755話 あの日から
ふぁっくすに隠されていた内容を読んでから、今日で5日。
私は、あの日から外に出るのが怖くなってしまった。
すぐに何かが起こる事は無いと、分かっているのに。
あの日、震えが落ち着いて色々と考える事が出来たから、私はもう大丈夫だと思った。
でも全然、大丈夫じゃなかった。
自分の事なのに、思い通りにいかないな。
「カゴの様子を見てくるな」
お父さんが、出掛ける準備をしている姿を眺める。
「うん、行ってらっしゃい」
申し訳ないなと思う。
それが表情に出ていたのか、ちょっと乱暴に頭を撫でられる。
「うわっ」
「ははっ。帰りに甘い物でも買ってくるよ」
そういうと、手を振って部屋を出ていくお父さん。
それに小さく笑って、手を振り返す。
お父さんは、私が不安な気持ちに襲われると、ポンと頭を撫でてくれたり、ギュッと抱きしめてくれたりする。
そのお陰で、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
きっとお父さんは、私が落ち着くのを待ってくれているんだろうな。
「ぷっぷぷ~」
「ソラ。しっかりしないとね」
あっ、違う。
前にお父さんに言われたんだった。
心が疲れている時は「しっかりするのでなく、ゆっくりと休ませないと駄目だ」と。
たぶん、今がその時なんだろうな。
ベッドに寝っ転がる。
小さく欠伸をする。
どうしてだろう?
しっかり寝ているのに、眠いな。
「そういえば、久しぶりだったな」
今日は久しぶりに、前世の事を夢で見た。
まぁ、見た物は「土の中から出てくる手」だったけど。
あれはきっと死んだ人の手だよね?
だって、なんだかちょっと黒くて腐って……駄目、思い出しちゃ駄目!
「久しぶりに見た前世が、どうしてあれなんだろう?」
もっと、こうなんていうか……励ますとかさ。
そういえば、最近は全く声を掛けてくれなくなったな。
いつ頃からだっけ?
ラットルアさん達と出会った頃からかな?
いやもっと前?
ん~、徐々に聞こえなくなっていったような気がするな。
たまに見ても、料理の事ばっかりだった。
私の前世。
スキルを調べた後、いろいろ悲しい事が続く中で私を元気づけてくれた存在。
……やっぱりこういう時は、死んだ人じゃなくて励ますんじゃないかな?
前世の私は、どういう性格をしているんだろう?
まぁ、死んだ人が歩き回る世界だもんね。
まともじゃないか。
「でもそのお陰……いや、本当にあの夢のお陰なのかな? なんか釈然としないな」
少し思うところはあるけど、占い師の事を思い出した。
私が占い師の事を名前で呼ばないのは、名前を呼ぼうとする度に口を指で優しく押さえられたからだ。
あの時は、私に名前を呼ばれたくないんだって凄く悲しかった。
でも思い出した占い師の表情で、違うと気付いた。
だってあの時の占い師は、口を押さえる度に悲しそうな表情をしていた。
決して私に対して嫌悪感など無かった。
そもそも、私の事が嫌いだったら助けてくれないよね。
本当にあの時の私は、何も見えていなかったな。
「占い師の名前か。きっと何かあるんだろうな」
そしてもう1つ思い出した事がある。
占い師は、王都の隣の町に行くように言ったあと、必ず私をジッと見てから反対の事を言った。
「信用できる人が出来たら、行かなくてもいい」とか「信用できる人に全て話して、その人と生きて行けばいい」とか。
まるで、本当は行って欲しくないような感じだった。
あの時の私は幼くて、発せられた言葉だけが真実だった。
でも今は違う。
言葉だけが本当じゃない事を知っている。
「教会との契約が、きっと色々邪魔をしたんだろうな」
あの時、もっと私が大人だったら。
こんな後悔は無駄だろうけど、思ってしまう。
「てりゅ?」
んっ?
微かにお腹に重さを感じ、視線を向ける。
「てりゅ?」
お腹の上で体を傾けるフレム。
それが「大丈夫?」と言っているみたいに見える。
「ありがとう」
たぶん、見えるのではなく、言ってくれているのだと思う。
だって私が悪い方へ考え出すと、皆が鳴き声を掛けてくれる。
本当に優しい子達だな。
「にゃうん」
あっ。
シエルの鳴き声と同時に、額にひんやりしたものが乗る。
これはシエルの前脚だ。
笑って額に乗っている、シエルの前脚を撫でる。
すぐに、傍からゴロゴロと喉の鳴る音が聞こえた。
それに小さく笑うと、目を閉じる。
「ふわぁ」
欠伸が出る。
本当に眠い。
お父さんが帰って来るまで寝ようかな。
たぶん、次に目が覚めた時はもっと元気になっている気がする。
うん、きっと大丈夫。
―ドルイド視点―
まだ微かに臭いのするカゴを、棚に戻す。
「あと、2日か3日ぐらいかな?」
アイビーが作ったカゴも確かめる。
こっちも同じぐらいだな。
「…………はぁ」
カゴを棚に置いて、息を吐き出す。
アイビーに元気がない。
今までだったら、落ち込んでも2日もあれば元気になった。
なのに、既に5日。
「無力だな、俺は」
ふぁっくすを読んだ日の夜、アイビーの魘された声で目が覚めた。
慌ててアイビーを起こしたが、ひどく怯えている様子に俺は少し混乱してしまった。
でもアイビーを、落ち着かせなければととっさに抱きしめた。
というか、抱きしめる事しか出来なかった。
「あんな時に、何も出来ないなんて不甲斐ないよな」
翌日、アイビーと話をしていると微かな違和感を覚えた。
少し探ると、昨夜の事を覚えていない事に気付いた。
正直、話をするべきか迷った。
だけど、何も言わない事にした。
それが正解だったのか分からない。
なぜならあの日から、アイビーは夜中になると魘されるようになってしまったから。
ただ今のところは、声を掛けたら止まってくれる。
だからそれほど寝不足にはなっていないはず。
なのに、アイビーの目の下には隈が出来てしまった。
旅の道中では、天候によっては寝られないから隈を作る事もある。
でも、寝ているのに隈が出来るなんて。
熟睡が出来ていないのかもしれない。
しかも、本人はそれに気付いている様子が無い。
「どうしたらいいんだ?」
父親は、どうやって子供を元気づけるんだろう?
俺にとってアイビーが初めての子供だ。
しかもアイビーは、前の存在のお陰なのか、かなりしっかりしている。
だから今まで、俺の出番は無かった。
今回はきっと、アイビーの為に何かできるはずなんだ。
それなのに俺のしている事は、頭を撫でたり抱きしめたりするだけ。
これでいいのかな?
「はぁ、父親の心得とかいう本は無いかな?」
帰りに本屋に寄ってから帰ろうかな?
いや、甘味を買ったらすぐに帰ろう。
アイビーを1人にするのは不安だ。
「そういえば今日は、魘されたと思ったら飛び起きていたな。しかもなんか怒っていたような気がする」
昨日までとは、明らかに違ったアイビーの行動。
いい方向に転べばいいけれど。
「心に何か変化があったのかな?」
とりあえず、甘味を探しに行こうかな。
今日は何を買おう。
大通りを歩きながら、屋台を見て回る。
体が冷えたのか、ちょっと震えてしまう。
「寒いな」
ここ2日で、ぐっと気温が下がったみたいだ。
もうそろそろ、雪が降って来るだろうな。
そうだ、温かい団子を売っている店があったな。
そこの店で、団子でも買って帰ろう。
大通りを歩いていると、討伐隊の噂が聞こえてきた。
どうやら昨日の夜に、討伐隊が戻って来たみたいだ。
近々森への出入りも、自由になるだろう。
「アイビーと、ゆっくり狩りがしたいな」
今からずっと緊張していたら、体がもたない。
少しでもいいから、気がまぎれる事をしないと。




