380話 お隣さん
「えっと、値段も書いたし、後は焼いていくだけだし……大丈夫よね。うん、大丈夫」
リジーさんが緊張の面持ちで屋台の中を歩き回る。
「リジーさん、落ち着いてください」
「大丈夫よ。えぇ、大丈夫」
まったくそうは見えないけどな。
あっ、また確認してる。
話し合った翌日、さっそく商業ギルドに漬けタレソースを登録し、そして認証前ですが使用させてくださいとお願いし、特別許可をもらった。
お父さんに「商業ギルドごとに細かい決まりは違うみたいだな」と言われたけど、前をまったく覚えていない私には、その違いがさっぱり分からなかった。
コウルさんが友人に借りた屋台は、綺麗に使われていたようで問題なくすぐに使う事ができ、今日から開店。
「うわっ、リジー緊張してるな」
「アイビー大丈夫か?」
コウルさんとお父さんが屋台の中に入ってくる。
2人の肩には、タレ漬けしたメルメ肉が入ったバッグが提げられている。
「大丈夫。あとは焼くだけになってるよ」
2人からバッグを受け取り、中からタレに漬けたメルメを出す。
必要な分を出すと、残りはマジックボックスに入れておく。
食材用のマジックボックスで、時間停止機能と冷蔵機能が付いている。
コウルさんが炭に火をつける。
火加減を調整すると、お父さんと私に頭を下げる。
「アイビーさん。ドルイドさん。ありがとう」
「俺たちも楽しんでいるから気にするな」
「そうですよ。それに私たちが手伝えるのはここまでなので」
全ての準備は整えたし、メルメも多分大丈夫。
あとはコウルさんたちの腕の見せ所。
ただ、メルメの今までの評判だけが心配。
一口食べてくれさえすれば、今までとの違いで話題になると思うけど。
「アイビー、俺たちは行こうか」
「うん。頑張ってくださいね」
屋台から離れる。
「あっ、待ってください。焼いたのを食べて最終確認をしてほしいのだけど」
最終確認?
下ごしらえの仕方は簡単だから間違いようがないし。
タレ漬けは一緒に作って味を確認済み。
なので、もう確認する必要はない気がするけど、どうしたんだろう?
「ありがとう、貰うよ」
お父さんはコウルさんに笑顔を見せる。
「初めての客だな」
あっ、そうか。
この店の1番目の客。
なんだか、楽しい気持ちになってくる。
「うん、楽しいね」
こんな事無いもんね。
「えっ? いや、客じゃなくて」
コウルさんが戸惑った声を出して狼狽えている。
その狼狽え方に笑ってしまう。
「客1号なんてそうそうなれないから、なってみたいです。コウルさん」
「そういうものかな?」
私の言葉に、首を傾げるコウルさん。
「記念すべき最初のお客様が、アイビーさんとドルイドさんで私は嬉しいです」
リジーさんが、コウルさんにメルメを渡す。
受け取ったコウルさんは「確かに」と言いながら網にメルメを乗せた。
コウルさんがお肉を焼きだすと、あたりに香ばしい香りが広がる。
少し果物感を強くしたので、華やかな香りになっている。
「いい香りね」
「そうね。でも、メルメよ?」
「ん? ちょっとね」
やはりメルメは本当に人気が無いな。
こればっかりはゆっくり広げていくしかないね。
「はい。お待たせ」
「ありがとうございます」
葉に包まれた肉を受け取る。
肉の下に根野菜を敷いているので、熱さ対策もばっちり……?
……少し熱いけど我慢できないほど熱くは無い。
でも、もう少し対策が必要かな?
「もう少し野菜を敷いた方がいいかもしれないです」
「熱い?」
お父さんがお肉を包んだ葉を掌に乗せる。
そして不思議そうな表情をする。
「コウル。野菜の下に木の板を入れてるよな?」
熱対策に葉の上に薄い木の板を敷き、その上に野菜を乗せお肉を乗せる事にしている。
お父さんの問いに、コウルさんが周りを見渡す。
「あっ、さっき棚に!」
お父さんとコウルさんのやり取りを見ていたリジーさんが、慌てて棚を開ける。
中から出てきたのは、薄い木の板。
あれ?
私が確認した時は、机の上の葉の横に有ったのに。
「ごめんなさい。確認している時に棚に仕舞ったみたいで……」
「リジー、大丈夫だから落ち着け」
コウルさんの言葉に何度も頷くリジーさん。
日常ではリジーさんの方がしっかりしているんだけど、まさかここにきてこんなに緊張するなんて驚き。
このまま広場に帰ろうかと思っていたが、少し離れた場所で様子を見る事にした。
開店はお昼前。
上手くいけば、少しぐらいはお客が来るかもしれないと思っている。
ただ、先ほどの女性たちの会話を思い出すと、難しいかもしれないと小さくため息が出た。
「気にしてもしょうがないよ。あとは運と彼らの頑張り次第だ」
「うん、わかってる。でも借金返済の期限を延ばせてよかったよね」
借金は商業ギルドでしていたコウルさんとリジーさん。
タレ漬けのメルメを少し持って行って、食べて貰ってから交渉していた。
見事1年間の猶予が出来たのは嬉しい。
その間に頑張れば、コウルさんたちだけではなくご両親たちも奴隷落ちは免れるはず。
メルメの肉が売れるようになれば、畜産の方も収入が増えるからね。
「食べてくれたら、きっと大丈夫なはずなのに」
昼になり大通りは人が多くなってきた。
香りで釣られて人が来るが、メルメだとわかるとなかなか手を出してくれない。
まさか、味見まで拒否するとは。
まぁ、ちょっと焼いて食べたけど、何もしてないメルメは不味いもんね。
「あ~、あった!」
ん?
どこかで聞いたことがある女性の声。
「あっ、お隣さんだ」
広場でお隣さんの女性たちが、他のグループの女性たちを連れて大所帯でやってきた。
あの時、彼女たちはしこたま飲んで酔っていたので、本当に来るとは思っていなかった。
「まさか本当に来るとは」
お父さんも、来ないと思っていたようで少し驚いた表情をしている。
「メルメだよ、大丈夫?」
「本当にメルメの屋台だ。本気?」
初めて見た女性たちが、心配そうにここに連れてきた女性に訊いている。
「知らない。でも、良い香りするから気になっていたら、あそこの彼女がすごいがっついてるんだもん。気になるじゃん!」
がっついていたと視線を向けられたリジーさんの顔が、一気に真っ赤になる。
「いや、あれは予想以上に美味しくて。普段はもっと食べる量は少ないんですよ! 本当ですよ!」
リジーさんが必死に言い募るが、女性は笑って「大丈夫。大食いの女性だっているよ」と言った。
リジーさんは真っ赤だし、コウルさんは女性の勢いに押され気味だし大丈夫かな?
「とりあえず、私は食べる。あんたたちは?」
「えっ、どうする?」
「ん~」
気になってくれた女性は食べてくれるようだけど、他の女性たちは乗り気ではない。
「あの、味見がありますがどうですか?」
「ありがとう」
購入を決めている女性がメルメの味見を食べる。
他の人たちはまだ迷っているようだ。
「なにこれ。えっ、メルメじゃないよね? これ」
食べた女性が、もう一口とリジーさんにお願いしてもう1回味見をする。
「本当にメルメ? 違うでしょ? あの臭みは?」
女性が不思議そうに食べていると、他の女性たちも興味を持ちだした。
「何? メルメじゃないの?」
「違うならなんでメルメなんて書くのよ」
「あの、使っているのはメルメで間違いないです。下ごしらえをして味付けを工夫してるので」
リジーさんがちょっと声を張り上げて説明する。
そうでもしないと、盛り上がりだした女性たちの声にかき消されそうだからだろう。
でも、その声が周りに響いて、女性たち以外の人たちも屋台に注目しだした。
「ねぇ、えっと3個頂戴」
最初の女性がコウルさんに指を3本見せる。
「ありがとうございます。すぐに焼きますね」
他の女性たちはリジーさんのところに集まって、味見を貰っている。
その様子を見ていた他の人たちも味見してくれる気になったようだ。
「やだ、美味しい。これって今日買ったあの酒に合いそうじゃない?」
「もう、すぐに酒の話。でも、柔らかいね。あの硬かった肉がこうなるとか、すごくない?」
「もう少し味見を」
「馬鹿、一口で十分でしょ。あの~2個下さい」
「私も2個、お願い」
どんどん屋台の前が賑やかになる。
女性たちは自然と列を作り、その後ろに味見した他の客たちが並びだす。
「大丈夫そうだね」
「あぁ、あの女性すごいな」
「そうだね」