657話 絡まれた
目の前の現状にため息が出そうになるが、面倒くさい事になりそうなのでぐっと我慢をする。
どうしてこうなったのか。
視線を少し動かすと、泊っている宿の看板が見えた。
もう目と鼻の先に宿がある。
なのに……運が無かったという事なのだろうか?
「聞いているのか!」
目の前で騒いでいる貴族だと思われる男性。
たぶんというか、確実に貴族だろうな。
着ている服が、私たちとは違うから。
その男性が、お父さんと私の前で怒鳴り散らしている。
原因は「私たちが、男性にぶつかってきたから」らしい。
ただ言わせてもらえば、ぶつかってはいない。
貴族男性は、なぜか店から慌てて出てきて私たちの前で盛大にこけた。
それは見事に。
あまりの事に驚いて、お父さんとしばし呆然。
貴族男性が起き上がろうとしたのでお父さんが手を出したのだが、次の瞬間にお父さんの手を払いのけ怒鳴り始めた。
貴族男性が言うには「私たちがぶつかってきたせいで、こけた」と。
お父さんが否定しても、話を聞く気がないようでずっと怒鳴り散らしている。
「私を誰だと思っている!」
知らないけど、有名な貴族なんだろうか?
お父さんを見るが、小さく首を横に振っている。
それなら、それほど有名な貴族では無いのだろう。
「慰謝料を払え!」
そんな、無茶苦茶な話は無いと思う。
「我々は、あなたにはぶつかっていません」
お父さんの否定に、苛立ったような表情を見せる貴族男性。
「嘘を吐くな! 俺はお前たちを潰す事も出来るんだぞ!」
面倒な貴族に関わってしまったな。
「ほぉ。そんな力がある貴族だったのか? 知らなかったな」
ん?
誰の声?
「知らない? これだから田舎の冒険者は駄目だな。いいか、俺は王都の貴族で、名の知れた貴族達とも懇意にしている。お前達の事を言えば、すぐにでも潰してくれるだろう。分かったら、命乞いでもしたらどうだ?」
ん?
私とお父さんを潰すのは、懇意にしている貴族なの?
それってつまり、この貴族男性には冒険者を潰す力は無いという事だよね。
というか、私もお父さんも冒険者では無いんだけど。
「王都の貴族か、凄いな。懇意にしている貴族とは、誰の事なんだ?」
「あぁ、なんでお前らごときにそんな事を教えてやらないと駄目なんだ? それよりさっさと謝ったらどうなんだ!」
目の前にいる貴族男性は、いったん深呼吸でもして落ち着いた方がいい。
そして誰と会話をしているのか確かめてほしい。
というか、貴族男性の後ろに立っている冒険者の男性は誰なんだろう。
笑顔に凄く圧があるんだけど。
正直、怒鳴っている貴族男性より後ろの男性の方が怖い。
「聞いているのか!」
「ははははっ。いい加減、誰と話しているのか確かめた方が良いんじゃないか? 後ろを向け」
「はっ? 誰と?」
貴族男性がお父さんと私に視線を向けるので、2人で首を横に振る。
「……えっ?」
なぜか顔色を悪くする貴族男性。
そして、そっと後ろを振り返りビクリと体を硬直させた。
もしかして、冒険者の男性と顔見知りなのだろうか?
「よぉ。前にも言ったよな。この村で好き勝手する奴は、ぶちのめすって。その空っぽの頭では覚えきれなかったか?」
うわ~、凄い威圧感。
この冒険者の男性は、間違いなく上位冒険者だ。
しかも、かなり経験を積んだ人に間違いない。
「あひっ」
あひ?
貴族男性をそっと窺うと、目を見開いてぶるぶる震えている。
バシン。
「俺がいないと思って、今の内だと思ったんだろう? 残念だったな」
楽しそうに冒険者の男性が、貴族男性の肩に手をおくと小さな悲鳴が聞こえた。
確かに、肩を叩いただけにしては音が凄かった。
どれだけ力を込めて叩いたんだろう?
「いや、あの……ちがっ」
貴族男性が、ふるふると首を横に振って後ろに体を引く。
「あっ? どこに行こうとしているんだ? まさか、謝りもせずに逃げるなんて事を、この俺が許すとでも思っているのか? ん? どうなんだ? ん?」
「いや、その……わるい」
「あ゛っ?」
冒険者の男性の両手が、貴族男性の両肩を掴む。
笑顔にドスの効いた声付きで。
「申し訳なかった!」
「くくくっ」
冒険者の男性が面白そうに笑うと、貴族男性は悔しそうな表情を見せる。
でも、怖いのか何も言わない。
「もういいだろう! 覚えとけよ!」
暫くすると貴族男性が、肩に乗った冒険者の手を払いのけて走って行ってしまった。
それにしても、最後の言葉まで小物だ。
「はぁ、全く。悪かったな。大丈夫か?」
冒険者の男性の雰囲気ががらりと変わる。
今までの怖い雰囲気が消え、私を心配そうに見ている。
「大丈夫です。助けて頂いてありがとうございました」
頭を下げると、冒険者の男性が嬉しそうに笑う。
「小さいのに、怖がらないのは凄いな」
小さいと、また言われてしまった。
もうこの村では、諦めた方が良いかもしれないな。
それより怖い?
首を傾げて冒険者の男性を見る。
あぁ、確かに怖いと思わせる見た目かもしれないな。
特に目を引くのは、頭から額にかけてある傷跡だろう。
それが鋭い目と相まって、凄みに見えている。
まぁ、見えるだけでなく男性から感じる圧もあるけど。
これだと、小さい子は怖がるかな。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
お父さんの言葉に、首を振る冒険者の男性。
「いや、俺達がしっかり管理していないから起こった事だ。お嬢さんに怪我がなくて良かったよ」
管理?
「あっ、俺はこの村の自警団を纏めている団長のガバリという者だ。よろしくな」
団長さんだったのか。
なるほど、あの迫力や威圧感も頷ける。
「えっと、冒険者か?」
「いえ、娘と旅をしている旅人ですね」
「そうか」
ガバリ団長さんは、お父さんと私を見て頷く。
「大丈夫だと思うが、奴がこの周辺にいると面倒だ。宿が決まっているなら送るよ」
「あっ、大丈夫です。宿はあそこなので」
お父さんが宿「あすろ」を指すと、少し反応を見せたガバリ団長さん。
もしかしてあの宿が、逃げ場所だという事を知っているのだろうか?
「あそこだったら、大丈夫だな」
ガバリ団長さんは頷くと、私の頭に手を伸ばしたまま少し迷うような表情を見せた。
それを不思議に思って見ると、笑ってぽんぽんと撫でられた。
「本当に怖がらないな」
あぁ、触ったら怖がるかもしれないと思ったのか。
「今のガバリ団長さんは、怖くないですよ」
貴族男性を見ていたガバリ団長さんは、威圧感があって怖さもあったけど。
今は、優しい雰囲気なので怖くない。
ガバリ団長さんを見ると、彼は頭の傷跡を指す。
「不気味に見えないか?」
不気味?
首を傾げながら、ガバリ団長さんの頭にある傷跡を見る。
大きな傷跡なので、かなりの大怪我だと思う。
「不気味では無いです。ただ、大怪我だったんだろうなと思います。今は痛くないですか?」
「ははっ。大丈夫だ」
ガバリ団長さんの手がもう一度頭に乗って、さっきより激しく頭を撫でられた。
「髪がぐしゃぐしゃなのですが……」
「あっ、悪い。本当に悪い」
私の言葉に、慌てて髪を整えるガバリ団長さん。
それに笑ってしまう。
「ありがとうございます」
手櫛で髪を整えると、ガバリ団長さんがホッとした表情を見せた。
怖いというより、なんだか可愛い人だな。
いや、団長さんだから失礼だよね。
「ぷっ」
ん?
お父さんを見ると、肩が震えている。
なんだか、団長さんの事を可愛いと思った事が、ばれているような気がする。