644話 幻の果実
全員で、ある1本の木の下に集まる。
見上げると、黄色から赤に色が変わっていく拳ぐらいの大きさの果実が見える。
かなり珍しい果実だと、お父さんとウルさんが大興奮している。
お父さんが、果実を見て興奮することは珍しいのでちょっと驚いてしまった。
お父さんの様子を眺めながら、果実をもう一度見る。
間違いない。
見覚えがある。
ちょっと酸味があるけど、甘くて非常に美味しかった。
シエルと出会った頃に、森の奥で間違いなくこの果実を食べている。
お父さんとウルさんを見る。
これは言うべきだろうか?
「この果実は凄いんだ。魔力を一気に回復してくれるんだ」
「そうなの?」
「あぁ」
お父さんの言葉に、前に食べた時の事を思い出す。
特に、食べた後に魔力が増えた感覚は無かった。
でもそれって、私の魔力が少なすぎて変化が小さかったからかもしれない。
私が食べると、あの果実の効果が無駄になってしまうのでは?
「美味しいんですか?」
「はい。少し酸味があるけど、甘味が濃くて美味しかったです」
私の返答に、アルスさんが「えっ?」という表情をする。
あれ?
お父さんもウルさんも、驚いた表情で私を見る。
あぁ、つい。
「アイビー、食べた事があるのか?」
ウルさんの質問に、苦笑いで頷く。
「はい。シエルの案内で」
シエルを見ると、満足そうに尻尾を振っている。
「さすが、シエルだな。というか、アイビーが食べた事が無い果実はあるのか?」
ガルスさんの言葉に、焦ってしまう。
「ありますよ! 本で見た幻と呼ばれている果実は、まだ半分も食べてないですから!」
「「「「えっ?」」」」
ん?
どうしてか、全員が驚いた表情で私を見る。
「アイビー、それは凄い事だからな。幻は、手に入らないから幻なんだ」
お父さんの言葉に頷く。
でも、
「お父さんも、一緒に旅をするようになってから食べてるよね?」
「……そういえば、食べてるな」
あっ、ウルさんがお父さんの肩を軽く叩いた。
「羨ましいぃ」
ガルスさん達も同じ意見なのか、真剣な表情で頷いている。
でも、そう思われても仕方ないかな。
ほとんどの幻の果実は、森の奥でしか育たない。
普通の冒険者は、沢山の魔物が動き回っている森の奥には入らないから。
「まぁ、ここでこんな話をしていても意味が無いな。収穫しよう」
叫んだ事でちょっと落ち着いたのか、ウルさんが背負っていたマジックバッグを地面に降ろした。
「それなら勝負よ!」
アルスさんが、マジックバッグから何か道具のような物を取り出す。
「いいな。誰が一番多く収穫できるか、勝負だ」
エバスさんも乗り気なようで、自分が持っていたマジックバッグの中を探りだした。
ガルスさんとお父さんが、2人。
いや、ウルさんも乗り気でマジックバッグの中を探っている。
3人を見て、呆れた様子を見せた。
罠で誰が一番に獲物を狩れるかという勝負をしてから、何かにつけて勝負をする3人。
おかしい、ウルさんは2人より大人のはずなのに。
一番やる気のある表情で、マジックアイテムを並べて吟味している。
ただ、今回の勝負の勝者は誰なのか、私とお父さんは既に知っている。
そっとシエルを見る。
尻尾を楽しそうに揺らしながら、果実の生っている木を見上げている。
もの凄くやる気だね。
3人がそれぞれのマジックアイテムを使いながら果実を収穫していく。
さすがに経験の差。
ウルさんの収穫している数が、一番に多い。
「にゃ!」
「真打ち登場という感じだな」
お父さんの言葉に、ガルスさんが笑う。
確かに、後から現れて勝ちを搔っ攫っていくからその通りだね。
「あ~シエル待って。というか、参加するの?」
アルスさんが、シエルが木に近付いた事に気付いて慌てる。
「にゃん」
シエルは、軽々と果実の生っている木に飛び移ると、体を軽く揺らしている。
「はははっ、これは一気に果実が落ちてくるな。皆、気を付けろよ」
お父さんの言う通り、ボタボタボタボタと果実が地面に転がり落ちる。
「にゃん」
木の上で満足そうに鳴くシエルについ笑ってしまう。
「シエル~、ちょっとは譲ってくれてもいいじゃない!」
アルスさんが、悔しそうにシエルを見る。
「にゃ!」
あっ、シエル。
「シエル! 今、鼻で笑わなかった?」
やっぱり、そう見えたんだ。
私にも、そう見えたんだけど。
「あれは、完全に遊んでいるな」
お父さんが苦笑しながらアルスさんとシエルを見る。
「反応が面白いのでしょう」
ガルスさん、そういうならアルスさんを止めて欲しい。
いや、私がシエルを止めるべきなのかな?
シエルを見る。
本当に楽しそうなんだよね。
……まぁ、いいか。
「にゃうん」
一声鳴くと、木から降りてくるシエル。
わざわざ、アルスさんの前に降りるあたりが、楽しんでいる証拠だよね。
「次は負けないからね」
「アルスも楽しそうだよな」
エバスさんが、シエルが落とした果実を拾って肩を竦める。
アルスさんを見ると、悔しそうだけど確かに楽しんでいる。
アルスさんとシエルはいい関係なのかもしれないな。
「さて、拾うか」
お父さんの言葉に、全員が落ちてきた果実を拾う。
シエルは、数回木の上で体を揺らしただけなのに、かなりの数が落ちていた。
「熟し過ぎている物は、そのまま転がしておいていいからな」
ウルさんが1つの果実を見せてくれる。
部分的に既に変色しているのが分かる。
大量の果実を全員で拾うと、お父さんが食料品を入れているマジックバッグへと放り込んでいく。
熟した物や、虫が果実の中まで入り込んでいる物は避けたけど、50個以上あった。
「切りますね」
果実3個を、皮を剥いて食べやすい大きさに切っていく。
周りを甘いいい香りが漂う。
「すごい、匂いが濃いね」
「はい。匂いが濃い方が甘味が強いんです。香りが弱いのは、酸味が強くなります」
アルスさんが私の言葉に、切った果実に顔を近付け香りを嗅ぐ。
「違いがあるの?」
首を傾げるアルスさん。
「この3個の香りは、ほとんど同じぐらいだと思います。切った物から、どうぞ」
切った果実を載せたお皿を簡易テーブルの上に置くと、一切れ先に食べる。
濃厚な甘さを思い出したら、凄く食べたくなってしまったんです。
「甘い、美味しいぃ」
口に広がる甘さに、表情が緩むのが分かる。
「本当に甘味が濃いな。でも後味がいい。これは、うまいな」
お父さんも気に入ったみたい。
私と味の好みが、辛み以外は似ているので気に入ると思ったんだよね。
一切れを食べ終わると、残りの果実を切っていく。
切ってお皿に載せると、すぐに誰かの手が伸びる。
全員が気に入ったのか、3個分の果実はあっと言う間に無くなった。
あっ、自分の分を避けるの忘れてた。
「はい。アイビーの分」
お父さんが、小皿を私に渡してくれる。
見ると3切れの果実が小皿には載っている。
「ありがとう」
お皿を受け取り、一口かじる。
うん、やっぱり美味しい。
ん?
魔力の揺れを感じて視線を向けると、ウルさんが手に魔力を集めているのが見えた。
「確かに、魔力が回復しているみたいだ」
あぁ、魔力が回復するんだっけ。
ガルスさんとエバスさんも、魔力が増えたと感じられたみたい。
アルスさんもだ。
自分の手を見る。
魔力か。
……やっぱり、分からないか。
残念。
「そういえば、この果実の名前は何だっけ?」
毒を持っている果実ではないから、何度も本を読み返して無いんだよね。
えっと……。
「トゥル」
ん?
お父さんを見る。
「果実の名前、トゥルだよ」
あっ、トゥルか。




