赤い空
血に濡れたような月夜が照らす森の中。
「グオォォォォォォォォォアアア!!!!!!!!」
地を震わすようなおぞましい咆哮が木霊する。
獰猛な爪、巨大な口から覗く血だらけの牙。手足は木の幹の様に太く、並の魔物では無いことは一目で分かる。
自分は死ぬかもしれない。
怖い、脚が震える、心臓の鼓動が破裂しそうな程にレイの胸を打ち付ける。
だが逃げる訳には行かない。
少年『レイ・オラトリオ』は決意した。
震える脚を殴りつけ、目の前の怪物を見据えていた。
傷だらけの両の手で、静かに剣を正眼に構える。
「.......うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
少年は雄々しき咆哮を上げ、目の前の怪物に飛びかかった。
ーーーー
時を遡ること半日ほど前。
自然豊かな国家、アクアウルグ王国の北西に位置する村、ミレニア。
人口百人ほどから成るこの小さな村には、聖風の民という民族が暮らしていた。
「レイー! はい、これ今日のお弁当ね!」
「ありがとうリリア。いつも悪いね」
レイと呼ばれた少年は、金髪のポニーテールの少女リリアからサンドイッチの入った弁当を受け取る。
緑色のフサフサな髪に、薄い青が入った緑色の瞳のクリッとした大きな瞳、背は一六五センチくらいで同年代の男子の中でも特筆して高い方ではないだろう。
「じゃあ行ってらっしゃい! 気をつけてね〜」
「うん、行ってきます!」
レイ・オラトリアは、リリアからいつものお弁当を受け取ると、姉との待ち合わせをしている村の入口へ向かって行った。
水と緑に恵まれたアクアウルグでは自然を巡る魔力、通称マナが豊富な地で、良質で頑丈な木材を潤沢に得ることが出来る。
ミレニアでは田畑や牧畜の他に、その良質な木材『黒メニア』の木を伐採し、加工し売り出すことで生計を立てていた。
また、村の家屋や家具などにも黒メニアの木は多く使われており、ミレニアの暮らしを支えている。
黒メニアの木であしらわれた家屋の通りを抜け、入口に到着すると、待ちくたびれた様子でこちらを見る姉の姿があった。
「何ぼさっとしてんだね! レイ! 早くしないと置いていくぞー!!」
「うわわ……ちょっと待ってよ!ソニア姉さん!!」
健康的な褐色の肌に、長い脚、触れたら折れてしまいそうな細腕。すらっとした胴に見合わない双丘を持ち、短いながらも艶やかに光る緑髪を風になびかせている。
レイの姉、ソニア・オラトリオは、身の丈程もあろうかという斧を背に担ぎ、レイを急かした。
「いつも思うけど、なんでそんなにでっかい斧を平気で担げるんだよ」
「ッハ! 鍛え方が違うんだよ!鍛え方がね!」
「鍛え方って……僕とやってる事は変わらないはずなんだけどなあ……」
「ほら! バカな事言ってないでさっさと行くよ!!」
ずんずんと歩を進める姉を、レイは必死に追いかけるのであった。
黒メニアの伐採場に入った二人は、いつもの様に木の間引きを始める。
太陽が空の中ほどに差し掛かった頃、汗だくになった二人は休憩を取るために木の幹に腰掛け食事をとり始めた。
黒々とした太い幹、ひんやりとした空気を運ぶ清流に、木漏れ日が差し込み反射する。上を見上げれば木の葉の緑が風と遊び、気持ちよさそうに揺らいでいる。
心地よい涼しい風が流れ、レイの髪を揺らして行く。
二人とも木を切るという仕事はしているが、森を無くしたい訳ではない。
適度に腐った木や枯れた木、間隔が近すぎる木を間引き、混み合った木々達の間に空間を作り、より多くの太陽の光を取り込むのだ。
そして間引いた木で村は生計を立てる。
森からの恩恵を受け、また、森を守るのだ。
「レイ! ひと休みしたら残りの分やっちまうぞ! 今のうちにメシ食っとけよ!」
「ああ、分かったよ姉さん」
村で一、二を争う美人でありながらも、この口の悪さは何とかならないだろうか。
と、レイは苦笑を漏らした。
「黙ってれば文句無しなんだけどなぁ……」
「あ? なんか言ったか?」
「な……何でもないよ……」
冷や汗を流しながらも、レイはリリアのくれた昼食を食べ終え、再び姉弟は作業に戻る。
「おい!レイ! こいつは一筋縄じゃいかなそうだ! 手伝いな!」
一際大きな幹の黒メニアの木を前に、ソニアがレイへと呼びかける。
「ふぅ……丁度こっちも終わったから、今から行くよ」
間引きをしていれば、健康な木を切ることもある。成熟した黒メニアの木は非常に固く、鉄以上の硬度を誇る。
そんな幹を如何にして切り倒すかというと、
「しっかりマナを流せよ! 斧が持ってかれるぞ!」
「分かった! 全力で行くよ!」
『 せーーーの!』
ギイィィィィィィィン!!!!
およそ木を叩き切ったものとは思えない音が、森の中に木霊する。
鉄以上の硬度を誇る黒メニアの木を切るためには、同じ硬度を誇る黒メニアで作られた斧を使い、魔力を流し込むのだ。
魔力を流し込んだ黒メニアの斧は、鉄以上の硬度と切れ味を得る。
後は、木を切り倒す要領ではあるのだが、これが難しい。
鉄以上の切れ味を誇るその斧でも、黒メニアの幹も十分に硬いのだ。
二人掛かりで何回も木を切り叩いては見たものの、半分ほども幹を削ることは出来なかった。
「こりゃあまいったさね……これだけやって倒れないとなると、相当周りのマナを吸ってるね、こいつは」
「ハッ……ハッ……ハッ……もう無理…………」
「なんだい、もうばてたのかい? だらしないねえ」
「おじいちゃんなら一発で切っちゃうんだろうな……」
「まあね、アタシ達ももまだまだってことさ! そろそろ、日も沈む頃だし村に戻るよ!」
「うげえ……もうそんな時間か……」
気が付けば日も傾き始め空に赤みが差してきた頃、今日の成果である間引きした木を伐採場に集めて縄で縛ると、姉弟は村へと向かった。
「今日は夕焼けが凄く赤いね〜!」
「そうさね、真っ赤で不気味なくらいさね」
辺りの黒メニアの黒い幹に赤い夕焼けが差し、一面真っ赤に色づいている。
暫く歩き、村へとたどり着く頃には、日は既に沈もうとしていた。
しかし、ふと異変に気付く。
「……これは……おかしくないかい?」
「え?」
「日はもう沈んでいるんだよ? それにしては空が赤すぎる。」
夕焼けによって赤く染まっていた空も森も、一向に夜に変わる気配はない。
いや、暗くはなっている。だが、更にその赤さが色味を増し、まるで血に濡れたような夜空へと変わっていった。
見るものを不快にさせるような、血塗られた不気味な空は、豪胆な性格のソニアでさえも、気味の悪さを覚えるものであった。
「そ……空が……赤い……?」
「なんさねこれは……。 不気味な…… 」
「ど、どうしよう姉さん!」
「どうもこうもない。嫌な感じだ! 村はすぐそこだ! すぐに戻るよ!」
二人は一抹の不安を抱えながらも、急いで村に戻っていった。