393話 こっそりと
宿の出入り口で待ってくれていたジナルさんが、私たちに気付いて小さく手を挙げた。
「こんばんは」
そっと近付き小声で挨拶する。
「こんばんは。わざわざありがとう。こっちだよ」
ジナルさんの後に続いて宿『ミチェル』に入る。
足音を忍ばせて、そっと宿泊している3階の部屋まで登っていく。
「なんだか後ろめたい気持ちになりますね」
別に悪い事をしているわけでは無いが、ばれないようにこっそり動いている事がそう感じさせる。
「そうか?」
「えっ? 全然」
お父さんの不思議そうな表情と、ジナルさんの悪びれる様子の無い態度にちょっと唖然としてしまう。
私の感覚が間違っているのだろうか?
「忍び込んでいる気分になるので」
「あぁ、よくある事だよ」
ジナルさんの返答に首を傾げる。
よくある事?
つまりこんな仕事がよくあるって事?
調査員の仕事ってよく分からない。
お父さんを見ると、苦笑された。
「目的が術の解除だから、気にならなかったよ」
お父さんの言葉にほっとする。
これでお父さんにまでよくあると言われたら、冒険者の仕事に疑問が浮かぶところだった。
「ここだよ」
「「お邪魔します」」
ジナルさんに続いて部屋に入ると、すぐにベッドで寝ているガリットさんとフィーシェさんの姿が目に入った。
不思議に思い部屋の中を見渡すが、ベッドは2つだけのようだ。
「ジナルさんはこの部屋じゃないの?」
「いや、この部屋だよ。本来はフィーシェが隣の部屋なんだ。今日は一緒の部屋の方が良いだろうと思って俺のベッドで寝かせている」
確かに別々の部屋だと面倒くさいよね。
すぐそばのベッドに近づくと、ガリットさんが寝ている。
傍によってもピクリとも反応しない。
「ぐっすりだな」
お父さんが少し不思議そうに、ジナルさんを見る。
気配に敏感だと言っていたから、睡眠薬を飲んでいても少しは反応するものなのだろうか?
「あぁ、ちょっと。まぁ」
ジナルさんが言葉を濁して視線を彷徨わせる。
なんだかちょっと嫌な予感を覚えて、ジナルさんを見る。
「どうしたんですか?」
「いや、睡眠薬をだな。水に数滴垂らそうと思ったら、勢いよく入ってしまって。すぐに入れ直そうと思ったんだが、『水だ~』とか言って止める間もなく2人でがぶ飲みしやがって。……悪い。多分、昼ごろまで起きないと思う」
あまりの内容にお父さんと黙り込む。
それを見てジナルさんが慌てだす。
「いや、俺もまさかあんなに勢いよく出ると思わなくて。しかも『待て』と言ったのに、あの酔っ払いども全部を飲み切るし……あ~、悪い」
こみあげてくる笑いをぐっと抑える。
ここで笑ってしまったら、きっと隣の部屋にも響く可能性がある。
「まぁ、目が覚めるまでゆっくり待つよ」
「そうしてくれるとありがたい」
私はもう一度ガリットさんを見る。
ここまで寝ていたら、起きないよね。
ソラたちが入っているバッグの蓋を開けて、ソルをガリットさんの傍に置く。
ベッドから少し離れると、ソラとフレムとシエルを順番にバッグから出す。
「あれ? みんなで来たんだ」
「はい、皆が来るって言ったので」
「そうか。ソル、頼むな」
ジナルさんの言葉にソルはプルプルと震えると、ガリットさんのすぐ傍まで移動する。
そして、頭から首までを包み込んだ。
「見た目がすごいな。食われているみたいだ」
「ふふっ、これでしばらく待ちますね」
ジナルさんが、部屋にある椅子を勧めてくれる。
机の上には飲み物とお菓子が置いてあった。
「簡単にしか用意できなかったけど、この菓子も結構美味かったからな。どうぞ」
「ありがとうございます」
そっとお菓子を口に入れる。
一口の大きさになっているお菓子で、ふんわりした食感。
果実の香りが口に広がって甘酸っぱい。
甘すぎないので食べやすい。
「美味しいです。これなんですか?」
「ナッポという菓子だ。近くの村でよく食べられていた菓子らしい」
「酸っぱさもあるので食べやすいです」
「よかった」
ジナルさんにお礼を言うと、嬉しそうに笑みを見せた。
お父さんはガリットさんの様子を見てから椅子に座り、ナッポを1個口に入れた。
「確かに食べやすいな」
「ぺふっ」
小さなソルの声が聞こえた、見るとガリットさんの頭からすでに離れていた。
「ありがとうソル。隣のフィーシェさんもいい?」
ガリットさんのベッドに近付いて抱き上げると、隣にいるフィーシェさんのベッドに乗せる。
ぴょんとフィーシェさんの頭まで行くと、ガリットさんと同じように頭から首までを包みこんだ。
「早いな。俺の時も同じだったのか?」
「あぁ、あれぐらいの時間だったな」
「そうか」
ソラとフレムがガリットさんの上でぴょんと飛び跳ねて遊んでいる。
「こら、遊んだら駄目でしょ!」
小声なので迫力がない。
まぁ、もともと迫力なんてないけど。
「いいよ。遊ばせておいたら」
ジナルさんは3匹の様子を楽しそうに眺めている。
どうやら止めてくれる気は無いらしい。
お父さんも苦笑を浮かべてはいるが、何も言わない。
……仕方ない、お菓子を貰おう。
「怪我させるわけじゃないし問題ないよ。楽しそうだし」
確かに冒険者のしっかりした体格だから、ソラたちが上で飛び跳ねたぐらいでは怪我はしないだろうけど、寝ている人の上で遊んでいるのはいいのだろうか?
「なんだか可愛いな」
「そうだろ?」
ジナルさんとお父さんの会話を聞いて苦笑する。
確かにソラたちは可愛い。
「ぺふっ」
ソルの声にフィーシェさんが寝ているベッドを見ると、終わったのか頭から離れていた。
「お疲れ様。2人の術は解けた?」
「ぺふっ」
「ありがとうな」
ジナルさんが、フィーシェさんのベッドに近付くとソルを抱き上げる。
そして、ゆっくり撫でると、ソルもまんざらでもないのか、目を細くしてじっとしていた。
「アイビー、もう1つの部屋で寝て良いぞ。使っていないベッドがあるからそこで寝たらいい」
どうしようかな。
いつもは寝ている時間で正直眠たい。
寝不足になるとお父さんが心配するし、借りようかな。
「お言葉に甘えてお借りします」
「アイビーは硬いな。もっと気軽に話してくれていいぞ」
ジナルさんの言葉に苦笑いが浮かぶ。
なんとなく一線を引いてしまうんだよね。
「まぁ、出会ったばかりだから無理か。もっと仲良くなれるように頑張るよ。部屋はこっちだ」
私が椅子から立ち上がると、ソラたちがぴょんぴょんと傍に寄ってくる。
「一緒に寝ようか?」
私の言葉に4匹がプルプル震える。
「一緒に寝るみたいだな」
「うん。お父さんはどうするの?」
夜が明けるまで、まだ数時間ある。
ずっと起きているのだろうか?
「ジナルと色々と話す予定だ。彼の息子を拘束する方法も考えないといけないし」
そうだ、息子さんの事が残ってたな。
と言っても、この睡魔に襲われている状態では、話に参加出来そうもない。
ここは大人しく寝た方が邪魔にならないだろうな。
「分かった、無理はしないでね。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ。皆もおやすみ」
私の足元で4匹がプルプルと揺れる。
その可愛さに笑みを浮かべながら、肩から下げている彼ら専用のバッグに順番に入れていく。
「ジナルさん、お願いします」
ジナルさんの案内で、隣の部屋へ移動する。
「ここも2人部屋だから、使っていないベッドがあるんだ。そっちを使ってくれたらいいから」
「分かりました。おやすみなさい」
「おやすみ。扉の鍵はかけて、ドルイドに預けておくな」
「はい」
ジナルさんが部屋から出るのを見送ってから、バッグを開けて皆を出す。
ベッドに横になると、大きなあくびが出た。
ソラたちが足元で寝始めたようだ。
「皆、おやすみ」