593話 ラビネラ
「ウル。ラビネラは人を襲わないよな?」
「そのはずだ」
目の前にいるラビネラは、こちらをじっと見つめているだけで攻撃する様子は見られない。
たぶんシエルが暴走した魔物と戦っていなければ、微笑ましい出会いになったんだろうな。
「どうする?」
「行動がおかしい原因を、調べる必要があるだろうな」
ウルさんが少し面倒くさそうに言うと、お父さんが頷く。
「それなら、捕まえないとな」
「そうだな。ラビネラはそれほど動きが素早くない。それに、こいつは警戒心がないみたいだし、すぐに捕まえられるだろう」
ウルさんが剣を仕舞うと、お父さんにラビネラの左側を指す。
お父さんがそれに頷くと、私を見る。
「アイビー、悪いけど。正面から少しずつ近付いてくれるか? 捕まえるのは俺かウルがするから」
「分かった」
ウルさんがラビネラに右から近付き、お父さんが左から近付く。
私は正面から。
でも、私は捕まえないのでラビネラにそれほど近付く必要はない。
「本当に逃げないな」
あと少しで手が届くところまで、ウルさんがラビネラに近付く。
バキバキッ、バキバキッ……ドスッ……バタバタバタ。
「なんだ?」
ウルさんが、音がした方へと視線を向けると仕舞った剣を鞘から抜く。
お父さんは、ラビネラを気にしながらも視線を森の奥へ向けた。
私はお父さんたちに一瞬視線を向けるが、すぐにラビネラに戻す。
ラビネラも、音の方へ一瞬だけ視線を向けたが、何事もなかったように私たちへ視線を戻した。
その様子に首を傾げる。
「木が倒れたようだ」
えっ、シエルは?
お父さんの言葉に、シエルの気配を探る。
すぐに、森の中を縦横無尽に走り回っているのが分かった。
あの調子なら、大きな怪我はしていないだろう。
良かったぁ。
「きゅっ」
可愛く鳴くラビネラ。
あれほどの大きな音がしたのに、怖がっている様子がない。
恐怖心が無いのかな?
それはないよね……あれ?
何か今、引っかかったな。
何だろう……えっと、恐怖心が……あっ!
「お父さん。このラビネラ、もしかしたら魔法陣の影響を受けてるんじゃないかな?」
「魔法陣? シャーミみたいな感じか?」
「シャーミというより、ハタカ村で私達が掛けられた魔法陣の方かな? 恐怖心が無くなっているように感じるんだけど……」
シャーミは住処である洞窟に魔法陣を仕掛けられ、大量のゴミの魔力で暴走した動物。
ラビネラを見る限り、シャーミとは違うと思う。
暴走していないからね。
でも、この恐怖心の無さはハタカ村で見た人達と似ている気がする。
「確かに、アイビーの言う通りだな。こんなに傍にいるのに、全く怖がっていないもんな」
お父さんの言葉に、ラビネラを見る。
お父さんとラビネラの距離は、約2歩分ぐらい。
それなのに、全く警戒していないラビネラはかなり異常だ。
「シャーミ? 確かハタカ村の周辺を縄張りにしている動物だよな?」
ウルさんが私とお父さんを不思議そうに見る。
ハタカ村で起こった事を知らないのかな?
「そうだ。そのシャーミが、魔法陣と大量のゴミでおかしくなって人を襲っていたんだ。姿も変わってたからな」
「そうだったのか」
お父さんの返答に、ウルさんがラビネラを見る。
「特に姿が変わっている様子は無いな。ならだいじょう――」
「「「きゅっ」」」
「「「えっ?」」」
不意に聞こえた複数のラビネラの声に、慌てて周りを見回す。
「やばいな、囲まれてる」
お父さんとウルさんが、私を守るような立ち位置へと移動する。
木々や草の間から姿を見せるラビネラ。
パッと見ただけでも10匹、いや20匹以上はいるかな?
「くそっ。気配はあるのに、数が分からない」
ラビネラの気配は確かにあるのに、森の中に混ざり込んでしまっている。
そのせいでウルさんと同じように、気配はしっかりと感じられるのに、何匹いるのか分からない。
「30匹以上はいるみたいだな」
30匹以上?
お父さんの言葉に、気配ではなく目で数を確認していく。
……あれ、25匹?
「数が多いな。どうする? 襲われないはずだが、不気味だ。それに、ラビネラは大きな群れで動く動物じゃない。これだけ集まるのは異常だ」
ウルさんがお父さんをちらりと振り返る。
「どうすると言ってもな……とりあえず囲まれている状態は危険だから、抜け出すことが最優先だな」
お父さんが1歩前に出るが、傍にいるラビネラは逃げようともしない。
「まったく動かないな」
「グルルル」
ん?
唸り声?
ラビネラが唸っている。
「おい、ウル。本当に襲わないのか? すごい目で見られているんだが」
お父さんの視線の先を追うと、少し離れた場所にいるラビネラがこちらを睨みつけている。
肌をピリピリと刺すような、殺気付きで。
「嘘だろう? 俺の知っているラビネラは、あんな表情はしない。本当に穏やかな動物なんだ」
ウルさんが、かなり戸惑った表情をしている。
「これだけの数に襲われたら、怪我をするかもしれない。とりあえず囲まれている状態から抜け出そう。アイビー、走るが大丈夫か? ウルはしっかりしろ!」
「すまん。大丈夫だ」
ウルさんが、1つ息を吐き出すと剣を殺気立っているラビネラに向けた。
「大丈夫。でも、ちょっと待って」
肩から提げていたマジックバッグを、木の陰に隠す。
それには、さっき拾ったポーションやマジックアイテムが入っている。
後で回収できればいいけど、どうかな?
「行けるか?」
走って逃げるので持って行くのは、ソラ達が入ったバッグのみ。
トロンは、ずっとお父さんが持ってくれているカゴの中で就寝中だから大丈夫。
お父さんに頷くと、すぐに移動が始まった。
「行こう!」
お父さんの合図で、3人がほとんど同時に走り出す。
走る位置は、前がお父さんで真ん中が私、後ろがウルさんだ。
「「「きゅっ」」」
鳴き声が気になって、そっと後ろを確認する。
数十匹のラビネラが、私達に向かって走って来るのが見えた。
「ドルイド、追ってきてる! 気を付けろ!」
「分かった」
ウルさんは「動きは素早くない」と言っていたけど、そんな事は無かったみたいだ。
「「グルルル」」
ん?
殺気を感じて視線を横に向けると、牙をむくラビネラが木の上から飛び掛かってきた。
後ろを走っていたウルさんが、すぐにラビネラを打ち払う。
「大丈夫か?」
お父さんが、前にいるラビネラを剣で押しのけながら、ちらりと後ろを見る。
「大丈夫」
「確実に狙われているな。本来の性格とは違うみたいだから、やっぱり魔法陣の影響か?」
お父さんとウルさんが、どんどんラビネラを倒していく。
襲って来る数は多いが、ラビネラ自体はそれほど強くないようだ。
ただ、後から後からラビネラが湧いて出てくるのでキリがない。
「減らないな」
うんざりした表情で言うウルさんに、お父さんも嫌そうな表情を見せる。
「面倒くさいな。何かパッと蹴散らせる方法はないか?」
「あったら、既にやってる!」
ウルさんが叫びながら、飛び掛かってきたラビネラを薙ぎ払う。
「にゃん!」
「うわっ」
目の前に落ちてきた何かに、ウルさんが驚いた声を出す。
見ると、尻尾を振っているシエルがいた。
「シエル?」
「にゃうん」
そういえば、いつの間にか森が静かになっている。
暴走した魔物は片付いたのかな?
「あっ、逃げた」
お父さんの視線を追うと、後ろ姿のラビネラ。
シエルの登場で、逃げていったようだ。




