の用心棒などを?」
時間稼ぎのつもりだった。お得意のペテンを見出すためのせめてもの抵抗。そして奴は高笑いを上げた。
「何か勘違いしているようですが……私がこの賊の首領ですよ?」
……は?
「私は常々思っていたのですよ。力あるものはその力の分だけやりたい放題すべきだと。だというのに、貴族社会のなんて息苦しいこと……。それは軍とて同じ。捕虜なんて好き放題玩具にして何が悪いのですか? まぁ、そんなこんなで『素行不良』『規律違反』が甚だしく、自領民を苦しめた上に借金までして豪遊、最後の止めは有力貴族の令嬢、しかも婚約者のいる生娘をいただいたことでしたかな? いやはや最後はなんてしょうもない。
……ですが、今となってはそれで良かったと思っているのですよ。爵位を剥奪され家を取り潰されほとんど無一文で放り出され……野盗に襲われたところを気まぐれで従えてみれば大正解でした。いやはや、天職というものはあるものですね。子分たちは餌さえ与えてやれば私を持ち上げて従順に、蟻のように働いてくれる。女は選り取り見取りの食べ放題。ちょっと傷物にし過ぎたって咎める者もいやしない。狩りがしたくなれば旅人でも村人でも殺り放題。あぁ、なんて自由で素晴らしい! これぞ力あるものがあるべき姿なのですよ」
――悪辣。下衆が力を持ってしまったのか、力を得たものが下衆となったのか。ともかくコイツは生きていてはいけない。
一応いくつかペテンは思いついた。でも勝てるビジョンはまるでみえない。そう、全く見えないのだ。いくら知恵を捻らせて運すら計算に組み込んでも、勝てる自分の姿がまるでみえない。
奴と私の力量差は絶望的に明らか。それこそ圧倒的な恐怖を覚える程に。だが、恐怖なんて踏み越えればいい。今まで生きてきて最悪の敵かも知れないが、それでも恐怖は踏み越えられる。――そう、踏み越えられるだけだ。決して私は奴には勝てないだろう。だが、だがせめてこの兄妹だけでもどうにか……!
――あぁ、そうか。あの時の父もこんな気持ちだったのかな。
「――少年」
背後で妹を庇っているが足が動かない、強き子に背中越しに声をかける。
「無理を承知で言う。――生きてくれ」
再び斧で斬りかかる。
「そんな武器とすら呼べないもので……」
「――汝、烈風であれ」
「烈風、ねぇ……」
「――汝、鋭剣なれ」
「斧を使っていて何の冗談でしょう」
「――其は戦刃なり、すべて別つ黒鉄なり」
「いくら斧程度しかないとは言え、結局その程度ですか……そろそろ飽きてきました」
「――汝」
――全て散った。その後も続いた応酬は応酬とすら言えないほど、完膚なきまでにあしらわれて私は地に伏せられた。
分かっていた。やれることをすべてやって、結局駄目だった。あぁ、分かっていたよ。結局私は勝てないし、背後の兄妹も守れない。いくら恐怖を踏み越えたって、その先には何もない。
……どうしてこうなったのかな。決して兄や父のようになるまいと、無謀にだけは足を突っ込むまいと生きてきたはずなのに。生き存えるための可能性を常に持ち、その種をあちこちに蒔いて……。傭兵たちとのコネだってその一つだったのに。それすら無力なほどの敵を自ら相手にしてしまった。
どこで間違えたのか。――分かっている。もっと早く逃げ出せばよかったのだ。村人も傭兵も置いて、ひとり混乱に乗じて逃げ出せばよかった。旅慣れた魔術師の自分ならそれができた。明らかな敗走であれど、生きている限り負けではない。僕をおいて逝った父と同じで、僕にも帰らなければならない場所があるのだから尚更。しかし――。
――今なら父の気持ちが分かる。
「珍しく魔術師がいたからと遊んでみましたが……もういいでしょう」
「いいや、まだ最後の魔術が残っている」
「ほう……」
「――昔、死んだ父は言った。力量の差も見極めず挑むのは無謀であると。そして力量の差を弁えた上でその恐怖を踏み越え、自分の可能性を信じるのが勇気だと」
「はぁ、一体何の話を」
「――でも僕は思う。結局『勇気ある者と讃えられる』のは結果を出せた者だけだと。結果を出せる見込みが全くないのに挑むのは、たとえ勇気があろうと結局はただの無謀だと」
「……あぁ、つまり貴様は全く勝てる見込みがないと分かっていながら私に立ち向かっていたと?」
「……そうだな、勝てるビジョンが全くみえない。お前は強すぎるし、それに相対するには僕は弱すぎる」
――それでも、引けないときは確かにある。そういうことか、父さん。
「ハッ、当たり前のことですよ。はぐれの魔術師如きがこの私に遊んでもらえたことだけでも地に頭を付けて感謝すべきことなのですよ」
「そうかよ元お貴族さん。でもな、やはり僕は挑む。全く勝てる見込みが見えずとも、それが全くの無謀であると分かっていても、お前に挑む」
――僕は父さんと違って何の結果も遺せそうにないけれど。それでも。
「はぁ……、そうですか。それで、そろそろ話は終わりでしょうか」
――恐怖を乗り越え、ただ無謀を為す。
「あぁ……。だから僕は最後にこう紡ぐ。――汝、蛮勇であれ」