(12)
どれだけの時間をそうされていたのか……。
まるっきり感覚が麻痺していたので分からない。
しばらく経ってから彼女が離れた。
ゆっくりと静かに。
恐らく僕はその時、目を丸くして彼女の顔を見ていた筈だ。しかし彼女は、表情を変えずに一点を見つめていた。僕の胸の一点を。
(そんなに僕の胸は魅力的なのだろうか?)
などと馬鹿な事を考えてみたが残念ながら(?)そうではなかった。
くどいようだが、もう一度言おう。
彼女が僕の胸に口を当てたのは僕にとっては「掟破りの状況」だった。
しかしである。
次の瞬間に僕が見たものは、もはや「架空の出来事」だった。
彼女の視線を追って顎を引いて自分の胸を見た。きっとそこにはディープなキスマークが付いている筈……だった。
しかしそこに「居た」のはヌルヌルと動く得たいの知れない黒い奴だった。黒くて……まるで影のようなものが僕の胸部で暴れるように動いていたのだ。しかもそいつは皮膚の上にいるのではなく、どうやら皮膚の中で動いているようなのだ。
「う、うわっ!!」
腰を抜かすほど驚いた。
こんなものは現実ではあり得ない。受け容れろという方が無理だ。
僕の知る限り、このような生理現象は無い。しかしあるいはこの激しい動きはむしろ物理とかそっち方面の法則を無視しているように見えた。
それほどの激しい動きが僕の胸の上で繰り広げられているというのに、どういう訳か痛みのようなものは全く無い。まるで幻灯機で影を投射されているような妙な感覚である。
そうこうするうちにその黒い奴は段々と縮小していき、動きが鈍り、やがて天津眼が口を付けていたと思われる胸の一部に集まった。そうして最終的には動きを止めてしまった。まるで固まったかのように。
それは黒いキスマークのようにも見えた。
知っている人は知っているだろうが、キスマークというものは唇の形をしている訳じゃない。それは吸い付いた痕なのだから細長い楕円形になる。
この痕は一見すると痣のようだった。
もし僕がさっきの動く影のようなものを見ていなかったならば、これはただの痣だと思ったことだろう。
しかし、これは一体?
「得たいの知れない何か」
疑問に答えるかのように天津眼がぽつりと言った。
「え?」
「得たいの知れない何かに取り憑かれつつある」
得たいの知れない? 何かに取り憑かれる?
いやいや、突然そんなことを言われても困るじゃないか。なんだよ、その唐突なオカルト設定は。
断っておくが、これでも僕は科学大好き少年なんだぜ。超常現象なんてものは無いというのが僕の日頃のスタンスなのだ。オカルトなんてものは、はなから信じちゃいないのだ。その証拠に幼い頃から夜一人でトイレに行くのは平気だったし、肝試しで墓場に行くのだってへっちゃらだったし。まあ、お化け屋敷では少々驚くかもしれないが、それは心霊的なものに驚いているのではなく、単に不意打ちをくらっての条件反射というヤツだから例外にしてもいいだろう……って、そんな話はどうでもいいな。
ともかく、その類の話は眉唾モノ。
インチキだ。
そんな胡散臭い話を僕が信じるとでも……。




