721話 宿屋バーン
大通り沿いにある3軒の宿屋。
どの宿屋も、看板に2個の絵が描かれている。
修理道具の絵に、植物の絵。
あともう1個は服が描かれていた。
「アイビーは、どこに泊まりたい?」
お父さんの質問に首を傾げる。
「そう言われても困るんだけど……。カイスさんのお薦めはどの宿屋ですか?」
「そうね。私だったらあの植物の絵が描かれている宿屋ね。店主が農場を持っているから、食事が新鮮で美味しいのよ」
美味しい食事!
「お父さん、あの宿屋にしよう」
私の言葉に、お父さんが苦笑する。
「そうだな。長く泊まるから食事は大事だな」
「うん。凄く大事だと思う」
農場を持っているのか。
凄いな。
冬だったら、根野菜が良く採れるはず。
何が出て来るか、楽しみだな。
「あの宿屋は、バーンと言って、店主は男性。凄く優しい人だから」
店主さんは男性か。
カイスさんが優しい人というなら、きっと優しいんだろうな。
宿屋バーンに向かっていると、手を振って近付いてくる男性が見えた。
「カイス。もう戻って来れたのか? もしかして何かあったのか?」
「ダイス、違うわ。人手があったから、早く終わったのよ」
ダイスさんという人は、カイスさんの言葉に不思議そうな表情を見せる。
「そうなのか? それより人手って村から連れて行ったのか? あれ? えっと、どちら様ですか?」
ダイスさんがお父さんと私を見ると首を傾げる。
「初めまして。ドルイドと言います。こっちは娘のアイビーです。今日、この村に到着したばかりです」
お父さんの言葉に合わせて頭を軽く下げる。
「旅の人だったか。あっ、それは剣ですね。冒険者の方でしたか」
「いえ、元冒険者です」
お父さんの言葉に、ダイスさんの視線が私を見て頷く。
また、この反応だ。
「そうだったんですね」
なんなんだろう?
凄く気になる。
「ダイス。人手はドルイドさんとアイビーちゃんよ」
「そうなんだ。大変だったでしょう」
ダイスさんの言葉に、つい頷いてしまう。
カイスさんに揉んでもらうまで、腕が痛かったからね。
「そうだ、時間があるので村を案内しますよ」
ダイスさんも良い人みたい。
「私が案内しているから大丈夫よ。それに冬の準備があるんだから、暇って事は無いでしょう? そうだ、モウたちの様子はどうなの? 冬を越せそう?」
えっ、モウがいるの?
そういえば、マーチュ村は酪農と農業が成功しているとお父さんが言っていたな。
「お父さん、モウだって。楽しみだね」
モウは酪農向きの動物で『ほるす』や『たいん』。
あと『ジャージ』という種類がいて、どれも美味しかったんだよね。
「あとで肉屋を見に行くか?」
「うん」
楽しみだな。
「大丈夫だ。新しい牛舎を作ったから去年みたいな失敗はないよ」
「そっか。それなら安心だね」
ダイスさんの言葉にカイスさんが嬉しそうに笑う。
なんだかあの2人、良い雰囲気だな。
もしかしたら恋人なのかな?
「ダイス、手伝ってくれ! たいんが逃げた!」
ん?
男性の言葉に首を傾げる。
「はぁ? なんで?」
「扉を壊して逃げ出したんだ」
たいんって、凶暴なの?
でも、それなら酪農には向いてないよね?
「カイス、悪い。行かないと」
「うん、頑張って!」
「おう。あっ、ドルイドさん、アイビーさん。この村はいい所だから、ゆっくりしていってくれ。じゃ、また」
返事をする間もなく駆けて行くダイスさんを見送る。
「ごめんね、慌ただしくて」
カイスさんの言葉にお父さんが首を横に振る。
「いえ。それより、たいんが逃げ出したみたいですが、大丈夫なんですか?」
「ん~、たぶん大丈夫でしょう。たいんは、ちょっと好奇心が強いだけで凶暴というわけではないので」
そうなんだ。
凶暴なのではなくて、好奇心か。
カラカラカラン。
カイスさんが宿屋バーンの扉を開けると、木と木がぶつかる音が上から聞こえた。
見ると、扉の上部で数本の木が揺れている。
あっこれ、扉を開けると反動で木と木がぶつかるんだ。
客が来たのを知らせる物かな?
「バトア。客を連れて来たよぉ。あれ? いないの?」
カイスさんが宿の奥に声を掛けるが、返事が返ってこない。
「どうしよう。もしかして農場の方かな? でも、伝言も書いてないよね?」
カイスさんの視線を追うと、黒板がある。
たぶん、農場へ行く時はそこに伝言が書かれるんだろう。
でも、今日は何も書かれていない。
「誰だ? 客か?」
奥からどんどんと足音がする。
そして、背の高い男性が姿を見せた。
「うわ、大きい」
2m以上はありそうな男性の登場に、茫然としてしまう。
お父さんも少し驚いている。
「あぁ、ごめん。言ってなかったね。バトアさんは、この村で一番背が高いんだ。2m20cmだったっけ?」
「あぁたぶん、それぐらいのはずだ。それで、客で良いのか?」
お父さんと私を見るバトアさん。
「はい。お願いできますか? 冬の間なので1ヶ月半で、お願いしたいんですが」
「あぁ、大丈夫。今は、1組だけ泊っているけど、他には誰もいないから。えっと、2人部屋かそれとも1人部屋が2つか?」
「2人部屋の朝食付きでお願いします」
「分かった。2人部屋で1ヶ月4ラダルだから……1ヶ月半で6ラダルだ。問題ないか?」
「はい、大丈夫です。夕飯が欲しい時はどうしたらいいですか?」
「朝食の時に言うか、その伝言板に必要な人数と『夕飯あり』と書いてくれ」
伝言板は泊まる客も使っていいんだ。
なんだか、これはいいな。
「あと、かしこまって話す必要はないぞ」
バトアさんの言葉に、お父さんが肩を竦める。
「分かった」
「部屋の場所だけど、人の気配に敏感か? もしそうなら、今泊っている客とは別の階にするが」
今のお父さんには嬉しいかも。
お父さんを見ると、少しホッとした表情をしている。
「別の階で頼む」
「3階になるが、大丈夫か?」
「大丈夫だ」
お父さんが私を見るので、頷く。
「3階には、簡易の調理場があるから自由に使ってくれ。鍵はこれだ」
バトアさんが、鍵をお父さんに渡すと少し考えるような表情をする。
「あのさ、この村での予定は決まっているのか?」
バトアさんの、お父さんと私を窺うような態度に首を傾げる。
「特に決まってはいないですが」
バトアさんが、お父さんの返答にパッと笑みを見せる。
「申し訳ないんだが、夕飯をタダにするので農場で収穫を手伝って貰えないかな? あっ、手伝う時間によっては給料も出すし」
「「えっ?」」
驚いてバトアさんを見ると、苦笑する。
「豊作なのはいいんだが、加工に人手が必要だって言われて送ったら収穫の人手が足りなくなってしまって。雪が降る前に、収穫を終わらせないと駄目な野菜があるんだよ。それで、用事がないなら5日ほど手を借りたいなと……どうかな?」
「俺は別に構わないが、見ての通りなので。片手でも大丈夫か?」
「全く問題ない」
「アイビーはどうする?」
お父さんとバトアさんが私を見る。
「私も手伝います」
農場を持っていると聞いて気になっていたから、丁度いいや。
それにしても収穫まで出来るなんて、楽しそう。
まぁ、農場と言う事は量が凄いだろうから、大変かもしれないけどね。