849話 本気の蹴り
酒場に戻ると、お父さんしかいなかった。
セイゼルクさん達は、戻って来ていないそうだ。
ラットルアさん達が、セイゼルクさん達と合流するために酒場から出て行くのを見送る。
手袋は、シファルさんから皆に渡して貰えるようにお願いした。
「おかえり。疲れたみたいだな」
私の表情を見たお父さんが、苦笑する。
「うん。まぁちょっとね」
テーブルに、ロティスさん達に買ってもらった服を並べ、お父さんに見せる。
「えっ、これ……全部?」
32着ある服を見て、お父さんの表情が引きつっている。
やっぱり、多過ぎるよね。
でも、一言だけ言いたい。
「私は、止めたんだけど……」
いや、途中で説得を諦めてしまったような……。
「32着か」
そう32着。
1人10着のはずなのに、シファルさんだけ12着だった。
「まぁ、これだけあるなら、今の服をほとんど入れ替えられるな。生地が傷んでいる物や、小さくなった物も結構あるからな」
えっ、生地の傷んだ服がある事に気付いていたんだ
そういう服は、バレないように重ね着する時に着ていたのにな。
「旅に出る前に、アイビーの服を整理しないとな」
お父さんの言葉に頷く。
「うん。あっ、そうだ。これ、お父さんに贈り物」
私が差し出した手袋を、ジッと見るお父さん。
あれ?
どうして受け取ってくれないんだろう?
あっ、贈り物と言いながらそのまま渡したから?
1個1個袋に入れてもらった方が良かったかな?
「ありがとう」
そっと手袋を受け取るお父さん。
そして嬉しそうに笑った。
「かっこいいな」
「そうでしょ?」
お父さんは派手な物は好まないが、ある程度の装飾は気にしない。
だから、刺繍が少し入ったかっこいい物を選んだ。
「うん、いいなこれ」
お父さんは手袋を着けると、掌を動かし使い勝手を確かめている。
「大丈夫?」
「あぁ。生地が柔らかいからすぐに手に馴染むよ」
良かった。
剣を握る時に、手袋に違和感があったら駄目だから。
「それじゃ早速、宿に戻って服の整理を始めようか」
服の入った紙袋をマジックバッグに入れたお父さんが、私に手を差し出す。
「うん」
お父さんの手を掴むと立ち上がると、店主に手を振って酒場を出る。
「何か、あったみたいだな?」
お父さんの声に視線を向けると、門がある方向を見ていた。
その視線を追うと、複数の足音が近付いて来るのが分かった。
問題が起きる可能性を考えて、お父さんと繋いでいた手を離す。
「誰かが、こっちに向かって来てるみたいだね?」
大通りは人が多く、今いる場所からは駆けて来る者の姿は全く見えない。
「すみませ~ん。通ります」
男性の大きな声が聞こえると、大通りにいた人達が左右に移動していく。
それに驚いていると、複数の自警団員がこちらに走って来ていた。
「どっちだ? ここに来たのは間違いないのか?」
誰かが自警団から逃げてるのかな?
「目撃情報はこっちです。おそらくこの辺りに潜んでいる可能性があります」
自警団員達は、少し焦っているように見える。
「あっ」
「どうしたの?」
お父さんの小さな声に首を傾げる。
「あれ」
お父さんが指した場所を見ると、冒険者の服を着た男性がいた。
大きな看板の後ろに立ち、自警団員達の様子を窺っている。
「あれ? あの人」
昨日、広場の前を怒鳴りながら通り過ぎた冒険者達の1人だ。
「「あっ」」
ジッと見ていたのに気付いたのか、冒険者の視線が私達に向いた。
そしてお父さんと私を見て、ニタッと笑った。
「気持ち悪い」
お父さんの言葉に笑いそうになる。
「こっちに来るな」
気持ち悪いと言われた冒険者が、こちらに走って来る。
おそらくお父さんの腕を見て、勝てると思ったんだろう。
ん~、その後は私を人質にするつもりかな?
お父さんを見て、目を見開く。
あの冒険者は終わったね。
「アイビーを、人質にでもするつもりなんでしょうね」
うわっ、敬語だ。
こうゆう時のお父さんは、怒り心頭の時なんだよね。
凄く怖い顔でこちらに来る冒険者より、隣で薄ら笑っているお父さんの方が怖い。
いや、怖いと言うより恐ろしい。
「ははっ。ほどほどにね」
ジナルさんが言っていた。
ジナルさんやお父さんが、本気になれば蹴りで人を殺せるらしい。
もちろん相手の強さにも、よるみたいだけど。
「てめえは邪魔だ~、死ね~」
お父さんに腕を伸ばす冒険者。
ドゴッ。
「ぐほっ」
ボキボキツ
「すご~い」
冒険者のお腹に、お父さんの足が綺麗に決まった。
それはもう見事に。
だって、聞いた事がない音がしてお腹に足がめり込んだもんね。
その後、何かが折れる音が聞こえた気がするけど、気にしないよ。
だって、お父さんを殺そうとしたんだから自業自得でしょ。
「あっ。あっちだ!」
自警団員の人達が、慌てた様子で駆けて来る。
お父さんは、冒険者を地面に転がすと足を手で払う。
「すみません。大丈夫ですか?」
自警団員の言葉に、ちょっと笑ってしまう。
どう見ても、大丈夫では無いのは倒れている冒険者の方だ。
だって倒れた冒険者は、白目をむいて意識を失っているみたいだから。
「大丈夫です。逃げたのはこいつだけですか?」
お父さんの質問に、少し驚いた様子を見せる自警団員。
「はい。他の者達は全員が確保されました。ご安心下さい」
昨日、この冒険者と一緒に走っていた者達の事かな。
それにしても、地面に転がっている冒険者を自警団員達は誰も気にしていない。
「うっ、つっ」
倒れた冒険者が目を覚ましたのか、小さなうめき声が聞こえた。
「んっ? 起きたのか? 完全に目覚めると面倒だな。とっとと連れて行くか」
自警団員はそう言うと、冒険者を肩に担ぎあげた
「ぐぅ」
その瞬間、冒険者が苦しそうにうめき声をあげた。
さすがにちょっと痛そうだな。
「あっ、大丈夫ですよ。彼は鍛えているので、これぐらいは問題ないです。たぶん」
私が冒険者を見ていると、自警団員の1人が「大丈夫」と言う。
「たぶん」が付いたけど。
冒険者の表情を見ると、本気で痛がっている。
まぁ、犯罪者みたいだから、扱いが雑になるのはしょうがないのかな。
「では、協力をありがとうございました」
自警団員は、お父さんに少し話を聞くと大通りを戻っていく。
「お父さん、足は大丈夫?」
「大丈夫だ。全く問題ない。行こうか」
殴ると、殴った方も怪我をする事がある。
今回は蹴りだけど、もしかしたらお父さんの足が怪我を負っているかもしれない。
宿に向かいながら、お父さんの歩き方を見る。
いつも通りだから、大丈夫だね。




