562話 トロンは幸せ
「気付かなかった事にして、引き返したい」
ジナルさんの嫌そうな声に視線を向けると、本気で嫌がっているのが分かった。
「それは無理だろうな。それより、違法な捨て場で襲ってきた6人。行動がおかしかったのは、カリョの中毒者だったのかもな」
中毒?
「カリョの中毒症状の中に『判断能力の低下』があるんだ。……確かに、そんな感じだったな」
フィーシェさんの言葉に首を傾げると、お父さんが中毒症状の1つを教えてくれた。
判断能力の低下か。
数日前に会った人たちを思い出す。
冒険者の格好をして身分を隠しているはずなのに、身分を笠に着るような言動をしていた人がいたな。
他の人たちは、実力差がはっきりしているお父さんたちに無謀にも挑んだし。
そうか、あれがカリョのせいだった可能性があるのか。
「よしっ、行くか。匂いで判断できるが、確かめないと駄目だからな」
ジナルさんが扉に向かって歩き出す。
それに続くと、匂いが少しずつ濃くなっていくのに気付いた。
「臭いな」
「あぁ、ひどいな。洞窟は匂いが籠るから最悪だ」
お父さんの言葉に、ジナルさんは頷くと布で鼻を押さえた。
「アイビーも」
お父さんが布を取り出しながら私を見る。
「うん。あっ、ソラたちは離れて待ってて」
「ぷっぷぷ~」
「てっりゅりゅ~」
「ぺふっ」
傍にいたソラたちに、扉から離れた場所を指すと3匹がピョンとそちらに向かう。
離れたのを確認してから、マジックバッグから綺麗な布を取り出して鼻と口元を覆った。
少しマシになった匂いに、ホッとする。
「開けるぞ」
ジナルさんが扉を開けると、奥から風が流れてきた。
とたんに、ぶわりと甘ったるい匂いに襲われる。
布で鼻を覆っているのに、その甘ったるい匂いに気分が悪くなってしまう。
「うげっ」
「おえっ」
ジナルさんとフィーシェさんに視線を向けると、苦しそうな表情をしている。
扉の奥を見ると、カリョの花が一面に咲いているのが見えた。
すごい量。
ボコッ。
あれ?
今の音は、少し前にも聞いたような気がする。
音がしてしばらくすると、匂いが徐々に薄れていく事に気付いた。
「シエル、ありがとう」
フィーシェさんの視線の先を見ると、カリョの花畑の奥の壁に大きな穴が開いていた。
そして穴の隣にはシエルの姿がある。
「ふ~、息が出来る」
「本当だな。カリョの花の匂いを甘く見てたな。まだ気持ち悪い」
お父さんの言葉に、ジナルさんは頷いて胸をぽんぽんと軽く叩く。
確かに、匂いはかなり軽減されたのに、胸が少しムカムカする。
「かなり薄まったな。次の空間に行くか。まぁ、既に見えてるけどな」
ジナルさんが、隣の空間に咲くカリョの花を見て、本当に嫌そうな表情をする。
その態度に少し首を傾げる。
「カリョで何かあったんですか?」
「昔にちょっとな。カリョには間違っても手を出すなよ。一度手を出してしまえば、依存性が強いから死ぬまで逃れられなくなる」
ジナルさんの、いつもと違う真剣な視線に少したじろぐ。
「はい」
ジナルさんの目を見て頷くと、ポンと頭を軽く撫でられた。
「それにしてもすごい量だな」
カリョの花畑を前にフィーシェさんが、ため息を吐く。
「ぎゃぎゃっ」
トロンの声に視線を向けると、カゴの中でもがいている。
それに小さく笑ってしまう。
焦り過ぎて根っこがカゴに絡まってしまっている。
「慌てちゃ駄目だよ。落ち着いて」
トロンの葉っぱを数回撫でると、カゴから出してカリョの花畑の傍に置く。
「ぎゃぎゃっ。ぎゃぎゃっ」
カリョの花畑を見て興奮しているトロンに、お父さんが苦笑する。
「複雑だな。俺たちにとってはあってはならない物なのに、そこまで喜ばれると」
「ぎゃ?」
お父さんを見るトロン。
体が少し右に傾いている。
まるで、「喜んじゃ駄目?」と聞いているように見える。
「いや、喜ぶのは自由だから、気にしなくていいぞ」
「ぎゃっ」
トロンはお父さんに向かってプルプルと震えると、根っこを地面の下に潜り込ませていった。
いつもはカゴに絡まったりする根っこだが、この時だけはすごい力強さを感じるから不思議。
「すごいものを見てるんだよな」
フィーシェさんがトロンの傍によって、様子を窺う。
それに首を傾げてしまう。
すごいもの?
「トロンの食事方法ですか?」
確かに、見られる人は少ないだろうな。
そもそも、木の魔物の子供については本にも載っていないので、知らない人も多いはずだ。
「食事方法もだけど、全てかな。木の魔物が人と一緒にいる事も不思議だし。食事の仕方もだし。こんなに木の魔物が可愛い事もだし」
確かに木の魔物を可愛いと思う時がくるとは、思わなかったな。
なんせ、木の魔物に襲われて死にかけているからね。
それにしても、どんどん枯れていくな。
トロンの傍に埋まっているカリョから円を描くように枯れていくカリョにちょっと感動してしまう。
「凄いな。こんなに早く枯れるのか」
ジナルさんが、傍に埋まっている1本のカリョに手を伸ばし引き抜こうとするが、掴んだ瞬間にその部分からパラパラと地面に落ちていく。
「完全に枯れてるんだな。根っこもか?」
近くに落ちていた石で、地面を掘り起こすジナルさん。
カリョの根の状態を確かめているのだろう。
「根も完全に枯れているな。これだったら、問題ないな」
ジナルさんが掘った穴を、後ろから覗きこんだフィーシェさんがホッとした表情をする。
「前に見つけた時は、1本1本カリョを引きぬくのが大変で、最後の処理までに2日も掛かったんだよな。この花畑を見た時は、気が遠くなりそうだったよ」
フィーシェさんの言葉に、ジナルさんが嫌そうな表情で頷く。
「確かに、あれは大変だったよな」
お父さんも、前に見つけたカリョの花畑を前に、すごい表情で「大仕事だぞ」と言っていたな。
「なぁ、まだカリョの花の匂いがしないか?」
「えっ?」
お父さんの言葉に、ジナルさんたちが呆然とお父さんを見る。
「冗談?」
「本気で言ってる。臭わないか?」
フィーシェさんの小さな呟きに、首を横に振るお父さん。
「げっ。本当に微かにだが、臭うな」
フィーシェさんが、慌てて周辺へと視線を走らせる。
「あそこだろう」
お父さんが指したのは、空間の奥にある扉。
この空間に入った時に、開けた扉と同じ物が見えた。
「ぎゃぎゃっ」
その扉に向かって嬉しそうな声をあげるトロン。
そのトロンの様子を見て、あからさまにホッとする3人に笑ってしまう。
トロンがじっと私を見るので、ゆっくり地面から引き抜くと葉っぱが目の前でくるくる回った。
「アイビーは、あの地獄を知らないから」
「そうだぞ。抜いても抜いても目の前にはカリョ。あの甘ったるい匂いを嗅ぎながら、ひたすら抜く作業がどれだけ地獄か。丁寧に抜かないと根っこが途中で切れるしな」
フィーシェさんの言葉にジナルさんが詳しく説明してくれる。
お父さんは、ジナルさんの説明を聞いて深く頷いている。
確かにあの匂いを嗅ぎながら作業するのはつらいだろうな。
「そう言えば、どうしてカリョの花の匂いは、気持ち悪くなるんですか?」
甘い匂いのする花なら他にもある。
まぁ、あそこまでむせ返るような匂いはしないけど。
「魔物を寄せ付けないためと言われているが、どうだろうな?」
ジナルさんが肩を竦める。
つまり、原因不明か。
「あぁ、またあの匂いに襲われるのか」
フィーシェさんがうんざりした表情をしながら、鼻を布で覆った。
急いで自分の鼻に布を当てると、ジナルさんが振り返って頷いて扉に手を伸ばした。
腕の中のトロンの葉っぱがずっとくるくる回っている。
あと、どれだけのカリョの花があるんだろう。
不安だ。




