759話 岩の絵
クラさんにスライムが逃げてしまった可能性を話し、マーチュ村に戻ろうと提案する。
「ごめんね」
「大丈夫。シエルが強いと分かって嬉しい」
クラさんは嬉しそうにシエルを撫でる。
ちょっと申し訳なさそうなシエルは、クラさんの頭にすりっと顔を擦りつける。
「可愛い」
クラさんが嬉しそうに言うと、シエルが喉をゴロゴロと鳴らす。
「戻ろうか?」
「あっ!」
お父さんの言葉に頷こうとすると、クラさんがパッとお父さんを見る。
それに、私とお父さんが首を傾げる。
「どうしたんだ?」
「魔物が逃げた? この辺りいない?」
クラさんが、少し興奮した様子でお父さんに聞く。
それに頷くお父さん。
「あぁ、気配を探る限り魔物は遠くに移動したみたいだ」
「あの、えっと……」
クラさんが周りを見回す。
そして、ある高い木を指した。
「あの木、下に岩があって、その奥。不思議な絵がある。いつも魔物がいて見られない。今なら見られると思う」
岩の奥に絵?
お父さんを見るが、知らないみたいで首を横に振っている。
「凄く綺麗な絵」
クラさんは魔物がいない今、その絵が見たいのだろうか?
別に急いで村に戻る必要もないので、見に行ってみたいな。
「お父さん、見に行こう?」
「そうだな。俺も気になる」
私とお父さんの言葉に、安心した様子で笑うクラさん。
その様子に、少し首を傾げる。
ほんの少し、クラさんの表情に違和感を覚える。
でも、きっと気のせいだろうな。
いつも通りにしているつもりだけど、ちょっと気を張り過ぎているのが分かる。
周りに誰の気配もないのだから、落ち着こう。
「こっち」
クラさんの案内で、絵が描かれている……あれ?
「クラさん、絵は何に描かれているの?」
「岩。大きな岩に大きな絵が描かれているんだ」
岩か。
それって雨風に晒されているんだよね?
もしかしたら前に見た時より、劣化していないかな?
「あそこ!」
クラさんが案内したのは、緑の花が咲いている木の傍。
近付くと木は大きな岩に寄り掛かるように立っていた。
そして、寄り掛かっている岩には大きな穴が空いている。
「お父さん、この木が何か分かる? 冬に花が咲く木は珍しいよね?」
冬でも花を咲かせる木はある。
でも、他の季節より圧倒的に少ない。
木々を紹介する本にも、全種類の1割も無いと書かれてあった。
あれ?
この木の葉っぱ。
どこかで見た事があるような気がするな。
何処で、だったっけ?
えっ?
葉っぱの形が色々あるように見えるけど。
いや、そんな木があるわけないから見間違いだよね?
「見た事があるような、無いような。それに葉っぱの形が……」
眉間に皺を寄せるお父さん。
私の見間違いじゃないみたい。
「お父さんも、葉っぱの形がおかしいと思うの?」
「あぁ、どう考えても変だろう」
「そうだよね。変だよね?」
木に茂っている葉は、丸い物もあれば、人の手のような形の物まである。
かなりおかしい。
「葉っぱだけじゃない。この木、ずっと花が咲く」
えっ?
「ずっと? 春も夏も秋も?」
そんな木があるなんて聞いた事が無いけどな。
「そう。でも、この木には近付けない。いつもは、この木の周辺には魔物が多いから」
そういえば、この木の周辺にはいつも魔物がいると言っていたな。
周辺に視線を走らせる。
確かにそこかしこに、爪や牙の跡がある。
あれ?
「この木」
この周辺に生えている木々には魔物が残した跡があるのに、花を咲かせている木には無い。
首を傾げながら、木の周りをぐるっと見て回る。
やっぱり、爪跡1つ無い。
「不思議だね」
「そうだな」
私と一緒に木の周辺を見回っていたお父さんが頷く。
「こっち」
クラさんに視線を向けると、岩穴の前で手招きしていた。
「何度も来た事があるのか?」
傍に寄ってお父さんが聞く。
「2回だけ、いつもは魔物がいて近寄れない」
岩穴の前に立つと、穴がかなり大きな事が分かった。
そっと中を覗くと、奥は少し坂になっていた。
「坂を下っていくと岩の壁があって、そこに絵がある」
クラさんが説明しながら、岩穴に入って行く。
その後に続いて入ると、外より少し寒いような気がした。
「ひんやりしているな」
「前に夏に来た事があるけど、夏も寒かった」
岩のせいだろうか?
でも夏だと、岩も太陽で温かくなっているはずだから、寒さを感じる事はないよね?
「ここ」
クラさんが、マジックアイテムの灯りで岩を照らしてくれる。
「凄いな」
お父さんの言葉に無言で頷く。
岩の壁には、マジックアイテムの小さな灯りでも分かるような鮮やかな絵が浮かび上がった。
1人の女性だろうか?
その女性が木に手を伸ばしている絵。
その木をよく見ると、緑の花が咲いている事に気付いた。
「この絵の木って、もしかして外の木?」
「そう見えるけど、どうだろう?」
お父さんの言葉に首を傾げる。
どう見ても、緑の花が同じように見える。
「この絵では、葉っぱは一種類だ」
「そういえば、そうだね」
絵に描かれている木の葉っぱは全て同じ。
人の手のような形の葉っぱのみだ。
外にある木のように、いろいろな形の葉っぱでは無い。
「それにしても、全く劣化していないな」
お父さんの言葉に、頷く。
本当に、全く劣化している様子が無い。
それは、自然の中にある絵としてはあり得ない。
「クラ。この絵はいつ頃からここにあるんだ?」
「じいが、ずっと昔から。村が出来る前」
という事は、マーチュ村の人が描いたものでは無いんだ。
首を傾げながら、絵をもう一度見る。
白い服を着た女性が、木に向かって手を伸ばす。
いや、手を伸ばす?
なんだろう。
女性の手の形を見ていると、違うような気がする。
これは、木に向かって手で壁を作っているのかな?
手で壁?
意味がないよね。
木に襲われるなんて……あるな。
うん、木に襲われる事はある。
女性から木の方へ視線を向ける。
描かれている木は、女性とそれほど大きさが変わらない。
根っこが見えていて……普通、木の絵を描く時に根は地面の下だよね。
という事は、木の魔物?
「この絵は、木の魔物に襲われている女性?」
「そういう風に見えるな」
お父さんが、木の絵の後ろを指す。
そこには、女性と同じ服を着た者達が倒れているのが分かった。
「あの……じいも同じ事を言ってた」
クラさんは、マルチャさんとこの絵を見たんだ。
おそらくマルチャさんが、クラさんをこの場所に連れて来たんだろうな。
あれ?
クラさんがさっきより元気がない。
ちょっと残念そうに、私とお父さんを見ているような気がするな。
なんだろう?
「アイビー」
えっ?
急にお父さんの声に緊張感が増した。
視線を向けると、絵の上部を見ている。
「何を見て……」
魔法陣。
マジックアイテムの小さな灯りでは少し見えにくい。
でも、絵の上部には魔法陣が描かれていた。
「あの部分だけ劣化しているみたいだ」
劣化?
灯りが届いていないのではなく、消えかかっているから見えにくいんだ。
女性の上に魔法陣があるという事は、木の魔物と戦おうとして……んっ?
木の魔物と戦おうとしているなら、魔法陣の位置がおかしい。
というか、上空に魔法陣?
知っている魔法陣をこの絵に当てはめると、女性が魔法陣で何かされているように見える。
それを木の魔物が……襲おうと?
もしかして、守ろうとしているのかな?
自らの命を削ってまで魔法陣を消している木の魔物がいる。
あの木の魔物のような子が昔からいたとしたら、この女性を守ろうとして、女性は……来るなと止めている?
「この女性はテイマーなのかな? 木の魔物を守ろうとしているよね?」
「えっ?」
私の言葉に、驚いた様子のクラさん。
そしてぐっと手を握って来た。
「あれに気を付けろって」
「えっ?」
クラさんの言葉に首を傾げる。
クラさんは、絵の上部を指して。
「じいが、あれを見たら逃げろって。アイビーに見せたかった」
クラさんの言葉に、唖然とする。
クラさんは、魔法陣を知っているのだろうか?
「クラ、あれが何か知っているのか?」
お父さんの言葉にクラさんが頷く。
「うん。じいが認めたテイマーは、皆この場所に連れてこられる。それで教えてもらう。あれは危険な物。魔法陣と言って近付くと死んじゃうって。だから、見たら逃げろって。アイビーに見せたいって言ったら、何も言わない事。それで、この絵の意味を理解したら、言っていいって」
クラさんの思いがけない言葉に、困惑して固まってしまう。
でも、いつまでもそれでは駄目。
「見せてくれてありがとう」
嬉しそうに笑うクラさん。
もう一度、岩に描かれている絵を見る。
この絵を描いた人は、何を伝えたかったんだろう?




