658話 会っちゃいました
宿に入ると、小さく息を吐く。
たった数歩の距離を、こんなに遠く感じたのは初めてかもしれない。
それもこれも全て、あの貴族のせい。
思い出して、ちょっとイラっとする。
「大丈夫か?」
お父さんの心配そうな声に、笑って頷く。
まぁ、今更イラついてもしょうがないしね。
「大丈夫。それより驚いちゃった。オカンコ村の団長さんと話が出来るなんて思ってなかったから」
「そうだな。俺もちょっと驚いたよ」
話をしながら、部屋に戻るために階段へ向かう。
「「「あっ……」」」
お風呂から上がってきたのか、髪が濡れた女性と階段で鉢合わせしてしまう。
おそらく姿を見せなかった、宿泊客の1人だろう。
女性は、お父さんと私を見て少し困った表情を見せた。
姿を見られたくなかったのかもしれない。
どうするのかと、お父さんを見上げる。
「大丈夫です。安心して下さい」
お父さんは女性にそう言うと、私の背に手を添えた。
「食堂で、何か飲み物でも貰おうか」
ここから離れた方が良いという事かな?
「うん。そうしよう」
私の返事に、お父さんが頷く。
これは、何も見なかった事にするという事でいいのかな?
「あの、待って下さい。大丈夫ですから」
食堂に行こうとすると、女性の方から声が掛かった。
まさか声を掛けてくるとは思わなかったので、驚いてしまう。
「いいのですか?」
お父さんの言葉に、女性は頷く。
「えぇ。あなた方の事は、店主のチャギュから聞いています。『問題のない方達だ』と」
そうなんだ。
「えっと……うん。まぁいいよね」
女性は、自分の中で何かを納得したのか一度頷くと、私とお父さんに視線を向ける。
「初めまして、ここに宿泊しているミッケと言います」
ミッケさんか。
名前まで聞いてしまって、本当にいいのかな?
「初めまして、ドルイドです」
「娘のアイビーです」
ミッケさんは私を見ると、ぼそっと何かを言う。
「可愛い」
ん?
ただ、その声が小さすぎてよく聞き取れなかった。
不思議に思って首を傾げると、なぜか頭を撫でられる。
その行動にちょっと驚き、そして撫でる力の強さにもっと驚いた。
ミッケさんは、黒の長髪で目元がすっきりした美人さん。
体形は、ほっそりしていて少しか弱そうに見えた。
なのに、思ったより力が強かった。
「あ~、髪が。ごめんね」
撫でたせいで、髪がぐしゃぐしゃになったのだろう。
焦ったようにミッケさんが、髪を整えてくれる。
すごいな、本日2回目だ。
髪を整えてくれているミッケさんを見る。
あれ?
誰かに、似ているような気がするけど誰だろう?
「どうしたの?」
見つめていると、ミッケさんが不思議そうに首を傾げる。
それに首を横に振る。
こんなにか弱そうな人に、似ている人とは会った事が無い。
たぶん、気のせいかな。
「ありがとうございます」
髪を整えてくれたお礼を言うと、なぜかギュッと抱きしめられる。
「あ~もう」
何だろう?
えっと、どうしたらいいの?
お父さんを見ると、苦笑している。
「よしっ。今日から一緒にご飯を食べるわね」
「えっ。あっ、はい?」
どうして、私にそれを宣言するんだろう?
ミッケさんの不思議な行動に、どうしていいのか分からず曖昧な返事を返す。
それでも、満足そうに頷くミッケさん。
「あ~、ミッケ。部屋を出るなって。あ~」
階段の上からした少し大きな声に、視線を向けると店主のチャギュさんに似た女性が下りてきた。
そして、私とお父さんを見て目を見開いた。
「あははっ、面白い顔」
ミッケさんが、階段から下りてきた女性を見て笑う。
えっ、そんな事を言って大丈夫?
「面白くて悪かったわね。それよりどうするの!」
チャギュさん似の女性はミッケさんを睨むが、ミッケさんは肩を竦める。
「チャギュが大丈夫と言っていたんだから、大丈夫でしょう?」
ミッケさんののほほんとした言葉に、階段から下りてきた女性の表情が怖くなる。
そっと、お父さんと一緒にミッケさん達から距離を取る。
「あんたって……はぁ。ごめんなさいね」
怒鳴ろうとした女性は、私達の存在を思い出したのか途中で止めた。
そして思いっきり息を吐き出すと、私達に小さく頭を下げた。
「いえ、大変ですね」
お父さんの言葉に、苦笑した女性。
「もう、慣れました」
女性のちょっと疲れた表情に、ミッケさんに視線を向ける。
彼女はちょっと気まずそうな表情で、視線を逸らしていた。
色々と自覚はあるらしい。
「そういえば、挨拶がまだでしたね。店主チャギュの娘でカギュと言います。よろしくお願いしますね」
「ドルイドと娘のアイビーです。お世話になります」
チャギュさんの娘でカギュさんか。
「すみませんが、ミッケと話があるのでこれで」
「はい。どうぞ」
ミッケさんとカギュさんが、2階に上がるのを見送る。
「カギュさんが、ミッケさんに振り回されているみたいだな」
「そう見えたね」
でも、2人の様子からかなり親しいのは分かった。
きっと親友同士なのだろう。
「戻るか」
「うん」
泊っている3階に上がると、そのままガルスさん達の部屋の扉を叩く。
コンコン。
「誰ですか?」
「アイビーです」
「アイビー!」
アルスさんの声が聞こえたと思ったら、部屋の扉が勢いよく開く。
どうやら一緒にいたようだ。
「お帰り。お昼はもう食べちゃった?」
ん?
「まだです。一緒に食べたいなって思って屋台で色々買ってきたんだけど、食べられますか?」
「もちろんよ、ありがとう。今ちょうどね、『お腹が空いたよね、どうする?』って話していたところだったの」
すごく良い頃合いに帰ってきたみたい。
間に合って良かった。
「そうなんですね。お父さんのお薦めを買ってきたので、美味しいと思います」
「「肉」」
私の言葉に、ガルスさんとエバスさんが反応する。
というか、お父さんのお薦めは「肉だけ」だと思われているのかな?
まぁ、確かにほぼ肉だけど。
今日は、サラダもあるのに。
部屋に入り、テーブルに屋台で買ってきた物を並べる。
肉の入ったカゴを出した時の3人の反応が面白かった。
さすがに、大きな肉に驚いたようだ。
「肉の道で買ってきた、お薦めだ」
お父さんの言葉に、3人が嬉しそうに笑う。
肉の道は、私が知らなかっただけで有名みたい。
「さて、食べようか」
「「「「「いただきます」」」」」
まずは果物のサラダを食べる。
甘酸っぱい味が口の中に広がる。
美味しい。
サラダに掛かっている、緑のソースが特に美味しい。
お肉は柔らかくて、絡んでいるタレとお肉の甘味が混ざって、これも美味しい。
「このお肉、美味しすぎる。ドルイドさん、お店の場所を教えてください」
「いいぞ。後でな」
ガルスさんの言葉に、頷くお父さん。
でも、お店の場所を聞きたくなるのは分かる。
本当に美味しい。
「そういえば、名前は決まりそうか?」
お父さんの言葉に、3人が微妙な表情を見せる。
どうしたんだろう?
「色々考えてはいるのですが、なかなか決まらないですね」
「どんな名前を付けたらいいのか、さっぱりで」
ガルスさんとエバスさんが、ため息を吐く。
「なるべく、よく使われている名前にした方が良いぞ」
そうなんだよね。
「珍しいと、顔まで覚えられる可能性があるから」
それを知っていたら、私の名前も変わっていただろうな。
まさかアイビーという名前が珍しいなんて、知らなかったから。