(19)
「あなたは誰?」
突然の声で僕は覚醒した。
いや、体は動かないのだけれど意識が覚醒した。
いや、覚醒した気がしただけで実はまだ眠っているのかもしれない。なぜなら僕の目は閉じられたままなのだ。それなのに、どういう訳かぼんやりと部屋の様子を伺うことが出来る。しかし体を動かすことは出来ない。声を出すことも出来ない。一体、僕はどうなってしまったというのだろう。それなのに不思議と焦燥感は無かった。気分は落ち着いていて妙な安らぎさえある。
「あなたは誰?」
もう一度、天津眼が言った。
僕は何とか応えようとするが少しも体が反応しない。
しかし、その時、誰かの声がした。
「わたし……は誰?」
僕の声では無いしもちろん天津眼のものでも無い。
聞いたことも無い女の声だった。
僕と天津眼の二人だけじゃないのか?
他に誰の姿も見えない。
では一体誰の声だ?
何気にすごいイリュージョンではないか。
天津眼は声色も変えずに繰り返す。
「あなたは誰?」
再び誰かの声が応えた。
「私は誰?」
二つの声がリピートする。
「あなたは誰?」
「私は誰?」
「あなたは誰?」
「私は誰?」
「あなたは誰?」
「私は誰?」
「あなたは誰?」
「私は誰?」
「あなたは誰?」
「私は誰?」
「あなたは誰?」
「私は誰?」
同じことを繰り返すうちに何だか異様な雰囲気が場を支配した。
いわゆる機が熟すって奴だろう。ついに女の声が回答した。
「私は……マナコ」
その瞬間、僕の前に誰かが立っていた。
突然現れたというような感じではなかった。
いつからそこに居たのかは分からない。けれど、一瞬前には居なかったのだ。
この矛盾した感覚を説明するのは難しい。
とにかく、そこに誰かが居たのである。
薄明かりの中で見えた人物は黒髪のロングヘアーにセーラー服姿だった。背を向けた状態なので表情は分からない。それにそのセーラー服はうちの学校のものでは無いようだ。何というか、少しダサいというか古くさいというか。目立つところではスカートの丈が長過ぎる。
天津眼はこの状況にも関わらず全く動じる気配が無い。
こういう者が現れることをまるで予期していたようだ。
彼女は相変わらずの平坦な口調で交渉とやらを開始する。もっとも会話の内容は交渉とはほど遠い雰囲気だった。
それはまるで幼い子供の相手をするようだった。
「あなたはマナコ?」
「そう……マナコ。どういう字を当てるのかは……もう憶えてない。でも、みんなからマナコと呼ばれていた」
「マナコという名前だった」
「そう。でも心ない人は……ナマコと呼んで私を……馬鹿にした」
「誰かがあなたを馬鹿にした」
「そう」
「悲しかった?」
「うん……悲しかった」
「学校でいじめられた?」
「うん……そう」
「あなたはいつ死んだ?」
「……思い出せない」
「どうして死んだ?」
「……分からない」
「いつから”そこ”にいた?」
「……ずっと前から」
「ずっと前から”そこ”に居た……」
「十年か……二十年かずいぶんと長いこと……動けずに……いた。そこから一歩も……動けずに直立不動のまま……灰色の壁ばかり……眺めてた」
謎の少女がたどたどしく答える。喉も枯れており、まさに振り絞るように声が鳴る。しかしそんなことはお構いなしとばかりに天津眼は会話を続けた。
「動けなかった」
「うん……指の一本も。動かない……動かせない……ずっとそのままで……長いこと。壁に……向かって立ちっぱなし」
その時だった。
不意に女が振り返った。




