459話 チェチェの宿
「本当にごめんなさい。これが許可証です。隊長は仕事してください! その書類は今日中ですからね! 逃げないで下さいよ」
「ありがとうございます」
「いえ、時間が掛かってしまって申し訳ないです。私はハタル村、外壁隊の副隊長をしているリアです。ようこそハタル村へ」
外壁隊?
聞きなれない言葉に首を傾げる。
それにしても、この女性は副隊長さんだったのか。
……大変だろうな。
「ドルイドと言います。こっちが娘のアイビーです。少しの間ですが、よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
リア副隊長さんに軽く頭を下げる。
「丁寧にありがとうございます。この村は初めてですか?」
「いえ、かなり昔ですが俺は来たことがあります。娘は初めてです。そうだ、値段が手ごろで美味しい料理を出す店を知りませんか? 屋台でもいいんですが」
「手頃で美味しい店ですね。ん~、大通りをまっすぐ進んで3本目の角を右に曲がって少し歩くと『ロウシャの肉』というお店があります。その店のスープが美味しいんですよ。大きめの肉が入っていて食べ応えもありますし」
「『ロウシャの肉』ですね、ありがとうございます。アイビー、行ってみようか?」
「うん。楽しみ」
大きめの肉が入ったスープか、楽しみだな。
「今日の寝泊まりは、どこかお聞きしてもいいですか?」
「宿を探すつもりです」
「宿……あの、ちょこっと古い宿なんですが、お薦めがあるんです……どうでしょう?」
「古くても問題は無いですよ。雨や風がしっかりとしのげれば」
「それは大丈夫です! 大工だった父さんが、しっかり宿の修繕をしているので!」
父さん?
リア副隊長さんの家族がしている宿って事かな?
「場所はどこでしょうか?」
「えっと、大通りの2本目の角を左に曲がって、そのまままっすぐ行くと『チェチェ』という名前の宿があります。そこなんです」
「分かりました、行ってみます」
「リア~、ここで営業は禁止だぞ~」
「営業ではなく、お薦めを紹介しただけです」
「いやいや、営業だろ」
「隊長、手が止まってますよ。だいたい営業禁止の決まりなんてありません」
2人の話に笑ってしまう。
仲がいいな。
「では、色々と情報をありがとうございました」
「いえ。あっ、隊長! 警報の事は説明したんですよね?」
警報?
「あっ。忘れてた」
「もう、隊長! すみません、警報について説明しますね。この村の周辺なんですが、数年前から壁をよじ登る魔物が出没するようになってしまって。その魔物が現れた時に、警報が村全体に鳴り響きます。初めての人は驚くと思うので気を付けてください。警報が鳴った場合なんですが、壁を越えて魔物が襲ってくる可能性がありますので、すぐに逃げられるようにしておいてください」
壁って、村を囲んでいる壁の事?
あの壁って魔物除けが練りこんであるから魔物が近付かないって聞いたけど、違ったのかな?
「魔物除けが効かないんですか?」
「どの魔物除けも効果なし、王都から強力な魔物除けを取り寄せたりしたんだけどな」
「普通に飛び越えてきましたよね」
隊長さんの言葉に、リア副隊長さんが諦めたようにため息を吐く。
「あぁ、無駄だったな」
「対処はどのようにしているんですか?」
お父さんの質問に隊長さんが肩を竦める。
「討伐だよ。激袋をぶつけても逃げないしな」
「えっ、あの激袋ですか?」
顔にぶつかったら、どの魔物もすごい勢いで逃げて行くのに?
「あぁ、アイビーちゃんだっけ? 君の知っている激袋より強力な激袋だとしてもだよ」
そうとう厄介な魔物なんだ。
「奴のせいで、外壁隊なんて部署が出来るし、隊長を押し付けられるし……」
あはははっ、隊長さんがなんか怖い。
それにしても、外壁隊か。
この村独自の部隊だから、聞いた事ないわけだ。
「分かりました。警報が鳴ったら、すぐに逃げられるようにしておきます」
「そうしてくれ。リア~、お茶」
「その書類が終わったら、仕方がないので入れて差し上げます。なので、とっとと手を動かす!」
「……昔は優しかったのに……」
「誰かさんのお陰で、それでは駄目だと気付かされましたので」
終わりそうにない会話にお父さんが苦笑を浮かべる。
「では、失礼しますね」
「あっ! ごめんなさい。隊長のせいですからね!」
「俺か?」
会話を聞きつつ部屋を出てハタル村に入る。
「ふふっ、楽しかったね」
「そうだな。ただ、元気な時に会ったらもっと楽しめたかもな」
それは確かに言えるかも。
疲れている時には、ちょっとしんどいかな?
でも、楽しかったし疲れたし。
あれ?
言葉がおかしかった気が……そうとう疲れているかもしれないな。
「宿の名前は『チェチェ』で大通り2本目の角を左だな」
のんびり村の様子を見ながら宿を目指す。
村の人たちは、楽しそうに会話をしたりお茶を飲んだりしている。
冒険者が集められていたから、少し心配したけど村の人たちの様子からは大きな問題ではないように感じる。
残った冒険者たちの様子も、特に緊張しているとかは無い。
「普通だね」
「あぁ。上位冒険者まで駆り出されているから、大きな問題かと思ったが、どうも違うみたいだな」
「うん」
何だか変な感じ。
関わらないように気を付けよう。
「あっ、見つけた。確かにちょっとだけ周りより歴史を感じる建物だね」
ハタル村の建物の壁は緑系でまとめられている。
チェチェの建物の壁も緑だが、時間がたっているのか少し剥がれている。
それが建物を古く見せている。
「古い感じだが綺麗に整頓されているみたいだし。ここで問題ないか」
「うん。問題ないよ」
お父さんがチェチェの扉を開けるとふわりと花の香りがした。
「いらっしゃいませ。この宿の店主でリフリと言います」
「門の所で、リア副隊長に会って紹介してもらいました」
「あっ、リアですか? それはどうもありがとうございます」
少し白髪の交じった、体格のがっしりした年配のおじさんが嬉しそうな表情をする。
何だかほんわかする笑顔だな。
「お部屋の方は、どうしますか?」
「簡易調理場はありますか?」
「すみません、ここには無いんですが」
簡易調理場は無いのか。
それは残念だな。
「あの、忙しい時間以外でしたら、調理場を使ってもらって構いませんよ」
「いいんですか?」
「はい。構いません」
やった。
宿の調理場は大きいから一遍に色々作れるな。
何を作ろうか、今から考えるのが楽しみ。
「2人部屋をお願いします。部屋は広めで」
広め?
今までそんな事は言わなかったのに。王都に近付いたから?
首を傾げると、店主さんは1つの鍵をお父さんに渡す。
「この宿で一番広い部屋となります。2階の一番奥です」
「分かりました。ありがとう。行こうか」
「うん」
あれ?
部屋の値段とか聞いたのかな?
「お父さん、値段は?」
「金貨1枚だよ。朝と夜の食事付き」
いつの間にそんな話をしていたんだろう?
おかしいな?
「どうした?」
「いや、いつの間にそんな話をしたのかなって……」
思い返してみたけど、聞いた記憶はやっぱりない。
「机の上に置いてあった紙に、部屋代の一覧が載っていたんだよ。あれ? 見てただろ?」
そんな紙があったかな?
あれ?
見たような気がする。
「アイビー、もしかしてそうとう疲れているんじゃないか?」
「……そうかも、ちょっと頭がぼーっとする」
「ん?」
前を歩いていたお父さんが立ち止まって振り返る。
そしてそっと私の額に手を伸ばす。
「少し熱いかな? 部屋まで歩けるか?」
「……大丈夫」
「には、見えないな。あと少しだから頑張れ」