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イジメというと「不良面した連中から暴力を受ける」なんて光景を思い浮かべるかもしれない。しかし、僕が受けているのはひたすら陰湿で執拗な攻撃の数々だった。
ある時、鞄の中から数学の教科書が消えていた。僕が何を言っても教師からは「言い訳だ」と罵られたが、つい先刻までは鞄の中にあったのだから誰かに盗られたのは明白なことだった。金額で考えれば大した被害ではないが(調べてみると教科書の値段は七百円程度だった)学校という特殊な環境下で教科書という特別なアイテムを無くしてしまうということは金額以上の計り知れない大きなダメージがある。
しかし、である。
盗まれただけならイジメの手段としては甘い方だろう。
翌日、どういう訳か無くなった筈の教科書が机の中に戻されていた。しかしこれを「犯人が良心の呵責に堪えかねて戻した」と考えるのは早計だ。
授業が始まりいざ教科書を開く。
するとそこには潰れたゴキブリが挟まっていた。ご丁寧にもその日の授業のページにである。
もちろんそんなものが挟まっているとは思いもしないので僕は驚いた。同時に周囲の生徒の何人かが教科書に挟まったゴキブリを目敏く見つけ、女子の一人が悲鳴をあげた。
教室は騒然となる。
もちろん僕は被害者だ。しかしあろう事か教師は被害者である筈の僕に向かって叱責の声をあげるのだ。
そのミスリードによって僕はクラス中から白い目で見られることになってしまう。
他にもこんなことがあった。
休み時間を挟んだある瞬間から教室の中に異臭がする。汗の臭いと腐った卵の臭いが混じったような、強烈かつ有機的で堪え難い悪臭である。そして誰かがその発生源を辿っていくと、ロッカーの学帽に行き着く。
するとどうなるか?
「この悪臭は学帽の持ち主の体臭だ」と解釈される。
言うまでもない。それは僕の帽子だった。
しかし考えてみて欲しい。それまでは無臭だった帽子からいきなり猛烈な臭気が発するなど有り得ないではないか。
論理的に考えればそれくらいのことは解りそうなものなのだが、人は生理に訴求する不快感の前では思考が停滞してしまうものらしい。
結果、ここでも僕は白い目で見られてしまう。
そんなものはアンモニアか酢酸液、それに硫黄でも仕入れてくれば、簡単にねつ造できるだろう。薬品をスポイト状のものに入れておき、隙をみて帽子にかければ良いのだ。材料は全て化学準備室に置いてあるものばかりである。
しかし、そのような推測は成り立っても証拠は無い。悔しいけれど「犯人が誰か」どころか「それが誰かが仕組んだものである」ということすら他の誰かに立証することができない。
それは見えざる敵から常に攻撃を受けているようなものだった。
休み時間にトイレに行くことすらままならない。
教室を出払えば、持ち物が消えたり異臭を発するようになるのだから。
僕の注意力が過敏になると攻撃対象は下駄箱にも及ぶようになった。教室と違って下駄箱を常時監視することは不可能だからだろう。靴が消えて無くなるなんてことはまだマシな方で、潰れた昆虫だの汚物だのが靴や靴箱の中に仕込まれてていたりもする。何度、上靴のまま帰宅したことか数えきれない。
そうこうするうちに僕は自衛手段として靴も含めた全ての荷物をボストンバッグに詰めて校内を持ち歩くようになった。トイレにすらバッグを持っていく。そうすることで、少なくとも持ち物が盗まれたり細工をされることは無い。けれど校内で大きなボストンバッグをいちいち持ち歩く姿は端から見るとかなり滑稽に見えただろうと思う。
いつの間にやら僕は「ホームレス高校生」と陰口を叩かれるようになった。
全ての荷物を持ち歩く姿が想起させたのだろう。案外、この陰口も敵が流布したものなのかもしれない。
そうして一年近くが経過した今、すっかり僕は「不潔な変人」というキャラに仕立て上げられてしまった。
それはまさに「仕立て上げられる」という表現がピッタリだった。
今にして思えば、敵は最初からこのような状況を作り出そうとしていたのかもしれない。
愚劣で狡猾なヤツだ。
集団生活で、それも多感な高校生活において「不潔」というレッテルを貼られてしまっては、もう終わったも同然だった。
もちろん僕には友達なんかいやしない。最近では話かけてくる奴さえ皆無だ。
安直な学園ドラマならば、ここらで「熱血男子キャラ」だとか「美少女委員長キャラ」なんてものが現れて、救いの手を差し伸べてくれるのかもしれないが、もちろんそんなものは僕の前には出現しなかった。
僕は専門家ではないのでイジメにどういった系統のものがあるのかを詳しくは知らない。けれど、もしも僕が受けたイジメが「殴られる」「脅される」「たかられる」「中傷される」「仲間はずれにされる」というようなものならば、まだ反抗心や誇りを失わずに戦うことも出来たと思う。
しかし……。
しかし、だな。
周囲から「軽蔑される」ようになってしまえば、心が折れて当然じゃないか。
ここにいる限り、僕は蔑まされ続けるのだ。
味方など一人もいない。
僕はひたすら逃げて堪え続ける学園生活を強いられた。そうして気づけば孤立してしまったのである。