342話 勇者の名前
ガラス製のボウルに小麦粉と水と塩を入れて捏ねる。
今日は、初めてのギョーザ作り。
記憶を頼りに作るので成功するかは不明。
ただ失敗しても、食べられる材料で作っているのでなんとかなるはず。
「けっこう手間がかかるんだな」
「そうだね。これまでの料理で一番かも」
これまで作ってきた料理は今日のギョーザに比べたら簡単。
記憶があやふやな所もあるため、正確に再現出来ているのかはわからないが。
とりあえず、食べられる料理にはなっている。
「そうだ。ドルイドさんに訊きたいことがあるんだけど」
「なに?」
ギョーザの中に入れる野菜を切りながら、器用に片手で生地を捏ねているドルイドさんを見る。
「アシュリさんみたいに、衝撃を受けて記憶が曖昧になる事なんてあるの?」
ずっと気になっていたんだよね。
あの日のアシュリさんを思い出しても、普通に受け答えが出来ていた。
特におかしなところは、無かったと言える。
なのに後日、覚えていないと言われて驚いた。
「精神的、心理的に衝撃を受けた場合は起きる事があるな。あと、頭に衝撃を受けた事でその前後の記憶が消えることもある」
「そうなんだ」
アシュリさんは頭に衝撃があったわけではないから、精神的もしくは心理的な衝撃を受けたって事だよね。
魔物を怖がる自分を、そんなに認めたくなかったのかな?
「魔物に襲われた経験を持つ者の中には、アシュリ団員のように心に傷を負う者がいる。中には克服できず、冒険者や自警団員を諦めてしまう者たちもいるんだ」
辞めてしまう人たちまでいるのか。
「専門の先生がそれぞれの村や町には必ずいる。だが、彼らの所に行くにも葛藤がある」
「葛藤?」
「あぁ。助けてくれると知っていても、自分の弱い部分を人にさらけ出すのはとても勇気のいる事だから」
「そうだね」
私も星なしだと認めるのには勇気が必要だった。
頭で理解しているのと、ちゃんと受け止めているのとは違う。
色々な人に支えてもらって、今ここに居る。
「アシュリさんはきっと大丈夫だよね?」
「彼は大丈夫だろう。これからいろいろ乗り越える事があるが、上司に恵まれているからな」
「よかった」
彼の周りには経験豊富な人たちがいるもんね。
きっと乗り越えられるはず。
「捏ねるのはこんなものでいいか?」
「耳たぶぐらいの柔らかさが理想みたい」
「……それ、わかりやすいようで、わからないんだが」
「え~、大体でいいですよ」
「わかった」
野菜とお肉を混ぜて具も作ったし、後は包むだけ。
……って、皮を丸く伸ばさないと。
「ドルイドさん、こんな感じで小さい球体を作ってほしい」
捏ねた小麦を少量取って、くるくる回してきれいな球体を作る。
それをドルイドさんに見せて大きさを覚えてもらう。
「わかった、同じ大きさの球体にしたらいいんだよな?」
「うん。球体にしてくれたら次の作業がしやすいみたいだから」
小さい球体を木の板の上でめん棒を使って伸ばしていく。
今日のために購入しためん棒。
「ん~、綺麗な円形に伸ばすのは難しいな」
不器用なんだよね、私。
それにしても、もう少し綺麗な円形の皮になってもいいような気がする。
……包めたらいいかな?
2人で黙々と作業をしてようやく最後の1枚。
最初に比べたら綺麗な円形に伸ばすことが出来た。
「疲れた~」
まだ具を皮で包まないと駄目なんだよね。
やっぱりすごい手間だ。
でも、ここまで来たらあと少し!
伸ばした皮の中央に具を置いて、皮で包み込む。
気を付けないと皮が破けそうだな。
「包めた」
包めたけど、どれも不格好だな。
それに。
「お疲れ様。どうした?」
ギョーザ1個を掌に乗せて、眉間に皺を寄せる私を不思議そうな表情でドルイドさんが見る。
「記憶にあるギョーザの2倍以上の大きさなんだけど、どうしてだろう?」
どう見ても、掌からはみ出してる。
理想は2口ぐらいで食べられる大きさなのに……どう見ても2口では食べきれないよ。
「大きくても問題ないだろう。食べ応えがあるだけだって。で、これをどうするんだ?」
「ん~、今日は焼こうかな」
「だったら俺にも出来るな」
ドルイドさんがフライパンを手に取った。
「少し焼いたら、水を入れて蓋をして蒸し焼きにするみたい」
「了解」
ドルイドさんが焼いてくれているので、サラダと白ご飯の用意をする。
「今日は部屋で食べようか」
「うん、そうだね」
初めて作る料理に少し疲れたので、部屋でゆっくりと食事を楽しみたい。
それにしても、ここまで手間がかかるとは思わなかったな。
「きれいに焦げ目も付いたし、大丈夫だろう。はい、完成」
ギョーザ以外の料理はすべて部屋に移動済みなので、あとは焼いたギョーザを持っていくだけ。
「すごくいい香り。お腹すいた~」
「俺も、途中でつまみ食いしそうになった」
焼いている間にフライパン以外は洗った。
あとは食べた後に片付ければいいよね。
部屋に戻って、ギョーザを見る。
どう見ても、記憶にあるギョーザの2倍ではなく3倍ぐらいだな。
「「いただきます」」
正解がどうかはわからないけど、具の味付けはよかったな。
ただ、皮が厚すぎる。
失敗かな、具と皮の割合が微妙に悪い。
皮の厚さは、今回の半分でいいかもな。
「次はもう少し皮を薄く伸ばすね。それと大きさもちょっと小さくする」
「これはこれで美味いけど、確かに皮はもう少し薄くてもいいかな」
味付けは大丈夫そうだな。
「「ごちそうさまでした」」
2人で片付けて、お風呂を済ませベッドの上でゆっくり休憩中。
「あっ! 忘れていた」
「どうした?」
「もう1つドルイドさんに訊きたいことがあったの」
訊こう、訊こうと思っていたのに、どうしても重要ではないから忘れちゃうんだよね。
「なんだ?」
「タブーロさん。タブローさん……タブロと似たような名前があるけど、これはどうして?」
「あぁ、それか。勇者タブロウにあやかってだろう」
勇者?
「かなり昔の話になるが、この世界全体に魔物が溢れかえった時代があった」
本でこの国の歴史を調べた時に、魔物が溢れた時代の事は載っていなかったけどな。
「どれくらい前の話なの? 国の歴史を調べた時には魔物が溢れた時代なんてなかったけど」
「正確にはわからないが、今の国の形が出来る前だ」
そんなに前!
だったら国の歴史を調べても出てこないわけか。
「世界に魔物が溢れた時に人を励まし導き、そして魔物をこの世界から排除した人物。その人の名前がタブロウなんだ。世界で1番最初の勇者とも言われている」
そんな人がいるんだ。
「その人の勇気や正義感を子供に持ってほしいと、似たような名前を付ける親がいるんだ。昔ほど多くは無いが、今でも人気の名前の1つだな」
なるほど、だからタブロウに似た名前が多いのか。
「そんなにすごい人がいたんですね」
世界中にあふれた魔物を排除したってすごいよね。
「昔の話だから、誇張されている可能性もあるけどな」
それはあるかな。
でも、ある程度は真実のはず。
タブロ、私の父の名前。
彼にも彼の正義があったのかな?
「大丈夫か?」
「えっ?」
「何か考え込んでいるみたいだけど」
そう言って、ドルイドさんは私の眉間に手を伸ばす。
もしかしたら、しわが刻まれていたかも。
「大丈夫」
考えこんだつもりはない。
だって、もう過去の事だし……。
あれ?
そういえば、前ほど捨ててきた家族の事を思い出しても苦しくない。
前は、苦しくて悔しくて悲しいと思ったのに。
だから思い出さないようにしていた。
でも今は、思い出したら悲しい出来事だったとは思うけど、それ以上に私を苦しめることは無い。
そうか、だから名前について訊けたのか。
もう、捨てた父の名前を思い出しても大丈夫になったから。
そっか。
「今度は嬉しそうだな?」
「嬉しい事があったので」