480話 まずは食べよう
「どうぞ」
笑顔で女性にお椀を差し出す。
少し戸惑いながら受け取った女性からは、怯えが伝わってくる。
もう少し気を休めて欲しいけれど、どうしていいか分からない。
お父さんも、女性の怯えように戸惑っていた。
なんせ、声を掛ける度に震えられるのだから。
温かいものでも食べればもう少し落ち着くかと、まずは食事をする事にしたのだけど、こんな状態で食べて大丈夫だろうか?
「あ、の……」
「はい。何でしょうか?」
女性の視線が私とお父さんを交互に見る。
怖がっていたようなので、お父さんは少し離れたところに座って朝食を食べているがもう少し離れた方がいいのだろうか?
「わた、しは、だいじょう、ぶ、で。いっしょ、に」
大丈夫で一緒?
お父さんを見る。
一緒……。
「あっ。お父さんが、こっちに来ても大丈夫ですか?」
私の言葉に頷く女性。
でも、どう見ても怖がっている。
どうしようかと、お父さんを見る。
「少しだけ、そっちに寄らせてもらうな」
お父さんはほんの少し私の傍に寄って、また食事を始める。
それに微かにほっとした表情をした女性。
怖いけど、大丈夫だと思ってくれているのかな?
「温かいうちに食べてくださいね」
消化に良いものと考えて作ったのは、前の私の記憶にあったおじや。
野菜もお肉も入っているので、体によさそうだし。
じっくり煮込んで柔らかくしたから、消化にもいいはず。
「これはおじやで、美味しいんですよ」
私にとってはなんとも懐かしさを感じる味。
一口食べると優しい味がした。
あっ、でも味が薄すぎたかな?
私にはちょうどいいんだけど、どうだろう?
女性を見ると、私をじっと見つめている。
それに首を傾げると、慌てて視線を逸らした。
「味はちょっと薄いかもしれません。薄かったら塩を足すので言ってくださいね」
女性は頷くとスプーンでおじやをすくって口に運んだ。
何だかドキドキする。
大丈夫かな?
「おい、し、いで、す」
女性の口元が微かに上がる。
それにほっとする。
「味は大丈夫ですか?」
「はい」
「おかわりありますからね」
私の言葉に、何度も頷いておじやを食べる女性。
良かった。
お父さんもそんな女性に、ほっとした表情を見せた。
「おじやって、そんなに美味いのか?」
「美味しいよ。でも、お父さんには味が薄いと思うけど」
私に合わせて作ったおじやなので、薄い味付けになっている。
「一口、味見にもらえるか?」
「ふふっ、ちょっと待ってね。……はい」
小さなお皿に2口分のおじやを入れて渡す。
お父さんはすぐに食べきると、首を傾げた。
「やっぱり味は、しない?」
「いや、味は感じる。まぁ、薄いけど」
「えっ、味が分かるの?」
「誤解を受けそうな言われ方だな」
「あはははっ」
だって、薄味で作った料理は、味を感じないって言っていたんだもん。
「いつもの薄味? ちょっと濃くした?」
「してないよ。いつも通り」
「そうなのか。薄いけど確かに味を感じる。まぁ、もう少し濃かったらもっといいけどな」
これって味を濃くして作って欲しいって事かな?
でも、動き回るお父さんに消化のいいおじや?
すごく大量に作る必要があるんだけど。
あっ、体調が悪いわけじゃないんだから、おかずをつければいいのか。
私も好きだし、作ろうかな。
でも、味は2種類だな。
濃い味と、薄味。
食べ終わって、お父さんと私にお茶を入れる。
「シエル、遅いね」
「そうだな」
ソラが私の下へ来る少し前にシエルは先に出てきて、すぐにどこかに駆けて行ってしまったらしい。
いつもと違う行動なので少し不安になる。
「大丈夫だ。シエルは強いから」
「うん」
早く帰って来ないかな。
「あの……あり、がとう。おい、し、かったで、す」
「どういたしまして」
女性はお椀の中身を食べきると、少し力を抜いたように見えた。
少しずつ、怯えなくなっていくといいんだけどな。
「今、お茶を淹れますね」
「あっ」
申し訳なさそうな表情に、笑みが浮かぶ。
お茶を淹れて渡すと、小さく頭を下げすぐに受け取ってくれた。
何度か口元が動くが、言葉になることは無くお茶を飲みだした。
「名前を聞いていいか?」
お父さんの言葉に、女性の動きが止まる。
「言いたくないならいい。ただ、これからの事を話したい。どこかに行きたいところがあるなら、その場所まで護衛してもいいし」
女性の視線があちこちへ移動する。
何度か私とお父さんを見て、そして口を開いてまた閉じる。
「あの、なま、えマリャで、す」
「マリャか。分かった。俺はドルイド、こっちが娘のアイビーだ。よろしくな」
食事前より怯えてないな。
良かった。
「よろし、く」
マリャさんか。
「マリャさん、よろしくお願いします」
お父さんと私を見たマリャさんの目が、微かに笑みの形を作る。
その事に私は嬉しくなる。
私とお父さんを見た瞬間から、その目はずっと怯えていた。
どうしたらいいか、正直わからなかった。
なので、ほんの少しだけど、マリャさんの表情が変わったことが嬉しい。
「ごめ、んなさい。はなしが……ききづ、らい」
「気にする必要はない。ちゃんと伝わっている。それに、分からない時は訊くから、その時はもう少し説明を頼むな」
お父さんの言葉に頷く。
ちょっと言葉が足りないところがあるけど、問題ない。
「ずと、はなしき、し、されて、て。はなす、のどいわ、かんが」
話すことを禁止されていたのか。
で、話すと喉に違和感がある。
ずっと話して無かったみたいだから、筋肉が急に動いて驚いているのかな?
それなら、頑張って話し続けたら普通になるの?
「そうか」
あれ?
お父さんの表情がほんの少し険しい?
マリャさんは、気付いていないみたい。
良かった。
そっとお父さんの着ている服を引っ張る。
「ん?」
「顔、怖いよ」
「あぁ、悪い。気を付けないとな」
お父さんが小声で謝罪をしてくれたので、小さく頷く。
「あの、あの、こ」
あの子?
「きゃか、からにげ、くれた」
きゃか?
「教会か?」
お父さんの言葉にびくりと震える女性。
つまりえっと、……あの子が教会から逃がしてくれたかな?
「マリャさんは、ハタル村にいたんだな? そこの教会に捕まえられていた」
お父さんの言葉に首を縦に動かす。
あっ、あの子ってもしかして、ビスさんの事?
教会の人たちはマリャさんを探すために、ビスさんを必死に探していたんだ。
お父さんはビスさんが、教会の雇った冒険者に怪我をさせられたって言っていた。
それってもしかして、マリャさんの居場所を無理やり聞き出そうとしたから?
……完治して良かった。
「あの子とは、ビスの事かな?」
お父さんの質問に、泣きそうな表情で何度も頷くマリャさん。
「そう、あのこ、むら、にげてて。あの、こ……」
ビスさんは、一緒に逃げても捕まると考えてわざと村に残ったのかもしれない。
村に残って教会の目を自分だけに向けようとした。
「大丈夫だ。ギルマスが保護して無事だ」
お父さんの言葉に涙を流すマリャさん。
「すみ、せん、もう、だいじょ、ぶ」
「これから、どうしたい?」
お父さんが訊くと、マリャさんは戸惑った表情をする。
「にゃうん」
「シエル!」
気付かなかった。
というか、完全に気配を消してるみたい。
目の前にいるのに、ほとんど気配も魔力も感じられない。
「にゃうん」
あっ、気配も魔力も戻った。
すごいな。
「何かあったの? 気配まで消して」
傍まで来たシエルにギュッと抱き着く。
体を上から下まで見たが、怪我はしていない。
良かった。
「にゃ!」
「ん? 何を咥えているの?」
シエルが私の手の上に、何かを載せる。
見ると、紫色の小さな実が10個。
「木の実?」
「えっ、シエルこれってパスカの実? えっ? もしかしてこれを取りに行っていたのか?」
「にゃうん」
えっ? 何?
というか、シエルはどうしてそんなに自慢げなの?
ん? パスカの実?
聞いた事ないけど、どんな実なんだろう?
木の実や果物を勉強した時にも聞いた事はないけど、有名なのかな?
「はぁ、いきなり居なくなるからどうしたのかと思えば。シエルは気付いたんだな」
「にゃうん」
「さすが、おりこうさん」
お父さんがシエルの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
シエルの尻尾がいつもよりちょっと激しいな。
「あ、のそ、こ。めがさ、たとき」
あっ、シエルが怖いのかも。
慌ててマリャさんを見るが、ずっと怯えているので分からない。
「マリャさん、この子はシエル。私たちの大切な家族なんです」
「にゃうん」
私の言葉に嬉しそうに鳴いて頷くシエル。
それを見たマリャさんが、ふっと一瞬だけ表情を柔らかくした。
「わっ」
驚いた。
一瞬だったけど、すごく柔らかい表情だった。
「アイビー、どうした?」
「なんでもないよ。それよりパスカの実って何?」
ずっと、そんな表情をしていられるようになればいいのにな。




